第1話

文字数 2,124文字

 厚い雨雲の中を機体はゆっくり降下すると、窓から南北に長く連なる雪山山脈が飛び込んでくる。眼下に高速道路、新幹線、整備された畑、さらに沿岸部には風力発電用の巨大なブレードがゆっくり回り、訪れる度にどんどん発展していく台湾が実感できる。

 2019年師走、旧友たちが台中に25年ぶりに集まるとの知らせを受け、何はさておき那覇から飛行機とバスを乗り継いで四人が知り合った場所でもある台湾中部の都市へ向かう。
 現在四人は、桃園、台中、バンコクそして沖縄とそれぞれ離れて暮らし一堂に会する機会はこれまでなかった。四人の中で一番遠いバンコク在住の友人が台湾まで来ることになり、話はとんとん拍子に進んだ。
 旧友たちとは同時期を台中で過ごし、路上の屋台へ夜な夜な繰り出しては社会情勢や互いの将来について喧々諤々と不毛な議論を重ね、酒の勢いに任せ気勢を上げていた連中だ。
 生き方はそれぞれ違うが管理された日本の社会に馴染めず、自分を誤魔化し生きてく人生に嫌気がさし日本を飛び出し台湾にたどり着いたのは同じだ。
 久しぶりの再会だけを目的とし、一晩だけ酒を酌み交わす。また自分の居場所へ戻るだけの旅程だがそれもまたいい。旅の支度をする段階からお互いの25年の空白を埋めるため、何から話そう何を聞こうかと期待値はほどよく膨らむ。

 我々が出会った1994年当時の台湾は、まだ国民党の全盛時代。政権交代、野党の存在などあり得ないと考えられたほど無類の勢力を誇っていた。人々が総統を選べる直接選挙の導入後、民進党の台頭、親中の国民党政権、そして初の女性総統と僅か20数年の間に目まぐるしく変わり、一気に民主国家へと様変わりするとは予想すらできなかった。絶対的存在だった国民党は政権を追われ、民進党が政権に就くと民主化が飛躍的に向上、閉塞感漂う息苦しい暗い空気は一変され人々に自信と明るさが戻ってきた。
 再度政権を奪取した国民党政権は、主義主張を180度転換。親中へと大きく舵をきり、中国との経済関係を強化。さらに大陸本土からの多くの観光客を誘致することで、停滞していた台湾経済をただちに活性化させた。アメリカが空母を派遣しまさに一触即発であった台湾海峡危機、敵国として中国に対峙する国民党時代の台湾を経験した人間として、これほどまでの豹変ぶりにはただひたすら驚くしかない。
 主張の異なる政党を時代の変化に応じて選択、これまで着実に経済発展を成し遂げてきており、選挙の度に人々は常に正しい選択をしたことを物語っている。若者も政治へ積極的に関与、台湾の人々の政策に対する意識の高さと、政治的バランス感覚には常々感服する。そして今まさに、二週間後に迫る総統選挙の真っ最中、街の至る所に候補者の巨大な看板が目につくほど、白熱した選挙戦は続いていた。

 夜市で有名な逢甲大近くの趣きある海鮮啤酒屋に落ち着くと、懐かしい屋台料理の品々が並びまずは台湾啤酒(ビール)で祝杯を上げた。出国前の期待とは裏腹に会話は進まなかった。誰も率先して自分の現況を語ろうとせず、話題になるような共通点とて少なくおのずと会話も途切れ途切れになった。
 持病が悪化した、将来への不安、帰国も考えている、口には出さなくても一人一人の疲れ切った表情を見れば容易に推測できた。三人とも日々の生活に追われ、長い外国暮らしにも限界がきていることを伺わせた。
 台湾以降アメリカに移住、小さな雑貨店を営むなど順調に思えたビジネスもサブプライムローン崩壊に伴う大不況により閉鎖を余儀なくされ、幼い子供三人を連れ日本へ帰国してから十年になる私も年齢を理由に数年は定職さえも就けなかった。外国語以外にスキルはなく、否定した日本の社会から逆に自分が否定されていたことをつくづく思い知った。いまだ海外に住む三人は、たとえ帰国しても日本に自分の居場所がないことを十分理解している。
 集まれるのはこれが最後かもしれない、誰かがつぶやくと誰も否定せず、なお一層の沈黙が流れた。
 25年の長い歳月、台湾の人々が必死になって生きようとした結果、民主化、経済発展、人々の自信と明るさを手に入れたのに対し、我々だけが淡々と歳を重ね、ぽつりと取り残されたような感覚に陥った。三十代前半の怖いもん知らず、なんにでも喰らいつく勢いあった面影はもはやどこにもない。

 すぐ横のテーブルでは、草野球大会の打ち上げらしく優勝トロフィーを円卓の中心に据え、ユニフォームを着たままの二十人程の酔客が大いに盛り上がっていた。勝利の酒である高級洋酒を片手に何かを讃えては乾杯を繰り返す。接戦を勝ち抜きこの酒のために頑張ってきたんだと、誰もが表情は明るくなみなみ注がれる酒を次々と飲み干した。
 チームの監督らしき年長の人物が会話が途切れているのを気にしてか、しきりに我々のテーブルにやって来ては、たどたどしい日本語で話しかけ自分たちの海鮮料理とウィスキーを振舞おうとする。断る理由もなく高級ウィスキーを頂くと、時代の荒波に飲み込まれ、変化に取り残された25年の歳月を考えてしまった。

 中々飲む機会がなくとても有難いはずのウィスキーなのに、ただ苦々しさだけがいつまでも舌に残った。
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