§16 11/17 岡崎教諭

文字数 3,197文字

 僕も十年前にはちょうど高校二年生をやっていた。だから(と、少しばかり端折るけれど)、矢野先生から話を聞いたとき、思わずくすりと笑ってしまった。恐る恐る表情を窺ってみれば、矢野先生も苦笑している。……とはいえ、日が沈むと生活指導室は急に冷える。わざと北東側に拵えたのかな? 教師と生徒を狭い部屋の中で長居させないために。
「そう言えば、引き継ぎのとき板橋先生からもそんなことを……」
「なにを?」
「いえ、細田のことですよ。板橋先生、結城と仲良しじゃないですか。ああなったきっかけも細田の御注進だったとか」
「岡崎先生、その言い方はちょっと……」
「あ、すんません」
「でも、そうなのね。まあいるわよね、ああいう子」
「なんなんすかね? ただのやっかみですか?」
「どうかなあ……。そんなに単純でもないような」
「でも細田自身は特段これといって問題を抱えてるわけでもないんでしょう?」
「わたしたちの耳に聴こえてこないだけかもしれないけどね」
 確かに余程の出来事が起こらない限り、高校では家庭の事情などが耳に入ってくることはない。ましてや話題になっているのは二年生であり、本格的に進路指導が始まっているのでもなし、学外の事情が表に出てくるのは、やはりそれこそ「余程の出来事」だろう。……矢野先生、スカートで寒くありません?
「矢野先生は、日浦についてはどれくらい?」
「う~ん、それがねえ、あまり目立たない子だから、成績もまあそこそこ悪くないし、これまで意識して見たことないのよねえ。だから正直ちょっとビックリしてるところ」
「そういう見方をすれば、桃井もカッコ()も同じですけどね」
「カッコゆ?」
「あ、すんません。結城がカッコ()って呼んでておもしろかったもので、つい……」
「ああ、佐藤(由)てことか。結城さんてほんとおかしな子」
「それよりどうします? まあ親戚の家ですからね、別に学校としては問題ないと思いますけどね」
「細田さんが訴えてきたのはそこじゃないけどね」
「わかってますよ。でもそっちこそなにするんです? 家にいられなくなった事情を聴取しますか? ちゃんと避妊してるか?なんて確かめます?」
「それもどうなの?って感じよねえ」
 日々、彼らと接しているとは言え、我々の目に映る景色と、彼らどうしが見ている情景とは、明らかに違ってしまうはずだ。紀平里美や茶山創太のように、どこからだれが眺めても屹立して見える連中は、正直わかりやすくていい。細田の目にも我々と同じように見えているものと想像していい。
 ところが、いま問題となっている佐藤由惟と、従姉妹どうしであるという桃井彩香、そして佐藤のパートナーであるらしい日浦奎吾などを、細田の目がどのように見ているのかなんて、正直見当もつかない。彼らがおかしなことをやっていると訴えられても、親戚の家から通っていることや、家にカレシを連れ込んでいることに、懲罰はおろか注意すべき立場にも我々はない。
 それでも本件を、細田という女生徒のつまらない「やっかみ」に過ぎないとして捨て置けない心情が、僕にも矢野先生にもあるわけだ。佐藤、桃井、日浦の周りに、なぜか瀬尾がいて、なぜか結城と雨野がいて、なぜか紀平と茶山がいて、さらには平木と吹雪までいるのだと聞けば、親族である佐藤と桃井の話から、俄かに逸脱してくる。細田が落ち着かない気持ちになるのも頷けるのである。……それにしても冷えるな、ここは。
「……誰が繋げてるのかしらねえ」
「そこ、やっぱり気になりますよね?」
「おかしなことをするメンバーじゃないんだけどね」
「ええ、そこはね。ただ取り合わせがいかにも妙です。十年前の僕なら気になってしょうがないだろうな、細田と同じように。――矢野先生もそう思うでしょう?」
「大袈裟に言えばね、大袈裟に言えばよ、本来は安定した生態系の中で棲み分けをしているはずで、だから滅多に顔を合わせることのない人間どうしが近づきすぎるのはね、文字通りバランスを壊しかねないのよ。生態系の全体のバランスをね」
「その意味で言うと、僕は、結城と平木がおかしいと思うんですよ。あの二人が同じ出来事に関係するなんて、ちょっとあり得ない」
「ああ、確かにね。ほかは竜巻の中心にいそうな気配はしないわね」
「竜巻ですか?」
「もし竜巻みたいなのがあそこの周囲で起こるとすればね、真ん中にいるのは誰なのかなあ?て話。結城さんも平木さんも目立つ子ではあるけど、あの二人は掻き回したりしないし、きっと巻き込まれたりもしないわ。茶山くんと紀平さんもね、まあ広告塔って言うか、周りから見つけやすくするために呼ばれてる感じゃないかしら。……なんて、バカバカしい陰謀論でも唱えてるみたいね」
 実を言えば、最初から僕と矢野先生のおしゃべりは、同じ場所で堂々巡りを続けている。細田が整理されていないままに次々と名前を挙げ、一部の人間の気になる(細田にとっては気に障る?)関係性――佐藤由惟と桃井彩香、そして日浦奎吾と瀬尾聡之の存在――を指摘したときから、それはすぐに回り始めた。
 落ち着かない気分の源を探りたい…と、僕も矢野先生も思っている。けれどもそれは、今も矢野先生が描いて見せたように、メンバーの中に特定の誰かが混じっているからではなく、あくまでも関係性の問題――それも、不可解な関係性のせいだ。「混ぜるな危険」とまでは書いてはいないのだが、それは単に、これまで混ぜてみた人間がいないだけなのではないか?と疑わせるのである。
 もしかすると、見慣れてしまえば落ち着くのかもしれない。それはありそうな話だ。あるいは、佐藤由惟が桃井彩香の家から通っている事情さえわかれば、あとは芋づる式に解けていくような気もする。それもまたありそうな話だ。いずれにしても、細田のような生徒が増えなければいい。
 いま僕のクラスにいるのは――佐藤、桃井、瀬尾、雨野、そして結城の五名。残る五名のうち矢野先生が受け持っているのが日浦、茶山、平木。紀平と吹雪はそれぞれまた違うクラスだ。部活動が重なっている人間もいない。この斑模様もまた謎めいている。……ヤバい。トイレに行きたくなってきた。適当に切り上げないと。
「みんながみんな、細田みたいにわかりやすくひねくれてくれたら、ほんと助かるんだけどなあ……」
「佐藤さんて、そんなに目立つの?」
「当人はそういう生徒ではないです。それこそだから、さっき矢野先生がおっしゃったみたいに、紀平だ茶山だ平木だって連中が取り囲むから、おかしな具合に目立つんですよ、きっと。――しかしどこでどうつながってるんすかねえ、あいつら」
「え、ちょっと岡崎先生、話はまだ――」
「そのうち雨野にでも訊いてみますよ。あいつがたぶんニュートラルな立場にいるはずなんで。そういうとこ上手いんだ、彼。きっとああいうのが出世するんだろうなあ……」
 生活指導室の扉を開けると、後ろから「もお……」と可愛らしく不満の声を漏らしながら、矢野先生が部屋の灯りを消した。漏れそうなのは僕の膀胱のほうなのだが、せっかく矢野先生と二人きり、差し向かいでお話しできる時空間を、こんなことで手放さざるを得ない己の情けなさに、心底ガッカリする。こんな体たらくだから彼女もできず、年上で人妻でもある矢野先生とおしゃべりして悦んでいるような、だらしのない男になってしまったのだろう。高校生の頃は――少なくとも大学生までは、もう少しマシな男だったように記憶しているのだが、それもどこかで都合よく書き換えられただけなのかもしれない。
「岡崎先生、鍵!」
「ああ、そうでした」
 振り返り、考えもなく――とにかく今は一刻も早くトイレに駆け込みたい――無造作にひょいと放った生活指導室の鍵を、さっと難なく片手で受け取った矢野先生の挙措に、僕は思わず見蕩れてしまった。まったく、情けない限りだ……。(了)
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