初めまして、みなさん

文字数 5,841文字

1.初めまして、みなさん
 ハロー、こんにちは。読者のみなさんは、元気でしょうか?僕はと言いますと、何かとしょげながらも案外丈夫に生きてます。ずっと前から考えていたのですが、このことを話そうか話すまいか。でもやっぱり話しておこうかと思います。
 別に何か理由があってこういう感情になったということではないのですが、まあ少し話をして自分への救済と言いましょうか、妥協と言いましょうか、はたまた教訓と言いましょうか、何かしらの打算があるのかもしれません。
 とりあえず名乗りましょう。それが礼儀というものでしょうから。僕はカズトヨというものでして、これがもう出来の悪い人間なのです。どれほど悪いかと言いましたら、それはこれから語る僕の物語をみてみなさん評価してもらいたいです。まあ大抵の人は僕が自分のことを出来の悪いというのに納得できるでしょう。できない人はたぶんもしかすると、僕と同じ程のどうしようもないやつなのか、はたまたお馬鹿さんなのか、はたまた奇才すぎるのか、まあどちらにしろあまりいい部類には入らない人たちになるでしょう。
 さて、みなさんは読者でしょう、きっとそうでしょう。僕らと同じものではないことを心から祈りますとも。

 僕らの世界はみなさんの一部であり、小さい人から大きい人、そちらの言葉で綴ると老若男女でしょうか、そういった人たちがあまねくご覧になって下さるものの中に潜むものなのです。「む?よくわからないぞ!きちんと説明しろ!」とおっしゃられることでしょう。そうでしょう。僕ももしこんな出だしで始まる説明があろうものなら、堪忍袋の緒が瞬く間にプッチンと切れて、初手詰みでありましょう。
 なので端的に説明すればですね、僕らはあなた方の思い描く物語や見てくださるドラマなどに出るアクターやアクトレスなのです。
 「じゃあ君たちは私たちと同じじゃないか。なんで別の世界みたいに話をするんだい?」とおっしゃるかと思いますが、僕らはみなさんが考えるようなアクターやアクトレスとは、全然違うのです。
 僕らには僕らの世界があります。みなさんにはみなさんの世界があります。そう、違うのです。僕らとみなさんは違うのです。僕らは普段僕らの世界で生活し、いつも演劇やスタントの練習に精を出しているのです。そしてみなさんが漫画や映画や小説を読むときに、はたまたみなさんの頭の中に描く空想の中に、ひょこっと顔を出しては、練習の成果を発揮するのです。
 みなさんと僕らの接点は、そこにしかないのです。それ以外の僕らは仮の姿をしてます。みなさんと接点を持った時、目いっぱい変容して、それでめいっぱい演じる。それが僕らの生きがいなのです。仕事でもありますが。
 僕の家はわりとちゃんとした家系で、母も父もちょっとは名の知れたアクターとアクトレスなんです。そのくせ僕はというと、さしてこれといった取り柄もない人間なのです。

僕が変わってしまったあの日、そうあの日のことをお話ししましょう。自分語りの初めとしては、一番にふさわしいと思いますので。
 僕がまるっきり変わってしまったあの日。あの日はちょうど雨でした。それも土砂降り。車に乗っていては前も見えないくらいのひどさでした。むろん僕は車ではなくて普段は自転車通学なのですが、その日は母の忠告を真摯に受け止めて、よし!歩いていこうとなったのです。
 傘をさすともう前方はまともに見えず、傘が受け止める雨音が耳いっぱい響いていました。学校についたころにはすでに肩や脚などはずぶ濡れで。雑巾絞りの要領でぐいっと絞ると、もうあれは滝と言っていいほどの水量がドバアーと勢いよく流れ落ちていくほどでした。いや、ほんともう凄い量で驚きましたよ、僕自身。

 あ、そういえば、学校のことを話していませんでしたね。僕らの学校は少し特殊でして、僕らの社会がそうであるように、学校もまたアクターやアクトレスを育成するための場所となっているんです。みなさんの世界では、普通科という一般教養を習うところがあるでしょう。我々の学校にも少しその役割が存在するのですが、それは15歳までには終わり、16歳からは男はアクター、女はアクトレスになるために演劇に特化した教養を積むことになるんです。僕は当時ちょうど16歳で、この豪雨降り続ける日には、演劇一筋に心を決めていました。
 ちなみになのですが、僕らどもの性別とやらは、そもそも見た目も仮の姿なのですから、とても流動的なんです。そして生涯付きまとう性別がある程度決まってしまうのが、この16という歳でもあるんです。そう、もう察しの良い方はお気づきかもしれませんが、16が僕らの世界での一人前の大人になる歳なんです。
 しかしむろん例外もあります。先ほど僕がなぜ、生涯付きまとう性別が「ある程度」決まってしまうと申したかと言いますと、それは本当にそうだからなのです。
 僕らの世界では16を超えても性別が定まらない、半端者がいるんです。半端者と言いますと悪い者のように聞こえますでしょうが、それは僕が勝手にそう呼んでいるだけで、世間ではむしろ英雄的なのです、そういう人たちは。今の僕はもう半端者とは呼びません。エリートと呼んで、自分の分をわきまえております。でも当時の僕は違いました。彼らはうざったい、目の上のコブみたいなもので、世間でちやほやされるのをやっかんで、そう呼んでいたのです。

この半端者!半端者!と喚き散らしているときは、なんと心が晴れやかになったことか。まあすぐ終わってしまうのですが。ほんと、他人を憎んで埋め合わせした心は、すぐに空っぽになってしまうんです。そして満たされない空洞を埋めるため、また同じことをしてしまうのです。ダイナマイトでもあればもう見ないで済むように入り口をふさいでしまうのですが、当時の僕にはそれが出来なかった。冒険家のように洞窟を進んでいっては、いつも真っ暗な世界で一人壁という壁にピッケルをブチ当てていたんです。いつも響くのはピッケルの残響音だけ。何も残らないのです、結局は。
 さて少し暗い話をしてしまいましたが、エリートと呼ばれる彼らは、男でも女でもあるのです。アクターとアクトレスの両方を演じきることのできる者、それがエリートとなり得るのです。だから彼らは男でも女でも、どちらでもなれるんです。ほんと、凄い人たちなのです。
 こういう社会、学校ですので、むろん社会的な成功の尺度は、いつも演技力となるんです。
    
ようやくずぶ濡れの服を一通り絞り終わった僕は、靴箱で靴を履き替えていました。雨の日は人がまばらなのがセオリーなんですが、今日はやけに人が多い。それもみな靴を履き替えるために居るのではないみたいなんです。何事だ?と僕が頭の中で名推理を繰り広げようとない脳みそを酷使していると、次第に騒ぎが起こり始めたのです。どんどん大きくなっていく群衆の声は、さながらエコーチェンバーのようでした。
 騒ぎが最高潮になった時に校門の方から一塊の一団がやって来たのです。ああ、それはちょうど人類史の先生が授業中に憧れを抱きながら語っていた、あの古代に流行った重装歩兵の密集陣形さながらでしたね。何かが徒党を組んでやってくるみたいでしたよ。少し目を凝らしてみると、密集陣形はどうやら中心の何者かを軸として広がっていたのです。
 これは・・あれだな。僕はもう確信していました。これはよくあることだと。それにしてもよくこんなに雨の酷い日に、全く人の集まるもんだ。傘が喧嘩しあってるじゃないか。それに傘も刺さずに靴箱から飛び出してくやつもいるじゃないか。まるで英雄の凱旋だな。まあ本当に英雄みたいなもんなんだけど。
 そう考えていると、一団はすでに靴箱近くまで到着していて、そうなると靴箱にいる者たちなどももう男女関係なく、舞い上がって奇声を上げている始末なんです。

あまりの騒動にいつもながら驚いている僕に、ふと誰かしらが声を掛けてきたのです。そう、なんとその声を掛けてきた人物こそ、この騒ぎの元凶、男か女なのかよくわからぬ見た目をした僕が半端者と揶揄するもの。世間一般ではエリートと呼ばれる、わが校の誉れなんです、彼・・・いや彼女?は。
 「おはよう、元気にしてた?カズトヨ」
 彼の笑顔はとても僕の心に響くのです。痛烈な自己嫌悪が巻き起こる内心を抑えつけながら、少し愛想笑いを交えて、挨拶を返す。すると彼は何気ないように、友達がやり取りするみたいな普通の会話をしてくるんです。僕はいつも驚嘆してましたね、彼の鈍さに。
 おいおい、エリートさんよ。あんたはすげぇ演劇をするんだろう?演劇ってのは、先生が言ってたみたいに、感情移入が大切なんだろ?心情読解のスキルが高いんだろう?誰かになりきるんだろ?じゃあなんでお前はそんなに僕の心に鈍感なんだ?お前の得意分野なんだろうが!と、そんな風に内心憤慨してしまう。それにしてもなんで彼は雨で濡れていないのだろう?僕はずぶ濡れだったのに。
 拳で握りしめて、僕は相変わらず愛想笑いで返答をした。
 「また主演が決まったんだって?おめでとう!友人として誇らしいよ。」
 クソめ。
 「そんなこともないよ。ところで君はどうだい?君の演技力なら、きっと主役も」
 「いや!僕なんてまだまださ!やっぱりユウキはすごいよ!僕らとは別格だね」
 そんなことをいうなよ!心でそう想いムカついて、彼の話を遮った。これでも奴は気づかない。ほんと鈍いんだ、彼は。
 こういうおべんちゃらを二人して投げ合っていると、気づいたらもうクラスまでやってきていた。別に彼と夢中で話をしていたわけじゃないんですよ。細心の注意を払っていたんですよ。彼といると注目されてるみたいで、それはいい。ただ彼と一緒にいると気疲れするのです。神経衰弱になってしまそうなんですよ、ほんと。
 彼と僕は同じ部屋に入っていきました。同じクラスなんですよ、靴箱も同じというね。何かの嫌がらせなんですかね、神様。

そう、嫌がれせと言えば、これはもう史上最大の嫌がらせだと思うんですよ。何がって、それは僕の一族なんです。僕の一族はというと、すごく由緒正しい家柄で、いわゆるエリートの部類の一族なんですよ。母、父はむろん、祖母、祖父、兄弟に至るまで、みんなしてエリートなんですよ。けどね、僕は違うんですよ。到底違う。だから普通ならやっかまれると思うでしょ。でも父親以外、みんな優しい。驚くほどに。まるで腫物を扱うようだから、僕はとてもやりきれないのですよ、全く。困っちゃいますよ。
 おまけに席も左隣りで、生まれた時から知り合いのこの男がいつも隣にいるんですよ。もう堪ったもんじゃない。常人なら既に発狂して、変な事件の一つや二つ起こしてるはずですよ。
 やつ、そうユウキってやつは、なんでも僕より器用にこなすし、人当たりもいい。人を惹き付ける力っていうんですかね、なんにでも必要になってくるあの取り留めない、よくわからない才能の際たる持ち主なんです。かたや僕なんかこいつの隣にいようと、誰にも注目されない。びっくりでしょう。まるで影みたいなんですよ。その上、演技はさしたことはない。ユウキは良く褒めてくれるんですがね、本心じゃないんですよ。もし本心なら、そいつはたぶん感性が壊死してるんですよ。絶対そうですよ。
 だって、わかるじゃないですか。良いものが良いとは限らないんですよ。特にこういった曖昧な世界では。上手いからって言い訳でもないし、下手だから人気がでない訳でもない。ほんと曖昧なんですよ。だから成功した人気者という事実だけが重要なんですよ、世の中。僕の演技が上手いかそうじゃないかなんて関係ない。あいつは人気者で、僕は影。ただその事実だけなんです。
 
だって、わかるじゃないですか。良いものが良いとは限らないんですよ。特にこういった曖昧な世界では。上手いからって言い訳でもないし、下手だから人気がでない訳でもない。ほんと曖昧なんですよ。だから成功した人気者という事実だけが重要なんですよ、世の中。僕の演技が上手いかそうじゃないかなんて関係ない。あいつは人気者で、僕は影。ただその事実だけなんです。
 この日。そうこの日なのです。私がまるっきり変わってしまったのは。彼の光はさらに輝いて、僕の影はより一層深まりました。
 たぶんほんの少しのことなんですよ。アレルギーと一緒で、ある限界を超えた瞬間にもう駄目になってしまう。負の感情はそういうものです。
 教室に入ってからも僕は席に座れませんでしたね。なにせ彼の野次馬が殺到してしまうんですから。彼が学校に来る日、たぶんだいたい週に2日くらいですかね、その日はもういっつもこんな具合なんです。
    
 彼はチャイムの余韻の間、教室内の雰囲気が休みから授業へと変わる途中の時間を使って、いつも申し訳なさそうに僕に謝るのですが、ちゃんちゃらおかしいことですよ。ええ、全く。僕はもちろん笑みで接するんですが、もう心の中はグッチャグチャでしたよ。
 僕がようやく座れたのは、チャイムが鳴り終わって数分経ってからでしたよ。本当は他の教室に入るのは禁止なんですけどね。もう先生の声なんて非力なんですよ、何も効果がない。
 いつも通り、彼は誤ってきました。僕も、いつも通り笑顔を返しました。でも今日は違った。この後がいつもと違ったのです。
 前に立つ先生が突然名前を呼ぶんですよね。彼、そうユウキのことを。それで彼は不思議そうな顔を浮かべるんですよね。さすがは名アクター・アクトレスだ。僕には到底できない。絶対知ってると思うんですよ。彼は自分が何でこんな風に呼ばれているか、その理由を確信してるはずです。でも、あっけらかんとしたきょとん顔で返答するんですよね。だってそっちの方がいいじゃないですか。無難で、うざがられずに。彼にはぴったりだと思いますよ。
 先生はすごく興奮していました。とても嬉しかったんでしょうね。だから授業開始までに時間がかかったんだと、僕はここで不意に腑に落ちましたね。普段だと怒号が飛ぶはずで、みんなそれで萎縮して教室をあとにするのが常なんですが、今日は先生の物腰がやけに柔らでしたね。ほんと水中の昆布みたいに。
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