12 『ウパデーシャ・サーハスリー』散文篇(3)

文字数 1,306文字

アートマンは他律的な自己定義によって見つかるものではない、とぼくは言った。

つまりそれは、「私はどこどこに住んでる●●です。職業は●●です。趣味は・・・・・・」とかいう自己紹介で語られるような内容はすべてアートマンではないってことだね 

誰かとの比較によって際立つような自分の特徴というのは、アートマンじゃない、ってことですね

うん、そう。

さらに加えるとね、いわゆるキャラクターというか、パーソナリティもまたアートマンではない。

もっと言うと、アイデンティティもアートマンではない

一例を出そうか。

たとえば、東京大学に入りたいと思ってる学生がいたとする。

「なんで東大に入りたいの?」と問う。

「そりゃ東大が1番だからさ」という答えが返ってくるかもしれない。

けれどね、そもそもなんで東大が1番なのか、誰が1番だと決めたのか? 

一言でいうなら<社会>だろう。

で、そいつが実際に東大に合格したとしてね、「すごいボクちゃん」なんていうアイデンティティを身にまとうのだとしたら、それはアートマンではない。

そんなアイデンティティはアートマンではない。

所詮は<社会>が用意した服を着せられてるだけなんだから、ボクちゃんは。

アートマンは自己に着せられる服ではなく、自己の本体なんだ

ん~、<社会的>なものが内面化されたのがアイデンティティだとするなら、アイデンティティはアートマンじゃない、ってことですね。
めずらしく難しいこと言うね
失礼な!
まぁ、そうだよ
「ぼくはどこどこの会社に勤めてて・・・・・・」なんていう社会的=他律的属性は<アートマン>ではない、って言ったけどね、さらにつっこんで言うと、「ぼくって几帳面な人なんです~」とか「ぼくって根が正直なんです~」とかいう性格、キャラクター、パーソナリティって言ってもいいんだろうけれど、そういうのものね、<アートマン>ではない
几帳面がどうの、つーのも、なにをもって几帳面と見るかは<社会的>に定まるものだから、でしょ。正直者かどうかも、潜在的な誰か、不正直者と比較してるんだし
お、めずらしく理解が早いっ
失礼な!

「わたしって●●な人なの~」とかいうセリフで語られるものは、すべてアートマンではない。

「●●な人なの~」というのを個性、キャラクター、パーソナリティと呼ぶなら、個性もキャラクターもパーソナリティもアートマンではない

じゃ、なにがアートマンなんですか?

もったいぶらないで教えてください

ちょっと考えてみて
う~ん・・・・・・
・・・・・・

・・・・・・あ! わかった!

我思う故に我あり、だ

我思う、だ!

お! デカルトときましたか。

一歩踏み込んだね、そこはパチパチパチと拍手したくなるんだけど、残念ながら、違う。

我思う、はアートマンではない

こう言ってよければ、ぼくはね、デカルトの哲学よりもシャンカラの哲学のほうがレベル的に<上>だと思ってる。

ので、次回はね、なぜ我思うはアートマンではないのか、について説明するのと同時に、シャンカラ哲学の偉大さについても語りたいと思う。

は~い

[参考文献]

・宮元啓一『インドの「一元論哲学」を読む シャンカラ「ウパデーシャ・サーハスリー」散文篇』春秋社、2008

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登場人物紹介

デンケンさん(49)・・・仙人のごとく在野に生きたいと思う遊牧民的自由思想家

釈愛理(45)・・・真宗大谷派のギャルな御院家さん


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