第二十一話 表に出ろ、ヘンタイども
文字数 2,324文字
「化粧したことはないの?」AOIが空手道着のまま黙々と手を洗う未咲にぽつりと言った。
「ないことは、ないけど」未咲は備え付きのペーパータオルで手をふきながら、鏡に向かって口角(があがっているかの)確認をするAOIをしげしげと眺める。
かわいい、たしかに。未咲は観察する。全体的にあどけなさを思わせる輪郭に、少し垂れた大きな目。この目が、なにか特別なドラマを感じさせるのだ。
「未咲もすればいいと思うよ。せっかく女の子なんだし」
いつの間にかAOIに「未咲」と名前で呼ばれていることを不思議に感じる。
「けっこう、かわいいっていうか、きれいだし。女優タイプね」
そうかな、と未咲は思う。自分の顔を鏡でまじまじと見…ようとして心臓が飛びあがる。
女子トイレの入り口から、男子が二人、ハアハアしながら覗いていた。
「きゃああああああああああああ」
AOIが声を上げる。
男子二人は顔を見合わせると、あろうことかむしろ女子トイレの中に突進してきた。
「ヘンタイ!!!」
「ぎゃあ」
反射的に恐怖を感じ、硬直する。
先頭の小太りの少年が、恐怖に顔がひきつるAOIにほぼ抱きつく形で、つぶやいた。
「ビギンバトル」
(比較的広いとは言っても)女子トイレに擬体が四体出現し、至近距離で対峙―異様な空間に緊張が走る。
パーーーン!!!
未咲まり返ったトイレに一番最初に繰り出されたのは、AOIの赤い擬体による、小太り擬体への盛大な張り手だった。
小太りの擬体―グレーと青のツートンだが全体的な印象は水色―は、張られた顔面をなでると、AOIの艶やかに赤い擬体を羽交い絞めにした。
「きゃあああ!!」AOIが嫌悪の叫びをあげる。
「AOIちゃんを抱きしめてルなんて、最高だナ」
擬体の張り手は、人間なら死んでもおかしくないパワーだ。小太りの擬体、相当タフだわ…未咲は思った。
「おい榛葉、やめろこの変態」
もう一人の、銀色のツルツルした擬体が言った。
「ボクたちはつばめっていう女に『女子トイレを狙え』って指示されただけで、変態じゃないんです。AOIさん、ボクは変態じゃないんですよ」
最低、と未咲は思う。女子トイレに攻め込んできておいて変態じゃないもなにもない。
トイレの床に四人の身体が置かれた状態になっているだけでもいやだったが、AOIに至っては小太りの少年に覆いかぶさられていて、ひどく気の毒だ。
「まあとにかく、白いほうのやつ、やっつけちゃおうヨ」
ちぇっ、と舌打ちし、銀色の擬体が未咲の前に出てくる。
よく見ると、小太りはAOIの擬体を抱きしめているのではなかった。赤い擬体の両腕を前から抱え、関節を極めて自由を奪っているのだ。相撲で…なんて言ったかな。かんぬき?だっけ。
未咲の擬体は、自然とトイレの奥に追いやられていた。個室と壁に囲まれた縦に細長い空間。狭い。ここでは回し蹴りが放てない。だが、前後の動きは空手の得意分野だ。それだけでも勝てるだろう。未咲は戦い方のシミュレーションを試みるが、相手の擬体がまるでわからない。
銀色の擬体が構える。腰が低い。なんの流派だろう?
構えながら、銀色に向かって未咲が言い放つ。
「ヘンタイの擬体って、どんな擬体なの?武器とかある?」カマかけ。
「いやボクは変態じゃないから!」銀色は手先から光の棒状のものをにゅうううと突き出す。「マジでヘンタイ…」未咲はドン引きする。
そして、いやな予感。こいつ…一番マズイタイプかも。
「さっさと空手を片付けて退散するぞ」銀色は、照れ隠しか、吐き捨てるように言う。
光の棒…はやはり剣だった。切っ先が鋭い細剣…これは間違いなく―フェンシングだろう。未咲は首筋がチリチリするのを感じた。リーチが大幅に長くなるフェンシング。当たる当たらないで言えば明らかに不利だ。しかも、この場所…
銀色はすっと腰を落とす。剣先と目線が交錯した瞬間、すさまじい速さの剣が飛んできた。上段突きよりも気持ち早い想定で前に踏み込み、かろうじて剣先をかわす。だが、相手の擬体のボディが遠い。こちらの拳は…届かない。
激痛。
未咲は地面に突っ伏すように倒れた。
背中に一撃食らっている。そうか、避けるだけではダメだった。フェンシングは剣がしなって突き刺さる。
「未咲!」AOIが思わず叫ぶ。
「ありゃ、こりゃあ思ったより簡単かモ」
小太りが言う。
「三分、かからないかモね」
未咲が立ち上がって構える。
空手。字のごとく、空っぽの手。本来は唐手だったらしいが、言いえて妙だと思う。武器がなくても戦える。その武道としての精神性が好きで、未咲は空手を続けてきた。
勝たねばならない。だが、相手の突進スピード、剣さばきの正確さ…これを攻略するための足技・飛び技には、空間が足りない。
AOIが小太りのかんぬきから逃れようともがいているのが見える。
「AOIちゃんの歌、もう一度聞きたいなァ。消えちゃう前に」
口調はのんきだが、言っている内容は剣呑だ。
「AOIちゃんにスタジアムまで来てほしいなあ」
まだ言ってる…。
と、AOIが動きを止めていう。
「いいわよ!」
えっ?と銀色が思わずAOIのほうを見る。
「一度だけでも離してくれるなら、あなたたち二人のために、精一杯歌います♪」
語尾だけアイドルっぽくなった。
「じゃあ、広いところでどうぞ!」未咲が言う。「せいやあぁ!!」
トイレの突き当りの壁。空気窓だけがついているブロックの壁に、体重をかけた蹴込み。
爆発のような派手な音と共に、ガラガラと崩れ落ちる。
「クルセード・ロワイヤル細則12条。クルセード・ロワイヤルで破損した器物、施設、建物はすべてティルナノーグ政府が補償する」
崩れた壁の向こうには、かつてAOIと未咲が戦った駐車場が広がっている。
「表にでなさいよ、ヘンタイたち」
「ないことは、ないけど」未咲は備え付きのペーパータオルで手をふきながら、鏡に向かって口角(があがっているかの)確認をするAOIをしげしげと眺める。
かわいい、たしかに。未咲は観察する。全体的にあどけなさを思わせる輪郭に、少し垂れた大きな目。この目が、なにか特別なドラマを感じさせるのだ。
「未咲もすればいいと思うよ。せっかく女の子なんだし」
いつの間にかAOIに「未咲」と名前で呼ばれていることを不思議に感じる。
「けっこう、かわいいっていうか、きれいだし。女優タイプね」
そうかな、と未咲は思う。自分の顔を鏡でまじまじと見…ようとして心臓が飛びあがる。
女子トイレの入り口から、男子が二人、ハアハアしながら覗いていた。
「きゃああああああああああああ」
AOIが声を上げる。
男子二人は顔を見合わせると、あろうことかむしろ女子トイレの中に突進してきた。
「ヘンタイ!!!」
「ぎゃあ」
反射的に恐怖を感じ、硬直する。
先頭の小太りの少年が、恐怖に顔がひきつるAOIにほぼ抱きつく形で、つぶやいた。
「ビギンバトル」
(比較的広いとは言っても)女子トイレに擬体が四体出現し、至近距離で対峙―異様な空間に緊張が走る。
パーーーン!!!
未咲まり返ったトイレに一番最初に繰り出されたのは、AOIの赤い擬体による、小太り擬体への盛大な張り手だった。
小太りの擬体―グレーと青のツートンだが全体的な印象は水色―は、張られた顔面をなでると、AOIの艶やかに赤い擬体を羽交い絞めにした。
「きゃあああ!!」AOIが嫌悪の叫びをあげる。
「AOIちゃんを抱きしめてルなんて、最高だナ」
擬体の張り手は、人間なら死んでもおかしくないパワーだ。小太りの擬体、相当タフだわ…未咲は思った。
「おい榛葉、やめろこの変態」
もう一人の、銀色のツルツルした擬体が言った。
「ボクたちはつばめっていう女に『女子トイレを狙え』って指示されただけで、変態じゃないんです。AOIさん、ボクは変態じゃないんですよ」
最低、と未咲は思う。女子トイレに攻め込んできておいて変態じゃないもなにもない。
トイレの床に四人の身体が置かれた状態になっているだけでもいやだったが、AOIに至っては小太りの少年に覆いかぶさられていて、ひどく気の毒だ。
「まあとにかく、白いほうのやつ、やっつけちゃおうヨ」
ちぇっ、と舌打ちし、銀色の擬体が未咲の前に出てくる。
よく見ると、小太りはAOIの擬体を抱きしめているのではなかった。赤い擬体の両腕を前から抱え、関節を極めて自由を奪っているのだ。相撲で…なんて言ったかな。かんぬき?だっけ。
未咲の擬体は、自然とトイレの奥に追いやられていた。個室と壁に囲まれた縦に細長い空間。狭い。ここでは回し蹴りが放てない。だが、前後の動きは空手の得意分野だ。それだけでも勝てるだろう。未咲は戦い方のシミュレーションを試みるが、相手の擬体がまるでわからない。
銀色の擬体が構える。腰が低い。なんの流派だろう?
構えながら、銀色に向かって未咲が言い放つ。
「ヘンタイの擬体って、どんな擬体なの?武器とかある?」カマかけ。
「いやボクは変態じゃないから!」銀色は手先から光の棒状のものをにゅうううと突き出す。「マジでヘンタイ…」未咲はドン引きする。
そして、いやな予感。こいつ…一番マズイタイプかも。
「さっさと空手を片付けて退散するぞ」銀色は、照れ隠しか、吐き捨てるように言う。
光の棒…はやはり剣だった。切っ先が鋭い細剣…これは間違いなく―フェンシングだろう。未咲は首筋がチリチリするのを感じた。リーチが大幅に長くなるフェンシング。当たる当たらないで言えば明らかに不利だ。しかも、この場所…
銀色はすっと腰を落とす。剣先と目線が交錯した瞬間、すさまじい速さの剣が飛んできた。上段突きよりも気持ち早い想定で前に踏み込み、かろうじて剣先をかわす。だが、相手の擬体のボディが遠い。こちらの拳は…届かない。
激痛。
未咲は地面に突っ伏すように倒れた。
背中に一撃食らっている。そうか、避けるだけではダメだった。フェンシングは剣がしなって突き刺さる。
「未咲!」AOIが思わず叫ぶ。
「ありゃ、こりゃあ思ったより簡単かモ」
小太りが言う。
「三分、かからないかモね」
未咲が立ち上がって構える。
空手。字のごとく、空っぽの手。本来は唐手だったらしいが、言いえて妙だと思う。武器がなくても戦える。その武道としての精神性が好きで、未咲は空手を続けてきた。
勝たねばならない。だが、相手の突進スピード、剣さばきの正確さ…これを攻略するための足技・飛び技には、空間が足りない。
AOIが小太りのかんぬきから逃れようともがいているのが見える。
「AOIちゃんの歌、もう一度聞きたいなァ。消えちゃう前に」
口調はのんきだが、言っている内容は剣呑だ。
「AOIちゃんにスタジアムまで来てほしいなあ」
まだ言ってる…。
と、AOIが動きを止めていう。
「いいわよ!」
えっ?と銀色が思わずAOIのほうを見る。
「一度だけでも離してくれるなら、あなたたち二人のために、精一杯歌います♪」
語尾だけアイドルっぽくなった。
「じゃあ、広いところでどうぞ!」未咲が言う。「せいやあぁ!!」
トイレの突き当りの壁。空気窓だけがついているブロックの壁に、体重をかけた蹴込み。
爆発のような派手な音と共に、ガラガラと崩れ落ちる。
「クルセード・ロワイヤル細則12条。クルセード・ロワイヤルで破損した器物、施設、建物はすべてティルナノーグ政府が補償する」
崩れた壁の向こうには、かつてAOIと未咲が戦った駐車場が広がっている。
「表にでなさいよ、ヘンタイたち」