本編

文字数 9,987文字

 彼は、この瞬間から誰にも告白できなくなった。
 観覧車に響く、びりびりと破れる切ない音。彼の告白チケットは、赤い紙くずとなってゴンドラに落ちていく。

「ねえ、美柑(みかん)ちゃん」

 彼――リョクくんが顔をあげた。真剣な顔つきをしているくせ、その声音は切なくて。そして。

「俺、君を振り向かせるから」

 それは決意。宣戦布告。
 恋する週末ホームステイ。それは誰かと恋に落ちるだけじゃない。
 わたしが変わる、恋の週末。

***

 わたしが選ばれてしまったことは何かの間違いだと思っていた。
 恋する週末ホームステイ。憧れてはいたけれど。ずっと見ていたけれど。まさかわたしが、その一人になってしまうなんて。

桃希(ももき)です。よろしくお願いします」
「あたしは(あい)。よろしくね!」

 隣を見れば、キラキラ輝くイマドキの女子たち。
 桃希ちゃんはふんわりした雰囲気の目がぱっちり大きくて可愛い子。制服のリボンにつけているピアスもSNSで流行ってるもの。流行に敏感なおしゃれ女子って印象。

 藍ちゃんは桃希ちゃんの対極。ボーイッシュなショートカット女子。制服のジャケットからフードが見えていて、きっと中にパーカーを着ているのだと思う。ネオンカラーのリュックには、キャップとどこかで見たことのあるマスコットキャラクターがぶらさがっていた。

 まじまじ眺めていると、二人の視線がわたしに向けられた。
 自己紹介は? と無言の要求。わたしも慌てて前にでる。

「あ、あの……美柑(みかん)です……」

 ハキハキと喋った二人に比べて、わたしの声は尻すぼみ。だって目の前に男の子がいる。三人もいる。顔を見るだけでも恥ずかしくなるのに。

 女子の自己紹介が終わると今度は男子。最初に口を開いたのは背の高い男子。白い肌に少し茶色の髪。海外アイドルグループにいるって言われたら信じてしまいそうな格好いい子だった。

「俺はセイジ。よろしく」

 格好いいセイジくんに次いで声をあげたのはセイジくんの隣。八重歯がチャームポイントで、笑顔が可愛い子。

「オレはコウタ! 好きな色は黄色と黒。好きなスポーツは野球で好きな野球チームは……」
「あー! ジャガーズファンでしょー!?」

 藍ちゃんが遮って叫ぶ。カバンについてたマスコットキャラクター、どこかで見たことあると思ったらジャガーズのキャラクターだ。コウタくんは藍ちゃんをびしっと指さして頷く。

「大正解! ってお前も!?」
「あたしもジャガーズ好きでさ。仲間仲間」

 と、盛り上がっている二人を咳払いで止めたのは男の子チーム最後の一人。セイジくんほどではないにせよ、こちらも背が高くて、それから。

「俺で最後だね。リョクだよ」

 第一印象は『優しそう』だった。セイジくんと同じように海外アイドルグループにいそう、だけどけしてセンターじゃない。セイジくんが甘い王子様路線なら、リョクくんは優しいお兄さんタイプ。戦隊物ならセイジくんが赤で、リョクくんは緑が似合いそう。なんて考えてみたりして。


 自己紹介が終わると、ロケバスで出発。わたしの隣に座ったのはリョクくんだった。
 リョクくんはロケバスが動き出してから何も喋らず、不機嫌そうに外の景色を眺めてばかり。
 声をかけてみたいけど……リョクくんの方をちらりと見て気づいた。

「……リョクくん?」

 声をかけるとリョクくんが振り返った。顔色がよくない、気がする。もしかして車酔い、とか?

「そ、その……よかったら、食べる?」

 わたしはカバンからミント味の飴を取り出した。

「何それ」
「違うかもしれないけど、具合が悪いのかなって……」

 するとリョクくんの目がわずかに見開かれた。

「わたし車酔いすごくって、ミント味のキャンディーはすっきりするから持ち歩いてるの」
「……」
「ご、ごめん! 飴なんて渡されても困るよね。急に変なこと言い出しちゃってごめ――」

 受け取ろうとしないところから、わたしの勘違いだったのかも。恥ずかしくなって飴を引っ込めようとすると、リョクくんがくすっと笑った。

「ありがと」

 飴を受け取るのはわたしよりも大きい手。それから封を破いて飴を食べ始める。

「……ほんとだ。すーっとして効く」
「でしょ?」
「うん。俺が車酔いってよくわかったね」

 淡々とリョクくんは言っていたけれど、わたしは少し得意げになって頷く。

「わたしも乗り物だめなの。だから今日は――これ」
「手首に絆創膏(ばんそうこう)?」
「絆創膏の下に一円玉があるの。手首のちょっと下に乗り物酔いが楽になるツボがあるんだって」

 手首の内側、付け根から肘側に向けて指三本ほど下げた場所に内関(ないかん)と呼ばれるツボがある。手の筋と筋の間だ。そこをぐっと押すように一円玉を貼ると車酔いしなくなるらしい。

情報源(ソース)は?」
「……おばあちゃん」

 というのはわたしのおばあちゃんから教えてもらったのだ。気の持ちようと言われればそうかもしれないけど。わたしは信じている。

 するとリョクくんは吹き出して笑った。

「ははっ、なにそれ。ソースがおばあちゃんって」
「……ご、ごめん」
「いいよ、謝らないで」

 リョクくんはそう言っているけれど、ケタケタと笑っているから目立つし、なんだか恥ずかしい。気づけば、前の席に座っていたセイジくんが振り返ってこちらを見ていた。
 そりゃそうだ。いきなりおばあちゃんの知恵を披露しちゃう女子高生だもの。あの格好いいセイジくんだって呆れるに違いない。


 開始早々、失敗してしまったかも。どんよりとした気分のまま、バスは目的地に着いた。
 今回の舞台となるのは、千葉県の幕張。海浜幕張駅にある商業施設を回る予定だ。
 野球ファンらしいコウタくんと藍ちゃんは「球場の方行きたい」と騒いでいるけれど、今回はその周辺だけ。さっそく六人で行動……と思いきや。

「2ショットする?」

 桃希ちゃんが切り出して、六人の空気が変わった。
 恋を見つけるために来ているのだから団体行動だけじゃない。声をかけて自分から動かないと。
 わたしはセイジくんの方を見る。声をかけてみたい、けど。どうしようか悩んでいる間にセイジくんが動いた。

「桃希ちゃん。行こう」

 セイジくんが選んだのは桃希ちゃんだった。
 置いてけぼりみたいな気持ちになっていると、今度は藍ちゃんがコウタくんに声をかける。二人も2ショットに出かけるらしい。
 残されたのはわたしとリョクくん。皆が遠ざかってから、リョクくんが寂しげに呟いた。

「俺たち、置いてかれちゃった」
「そうだね……」
「せっかくだから。俺たちも行こう? 余り物も楽しむ権利あるでしょ?」

 リョクくんに誘われて、わたしも歩き出す。せっかくの恋する週末ホームステイ、余り物なんて拗ねてないで楽しまなくちゃ。


 向かったのは海浜幕張駅近くの商業施設。週末で人が多いお店の中を歩いていると、リョクくんが言った。

「美柑ちゃん、第一印象で好みだったの誰?」

 リョクくんがいるのに他の子の名前を出してもいいのだろうか。戸惑いがちに見上げると、リョクくんと目が合った。そして涼やかに瞳が細まる。

「当てていい? セイジでしょ」
「どうしてそれを……」
「美柑ちゃん見てたらわかる。あいつ格好いいもんな。まさしくイケメンって感じ」

 どんな反応をするのか心配だったけれど、リョクくんはからりと笑っているだけだった。

「2ショしようって声かければよかったのに」
「……勇気がでなくて」
「おばあちゃんの知恵袋披露した時は元気よかったくせに」
「あ、あれは流れで!」
「そういう子っぽいもんね、美柑ちゃん」

 リョクくんはなだめるように、わたしの肩をぽんぽんと叩いた。

「どうせあれでしょ。今までに好きな人はいたけど告白したことないとか、片思いのまま相手が卒業しちゃって高校バラバラとか」
「……その通りです」
「告白どころか好きな子に話しかけることもしてなさそう。廊下ですれ違う時も意識しちゃうタイプ。一言でも挨拶できればその日はご機嫌」
「……まったくその通りです」

 リョクくんってエスパーなの、それとも後ろで見てた? って疑いたくなるぐらい当たってる。
 何も言い返せず黙っているうちにエレベーターの前へ。乗りこむのはわたしたちだけ。扉が閉まってからリョクくんが言った。

「そんな美柑ちゃんが、どうして恋ステに参加しようと思ったの?」

 わたしだって、わかってる。男の子に声をかける勇気もないようなわたしが、恋なんてできるわけない。ましてや週末限定のこの旅に参加するなんて。
 だけど。

「変わりたいと……思ったから」

 旅のチケットと告白チケットが入った封筒を手にした時、胸が震えた。
 こんなわたしでも、恋をしていいんだって言われているみたいで嬉しかった。だから、決めた。

「わたし、この旅で恋がしたい」

 言い終えると同時にエレベーターの扉が開く。リョクくんはさっさと歩き出して、それから振り返った。

「じゃ行こうよ。勇気出してこ」

 わたしも頷いてエレベーターを降りる。
 そこにあるのはアミューズメントコーナー。照明は落ちてやや薄暗く、メダルゲームの音が響いて騒がしい店内をリョクくんが慣れたように歩いて行く。

「見て。あれ、新しいVRゲームだ」
「わあ、すごい。リョクくんはゲーム好きなの?」
「まあね。得意なのこれじゃないけど」

 と言い終えるなり、リョクくんは振り返った。

「ねえ。俺の格好いいところ見せてもいい?」
「なにそれ?」
「美柑ちゃんが俺のこと好きになっちゃいそうなやつ――こっち来て」

 リョクくんが向かったのはクレーンゲームがいくつも並ぶ場所。わたしもやったことあるけれど、奥行きを合わせるのが苦手で欲しい景品はなかなか取れない。

「わあ。カリカリ梅干しビッグサイズだって!」
「好きな食べ物までおばあちゃんみたいだね」
「……ごめん」
「謝らなくていいって。それより欲しいものない? 食べ物じゃなくて記念に残りそうなやつ」

 そう言われて見渡すと、ホワイトボードを持った白兎のぬいぐるみが目にとまった。
 可愛いけど。取るのは難しそう。

「何見てるの――ああ、あれか」

 リョクくんがクレーンゲームの前に立つ。そして。

「一発でとれたら褒めて」
「うん」
「惚れてもいいよ」

 こういった軽口はどうやって扱えばいいのだろう。流せばいいのか、それとも真に受けていいのかな。悩んでいるうちにクレーンが動く。
 そしてあっさりと。ひょいっと音がしそうなほど軽々と、クレーンは大きなぬいぐるみを持ち上げた。ただ持ち上げるだけじゃなく、がっしりと掴んでいて安定感があり、滑り落ちることなく、景品のポケットへと運ばれていった。
 リョクくんはいたずらっぽく笑ってぬいぐるみを取り出しているけれど、わたしはそれどころじゃなくて。

「すっごーい!!」

 拍手しながら叫んでしまった。
 だって大きなぬいぐるみが、あっさりと、それも一回で取れてしまった。わたしだったらボタンを押す前に屈んだり、ゲーム機の横から確認したり時間がかかるのに。リョクくんはさくさくと取ってしまったのだ。

「こんな大きいの取れるなんて、すっごいよ! 自慢できる特技だよ! クレーンゲームの神様みたい。あ、動画を取ればよかった。友達に見せたかったな」

 リョクくんはきょとんと目を丸くした後、苦笑した。

「褒めすぎ。美柑ちゃんの感動ポイントが謎」
「ごめんね……」
「いいよ。そういうところが可愛いから」


 そうして遊んでいるうちに、待ち合わせの時間が近づいていて。待ち合わせ場所は海浜幕張駅から少し歩いたところにある海だ。わたしたちも商業施設を出て海沿いの道を歩く。
 リョクくんは歩くのが速いけれど、でもたまに振り返ってわたしが追いついてくるのを待ってくれる。見守るような優しい仕草。その優しさに気づくと、リョクくんと一緒にいても緊張しなくなった。不思議そうな子だと思っていたけれど、『謝らないで』って言ってくれる優しい人。

「リョクくんが第一印象で気になった子って誰だったの?」

 潮の香りが濃くなって、海が近い。待ち合わせ場所について2ショットが終わってしまう前に、気になっていたことをリョクくんにぶつけた。
 するとリョクくんは「んー」と複雑なうなり声をあげて、首を傾げた。

「ナイショ」
「ずるい!」
「じゃあ……こうしよう」

 そう言って景品袋からあの兎のぬいぐるみを取り出す。カバンからペンを取り出して、そこに何かを書きこんだ。

「あげる」
「せっかく取ったのに、わたしがもらっていいの?」
「そのために取ったから――でも、書いてあることは後で見て」

 わたしは頷いて、ホワイトボードを見ないようにして袋に戻す。でも『後』っていつのことだろう。ホテルに着いたら見ちゃってもいいのかな。



 待ち合わせ場所の浜辺に行くとすでに四人が待っていた。みんなであれこれと話して、それから。

「美柑。2ショしよう。話してみたかったんだ」

 今度の2ショットはコウタくんから声をかけられた。
 立ち上がってみんなの前を通り過ぎていく時、リョクくんがわたしだけに聞こえる声量で呟いた。

「さっきの兎ちゃん、見て」

 もう見てもいいの、っていうか今? 戸惑いながらもコウタくんの後を追いかける。

「じゃー浜辺散策しよ。なんか面白いモンないかねー」

 コウタくんと二人になったけれど。やっぱり緊張しちゃう。
 そうだよね、と頷いて。でもあの兎の人形が気になっちゃう。コウタくんと一緒にいるのに。

 結局、わたしは袋からぬいぐるみを取り出していた。
 コウタくんは「なにそれ」と不思議そうな顔をしているけれど、わたしはホワイトボードの文字に釘付けになっていて。

『第一印象は、美柑ちゃん』

 リョクくんが残したメッセージ。第一印象で選んだ子がわたしって言ってもらえるのは嬉しい。
 頬が熱くなるのを感じながらぬいぐるみを袋に戻す。コウタくんとの2ショットに集中しなきゃいけないのに、頭はメッセージのことでいっぱいだった。

***

 二日目は、再びロケバスに乗って移動。車内は盛り上がっていて、みんながあれやこれやと話している。それぞれの出身地や高校の話をしているみたい。わたしはうまく混ざれずに黙っているだけだった。

「リョクの腕についてるそれ、なあに?」

 桃希ちゃんが聞いた。すると、前の席に座っているリョクくんが手を掲げる。わたしの位置からは、手だけが見えていた。
 その手首。見覚えのある位置の絆創膏。

「秘密の共通点――でしょ、美柑ちゃん?」

 リョクくんはわたしの話を信じてくれたんだ。おばあちゃんの知恵だからと笑っていたそれをリョクくんも信じている。そのことがとても嬉しい。
 わたしの手首にも絆創膏はついている。席が離れているのに近いような奇妙な感覚がした。


 到着したのは大きな観覧車のある公園。目的地についたところでみんなの空気がそわそわしたものに変わる。誰かを誘おうとタイミングを見計らっているのかもしれない。
 今日こそ。セイジくんに声かけないと。

「あ、あの……」

 一歩踏み出して声をあげた、けれど。
 その声は小さくて、きっと誰も聞いていなくて。

「セイジ、行こー」

 わたしの前で、桃希ちゃんの手がセイジくんの手を掴む。セイジくんも頷いて二人は歩き出してしまった。今日もだめだった。

「そこの意気地なし美柑ちゃん」

 落胆しているわたしに声をかけたのはリョクくんだった。

「行こうよ」



 大きな観覧車があるのに乗らないなんて損。力強い言葉に誘われて、観覧車に向かった。二人でゴンドラに乗りこむ。

「で。美柑ちゃんは今日もセイジを誘えなかったと」
「……うん」
「あのさあルールわかってる? もしかしたら来週でセイジの旅は終わりかもしれない。うだうだしてたら終わっちゃうよ」

 ぐうの音もでない。正論すぎる。
 一緒に行こうって一言だけでいいのに。どうして勇気が出ないんだろう。

「美柑ちゃんの旅、セイジに声かけてゴールになってない?」
「それは大丈夫! 告白は……頑張れると思う」
「どうかなあ」

 リョクくんはそう笑って、ポケットからあの封筒を取り出した。
 旅チケットの枚数は誰かに話しちゃいけないルールがある。まさかそれを破るのかとヒヤヒヤしながら見ていると、出てきたのは赤い告白チケットだった。

「じゃあ。ゲームしよう」

 リョクくんが軽い口調で言うから、てっきりゲームの話をするのだと思った。
 けれど聞こえてきたのは、リョクくんの声じゃない。狭いゴンドラに響く、紙の破れる音。

「どうして……それ破っちゃったら……」

 声が震えた。こんなことをしちゃったら、リョクくんは誰にも告白できない。

「これで俺は告白できなくなった」

 告白チケットの紙片を手渡して、リョクくんは微笑む。口元は笑っているけれどまなざしは真剣だった。

「俺の恋が叶う時は、美柑ちゃんが一歩を踏み出した時だけ」

 急に、このゴンドラを狭く感じた。手中の赤い紙片が切なくて、重たくて。

「宣戦布告――俺、君を振り向かせるから」

 この旅で見つけるのは恋だけじゃないのかもしれないと、予感がした。

***

 それからは悶々とした五日間だった。平日ってこんなに味気ないものだった? と思ってしまうぐらいに。
 週末が待ち遠しいというよりも怖くて。だってリョクくんの秘密を知ってしまった。他の子はリョクくんの告白チケットが破れたことを知らない。


 恋する週末ホームステイ二週目。再び顔を合わせたわたしたちのところにいたのは、七人目。追加でやってきたシオンくんという男の子だった。
 新しいメンバーが追加されれば、出来あがりかけていた輪も崩れるもので。

「シオンくん、2ショット行こ?」

 セイジくんとよく行動していた桃希ちゃんが、シオンくんを2ショットに誘ったのだ。そうなればセイジくんは一人。2ショットに誘うなら今しかない。

「……あの!」

 わたしが声をあげた時、なぜかリョクくんがこちらを見ていた。
 彼のことは気になるけれど。でも憧れていたセイジくんに声をかけるチャンスは今しかないから――わたしはセイジくんを見上げる。

「一緒に行きませんか?」

 セイジくんは頷いて。でもその向こうで、リョクくんの姿が見えてしまった。
 その顔が、悲しげに細められた瞳が、頭に焼き付く。

 どうして苦しそうな顔をしているの。
 一歩を踏み出せって応援してくれていたのに。そんな姿を見てしまったら、わたしまで辛くなっちゃう。

「美柑? 行かないの?」

 ふと気づくと先を歩くセイジくんが振り返ってわたしを待っていた。
 今はセイジくんとの2ショットを楽しまなくちゃ。リョクくんのことを頭から追い払って、セイジくんの後を追いかけた。


 今日は東京観光。浅草の町を歩く。
 セイジくんは格好いい。ちらりと見上げれば整った顔が視界に入って心臓がどきどきと騒がしくなる。
 けれど。

「……」
「……」

 あんまり会話が弾まない。
 わたしは緊張しちゃっているし、セイジくんも話しかけるより話しかけられたい人なのかもしれない。

「えっと……セイジくんって第一印象で気になった子、誰だった?」
「桃希」
「だよね……桃希ちゃんだよね……」
「……」

 話しかけてもすぐ会話は途切れてしまう。それにずんずんと先を歩いていってしまうから、意識して追いかけないといけない。難しい。
 リョクくんの時は、もうすこし気楽に話せたのに。
 それに歩く速度だって。リョクくんはたまに振り返って、わたしが来るのを待ってくれた。
 こうしてセイジくんと一緒にいても、リョクくんのことが頭から離れない。
 どうしてだろう。もやもやする。

***

 合流してもわたしとリョクくんが言葉を交わすことはなかった。声をかけようとしてもあえて無視されているみたいで、なんだか辛い。
 ホテルに到着してそれぞれが部屋に入っていく前に、わたしはリョクくんに声をかけた。

「なに?」
「今日話せなかったから寂しくて……わたし、嫌われることしちゃった?」

 他の子を誘っていたから嫌われてしまったかもと怖かったけれど、リョクくんはふわりと微笑んだ。

「美柑ちゃんがセイジ誘ってたからイライラしちゃって、いじわるしちゃった。怒ってる?」
「……ううん」

 怒ってはいない、けれど不安だった。先週あれだけ一緒にいたリョクくんが、急に離れてしまったみたいで。

 リョクくんの手が伸びる。
 その時に、彼の手首が視界に入った。

「あれ? 絆創膏は――」
「美柑ちゃん」

 絆創膏のついていない手首。どうしてって聞こうとしたけれど、その言葉はリョクくんに遮られた。

「勇気出して、セイジに声かけたこと。頑張ったね」

 優しく、頭を撫でられる。
 よくできましたと褒められているみたいに。

「君の恋が叶うこと、応援してる」
「え――それは……」
「またね」

 その言葉が示すもの。
 問いかけても、リョクくんの手は離れていく。
 キャリーを引いて、わたしを置いて遠くへ行ってしまう。
 呆然としながらポケットに手を入れると、そこにあったのは観覧車でもらった告白チケットの紙片だった。
 わたしたちには期限がある。旅に参加するチケットが何枚配られているのかわからない。もしかしたら――来週、リョクくんはこの旅にいないのかもしれない。
 リョクくんがいない、週末。

「……あ、」

 想像して気づく。胸をじりじりと締め付ける感情。
 こんなにも切なく苦しいのに、手放すなんてできない。

「わたし、リョクくんが好きだ」

 彼のいない週末を、手放すなんてできない。

***

 その朝は、輝いているようだった。
 ひとつの決意をすればきらきらと世界が輝いている。だめだったとしても後悔することはないと思う。

「リョクくん」

 決意を胸にその場所へ向かえば、リョクくんが待っていた。
 わたしは彼の前に立って――一歩踏み出す。

「リョクくんのいない週末を考えてみたの。きっと寂しくて物足りない。わたし一人じゃ、クレーンゲームでお人形も取れない。やっと気づいたの。リョクくんのことが好き。この旅が終わっても一緒にいたい」

 想いを伝えることは怖い。声かけることさえ勇気がでなかったわたしに、想いを告げるなんてできるのだろうかと不安だった。
 けれど。いざ踏み出せば勇気なんていらなかった。気持ちを伝え終えれば、涼やかな風が心に吹くみたいに、すっとして。

「……一歩、踏み出せたじゃん」

 リョクくんはそう言って、ポケットから赤い紙を取り出した。それはあの日破った告白チケット。テープで貼り合わせているけれど、角が欠けている。

「あの紙片、持ってる?」
「あるよ」
「貸して」

 わたしが持っていた紙片を渡すと、欠けた角にそれを埋める。
 つぎはぎの跡がある歪な告白チケットだ。けれどそれを手に、リョクくんは笑う。

「俺からも言いたい――バスで声かけられた時から、君のことばかり考えてた」
「……え……うそ……」
「嘘ってひどいなあ。こう見えても、このままサヨナラとか、美柑ちゃんはセイジのことが好きなのかなとか、色々悩んできたんだけど」

 リョクくんの頬は少し赤くなっていて、視線を泳がせて恥じらいながら手を差し出す。

「告白してくれてありがとう。俺も美柑ちゃんが好きだよ。付き合って欲しい」

 でもわたしの頬も赤くなっているのかもしれない。顔が熱くて、逃げるように彼の手を掴む。

 指先を絡めて、隣を見上げて。
 誰かと恋に落ちるかもしれない週末。それはわたしを変えた。恋だけじゃなくて、一歩踏み出す勇気。
 その果てに、わたしの隣に、彼がいる。

(了)
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