九、伝説へ

文字数 5,990文字

 時は過ぎ、一年後の十二月。私は困っていた。そろそろ雪咲会の代替わりの時期。菖先輩は大学に進学しても花鳥風月には残留してくれた。雪咲会は菖先輩の代わりに私が入ることで問題なかったが、そのあとが大変だった。
 その一年後――瑚己羽先輩と楓梨先輩の後釜がなかなか決まらないのだ。しかも、ふたりは大学も別。菖先輩みたいに冬ヶ瀬学園の系列には進まなかったので、雪咲会も花鳥風月も同じく代替わりしなくてはならなくなっていた。
「どうしよ~、月海ちゃ~ん。ボク、困っちゃったよ~……」
「あたしも早く後継者を見つけたいとは思ってるんだけどさ。なかなかいい子がいなくて」
 私たちは相変らず、スノウドロップにたむろしていた。この後、講義が終わったら、菖先輩も合流することになっている。
「私に相談されても困りますよ! 先輩たちが後任は決めないといけないっていう暗黙のルールじゃないですか」
千種さんもいつも通り、グラスやカップを拭いていて、私たちの話を聞いているのかいないのか。私も変わらず四百円のコーヒーを飲んでいるから、お互い様か。
「雪咲会のほうはともかく、問題なのは花鳥風月ですよ。まだつぶやきにはたくさんの生徒たちがいじめや家庭環境、恋愛のことで悩みを打ち明けてきています。最近は生徒会まで……」
「……生徒会、ねぇ」
 楓梨先輩はアイスコーヒーのストローを持って、ぷらぷらと振る。そのとき、勢いよく喫茶店の扉が開いた。
「河本先輩っ! 探しましたよ! まったく……こんなところで寄り道ですか? あなたは一流大学の推薦も決まっているんですよ!」
「な、成川さん……だっけ?」
 私は突然入ってきた同学年の生徒に驚く。彼女も楓梨先輩と同じように、ショートカットでどことなく美少年っぽさがある。
「あなたたちは確か、雪咲会の鈴原先輩と宮間さんか。あなたたちも寄り道はいけませんよ」
「は、はぁ……」
 成川さんは生徒に人気の生徒会会長だ。男勝りな口調だけど、見た目はすらっとしていてカッコイイ。それに竹を割ったような性格だし、サバサバしている。しかも人間的魅力があるようで、学内の数少ない不良にも好かれているらしい。
「成川ちゃん、なんであたしのことばっか気にかけるのさ……。みんな寄り道はしてるっしょ?」
「それでもあたしは将来有望な先輩が心配なんです! もちろん、鈴原先輩や宮間さんもいくら雪咲会とはいえ、寄り道は許されません! 校則第十二条にあるでしょう!」
 私はあまり生徒会とかかわりがないしクラスも別なので、成川さんのことは噂でしか知らないが、校則を重視するとは……かなり細かい性格なのだろうか。
 私と瑚己羽先輩が生徒手帳を確認しているとき、楓梨先輩は何かを思いついたように手を売った。
「……あ。ねぇ、ぴったりじゃない? 『正義感あふれる生徒会長』だよ? 花鳥風月のメンバーにちょうどいいよ! 彼女、運動神経もバツグンだし、あたしは警察にコネがあったけど、彼女は確か親が公安だから、もっといい繋がり持ってるはず!」
「……花鳥風月のメンバー?」
 成川さんは首をかしげている。でも、成川さんだったら楓梨先輩の後釜にはぴったりだ。銀縁フレームがキリッとしていて、いかにも優等生っぽいし、美形だ。それに、楓梨先輩羽が言うには、先輩と同じくらいの強さを持っているらしい。校内で行われた合気道大会でも、一位、二位を争うとのことだ。この大会の時は、一位が楓梨先輩で、二位が成川さんだったとのことだ。
「決めた! あたしは時期雪咲会・花鳥風月のメンバーに成川薫(なるかわ・かおる)を推薦します!」
「……は?」
 成川さんは一体何の話か、ついていけていないようだ。それに文句を言ったのは、瑚己羽先輩だ。
「ふうちゃんずるい~。ボクはまだ決まってないのに~……」
「瑚己羽先輩、それよりあの人はいいんですか?」
「へ?」
 楓梨先輩をうらやましがる瑚己羽先輩を、喫茶店のガラス扉の下からじっと見つめている人間がいる。
彼女のことは私も知っている。情報処理部の部長で、えーと……なんて言ったらいいんだろう。要するに、ズバッと言ってしまうなら、瑚己羽先輩のことを『先輩以上に好き』な一年生、隈野美鳥(くまの・みどり)さん。私の後輩でもある。瑚己羽先輩は彼女にうんざりしていた。今みたいにずっと、自分に付きまとっているからだ。
「はぁ、美鳥ちゃんねぇ……」
 基本的に人見知りもしないし、むやみに人を嫌ったりしない瑚己羽先輩だが、彼女の話題になると顔が曇る。
 隈野さんは一年生で、一見普通の女の子だ。だが、噂によると、かわいい女の子と接触すると、鼻血を出して倒れるとか。ここ一年で耐性はついてきたけど、瑚己羽先輩だけは例外で、完全に恋愛感情を持っているとか、ものすごい噂が飛び交っている。それでも彼女のすごいところは、そんな噂をまったく気にしていないところだ。
 全員の視線が、隈野さんに集まる。すると本人は自分から喫茶店へ入ってきた。
「すみません~。お邪魔する気はなかったんですが、『花鳥風月』の打ち合わせがどうしても気になったもので~」
「えっ」
 私を含む現メンバーの三人は、それを聞き、びくりとする。彼女、花鳥風月を知ってる……?
 瑚己羽先輩を含む私たちは、隈野さんの言葉に集中する。彼女はどこまで知ってるんだ? ドキドキしながら彼女が話すのを待つ。
「好きな人のことを知るには、徹底的なリサーチが必要です~。美鳥は、瑚己羽先輩のことでしたら知らないことはありませんから~!」
「困ったな、この子……」
 楓梨先輩も少々困惑気味だ。瑚己羽先輩のことを全て知っているってことは、さっき隈野さんが言った通り、花鳥風月のことも当然知っている。隈野さんはノートパソコンを取り出すと、みんなに画面を見せた。
「今、赤い丸が点滅しているところが、スノウドロップ……つまり、このお店です」
「げ、もしかして……」
「瑚己羽先輩が愛おしすぎて、発信機をつけてしまったんです~。こんなダメな後輩ですみませ~ん。もちろんあなたを守るために、剣道も三段の腕前なんですよ~? 愛ゆえに、です~!」
 瑚己羽先輩は真っ青な顔をしているけど、私の考えは違った。彼女、かなり使えるんじゃないか? 瑚己羽先輩はもともと情報関連に強いし、ジャンルも合っている。それに剣道三段。強さだって問題ない。
「瑚己羽先輩! 隈野さんに入ってもらいましょうよ! 花鳥風月」
「は……はぁ? や、やだよ! ボク! 彼女、ストーカーじゃん!」
「ストーカーでも、かなり有能なストーカーです。それにずっと一緒にいれば、隠れて見られているって恐怖はなくなりますよ?」
「う、うう……」
 瑚己羽先輩は悩んでいるが、隈野さんはもう乗り気だ。
「瑚己羽先輩のあとだったら、ぜひ継ぎたいですぅ~っ! だって美鳥、先輩のことで知らないことありませんもん! 身長、体重、スリーサイズだって!」
「そ、そういうところが嫌なの~っ!」
「……瑚己羽も似たようなものだったじゃないか。私のあとを追って、『菖姉』と呼び出したのは、どこの誰だ?」
 よく聞きなれた声に、私たちは振り返る。菖先輩だ。大学生になった菖先輩は、今も花鳥風月のリーダーとして活躍してくれている。菖先輩は成川さんと隈野さんを見つめると、大きくうなずいた。
「悪くない。……次世代の花鳥風月に、ふたりは入ってくれるか?」
「は~いっ!」
 隈野さんは大きく返事をする。それと逆だったのは、生徒会長の成川さんだ。花鳥風月についてよく知らないみたいだからだろうか。私が大雑把に活動内容を話すと、彼女は顔を赤らめた。
「冬ヶ瀬学園の正義の味方……ですか? 私は生徒会長です! 何かあったら、生徒会に相談すれば……」
「それができたらあたしたちはいないよ」
 楓梨先輩の言葉に、声を詰まらせる成川さん。生徒会だけが正義の味方だと思っていたのかもしれない。私も同じ立場だったら、花鳥風月なんてよくわからない団体より先に、生徒会を頼ってほしいと思うから。
 楓梨先輩は、成川さんの手をつかむと、真剣なまなざしを向けた。
「本当に学生のためを思うなら……あたしたちの仲間になってくれないかな」
 しばらく沈黙が続く。楓梨先輩は成川さんに、無理強いはしなかった。
「あたしたちが卒業するまでに決めてくれればいいから」
 ……もうすぐ楓梨先輩と瑚己羽先輩もいなくなっちゃうんだと、今実感する。雪咲会はこれからきっと、隈野さんと私、そしてOKが出れば成川さんの三人になると思う。花鳥風月は大学二年生の菖先輩と、私、残りふたりだ。
今回の代替わりはなかなか難しい。でも、花鳥風月がいなくなれば、困るのは生徒たち。昔の私はわからなかったけど、今ならよくわかる。正義の味方は、どこかにいなくちゃいけないんだって。

 そして瑚己羽先輩と楓梨先輩の卒業式――。卒業証書をもらった生徒たちは、校庭に咲く桜の木の前に集合していた。これから記念撮影をするのだろう。
 いつもの特攻服を着て、さらしを巻くと、この日のために用意した旗を持ち、マスクをつけたまま私たち三人は屋上へ来ていた。
「楓梨と瑚己羽はいないけど、代替わりの儀式を行う」
 菖先輩は私たちに盃を持たせると、前にした通りガムシロップをそれに注ぐ。一気に飲み干すと、私たちは盃を地面に叩きつけて割った。

『斬ること花散らすように、立ち向かう事鳥の如く、その正体、風のようにつかめず、月夜の晩に姿を現す正義の味方! 花鳥風月!』

 菖先輩が声を上げ、後輩の隈野さんが旗を振る。
 瑚己羽先輩や楓梨先輩には見えているだろうか? 不安に思っていると、階段を駆け上がってくる音がした。
「……成川さん?」
「私も……私もやります! 花鳥風月! ……もう、知らん顔するのは嫌だから」
 菖先輩はそう来るとわかっていたかのように、楓梨先輩の着ていた特攻服を渡す。これで全員そろったな。成川さんが制服の上から特攻服を羽織ると、大きく旗を揺らす。
 私たち雪咲会と花鳥風月は、ずっと、この先もメンバーを変えつつ続いていく。正義の味方はいつの時代でもいなくちゃね。
 風でなびく旗を見て、私は拳を胸に当てる。悪い人間や敵なんて、きっとこの先いくらでも出てくる。でも、自分を自分で守れるようになるまで、頼る人間がいてもいいと思う。
だから――花鳥風月は不滅なんだ。

「あ、ふうちゃん! あそこ見て!」
「ん~……あはは。やだね。泣けてきちゃうじゃん」
 楓梨先輩と瑚己羽先輩がそんな会話をしているとは知らず、私たち新生・花鳥風月は旗を振り続ける。新たな門出には、やっぱりヤンキーらしく応援旗だ。
「……さて、ふたりを送り出したら、さっそく新しい案件についてのミーティングだ」
「今度はどんな事件ですか?」
 二年間の経験でだいぶ慣れた私と、これが初仕事になる成川さんと隈野さんが険しい顔で菖先輩の話を聞く。
「この案件は、今度入学する一年生からの相談だ。なんでも冬ヶ瀬学園が入学料を水増しして請求しているとのことだと」
「え……ちょっと待ってください! 冬ヶ瀬学園って……菖先輩のお父さんが学園長じゃ……」
 先輩はにやりと自信ありげに笑うと、私の頭をぽんとなでる。
「この件に関しては、私の父ではなく会計部が悪の温床になっている。学園長は単なる傀儡でしかないからな。その不正を暴くのが、私の役目だ。さ、学園を去るふたりに応援は送った。あいつらもあとは自分の力で生きていくだろう。私たちは私たちの哲学や正義を信じて生きていく。それが『ヒーロー』だろ?」
 私は菖先輩のその言葉に、つい笑ってしまった。
「先輩、『ヒーロー』は男の人ですよ。私たちだったら……ちょっと恥ずかしいですけど、『正義のヒロイン』ってとこですかね」
 私たちが笑っていると、私の背中に大きな胸がぽよんとぶつかった。
「先輩たち~! 何笑ってるんですかぁ~? 美鳥にも教えてくださ~い!」
「そうですよ。危ない橋を渡るなら、情報共有は基本中の基本。何を笑っていたんですか?」
 ぐいぐい食いついてくる後輩ふたりに、私は笑いながら説明する。こんなこと、説明する必要もないんだけど、ふたりが知りたいっていうのなら。
「私たちは『正義のヒーローじゃなくって、ヒロインだ』ってこと」
「はぁ?」
 成川さんは意味が分からないようで首を傾げる。私の答えにかぶせるように、菖先輩は付け加えた。
「そうそう。あと、成川と隈野はこれから『薫』、『美鳥』って呼ぶからな? 名字呼びは堅苦しい。それと月海も、ちゃんと今年一年の内に後輩を探しておけよ? あんたはいまだにぼっちなんだからな?」
「うっ、わかってますよ!」
 私たちの会話は終わりを知らない。でも、さすがに屋上にいるとそろそろ教師が来てしまいそうだ。
「ここじゃ目立ちますから、いつものところへ移動しましょうか?」
「そうだな……それじゃ、行くか。スノウドロップへ」
 私たち特攻服の私たちは、軽くメイクを落として、服を脱ぐ。その上からセーラー服を着ると、生徒みんなが憧れるお嬢様クラブ雪咲会に変身だ。
「えへへ~、きっと誰も気づきませんよねぇ~」
 のんきに話す美鳥に、「いや、気を抜かないほうがいい。私たちは影の存在なのだから」と真剣な表情の薫。今ならわかる。先輩たちが私をどう見ていたのか。きっとハラハラしたり、それでも私の個性だと認めてくれたり、いいところをどう伸ばしていこうかって考えていたんじゃないかな。
 ふと、菖先輩のほうを見ると、そんなふたりの様子を温かく見守っている。やっぱり私と同じ気持ちなのかな……?
「そうだ、スノウドロップで新商品を作ったとか千種が言ってたな。なんでもアフォガードとか」
「あそこのコーヒーはおいしいですもんね」
「スノウドロップって……確かコーヒー一杯七百円の?」
 驚いたのは薫。反対にのんきにほわほわしているのは美鳥だった。
「いつもいい香りがしますもんねぇ~、あそこの喫茶店は」
「夜はバーにもなるが、三人にはまだ早いな」
「菖先輩、自分が行ける年齢になったからって……」
「むくれるな、月海。それじゃあ行こう。作戦会議には、あそこのコーヒーがないとやる気が出ないからな」
 学生には、誰にも打ち明けられない悩みがある。家族にも、仲がいい友達にも話せないことだ。どんなにつらいことでも、苦しいことでも、話すことができないなら、誰も救ってくれはしないと落ち込む前に、大声をあげて助けを求めて欲しい。もし、それでも誰もいなかったなら……私たち『花鳥風月』のつぶやきアカウントにダイレクトメールを送って。きっと助けに行くって約束する。あなたと、私たちの約束――。
 
                                       【了】
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