地球は青かった

文字数 6,988文字

一人の少年が空を見つめていた。
そこには空があり、雲があり、星があり、月があり、太陽があった。
それは変わるはずの無い光景だった。


午前零時を過ぎてなお、街から明かりが消えることは無かった。
大通りを行きかう人々が途切れることは無く、時折すれ違う車のライトにまぶしそうに目を細めている。
友人と話す者、タブレットでニュース番組を見る者、ビールを片手に陽気な歌を口ずさむ者。
二十一世紀も早折り返しへと差し掛かかろうとしているものの、変わらない週末の光景がそこにはあった。
そんな街の一角に、ひときわ熱気を放つ一団があった。
肌寒い風をものともせず、思い思いに手作りされた旗やカードを掲げて行進している。
――平和を。
ある者は短く一言に。ある者は演説の引用を交えた長文で。
願っていた。
平和が続きますように。我が子に託せますようにと。
声を張り、拳を上げて明日の空を仰いでいた。


とある一室に氷の割れる音が響いた。
それは小さな音だったが、静まり返っていた室内を僅かに苛立たせるんは十分だった。
ある者は腕を組み、ある者は意味も無く指を弄り、ある者は周りを気にせずに煙を吐き出している。
程なくして一人の男が立ち上がった。
反射的に振り向く一同の顔を、一人一人確認するように見やる。
一人、また一人。覚悟を決めたように彼らは立ち上がっていった。
そんな彼らを遠巻きに見ている者達がいた。
軍服を着た老年の将兵。あるいはまだ年若い秘書官が数名。
最後の一人が立ち上がるのを見て、彼らは悟った。
平和が終わったのだと。


照らされたライトの下、一人の若者が軍人達によって取り押さえられた。
抵抗する若者を助けるように今度は中年の男が一人の軍人に掴みかかり、その腕を別の軍人に掴まれる。
彼らだけではない。そこかしこに集まった市民達が、壁のように立ち塞がる軍人達と小競り合いをおこしていた。
ある者は拡声器で政府や軍への非難を訴え、ある者はフェンスを乗り越えて侵入を試みようとし、足を掴まれて落とされた。
事態の収拾の為、一人の士官が数発の威嚇射撃を行ったのは程なくしてだった。
手に持った拳銃を上空へ向けて発砲し、切れた唇を震わして叫ぶ。
怒声は止んだ。まるで時間が止まったかのように、誰しもが動きを止めたのだ。
しかし、それは威嚇射撃によるものではなかった。
遥か先、その施設の中心部の足場が割れ、一筋の光が天へと昇っていった。
発砲した将校が握っている拳銃を落とした。それすら気付かず、彼は声を上げた。彼だけではない。その場の多くの者達が声を上げてその光景を見た。
あるいはその現実を否定するためにつぶやいた。
そんなはずはないと。


昇る光は一つではなかった。
世界中いたる所から発射されたソレは瞬く間に成層圏を越え、それぞれの目的の場所へと進んでいく。
過ち。あるいは偉業と言う者もいるだろうか?
数千年かけて人類が作り上げたものを無に帰す為に作られたソレは順調に歩を進め、再突入を迎えるべく地球へと再接近する。
しかし、その時が訪れることは無かった。
音速で飛ぶミサイルを、更なる高速で飛来した砲弾が撃ち抜いたのだ。
七色の炎とともにその内容物を吐き出し、大地を蹂躙するはずだった悪魔が四散した。
それが本物悪魔ならば、その目で睨んだだろう。自らを撃ち落とした何かを。
それは戦車だった。無論ただの戦車ではない。
通常の倍以上の巨躯。車底部にキャタピラは無く、中央の巨大な砲門以外は機銃もハッチも見当たらない。それも当然だろう。それは通常とは異なる運用の為に造られた新たな存在なのだから。
その異形の戦車の中で、一人の男が歓声を上げていた。
「Wow!見たかお前ら?俺の天才的な命中精度。俺最高!」
尋常でないテンションであったが、それでもその体は冷静に第二射の為に動いていた。
装填を済ませた機体が、その発射を促すように前面のディプレイへ次の獲物を映した。同時に隣接する僚機から通信が入る。
『次来たぞ』
「ほいきた。第二射いくぜ」
気合いと共に放たれた砲撃は、吸い込まれるように別のミサイルを破壊した。


迎撃されたミサイルが四散する光景を冷静に観測する男がいた。
獅子の様な鋭い目でディスプレイを見つめ、僚機へと通信を送る。
「撃破確認だ。調子がいいな」
『俺はいつでも絶好調だぜ』
冷静に報告する男に、僚友は子供の様な笑顔を見せる。
異形の戦車のすぐ隣、そこにも異形の存在が鎮座していた。彼をその身に内包するそれは、十メートルに達する巨大な人型であった。
白色のフレームに角張った四肢。手に当たる部分には人間同様に五本指のマニピュレータを備え、その姿はまさに巨人と言うに相応しい。
人で言う頭部に当たる部分は無く、巨大な単眼レンズと三本のアンテナが、胸部から盛り上がるように突き出している。
一部むき出しのフレームは、露出部を巨大なシートで覆われており、機械的な造形に反して、まるで原始人のような姿にも見える。
その巨人の中、金髪の男が次の獲物の姿を捉えた。
「次が来るぞ」
『あいよ。――ッだめだ冷却が間に合わない』
戦車の中で男が舌打ち混じりに唸った。
『なら俺の出番だな』
その声は三つめの巨体からだった。
戦車を挟むように佇んでいたもう一体の巨人が前に出た。五本の鋼鉄の指を器用に動かし、巨大な筐体を抱え上げる。
「景気よくいくぜ!」
陽気な声とともに、箱の一角から小型のミサイルが発射された。
射手の思いが乗り移ったように軽快に飛ぶミサイルは、数秒で標的のミサイルへと突き刺さる。
「撃破確認。……他の部隊も順調のようだ」
遠くに複数の発光を確認し、ホッと息をつく。
『向こうさんもだろ。こっちのミサイルも全滅か?』
「ああ。それでいいさ」
『ん?』
小さくもらした僚友に、戦車の男が聞き返す。
「落ちなくていいんだこんなもん。一つもな」
吐き出すように言った親友の言葉に、男はそうだなと同意した。
そこへ陽気な声が無遠慮に割り込む。
『まあ何にせよ、帰ったら俺達は英雄だぜ。インタビュー考えとかねえと』
呑気な事を言う同僚に、二人も笑って同調した。
『困ったな。俺カメラ映り悪いんだよ。――第三射発射』
「心配するなどのみちセンターは俺が飾るんだからな。――命中確認」
『お前がリーダーって面かよ。――ほい、弾倉交換』
とてもヒーローには思えない会話だが、その間にもしっかりと迎撃をこなしているあたり、能力的には問題無いともいえる。


その光は地上からでも見ることができた。
雷や花火と違う七色の火閃は、地域を問わずその空に映され、うながされるまでも無く多くの人間が見上げる。
端末からニュースを確認する者、口早に友人と話す者、家族のもとに急ぐ者。
事態を正確に把握している人間はほぼ皆無であり、それが混乱を大きくする原因となっていた。


地上で大きな混乱が起こっている中、愉快な三人組の快進撃は小一時間経ってなお繰り広げられた。
撃墜したミサイルは五十を超えていたが、彼らに疲れは無い。
というか疲れたなどと言っている場合でもなく、無理にハイテンションにでもしていなければやっていられない。
「だーっ。また冷却機が異常だ。砲身が焦げちまう」
『落ち着け落ち着け。俺が何とかしてやるよ』
陽気な声とともにコンテナからミサイルが放たれる。
『――っと、今のが最後だ』
「こっちも弾が少ない。バッテリーも予備へ変更……充電頼む」
『おうよ待ってろ』
応えながら、巨大な指が戦車の背後から弾倉を引き抜いた。
機械的かつ無造作に放り投げられたそれが流れ星になるのを気にもとめず、自機に括り付けておいた弾倉を引きはがして装填する。
続いてその下部に設置された二つのバッテリーパックの内、片方を引き抜いた。
片手にバッテリーパックを抱えたまま機体を反転させ、髭面の男が外面越しに敬礼を取る。
『これより補給任務に向かうでありまーす。――ってな』
そこへもう一機の人型のパイロットが通信で割り込んだ。
『ちょい待て。俺もノド乾いちまったところだ。酒持ってこい酒』
『我慢しろ不良軍人。まったく買い出しはいつも俺の役目だ』
『とっとと行けパシリ軍人』
軽口を言い合いながら別れ、一機が補給のために離脱した。
それから十数分程は静かなものだった。定期的に軽口を叩くものの、散発的になってしまう。
少し間を開け、戦車の男が聞いた。
「なあ、なんでお前さん志願したんだ?」
『ん?』
「女房持ちはお前くらいだぜ」
思いがけず真面目な顔を向けられ、人型に乗る男は不良生徒のようにモニターから顔をそむけた。
そんな姿に苦笑を浮かべ、急かすように指先でカメラを叩く。
「んだよ、らしくねーな」
『うるせぇ。……最後だからだよ』
「ん?」
『お前らと馬鹿やるのもこれが最後だからな。パーッと派手にやりたかったんだよ』
それだけ言い、今度こそ男はモニターから顔をそむけて黙り込んだ。
本音だろうか?
だったらだったで、そんなもん結婚前にでも済ませろよ。と、言いたくもあるが。それでも今は、この頼れる悪友が隣にいることに感謝しておこうと男は思った。
そこへ呑気な声が届いく。
『待たせたな。今戻るから、いい子にして待ってろよ。あモグモグ』
『あーっ!テメー何か食ってやがんな』
「また太るぞ。だからモテないんだよ」
『うるせー。俺だって女の一人や二人――』
じつに緊張感の無いやり取りだったが、しかしその時間は唐突に鳴り響いたアラームにかき消された。
『非常通信だと?』
けたたましいアラームに金髪の男がモニターを確認する。
『クソッ。B班が撃ちもらした。二発来るぞ』
「問題無え。弾は有る」
『回すぞ』
「応ッ」
戦車の車体外側に付けられた突起を掴み、人型がスラスターを点火した。
機体が斜めに反回転し、砲門の正面に小さな光を捉える。
「見えた!まず一発ッ」
『待て!まだ止まり切ってない!』
勢いのままに発射された弾丸は、ミサイルの僅かにかすめて飛び去った。
「そんな、焦って、俺が」
『落ち着け馬鹿野郎。弾は残ってんだろう』
「――ッ。そうだ、次弾装填」
振るえる腕を殴りつけ、僚友に内心で感謝をしながら計器を操作する。
「当たってくれよ」
小さなつぶやきと共に放たれた砲弾は、その願いに乗ってミサイルへと命中した。
「よし」
――落ち着け。時間はある。次はやれる。楽勝だッ。
不安と動揺を押し殺しながら、視線を残るもうひとつのミサイルへ向けて彼は引き金を握った。当てるという決意があった。
しかし次の瞬間、彼の眼前の画面が赤く点滅し警告を発した。
『電力不足!?バッテリーだ。早く!』
状況を把握した男が、僚機のいるはずの方向へ叫んだ。


悲鳴のような通信が高速で進む機体に届いた。
「今向かってる!クソッ」
悪態と同時にスロットルを限界まで踏み込む。
邪魔なコンテナと弾倉を捨て、少しでも急ごうと無意識に呼吸を止める。だが――。


「間に合わない」
真っ先に受け入れたのは金髪の男だった。
努めて冷静にミサイルの速度と軌道を観測し、再突入の段階に入ったことを察し、その行く先を計算する。
「目標――アメリカ東部!」
気付いた時には機体を加速させていた。
自分が何をしようとしているのか、遅れて頭で理解する。
馬鹿らしい。そう思いつつも、受け入れてその身をゆだねる。
『よせっ!やめろレオ!』
友人の声が僅かに躊躇いを作る。しかし彼は止まらない。
小さなデブリが機体に当たり、アラームが鳴る。だが気にも留めず、青い星へと向かって飛ぶ。
視界の端にミサイルを肉薄し、その軌道に最後の修正を加える。
「行くな」
機体が揺れ、留めてあった写真が宙を泳いだ。
「行くな」
それは彼が家族で撮った写真であった。
視界に入った人達に彼は微笑みかけ、最後の咆哮を上げた。
「行くなァー!」
もしも思い起こすことがあったなら、馬鹿な事をやったものだと自分を笑っただろう。それが出来ないと分かったから、今笑った。
笑って彼は身をゆだねた。


西暦二千四十五年。
百年にわたった平和は一晩で崩れさった。
数千に上る【アウラミサイル】の撃ち合いから始まった第三次大戦は、またたくまに世界中に戦禍と混乱をもたらした。
紛争の再燃。
クーデター・反政府活動の活発化。
国際連合の解散。
過去二度の大戦から何も学べていないと、多くの者は言う。しかしデータだけで見れば驚くべき違いがあった。
わずか三ヶ月での終戦もさることながら、犠牲者の数が圧倒的に少なかったのだ。
発射されたアウラミサイル全てが新型の迎撃用兵器による撃墜を受けた事が大きく、むしろそれ以降が消化試合のように散発的なものであったのも一因にあるだろうか。
そもそも何の目的で開戦されたかすら、よくわかっていないのが現状である。
しかしそれでも血は流れた。
ある指導者は解任の後投獄。
ある政治家は亡命。
謀殺や市民による襲撃で死亡した者も多かった。
国は治安と信頼の回復に努め、市民は怒りの矛先を向ける相手に不自由しなかった。言い方は悪いが、誰でもよかったのだろう。
しかしその混乱も更なる大きな問題の前に収まらざるをえなかった。


西暦二千六十一年六月。
旧先進国を中心に結成された国際連邦により、世界はある程度の落ち着きを取り戻しつつあった。
疲れただけと言えなくもないが、少なくともデモや暴動の類は沈静化し、人々は安堵していた。
しかし紛争は続いてる。
旧連合を脱退した国々の持つ連邦への不信感は拭われることが無く。また、クーデター等の気運もいまだ根強く残っている。
何より国際連邦をはじめとする大規模同盟同士による代理戦争が、今日に亘り盛況を見せているのだ。
しかし平和だった。
紛争、あるいはそれを利用した連邦と反連邦勢力との代理戦争は情報統制がなされ、テロあるいは暴動としてのみ報道されている。
世界は平和だった。
兵士曰く、クソみたいな平和――ではあったが。


中央アジア南部、デイル共和国。
かつては公国として王政を布いていた国であったが、数年に亘る内乱を経て現在は共和制国家として再編され、連邦加入国として新たな歴史を刻んでいる。
そんなデイル共和国南部に【国際連邦治安維持部隊】通称【US(United・Security)】の駐屯地はあった。
内乱こそ収まったものの、国内の治安は決して良いとは言い難い。内乱時にクーデターを企んだ一部軍人達を中心にした一団はテロリストと呼称を変えただけで健在であり、反連邦勢力の支援の下に連邦の支援を受ける共和国軍との小競り合いを続けている。
国内に大小ある駐屯地の中でも最大の規模を持つ【アル・アルド駐屯地】にて、一人の青年が自機の調整を行っていた。
「こっちは終わったよ」
白銀色の塗装がされた人型の機体の中、フィン・ズィーリオス中尉はモニター越しに作業の終了を伝えた。
その通信に、技術士官の水無月ユリ少尉が微笑んで応える。
『うん。じゃロック外すね』
「お願い」
短いアラームとともに、機体を囲んでいた足場が収納されて空間を開ける。
「バランサー正常」
『了解。クレーン解放』
ユリの操作で機体両肩部を固定していたロックが外れ、ワイヤーが巻き上がる。
クレーンが後方へ移動したのを確認し、フィンは手順を進めた。
「アンカー回収」
機体踵部から後方へ倒れていた補助脚が九十度起き上がり、装甲に重なるように一体化した。計器を確認するフィンに、ユリは期待を込めて、最後の工程を求める視線を送くる。
「言わなきゃ駄目?」
『だーめ』
子供のような笑顔を向けるユリに、フィンは傷の入った頬をさすり、従った。
「【グラインド】発進」
無論そんな掛け声はどこの規定にも無い。平常時なら間違っても言わないが、今この通信を聞いている物は他にいない。二人の問題だ。
確かめるように機体の足を上げ、小さく前へと踏み出す。
うん、問題無い。
ユリ等メカニックの正確なメンテナンスを内心で賛辞し、フィンは今度こそ大きく踏み出した。
一歩。また一歩。
大型のシャッターを目指して進むフィンに、ユリの声が届いた。
『何考えてる?』
「大尉が張り切ってたからね。どんな巧妙で悪趣味な手をご教授いただけるやら」
『それは頑張って習わなくちゃね』
シャッターが音を上げて開く。
二人の時間は終わり、モニターにあどけない少年の顔が割り込んだ。
『先輩まだですカ?大尉がまた寝ちゃいましたヨ』
『寝てねえよ。空を見てただけだ』
やや拙い英語で褐色の少年がぼやき、それを不機嫌そうに短髪の男が否定する。
『仲良くすんのもいいが、さっさと済ませようや。どうも空の調子がよくねえ』
『うン?キレイな空じゃないですカ』
開かれたシャッターを潜り、モニター越しにフィンは上を見上げた。
「綺麗な空……か」
雲一つない空を七色に輝くオーロラが一面に広がっていた。
そこはかつて青空と呼ばれていた。
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