第三十話 地下道への招待
文字数 2,136文字
*結月輝*
目の前で金色に光り、地区の勝ち抜きを決めてしまった擬体を眺め、輝は心底残念に思った。せっかくもう一体、切り刻めると思ったのに。「食い足りない」と擬体が言っている気がする。
輝には嗜虐的な趣味はないはずだが、擬体に入っているとどうしてだろう、相手を斬ることに、快感を覚える。
「もうこっち側には擬体はいないぜ、王子様」
聞き覚えのあるかすれ声。振り返るとそこにいたのは茶髪に黒い革のジャンパーを着た、ハンサムな少年だった。ステージの下から、自分の、背の高い擬体を見上げている。
「池袋だもんね。いて当然か」
輝が無感動に言う。
「高みの見物にはちょうどよかったね。暴君」
輝はあまり他人の顔を覚えないのだが、この顔は忘れようがなかった。上野のデパートで短い時間だけ対峙した、暴力の結晶みたいな存在。知っている限り最強の擬体と、そのハンドラー・ケンヤ。
革ジャンの少年は、片側の口角だけを上げて言う。ハンサムな顔がいびつにゆがむ。
「こっちにはもういないぜ。ただ、北口の地下道から、強~いのが歩いてくるそうだ。空手家だってよ。どうする?逃げるか?」
くっくっくっ、と嘲るように笑う。
「オレとしてはお前も、空手家も、オレさまの手でぶっ叩きてえんだけどな」
「…行くよ。どこ?」輝は眼下のケンヤの挑発を無視して言った。
「ご案内してさしあげろ!」ケンヤが高らかに叫んだ。
手下たちがずらりと並んで、駅舎の方向を指し示す。
線路に沿って落書きだらけの低い壁が続く。ほどなく、自転車や車いす用のスロープがあり、その先に、地下道の口が開いている。ケンヤの手下たちがその入口でニヤニヤしている。
線路の下をくぐるように駅の東側と西側をつなぐ地下道の天高は、2m程しかない。背が高い擬体にとってはほぼ頭がついてしまうくらいだ。ジャンプなどしようものなら天井を破壊してしまうだろう。
「きゅうくつだな」
王子がつぶやいたとき、100Mほどのトンネルの向こう側の出口に、擬体と思しき影があらわれた。逆光になってよく見えないが、女性のようなシルエット。
優美な女性型の擬体は、力強く、かかとでのしのしと歩いてくる。その後ろに、不良少年がちらほら。なるほど、向こう側の擬体を導いてきたのも、ケンヤの手下たちだったのか。王子は理解する。どうでもいいけれど。
10mほどの距離をはさんで、向かい合う。
白い女性型の擬体から、透き通った張りのある声が地下道に響く。
「あなた、どこの地区?上野かな」
「そうだよ。きみは?」王子は答える。なぜだかこの声には、きちんと答えるべきだと思った。
「アキバよ。…きみがまだ戦っているということは、上野は他にも生き残ってるってことだよね。その人、強い?」
「一人なのか二人なのかわからないけど、どっちも弱いよ。ただ速く走るか、速い弾が打てるだけ」
「…ふうん。上野はハンドラー同士が仲良しって聞いたけど、そうでもないのかな」白い擬体は言う。
「最後にもう一つ聞かせて。きみ、別の擬体と戦った?」
「戦ったよ。歌を歌う女の子。歌は上手だったけど、擬体はすごく弱かった」
白い擬体はしばらくの間、黙っていた。
「わかったわ。答えてくれてありがとう。じゃあ、始めましょうか」
白い擬体は足を揃えて礼をした。王子、もうやうやしく頭を下げる。
「さあああああっ!!」白い擬体が気合いを入れる。
さあ、どう斬るかな、王子は低い天井を指先で触りながら考えていた。
* 未咲*
AOIは散った。そして倒したのは目の前の、こいつだ。
青地に黒いライン、そしてシルバーのフリルのような、優雅なデザイン。まるで王子様だ。
こいつが生き残っているということは、上野はまだ残存者が他にいる。そして、戦っているのは、まちがいなく瑛悠だ。
地下道の蛍光灯と、壁面の落書き 。道場や試合場とは似ても似つかない、狭くて乱雑な場所。ここで、わたしはこいつと戦う。今のわたしのような戦闘狂には、お似合いだと自嘲する。
擬体に語り掛ける。今までの鍛錬を、この擬体に託すよ、と。
「後 の先 。出方を見たほうが良さそうよ」
擬体がしとやかな、そして力強い口調で言う。同感。未咲は心の中で頷く。
相手は格闘家ではなさそうだ。だが、何かが異質だ。こう言ってはなんだが、瑛悠のDOGと似た、得体のしれない雰囲気を感じる。
そう。瑛悠は気づいていないが、あの擬体は、異質だ。未咲は駐車場で助けられたときから、そう思っていた。なにか、根本的に自分やナルオ、相撲やフェンシングとは“バージョンが違う”と感じる。AOIの擬体も異質といえば異質だったが、それはハンドラーの素養の問題な気もする。
なにか確信があるわけではない。だから瑛悠にもうまく言えなかった。
気づいて欲しいな、と未咲は思う。瑛悠の強さに。
王子様は攻めてこない。だが、浪費する時間など、ない。
じり、じりとすり足で間合いを詰める。擬体なら5メートルが間合いだ。
飛び込みざまの上段突き。王子は紙一重で避ける。だがその動きはこちらが仕向けたものだ。
ヒジを水平に飛ばす。王子の顔面をかすった。立ち位置が入れ替わるように2メートルほどの距離が開く。
すぐに踵を返して次の攻撃に備え…、られない。見失った?
まずい。未咲は首筋のあたりがちりつくのを感じた。
目の前で金色に光り、地区の勝ち抜きを決めてしまった擬体を眺め、輝は心底残念に思った。せっかくもう一体、切り刻めると思ったのに。「食い足りない」と擬体が言っている気がする。
輝には嗜虐的な趣味はないはずだが、擬体に入っているとどうしてだろう、相手を斬ることに、快感を覚える。
「もうこっち側には擬体はいないぜ、王子様」
聞き覚えのあるかすれ声。振り返るとそこにいたのは茶髪に黒い革のジャンパーを着た、ハンサムな少年だった。ステージの下から、自分の、背の高い擬体を見上げている。
「池袋だもんね。いて当然か」
輝が無感動に言う。
「高みの見物にはちょうどよかったね。暴君」
輝はあまり他人の顔を覚えないのだが、この顔は忘れようがなかった。上野のデパートで短い時間だけ対峙した、暴力の結晶みたいな存在。知っている限り最強の擬体と、そのハンドラー・ケンヤ。
革ジャンの少年は、片側の口角だけを上げて言う。ハンサムな顔がいびつにゆがむ。
「こっちにはもういないぜ。ただ、北口の地下道から、強~いのが歩いてくるそうだ。空手家だってよ。どうする?逃げるか?」
くっくっくっ、と嘲るように笑う。
「オレとしてはお前も、空手家も、オレさまの手でぶっ叩きてえんだけどな」
「…行くよ。どこ?」輝は眼下のケンヤの挑発を無視して言った。
「ご案内してさしあげろ!」ケンヤが高らかに叫んだ。
手下たちがずらりと並んで、駅舎の方向を指し示す。
線路に沿って落書きだらけの低い壁が続く。ほどなく、自転車や車いす用のスロープがあり、その先に、地下道の口が開いている。ケンヤの手下たちがその入口でニヤニヤしている。
線路の下をくぐるように駅の東側と西側をつなぐ地下道の天高は、2m程しかない。背が高い擬体にとってはほぼ頭がついてしまうくらいだ。ジャンプなどしようものなら天井を破壊してしまうだろう。
「きゅうくつだな」
王子がつぶやいたとき、100Mほどのトンネルの向こう側の出口に、擬体と思しき影があらわれた。逆光になってよく見えないが、女性のようなシルエット。
優美な女性型の擬体は、力強く、かかとでのしのしと歩いてくる。その後ろに、不良少年がちらほら。なるほど、向こう側の擬体を導いてきたのも、ケンヤの手下たちだったのか。王子は理解する。どうでもいいけれど。
10mほどの距離をはさんで、向かい合う。
白い女性型の擬体から、透き通った張りのある声が地下道に響く。
「あなた、どこの地区?上野かな」
「そうだよ。きみは?」王子は答える。なぜだかこの声には、きちんと答えるべきだと思った。
「アキバよ。…きみがまだ戦っているということは、上野は他にも生き残ってるってことだよね。その人、強い?」
「一人なのか二人なのかわからないけど、どっちも弱いよ。ただ速く走るか、速い弾が打てるだけ」
「…ふうん。上野はハンドラー同士が仲良しって聞いたけど、そうでもないのかな」白い擬体は言う。
「最後にもう一つ聞かせて。きみ、別の擬体と戦った?」
「戦ったよ。歌を歌う女の子。歌は上手だったけど、擬体はすごく弱かった」
白い擬体はしばらくの間、黙っていた。
「わかったわ。答えてくれてありがとう。じゃあ、始めましょうか」
白い擬体は足を揃えて礼をした。王子、もうやうやしく頭を下げる。
「さあああああっ!!」白い擬体が気合いを入れる。
さあ、どう斬るかな、王子は低い天井を指先で触りながら考えていた。
* 未咲*
AOIは散った。そして倒したのは目の前の、こいつだ。
青地に黒いライン、そしてシルバーのフリルのような、優雅なデザイン。まるで王子様だ。
こいつが生き残っているということは、上野はまだ残存者が他にいる。そして、戦っているのは、まちがいなく瑛悠だ。
地下道の蛍光灯と、壁面の
擬体に語り掛ける。今までの鍛錬を、この擬体に託すよ、と。
「
擬体がしとやかな、そして力強い口調で言う。同感。未咲は心の中で頷く。
相手は格闘家ではなさそうだ。だが、何かが異質だ。こう言ってはなんだが、瑛悠のDOGと似た、得体のしれない雰囲気を感じる。
そう。瑛悠は気づいていないが、あの擬体は、異質だ。未咲は駐車場で助けられたときから、そう思っていた。なにか、根本的に自分やナルオ、相撲やフェンシングとは“バージョンが違う”と感じる。AOIの擬体も異質といえば異質だったが、それはハンドラーの素養の問題な気もする。
なにか確信があるわけではない。だから瑛悠にもうまく言えなかった。
気づいて欲しいな、と未咲は思う。瑛悠の強さに。
王子様は攻めてこない。だが、浪費する時間など、ない。
じり、じりとすり足で間合いを詰める。擬体なら5メートルが間合いだ。
飛び込みざまの上段突き。王子は紙一重で避ける。だがその動きはこちらが仕向けたものだ。
ヒジを水平に飛ばす。王子の顔面をかすった。立ち位置が入れ替わるように2メートルほどの距離が開く。
すぐに踵を返して次の攻撃に備え…、られない。見失った?
まずい。未咲は首筋のあたりがちりつくのを感じた。