第一話 地震

文字数 3,541文字

「あと1分だな」
担任の教師が、教材を片付けながらつぶやく。
今年度最後の登校日。そして6年生にとっては卒業にあたる3月14日の、正午が目前だ。生徒たちは興奮しながらおしゃべりをしている。
「しずかにー。落下したら危険なものが無いか、周りを確認して」
教師が眼鏡をかけなおしながら言う。
「あと5秒! …3,2、1」
いっせいに口を閉じ、耳をすます。

ゴゴゴ・・・と地響きが聞こえてくる。来るぞ、来るぞ、とささやく声。
教室の窓や戸がガタガタと鳴り始める。足元が蹴り上げられるような衝撃。地震。

「きたぁぁぁ」陽気なやつらが嬌声をあげる。教師は机につかまりながら時計をながめている。

時刻が正午をちょうど10秒過ぎる頃、地震はおさまる。

静かになると、教師がパン、パンと拍手をはじめ、子どもたちがそれに続く。すぐに、ワーッという賑やかな歓声になった。

「今年も無事に、中央地区にスタジアムが誕生したようだな。今の地震はその証拠だ。今をもって『クルセード・ロワイヤル』が開始された。」
晴れやかな顔で教師は言う。
「承知のとおり、きみたち卒業生は選手として選ばれる可能性がある。もしも万が一、そうなった場合は、今までに培ってきたものを存分に生かし、がんばってほしい」

「オレを選んでくれれば、ぜったい優勝するのに」男子の誰かが言う。
「先生も教え子にハンドラーが出たら鼻高々だよね」女子の誰かが言う。
「そりゃあそうさ。クルセーダー…、いや、地区代表でも十分だが、そんなのがおまえらの中から出ようもんなら、先生は来年、校長になれるんじゃないか」
生徒たちは笑う。
「…とはいっても、ほとんどのみんなにとっては、関係のないことだ。春休みの間、勉学に励んだり、スポーツを楽しんだり、充実した日々を過ごしてほしい」
教師は生徒たちを見渡して、その日を締める。
「卒業、おめでとう。『神聖なるティルナノーグにクルセーダーのご加護を』」
生徒たちも、クルセーダーのご加護を、と復唱する。教師はやわらかい笑顔を浮かべる。
「では、解散」

* * *

靴箱でスニーカーに履き替え、黒ずんだ上履きをカバンに押し込んだ。どうせ後で捨てるのだが。そして、午後の光が眩しい校庭に出る。

「アキ、おまえ、ウチの学校から代表出ると思う?」
ナルオがネットに入ったままのボールを器用にリフティングしながら言った。
「う~ん、この地区は人が少ないから…、一人くらいは出るかもしれないな」

年に一度行われるクルセード・ロワイヤルに出場する選手、通称「ハンドラー」は、ティルナノーグ全土の“12歳”から選ばれる。ここ、(アキ)葉原(バディス)地区(トリクト)を含めた9地区からそれぞれ6名、合計54名だ。この地区には学校が4つしかないから、同級生から一人、二人は選ばれてもおかしくはない。
ついに、僕たちの世代に順番が回ってきたのだ。
「ぜっっっっったいナイとは思うけど、もしもおまえが選ばれたら、どうする?」
「どうって…」

〈擬体を操る者〉を意味する「ハンドラー」。それに選ばれるのは、抜きんでた才能をもった子ばかりだ。それぞれ特化した能力を持つ「意志を持つ擬体」が、自分の操縦者として適した天才を選ぶ、と噂されている。
候補はおおむね、スポーツや格闘技が得意な子だと言われる。まれに囲碁や将棋の天才児なんかが選ばれることがあるそうだけど、スタジアムの本戦まで残ったという話は聞いたことがない。
「おれが選ばれるわけないよ。それよりも…」
「俺と…、未咲(みさき)だよな」
ナルオは、カカッ、と笑った。
そのとおり。確率は低いが、この快活なサッカー少年・ナルオが選ばれる可能性はゼロではない。ナルオは小柄ながら5年生の内からサッカーの地区代表に選ばれ、今も代表で一桁背番号を背負っている。去年の地区の決勝で決めたボレーシュートは、伝説と言ってもいいほどだ。体格がもう少し大きくなればもっと上に行ける、と本人もよく喋っている。
だが…、それでも、ハンドラーは難しいだろう。ナルオよりもサッカーがうまいやつは全国にいないわけではないし、そもそもサッカー選手が選ばれたという慣例は多くない。

それよりも確率が高いのは、未咲だった。
沙希はクルセードに選ばれる条件(と噂されているだけだが)にはぴったり合致していた。選ばれやすいと言われる「格闘技」―それも空手の組手チャンピオン。こういっちゃなんだが、気も強い。アキバディストリクトの1000人程度の12歳の中で、6人に選ばれる可能性は十分にある。

未咲が、名誉あるハンドラーに選ばれたなら、素直にうれしいだろう。だが、万が一優勝してしまったらと考えると、胸がきゅっと縮んだ。あの桜色の擬体をあやつる少年に起きたこと。それが未咲にも起きるのだ。
「ま、ないとは思うけど、万万万万万が一選ばれちったら、ツルっ!と優勝するから、期待しててくれ」
「・・・」
苦笑いを浮かべるしかない。優勝は困るんだよ。それがどれだけの栄誉だとしても。
今頃、ティルナノーグ中の小学6年生…卒業生たちが、こんな感じで話しているのだろう、と思った。
ティルナノーグに同学年はどのくらいいるのだろうか。子どもが少ないアキバディストリクトだけで1000人いるということは、10000人は超えるのだろうか。

…ま、こんな話も今日明日まで。どうせ僕たちとは関係のないところで代表の選定が終わり、それから10日間は、勝敗が決した地区のニュースで発表されるのをへえ~と眺める。あとは例年どおり、本戦のスタジアムチケットの争奪戦に家族で参加するだけだ。

「じゃあ、おれは『げいむやろう』寄るから…コイデスタジオの新作、フラゲ特典が今日までなんだ」
「オケー。でもおまえ、せっかく足も速いし実は運動神経いいんだし、ゲームもほどほどにして、サッカーでもやれよ。ワカモノらしくさ!いつでもチームに入れてやるから」
「うん、ありがとうナルオ」
「じゃあな!」
ナルオは後ろ足でボールを蹴り上げながら走って行ってしまった。

そうそう。新作ゲーム『VAPE-X』の獲得にすっかり出遅れてしまったのだ。僕の春休みはこれにあてようと思っている。VAPE-Xはもう6日も前に発売されているから、店によっては既に売り切れている。
資金調達に手間取ったせいだ。コイデスタジオの前作「Cold Dungeons」の大会の優勝賞品の限定ゲーミングチェアを父さんに頼んで売り払ってもらうのに日数がかかってしまった。ゲームを買うのに必要だったのは12000円だけだったのに、賞品は20倍の22万円で売れた。これで当分、ゲーム代に困ることはない。

電気街に入ると、あちこちからAOIの「ハートにルージュ!?」が聴こえてきた。これ以外に歌はないのかというくらいどこでもかかっていて、いささかげんなりする。
ゲームショップ「げいむやろう」―表の1号店よりも裏通りにある3号店のほうが売れ残っている可能性が高い。あそこなら、フラゲ特典のマウスパッドがゲットできるはずだ。
僕は立ち食い蕎麦屋の角を曲がり、路地に入る。電信柱の陰から、灰色の猫がこちらを見ている。かわいいからちょっと触ってみたいところだけど、今は時間がない。

部品屋の角をもう一度曲がると3号店がある…、とその時、いやな予感がして僕は立ち止まった。瞬間、鼻っ面に風を感じた。角から、猛烈なスピードで男が走り出てきた。
「ひったくりよっ!!!」
とっさに足を出し、男をちょっと蹴つまずかせた―つもりだった。ところが、あまりにもドンピシャのタイミングで足が引っかかったことで、男は宙を舞ってもんどりうって倒れ、げふっ!!と荒い声を上げた。

想定した以上に、あまりにも派手に転ばせてしまって、僕は驚いた。
「だ、大丈夫ですか?」
思わず声をかけた。自分で転ばせておいてそれはないだろう、と自分でも思った。

男は苦しそうに立ち上がると、怨嗟のこもった目で僕に振り返った。
「自分で転ばせておいて…許さねえぞ、ガキ…」
ごもっともですね、と僕は男を見上げながら思った。
立ち上がった男の身長は、180センチはあるだろうか。目つきが完全にキレている。さっきの猛スピードを見れば、走って逃げ切れる感じもしない。

首のあたりがチリチリとする。ヤバい。これは、あの危機だ。何年か前に一度だけ経験した、「犯罪者(クリミナル)との遭遇」。
この地区では、大人の男の5%が、必ず犯罪者(クリミナル)になる。なぜだかそう決まっている。犯罪者は中途半端なことはしない、徹底して犯罪を実行する。今目の前にいる男は完全にソレだ。害意というものが見えるならば、僕の目の前には巨大な害意が立っているように見えるはずだ。

男はひったくったハンドバックを地面に叩きつけた。
「ガキにはよお…しつけしてやるよお!」
男の目がどう猛に光った。
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登場人物紹介

真嶋瑛悠(マジマ アキハル) 通称:アキ 12歳

本作の主人公。内向的でゲーム好き。

水元 未咲(ミズモト ミサキ) 12歳。

空手道に通じる。流派は伝統派、松濤館流。全土の小学生大会で、組手優勝の経験を持つ。


宮坂成男(ミヤサカ ナルオ) 通称:ナルオ 12歳

アキと未咲の幼なじみ。サッカーの地区選抜、スタメン。FW。シュートコントロールに定評がある。

A.O.I. (アオイ) 12歳

絶大な人気を誇るアイドル。「ハートにルージュ!?」が大ヒット中。

杉野なつ (スギノ ナツ) 12歳。

???

川西つばめ (カワニシ ツバメ)12歳。

???

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