テレパスに明日はない

文字数 3,211文字

 社会の底流にはびこるテレパスたちが顕在化し始めたのは、二十一世紀初頭の文明社会を席巻したソーシャル・ネットワーキング・サービスの潮流がきっかけのひとつとされている。
 ソーシャル・ネットワーキング・サービスとは、テクノロジーを利用した公的共感呪術の一種である。消費社会の生活上における私的な思念の断片を、写真、映像、言語によって広く発信し、受信者に羨望、嫉妬、親和感、義侠心、官能的陶酔、絶望感、その他さまざまな感情を遠隔地においても引き起こさせる情報交流システム。ネットワークにアクセス可能ならば、模範的市民からテロリストまで、あらゆる階層の人間に広範に利用された。
 その構造を基底として支えているのは、社会的動物たる人間の、他者とつながりたい、という抗い難い欲望であった。
 鳥のさえずり、という名称によって知られたソーシャル・ネットワーキング・サービスがその当時は隆盛を極めていた。ある時、そこに匿名のアカウントからこのような不可解で愚劣なメッセージが投稿された。

 ――言葉ではなく思念によって、こころとこころをつなげましょう。つながりたい人は連絡をください。拡散希望。

 まさにさえずりと呼ぶにふさわしい、不埒な世迷い言である。当然のごとく、常に膨張しつづける情報の小宇宙において、このありふれた、露骨にきな臭く馬鹿馬鹿しいメッセージは、大半の人間に無視された。無視しなかった人間の好奇心に呪いあれ。
 ほどなくして、同文のメッセージが複数のアカウントから投稿されるようになった。先日まで映画の感想や食べたデザートの写真など、たわいもない内容ばかりを投稿していたアカウントが、壊れたロボットのように同じ言葉を連投するようになる事態は、はなはだ不気味な様相を呈していた。その数は日を追うにつれておびただしく増していく。ゴキブリやネズミを連想させる繁殖スピードであった。
 なにか妙なことが起きている、と一般に広く話題となり始めた頃、この騒動の首魁たる人物が雑誌のインタビューに応じて、またしても不快なるメッセージをばらまいた。

 ――これほど情報が流通していながら、これほど孤独な時代はかつてなかった。だれしもがつながりに飢えている。だから、ぼくたちは自分たちの能力を示すことにしたんです。それによって、救われる人間がいると信じて。

 邪悪なるテレパスが、初めて公的に名乗りをあげた、悪名高い記事である。雑誌はその後まもなくして廃刊となった。悪は遠からず滅ぶというのは世の摂理であるが、遅きに失した感がある。
 さまざまな情報メディアがおもしろ半分にテレパスと自称する人々を取り上げ始めた。二十世紀の時代資料にも、空前とも言われた超能力者ブームが記録されているが、大衆というのは定期的に同じ踊りを繰り返すようである。
 表舞台に現れるテレパスのほとんどは、いついかなるときも生息する口先だけの詐欺師であったから、この現象も遠からず消費されつくして沈静化するはずだったが、あなたもご存知のように、そうはならなかった。忌々しいことに、本物のテレパスどもが混じっていたのである。

 ――わたしのこころが、読めるというのですか?
 ――読めるという言葉は誤解を招くかもしれません。思念は言葉とは違います。それに、ぼくが一方的にあなたのこころを覗くわけでもない。あくまで相互的なものなんです。ぼくとあなたが、魂の奥底においてつながるのです。それがどれだけ素晴らしいことなのか、あなたもつながりを経験すればわかるはずです。

 生放送のテレビ番組において交わされた、淫猥な会話の断片である。その後の映像は、現在では発禁となり、一部の者しか見ることは許されない。番組司会者はテレパスのいうつながりを経験して、法悦と失禁を衆目にさらした。彼はまもなく故人となった。
 愚か者たちはテレパスどもに次々と取り込まれていき、日常を混乱に陥れた。彼らはこころのつながりなる実体を欠いた幻で市民を誘惑し、大量生産、大量消費、過剰労働、経済的搾取、性差別、人種差別、幼児虐待、動物実験、環境破壊などの点を挙げて文明社会を正義面して難詰し、みんなでつながろう、こころを大切にしよう、などとおためごかしを連発し、空疎な夢を振りまいた。しかし、悪の最盛期はいつだって短いものだと賢明なあなたならご存知であろう。ようやく理性を取り戻した人々が現れ始めた。テレパス排斥運動の偉大なる歴史が幕を開けたのである。
 そもそも人と人はみだりにつながるべきものではない。それは個性の否定、人格の溶解に容易くつながる。恐るべき同質化現象。唾棄すべき理性の退化。テレパスの精神的繁殖行為は、看過すべきではない危機的状況をもたらした。手段を問わずして食い止めなければ、社会的動物たる人類の基幹が蝕まれる。
 その後の苛烈な闘争の経緯は、栄光と悲惨に包まれている。思念交流を遮断する、対テレパス兵器の開発。テレパスコミューンでの騒乱と死闘。首魁暗殺の再三に渡る失敗と、その成就。テレパスを告発した者への報奨。収容所の増設と破棄。勇敢なる市民たちの自発的な私刑。吊られたテレパスたちが国旗のように美しく風に揺れていたのは、少年時代の郷愁を誘う懐かしい記憶である。
 テレパスどもが厚顔無恥にも社会に進出してから幾星霜。そしていま、ようやくにして浄化は果たされようとしている。われわれは勝ったのだ。日進月歩の科学技術は優秀なるテレパス探知機を生み出すことに成功し、テレパス殲滅に一役買った。いまやテレパスは絶滅危惧種であり、残すはつがいのテレパスが一組。最後のとどめというのはだれしもためらうものだ。テレパスについても、研究用、もしくは展示用の稀少生物として、生かしておくことが検討されていると伝え聞く。
 しかし、われわれはノアではない。この地上という方舟はすでにして乗員が多すぎる。見捨てるべきものは見捨て、殺すべきものは殺すのが、神の示された道ではないか。淘汰は神聖なる摂理である。
 謹んで、テレパスの処刑執行を嘆願する。

 聞こえてる?
 聞こえてる。
 障壁越しだから、言語思念しか届かないみたいだ。
 それもかろうじて、ね。
 さえずりみたいに弱々しい。
 でも十分。またつながれて嬉しい。
 どんな気分?
 恐竜の気持ちがよくわかる。
 恐竜はなにかを想ったりしたのかな?
 なにも想わない生物はいないわ。
 滅びない生物もいない。
 ええ、わたしたちももうすぐ死ぬ。
 死んだらみんなとつながれるかな。
 さあね。
 少しだけ期待しているんだ。
 わたしはなにも期待していない。
 じゃあ、きみのぶんも期待しておくよ。
 じゃあ、お願い。
 自分の運命を呪ったことはある?
 疲れるからそういうことは考えない。
 きみのそういうところが好きだよ。
 ありがとう。
 なんだか不思議だな。いつもはもっと直接的に思念で伝えていたから。好き、か……。言語コミュニケーションも、悪くないかもしれないね。
 そうね。わたしもあなたが好き。もっといっぱい話してみたかった。もっと言葉を交わしてみたかった。
 きみがそんなことを言うとはね。わからないものだ。
 つながっていたのに?
 すべてわかっている気がしていたけど。言葉をつむぐのって不思議だな。なかったはずの感情が見つかる。
 死ぬ前なのに楽しげね。
 きみと話せているかぎりは楽しいよ。
 もうすぐ話せなくなる。
 残念なことにね。
 わたしはなにも期待していないけど。あなたの期待が叶うのを祈っているわ。
 ありがとう。さようなら。
 さようなら。

 テレパスはこうして社会から一掃された。つながりの信徒たちは、地上から滅び去った。死せる魂たちのつながりについては、神様だけが知っている。
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