祟り神だって恋をしたい
文字数 1,339文字
あの言葉は、香澄に「泣いてもいいよ」という許可を与えるスイッチだった。
この一年ずっと欲しくて得られなかったそれを、あんなふうに無造作にぽんと渡されたら、香澄の飢えた脳はそれをリピートせざるを得なくなる。もう一度軽く首を振れば、
『竹越、あんた、おもしろい』
少年の声が耳の奥でふたたび鳴る。
失礼なやつだったけど、ありがとう、と香澄は思う。
それにしても。
転校生の男の子が、なにげなく言ってくれた言葉がうれしくて、その言葉が何度も耳の中でよみがえってきて、なんて。
こういうの、漫画で見たことあるなあ……と彼女はふと思い、そして、
頰が熱くなる。
「あれ? やっぱり具合悪いのか? 熱でも出たか?」
父親のそんな気遣わしげな声を背に、お年頃の娘は「トイレ我慢してたの!」と叫び、わざとばたばたと足音を立てて洗面所へと駆け込んだ。
「うわあ……」
鏡の中には、赤く染まった顔が、真っ白なサポーターの上にちょこんと乗っかっていた。
さて。
こういうとき、普通の中学生女子ならば、仲の良い友人と恋バナとかいうもので盛り上がるのかもしれないが、現在 である香澄には、残念ながらそんなかわいらしくすてきなおしゃべりのできる友人などいない。
そのため、誰かにしゃべる代わりに、彼女は目の前のノートに想いを書き付けてみることにしたのだ。
初恋日記。
ああ、恥ずかしい。
香澄はひとり、勉強部屋で身悶える。
でも、ノートの真っ白な紙面は、空と同じでいくら自分が見つめても傷つくことはない。安心して、思いを綴ることができる。
自分の中にあるものを、誰に気兼ねすることもなく、自由に吐き出す場所ができた。しかしこのノートが、香澄にとって非常に大きな意味を持つものだったと彼女自身が気づくのは、ずいぶんと後になってからだったが。
書き終わると、父親に見つからぬよう、学習机の引き出しの中、かわいいクッキーの空き缶の下に、そのノートをしのばせる。
そして、日記と時を同じくして。
朝起きると、いつも枕元に散らばる自分の髪を見て、ため息をつくのが香澄の日課になった。
この首は、切れ味のよい刃物と同じだ。せっかく伸ばしていた自分の髪も、触れた場所からさっくりと切り落としてしまう。
寝ている間に自分を傷つけることがないように、睡眠時も専用の特殊なサポーターをはめてはいたものの、起きているときよりはどうしてもずれやすく、そのずれた部分から首元に入り込んでしまった髪は、そこでふっつりと切れてしまう。
髪の長い子が好きって言っていたから、もうちょっと伸ばしてみたいのにな。香澄はちらばった髪をくずかごに放り込みながら思う。
せっかく芽生えた乙女心を邪魔しないでよ、と自分の首に向かって文句を垂れて、香澄は今日も元気に登校していくのだった。
《九月九日
友だちができた。高畑湊。
友だちとおしゃべりするって、こんなかんじだったっけ? ってなんかまだふしぎなかんじ。
しゃべるとほっぺたの筋肉がうごいてるんだなーっていうのが、よくわかる。今日もまだ、ちょっとほっぺた筋肉痛。》
この一年ずっと欲しくて得られなかったそれを、あんなふうに無造作にぽんと渡されたら、香澄の飢えた脳はそれをリピートせざるを得なくなる。もう一度軽く首を振れば、
『竹越、あんた、おもしろい』
少年の声が耳の奥でふたたび鳴る。
失礼なやつだったけど、ありがとう、と香澄は思う。
それにしても。
転校生の男の子が、なにげなく言ってくれた言葉がうれしくて、その言葉が何度も耳の中でよみがえってきて、なんて。
こういうの、漫画で見たことあるなあ……と彼女はふと思い、そして、
頰が熱くなる。
「あれ? やっぱり具合悪いのか? 熱でも出たか?」
父親のそんな気遣わしげな声を背に、お年頃の娘は「トイレ我慢してたの!」と叫び、わざとばたばたと足音を立てて洗面所へと駆け込んだ。
「うわあ……」
鏡の中には、赤く染まった顔が、真っ白なサポーターの上にちょこんと乗っかっていた。
さて。
こういうとき、普通の中学生女子ならば、仲の良い友人と恋バナとかいうもので盛り上がるのかもしれないが、
そのため、誰かにしゃべる代わりに、彼女は目の前のノートに想いを書き付けてみることにしたのだ。
初恋日記。
ああ、恥ずかしい。
香澄はひとり、勉強部屋で身悶える。
でも、ノートの真っ白な紙面は、空と同じでいくら自分が見つめても傷つくことはない。安心して、思いを綴ることができる。
自分の中にあるものを、誰に気兼ねすることもなく、自由に吐き出す場所ができた。しかしこのノートが、香澄にとって非常に大きな意味を持つものだったと彼女自身が気づくのは、ずいぶんと後になってからだったが。
書き終わると、父親に見つからぬよう、学習机の引き出しの中、かわいいクッキーの空き缶の下に、そのノートをしのばせる。
そして、日記と時を同じくして。
朝起きると、いつも枕元に散らばる自分の髪を見て、ため息をつくのが香澄の日課になった。
この首は、切れ味のよい刃物と同じだ。せっかく伸ばしていた自分の髪も、触れた場所からさっくりと切り落としてしまう。
寝ている間に自分を傷つけることがないように、睡眠時も専用の特殊なサポーターをはめてはいたものの、起きているときよりはどうしてもずれやすく、そのずれた部分から首元に入り込んでしまった髪は、そこでふっつりと切れてしまう。
髪の長い子が好きって言っていたから、もうちょっと伸ばしてみたいのにな。香澄はちらばった髪をくずかごに放り込みながら思う。
せっかく芽生えた乙女心を邪魔しないでよ、と自分の首に向かって文句を垂れて、香澄は今日も元気に登校していくのだった。
《九月九日
友だちができた。高畑湊。
友だちとおしゃべりするって、こんなかんじだったっけ? ってなんかまだふしぎなかんじ。
しゃべるとほっぺたの筋肉がうごいてるんだなーっていうのが、よくわかる。今日もまだ、ちょっとほっぺた筋肉痛。》