第6話 温室

文字数 2,216文字

 三人の顔に訝しげな表情が浮かんだ。どこからどう見ても西洋人の秘花(ひめか)が、どこからどう見ても日本人の僕の妹と紹介されては無理もない。
 だが、初対面でそこまでずけずけと尋ねる人間はいなかった。子連れ同士で再婚したのだろうと思ったかもしれない。実際そう思われがちだがもちろん違う。
 咲倉(さくら)彰秀(あきひで)は人は良さそうだが気弱そうなオジサンだ。
 妹の鵜沼(うぬま)秀子(ひでこ)は、兄とは真逆の高飛車な雰囲気を振りまいていた。美人だが険のある派手な顔立ち。もう少し化粧が濃かったらお水の人に見えそうだ。
 軟派な優男の誠司(せいじ)は秀子の息子、つまりは颯子(そうこ)先輩にとって従兄になる。
 簡単に挨拶を済ませて僕たちは早々に部屋を出た。
 颯子先輩の様子を見るに、親戚との仲はあまりいいものではないようだ。確か、颯子先輩の両親はすでに亡くなっているから、遺産相続とか何とか財産絡みの問題があるんだろうと、僕は勝手に庶民的想像をした。
 そしてそれは決して間違いではなかったのだ。


 館の外に出ると、春の陽射しが眩く迎えてくれた。
 咲倉家の庭は丘の起伏をうまく利用して造られている。庭木や花壇は館の近くに集中していて、芝生が敷きつめられているところは何だか小さなゴルフ場みたいだ。
 先輩の言う温室はそんなグリーンのほぼ真ん中にあった。そう、それは確かにガラス張りの小さな建物ではあったのだが──。
「変わった温室ですね……」
「父は『ハンギング・ガーデン』と呼んでたわ」
「……バビロンの空中庭園(ハンギング・ガーデン)ですか」
 秘花の呟きに、颯子先輩は軽く目を瞠った。
「よく知ってるわね、秘花ちゃん」
「こいつ、本ばっかり読んでるんで。歩く百科事典なんですよ」
「本ばっかり読んでるのは奇士(あやと)くんも一緒じゃない。描かない美術部長さん」
 クスクス笑われ、僕は苦笑して頭を掻いた。
「で、ハンギング・ガーデンって何ですか」
「バビロニアのネブカドネザル二世が妻に贈った建築物だそうよ。世界の七不思議のひとつ。長らく伝説にすぎないと思われてきたけど、発掘調査で実在が確認されたそうよ。もっとも基底部分しか残ってないから、実際にどんな建物だったのかは想像するしかないけどね。これも父の想像よ。たぶん」
 僕たちは並んでその建物を見上げた。誇張ではなく、実際に顎を持ち上げないとガラスの温室部分は見えないのだ。目の前にあるのは階段状の花壇(?)みたいなものだ。
 ハンギング・ガーデンは上に行くほど小さくなる三段の基礎部分の上に建っている。それぞれの基礎部分は僕の身長と同じくらい──ということは一七〇センチ弱だろうか。
 一段目には背の高いコニファーが植え込まれ、二段目は別の種類のもう少し背の低いコニファー。三段目には木はなくて、濃い緑の蔦が壁面を覆って垂れ下がっている。少し離れて見れば、緑の小山の上にガラスの温室が載っかっているように見えるだろう。
「バビロニアにはジッグラトという階段状のピラミッドがいくつもあってね、空中庭園もそういう階段状の構造だったのではないかと推定されてるわ」
 周囲をぐるりと回ってみる。秘花がひとりごとのように呟いた。
「バビロニアの空中庭園は、それぞれの段にいくつも部屋があった……」
「そうらしいわね。ここも、内部に部屋は一応あるのよ。残念ながら居住用じゃなくてボイラー室。あとは水タンクね。自動で散水されるようになってるの」
「さすがにそれは現代的ですね」
「古代の空中庭園にも給水設備があったのよ。ユーフラテス河から水を引いて、給水管で植物に水をやったり、噴水に使ったりしてたらしいわ」
「へぇ~。すごいなぁ」
 素朴に僕は感心したが、秘花は知識を持っていたようで、いつもの人形めいた無表情を崩さない。反対に、未知のことには素直に目を輝かせて興味を示す質だ。
 実際の空中庭園は周囲が四十メートルほどあったとのことだが、咲倉家の空中庭園はその半分もなさそうだった。だが、非常に凝った造りで、壁には古代遺跡みたいに花房飾りや動物の頭のレリーフで装飾が施されていた。
 上の温室に続く通路は一箇所だけ。化粧タイルを貼った狭い階段で、入り口には低いアーチ型の青銅色の門がついていた。
 先輩はスライド式の閂を滑らせて門を開き、僕たちを招いた。階段はけっこう急で、前をゆく先輩の白いふくらはぎにドキッとしてしまう。途端に秘花に背中をつねられて思わず声を洩らすと、先輩が訝しげに振り返った。
「どうかした?」
「い、いえ。何でもありません」
 笑ってごまかして秘花を睨むと、不機嫌そうにぷいと横を向いてしまった。まったく、こいつはあらぬ方を向いているようで実によく人のことを見ているのだ。
 階段を登りきれば、白い枠組みにガラスの嵌まった瀟洒な温室の入り口だった。
 鍵を開けて中に入り、僕は思わず感嘆の声を洩らした。温室といわれて植木鉢がずらりと並んだ光景を想像していたが、全然違った。
 オレンジ色がかった茶色のタイルが敷きつめられ、籐製のソファやテーブルが置いてある。植物ももちろんあったが、大きな植木鉢に入った観葉植物ばかりで花はない。
 ガラスの天井には日除けも備えられている。温室というより、ガーデンルームといった趣だ。奥にはイーゼルと椅子がある。
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