1-1 背負われる者
文字数 2,763文字
人々の信仰が薄れた時、地の底の悪魔から悪霊が放たれた。地上に溢れた悪霊は人々の魂に侵食し歪ませていく。歪な魂となった者たちは、強大な力と引き換えに他者を想いやる心を失ってしまう。
いつしかその者達は業魔と呼ばれるようになった。
母親に背負われながら、ライアンは夜闇を進んでいた。母の背中からは不安と恐怖が伝わってくる。周りを歩く群衆も同じ気持ちだろう。後ろを振り返ると群衆の頭の隙間から、遠方にいる恐怖の元凶が見えた。夜闇よりも暗い毛並みを纏いながら、天にも届かんばかりの巨体を1歩ずつ進ませていた。おぞましい。ライアンは子供ながらにそう感じた。いったい何人の犠牲の上に、あの巨体は成り立っているのだろう。巨体は徐に両手持ち上げ、地面にたたきつける。遥か彼方から地面が崩壊する爆音が聞こえた。
ライアンは、これから来るであろう衝撃に備えて固く目をつむり、母の背中にしがみついた。
ライアンの後頭部に衝撃が襲う。
「痛っ!」
後ろを振り返ると、呆れた顔をした長髪の男がいた。しかしその長髪は整えられたものではなく、ただ切るのが面倒だからそのままにしてある。と言いたげだった。
おまけに顎には無精ひげが。その見た目から、その人物は物事に無頓着な印象を受けるだろう。
「ライアン、お前の仕事は寝ることなのか?」
「っ! す、すみません! フリード隊長!」
「はぁ……だから素直に休んでおけと言っただろ。昨日の朝から今日まで、行方不明者の探索で寝てないんだろ?」
「はい……」
「いや、怒ってるわけじゃないぞ! ……仕事のし過ぎには怒ってるけど……」
「?」
「あぁ…… なんというか……すまん、なんでもない」
フリードはカチャカチャと鎧を鳴らしながら腕を組み、教会の壁に寄りかかる。ライアンもそれに習うように、壁に寄りかかる。
教会の中央では、短く揃えられた白髪に、黒い祭服で身を包んだ大司教様の下に背中に大きく穴の空いた服を着た子供たちが集められている。そしてそれを心配そうに見つめる両親達は長椅子に座っていた。
大司教様は子供の背中を確認した後、子供の右手の甲を自身の左手で覆い、呪文を唱える。大司教様が手をどけるとそこには人権印と呼ばれる独特な紋様が刻まれていた。
「成人の儀式の監視なんて退屈だろ」
フリードが突然話しかけてくる。
「いえ、そんなことはありません。この儀式を通して初めて人として生きられる。ある意味第2の出生と言われるだけあって、感慨深く、いつ見ても飽きないです。それに我々異端審問官の大切な任務ですしね」
ライアンはそう言う。決してフリードに気を使ったとかではない。心からの感想だった。
業魔は10歳になると背中に模様が浮かび上がり、能力を十二分に発揮できるようになる。その性質を利用して、10歳になった子供たちは大都市の教会に集められ、人と業魔を選り分けるための儀式を行う。
「任務ねえ。"業魔だと判断された者は捕らえた後、処刑する" 生きたまま捕まえるって意外と骨の折れる仕事だよ。いざとなったら殺すという選択も視野に入れなきゃならないし… …子供を切り殺すのはなかなかキツいよ」
ライアンに視線を向けながらフリードは答えた。
ライアンは恐る恐る問いかける。
「こんなこと、質問するべきではないかもしれませんが……、 隊長は……殺したことがあるんですか?」
「子供の業魔?」
「はい」
「もちろんあるよ」
フリードは、あっけらかんと答える。
「まぁ成人の儀式の時じゃないけどね。成人の儀式に業魔が来ることはないから、殺されに来るようなもんだし」
フリードの言い分は正しかった。片田舎の教会のならともかく、大都市のど真ん中にある教会で行われる。しかもそこにいるのは精鋭の異端審問官達。業魔化されたとしても逃げ切れるはずがない。
しかし人権印がなければ仕事はおろか、捕らえられ、処刑されるだろう。だからこそ業魔はどうしても人権印が欲しいはず。それに…
「"人間基準で業魔の行動を測るな。業魔は自分の快楽を満たすためならどんなリスクあっても行動する。" それが最も厄介なところである。と騎士学校で習いましたよ」
「…もし儀式に参加することで、快楽が満たせるならどんなにリスクがあっても参加するかもって、言いたいわけだな」
フリードは少し考えるような動作をした後、
「まぁ、20年間この仕事してるけど1度もそんなことなかったから大丈夫!」
余りにも適当すぎる回答に、ライアンは思わずため息をこぼしそうになる。
「お前は真面目過ぎるんだよ。自分のことを犠牲にし過ぎ。あんまりやり過ぎるといつか身を滅ぼすからな。程々でいいんよ」
フリードの忠告に、ライアンは反論する。
「でも俺は、たとえこの身が滅んだとしても業魔を滅ぼし、多くの人が救えれば……悔いはないと思ってます」
自分の命一つで、多くの人を救うことができるのならば、喜んで投げ捨てる。
ライアンは本気でそう思っていた。
「そうじゃなくてだな……」
ライアンの、覚悟の炎が灯った瞳を見てフリードは、反論を飲み込んだ。
会話に間が生まれ、自分の意識は儀式の方に戻る。
儀式が終わり両親の元へ駆け寄る子供の足音や、大司教様のボソボソと唱える呪文が聞こえる。子供の数も減り、そろそろ儀式も終わろうかという時、教会の扉が勢いよく開け放たれ、1人の異端審問官が入ってきた。教会の中を見渡し目が合ったかと思うと、息を切らしながらこちらに駆け寄ってくる。
「た、隊長! こちらにいらしたんですね!」
「どうした?」
「変死体が街の外で見つかりました。それも3人」
「身元は?」
「3人とも女性で、そのうち2人の身元は不明です。ですが1人は最近この街で行方不明になった方です」
「……!」
「カレン隊が先に到着していて、調査を始めています」
「分かった。現場へ案内してくれ」
ライアンは、驚愕という感情に振り回され、一瞬身体が動かなかったがすぐにハッとし、フリードの背中を追う。
「俺も行きます!」
「お前は休んでおけ」
「いえ、元々行方不明者の捜索は俺の仕事でした。最後の最後までやりきりたいんです」
「あのなぁ……」
フリードが振り返りながら立ち止まる。色々と言いたいことがあっただろうが、ライアンと目を合わせ、少し唸ったあと、勝手にしろと言いながら教会を後にする。
「ただし! 無茶はするなよ。 ヤバくなったら任務より自分の命優先だ。分かったな!」
「はい!」
いつしかその者達は業魔と呼ばれるようになった。
母親に背負われながら、ライアンは夜闇を進んでいた。母の背中からは不安と恐怖が伝わってくる。周りを歩く群衆も同じ気持ちだろう。後ろを振り返ると群衆の頭の隙間から、遠方にいる恐怖の元凶が見えた。夜闇よりも暗い毛並みを纏いながら、天にも届かんばかりの巨体を1歩ずつ進ませていた。おぞましい。ライアンは子供ながらにそう感じた。いったい何人の犠牲の上に、あの巨体は成り立っているのだろう。巨体は徐に両手持ち上げ、地面にたたきつける。遥か彼方から地面が崩壊する爆音が聞こえた。
ライアンは、これから来るであろう衝撃に備えて固く目をつむり、母の背中にしがみついた。
ライアンの後頭部に衝撃が襲う。
「痛っ!」
後ろを振り返ると、呆れた顔をした長髪の男がいた。しかしその長髪は整えられたものではなく、ただ切るのが面倒だからそのままにしてある。と言いたげだった。
おまけに顎には無精ひげが。その見た目から、その人物は物事に無頓着な印象を受けるだろう。
「ライアン、お前の仕事は寝ることなのか?」
「っ! す、すみません! フリード隊長!」
「はぁ……だから素直に休んでおけと言っただろ。昨日の朝から今日まで、行方不明者の探索で寝てないんだろ?」
「はい……」
「いや、怒ってるわけじゃないぞ! ……仕事のし過ぎには怒ってるけど……」
「?」
「あぁ…… なんというか……すまん、なんでもない」
フリードはカチャカチャと鎧を鳴らしながら腕を組み、教会の壁に寄りかかる。ライアンもそれに習うように、壁に寄りかかる。
教会の中央では、短く揃えられた白髪に、黒い祭服で身を包んだ大司教様の下に背中に大きく穴の空いた服を着た子供たちが集められている。そしてそれを心配そうに見つめる両親達は長椅子に座っていた。
大司教様は子供の背中を確認した後、子供の右手の甲を自身の左手で覆い、呪文を唱える。大司教様が手をどけるとそこには人権印と呼ばれる独特な紋様が刻まれていた。
「成人の儀式の監視なんて退屈だろ」
フリードが突然話しかけてくる。
「いえ、そんなことはありません。この儀式を通して初めて人として生きられる。ある意味第2の出生と言われるだけあって、感慨深く、いつ見ても飽きないです。それに我々異端審問官の大切な任務ですしね」
ライアンはそう言う。決してフリードに気を使ったとかではない。心からの感想だった。
業魔は10歳になると背中に模様が浮かび上がり、能力を十二分に発揮できるようになる。その性質を利用して、10歳になった子供たちは大都市の教会に集められ、人と業魔を選り分けるための儀式を行う。
「任務ねえ。"業魔だと判断された者は捕らえた後、処刑する" 生きたまま捕まえるって意外と骨の折れる仕事だよ。いざとなったら殺すという選択も視野に入れなきゃならないし… …子供を切り殺すのはなかなかキツいよ」
ライアンに視線を向けながらフリードは答えた。
ライアンは恐る恐る問いかける。
「こんなこと、質問するべきではないかもしれませんが……、 隊長は……殺したことがあるんですか?」
「子供の業魔?」
「はい」
「もちろんあるよ」
フリードは、あっけらかんと答える。
「まぁ成人の儀式の時じゃないけどね。成人の儀式に業魔が来ることはないから、殺されに来るようなもんだし」
フリードの言い分は正しかった。片田舎の教会のならともかく、大都市のど真ん中にある教会で行われる。しかもそこにいるのは精鋭の異端審問官達。業魔化されたとしても逃げ切れるはずがない。
しかし人権印がなければ仕事はおろか、捕らえられ、処刑されるだろう。だからこそ業魔はどうしても人権印が欲しいはず。それに…
「"人間基準で業魔の行動を測るな。業魔は自分の快楽を満たすためならどんなリスクあっても行動する。" それが最も厄介なところである。と騎士学校で習いましたよ」
「…もし儀式に参加することで、快楽が満たせるならどんなにリスクがあっても参加するかもって、言いたいわけだな」
フリードは少し考えるような動作をした後、
「まぁ、20年間この仕事してるけど1度もそんなことなかったから大丈夫!」
余りにも適当すぎる回答に、ライアンは思わずため息をこぼしそうになる。
「お前は真面目過ぎるんだよ。自分のことを犠牲にし過ぎ。あんまりやり過ぎるといつか身を滅ぼすからな。程々でいいんよ」
フリードの忠告に、ライアンは反論する。
「でも俺は、たとえこの身が滅んだとしても業魔を滅ぼし、多くの人が救えれば……悔いはないと思ってます」
自分の命一つで、多くの人を救うことができるのならば、喜んで投げ捨てる。
ライアンは本気でそう思っていた。
「そうじゃなくてだな……」
ライアンの、覚悟の炎が灯った瞳を見てフリードは、反論を飲み込んだ。
会話に間が生まれ、自分の意識は儀式の方に戻る。
儀式が終わり両親の元へ駆け寄る子供の足音や、大司教様のボソボソと唱える呪文が聞こえる。子供の数も減り、そろそろ儀式も終わろうかという時、教会の扉が勢いよく開け放たれ、1人の異端審問官が入ってきた。教会の中を見渡し目が合ったかと思うと、息を切らしながらこちらに駆け寄ってくる。
「た、隊長! こちらにいらしたんですね!」
「どうした?」
「変死体が街の外で見つかりました。それも3人」
「身元は?」
「3人とも女性で、そのうち2人の身元は不明です。ですが1人は最近この街で行方不明になった方です」
「……!」
「カレン隊が先に到着していて、調査を始めています」
「分かった。現場へ案内してくれ」
ライアンは、驚愕という感情に振り回され、一瞬身体が動かなかったがすぐにハッとし、フリードの背中を追う。
「俺も行きます!」
「お前は休んでおけ」
「いえ、元々行方不明者の捜索は俺の仕事でした。最後の最後までやりきりたいんです」
「あのなぁ……」
フリードが振り返りながら立ち止まる。色々と言いたいことがあっただろうが、ライアンと目を合わせ、少し唸ったあと、勝手にしろと言いながら教会を後にする。
「ただし! 無茶はするなよ。 ヤバくなったら任務より自分の命優先だ。分かったな!」
「はい!」