6 ヤージュニャヴァルキヤ

文字数 2,248文字

ヤージュニャヴァルキヤは紀元前7世紀頃の人だ。

仏教誕生前夜だね

さて、その思想だが、まずは(1)自己の本体はアートマンであり、このアートマンは身体が滅びても残存し、かつ輪廻する、と考えた。

しかも輪廻に際しては、生前に行った行為が関係し、良い行為は良い来世へ、悪い行為は悪い来世へつながるという業(カルマ)という考え方をもっていた

いわゆる輪廻転生ですね

うん。

それとね、輪廻は欲望(執着)に囚われているかぎり延々といつまでも続いてしまう、とヤージュニャヴァルキヤは考えた。

逆にね、欲望(執着)を滅却することができたなら、輪廻を免れて解脱することができる、とも考えた

でね、ここらへんからね、聖職者の仕事(目標)が様変わりしていくんだ
どういうふうにですか?

それまで、聖職者であるバラモンの仕事はね、たとえば更地に結界をつくり、祭壇と炉を築き、神々を勧請した上で、生贄を炉(火)の中へ投じ、神々からの恩恵を受ける、といった祭式が主だったんだよ。

それがね、そういった現世利益的(あるいは生天といった来世利益)なことではなしに、欲望(執着)から離れて解脱を得ることが聖職者にとっての最大目的になった。

解脱して、輪廻から解放されることがね

でね、ヤージュニャヴァルキヤはいわゆる出家をしてしまう(遊行生活に入る)んだよ
出家第1号、ですか?
いや、出家の第一人者だったかどうかは知らないけど、いずれにせよ、聖職者が求めるものがそれまでと違ってきたのは間違いない
さて、次に(2)アートマンの話をしようか

ただその前にね、宮元啓一さんがちょっと興味深いことを言っているから引用してみる

「『インド思想史』『インド哲学史』といった本があることはあるのですが、それらが、個々の哲学を単なる思想的な遺物として扱い、まるで博物館におけるがごとく陳列・列挙(しているだけなのは問題だ)」

哲学を古典的に研究するのと、実際に哲学してみることとの違い、ですか?

うん。

べつにぼくは学者じゃないから、厳密に古代のインド思想を理解してみたところで益するところは少ない。

それよりもね、インド哲学をベースにちゃんと哲学してみようと思うんだ。

つまり何が言いたいのかというと、教科書的にアートマンを理解しようとするのではなく、もっと深く?切り込んでみたいと思うんだよ

非専門家の特権、ですか?

まぁそうだね。

と、いうことで、早速ヤージュニャヴァルキヤのいうアートマンに入りたいんだが、愛理さんはこのアートマンのところで躓いたんだよね、たしか

はい、そのとおり
ヤージュニャヴァルキヤはね、アートマンを自己の本体としながらも、アートマンを認識対象とすることはできない、と言っており、まずはこの点が理解の一歩となるよ
どういう意味ですか?
たとえば、愛理さんはアートマンじゃないってことだよ

はい?

一応、自己の本体がアートマンなんですよね?

だったら「私はアートマンである」ってことにならないんですか?

愛理さんの存在は、認識対象にすることができるでしょ。

ぼくからも、愛理さん自身からもね。

たとえば、愛理さんは美人さんだけど、ほら、こういうふうに、「あー綺麗な人だなぁ」とか、愛理さん自身を認識対象とすることができる

それは、ありがとうございます・・・・・・

要するに、キャラクター? パーソナリティ? はアートマンじゃない、ってことですか?

まぁそうだね。

愛理さんって背が高くて綺麗ですよね、とか、愛理さんって〇〇な人ですよね、とかいうのは全てアートマンのことを指していない。

認識対象とすることができるものは全てアートマンじゃないから。

じゃ、意識、がアートマンのことかな?

なんて思ったりするのかもしれないけれど、意識それ自体もまたアートマンではない

ン?

だって、ぼくらは意識を意識することができるから。

「あ、今ぼく喋ってるよな」とか、〇〇してることを意識し、かつ、そう意識してることもまた意識することができるんだけど、このように、意識してることを意識することができるがゆえに、意識もまたアートマンじゃない

つまり、自己意識もまたアートマンじゃない
じゃ、なにがアートマンなんですか?

ヤージュニャヴァルキヤは、アートマンは、「・・・でもなく、・・・でもなく、・・・でもないもの」としてしか語れないものだとする。

『ブリハッド=アーラヌヤカ=ウパニシャッド』にそうでてくる

はい?
わからなくなってきたよね?

それじゃいったんヤージュニャヴァルキヤの話はここでストップ、中断してね、インド哲学の最大派閥であるヴェーダーンタ学派と、最も偉大な哲学者といわれるシャンカラの思想にふれたいと思う。

というのも、シャンカラが『ウパニシャッド』を註釈しているからだ。

天才シャンカラを通過すれば、ぼくらはわりと容易にアートマンへ近づけるようになる。

シャンカラ様様だ

は~い、わかりました
ちなみに、参考程度に余談、というか、『カータカ・ウパニシャッド』からアートマンに関する一文だけ、引用しておこう(出典は、下記前田さんの本の288頁)
「アートマンは車に乗る者であり、身体はじつに車であると知りなさい。統覚機能は御者であり、そして意(思考器官)はまさに手綱であると知りなさい」
ふーん、つまり、アートマンは意識でも自己意識でもないってことですね

[参考文献]

・宮元啓一『インド哲学の教室 哲学することの試み』春秋社、2008

・前田専学『インド哲学へのいざない ヴェーダとウパニシャッド』日本放送出版協会、2000

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登場人物紹介

デンケンさん(49)・・・仙人のごとく在野に生きたいと思う遊牧民的自由思想家

釈愛理(45)・・・真宗大谷派のギャルな御院家さん


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