【第14話】花園のキミ。

文字数 4,072文字


【2015年、春。柊なゆた】 
 意識を奪われてしまった。風景から切り離された空を這う淡雪、みたいな。儚さを感じさせる魅力が彼女にはあった。 

……綺麗に育ちなさい、ね。

 その人は花壇で育つ花弁を見つめている。その黒髪の女性が微笑む姿に私は眼が奪われてしまった。
 入学式の翌日の事。あの特異な戦争を終えた犬っ子『モカ』ちゃんと幼馴染の『いっくん』はクラスの中心的存在になっていた。 
よって、だ。ここの空欄は『Mom』で構わないのではないかな。口語で呼んでいるのだから、『mother』は適切とは思えん。
 2時限目が始まって5分弱、いっくんが先生の解答に彼なりの反論を返した。教科書どおりに答えを書き連ねていた先生が眼を泳がせる。相変わらずな極々普通、日常のひとコマだ。 
いっかはおかしいでしゅ。ボクだったら絶対『Mamma』を使うでしゅよ?
 そんな彼に反論出来るのは今際の酸素を求める教師ではなく、細い腕を強く掲げる彼女、犬耳少女のモカちゃんだけだった。
 教室はいっくん派とモカちゃん派に別れ、それぞれエールを送り合っている。 
小娘、それはお前だけだ。『Mamma』は方言の意味合いが強い。ここではおかしい。
なに言ってるでしゅか! いっかの方がおかしいでしゅよっ!!
……なんだと? もう一度言ってみろ、小娘。
 2人の掛け合いにクラスのみんなが声援を送る。いっくんとモカちゃんのにらみ合いに手を叩きはやし立てている。 
 一方で、
やっちまえ、壱貫!
 もう一方で、 
モカちゃん、あんな男に負けるなぁ!!
 それはもう喧々囂々、2人の火花を煽りに煽っていた。
 2人はクラスの中心に立って皆をリードした。それは勉学のみならず他分野、例えば、今日初めて行われた体育の授業でもだ。 
ここは抜かせないでしゅよ。……いっか!
 バスケの試合中、モカちゃんがいっくんを前に低く腰を構える。その姿は獲物を淡々と狙う肉食獣! というよりは幼い子犬のようだ。 
……。
 いっくんがコートを歩む。その足が突如ギアを上げた。敵陣へ素早く切り込む。緩急をつけたその動きに、1人、また1人と抜かされていく。
 モカちゃんはいっくんの張り出した肩に身体をすり寄せる。――いっくんが奏でるボールの音ばかりが響いた。
小娘。お前の欠点は……、
 いっくんがゴール2メートル程前から空へ舞う。赤のビブスを羽織る集団を率いた彼が高い打点でボールを投じた。 
ガタイが無いことだな!
 モカちゃんはゴールを前に体をよじり、膝をバネに宙へ舞う。 
その程度でしゅか?
 逸らした背が弧を描く。その体が、高い空を泳ぐ獲物を捕らえた。ありえない高さ、驚くべき跳躍力だった。
 しかしそれだけでは終わらない。モカちゃんの着地を待たずしてボールの権利がいっくんに移った。ボールを抱いて降りてくるモカちゃん、その着地を待たずにボールを引っこ抜いたのだ。白線の外から歓声が巻き起こる。 
……この程度か?
 再びいっくんが宙を舞う。後方に引きながらボールを投じる。球は先ほどより――高い空へと放たれた。 
 モカちゃんはゴール下へ駆け戻る。空を飛ぶような跳躍だった。
……この程度、
 館内に革を打ち付ける音が響く。ボールがゴールへ入る前に叩き落としたのだ。その高さたるやモカちゃんの身長の2倍を優に超える。並では届かない位置のボールを、その小さな手のひらが叩き落したんだ。

 モカちゃんが勝利を自身の手で、 
でしゅ!
 もぎ取ってみせたのだ。 
 跳ねてコートから出ていくボールを誰もが追えない。――そこに笛の音が響いた。 

 辺りに歓声が沸き起こる。皆の更なる叫び! モカちゃんをチームメイトが高々と抱き上げる。
 その脇で赤いビブスの少年たちが荒く息を吐く。いっくんは髪を掻き揚げ汗を拭っていた。そんないっくんを女の子達が励ましている。

 ――モカちゃん、――いっくん、2人は華を持っていた。 



 それは、私が決して持ちえないモノだった。モカちゃんを祝いたいのに目蓋が落ちる。言いようも無い寂しさが私の心を満たしていた。 

 放課後、私は校舎の中庭を独り歩いていた。1人で居たい気分だった。

 ……そこで出会ったんだ、私の『淡雪』に。
 目の前には穏やかな色を付ける花々が在った。瑞々しい匂いがあった。自分を包む、優しい静寂が溢れていた。

 思わず息を呑む。むず痒い感覚が身体を駆けた。
……。
 風に揺れる長い黒髪。清らかさをかもし出す白磁のような頬肌。胸から腰にかけての豊かな起伏。腰からつま先まで伸びる繊細な脚線。頭から伸び行く漆黒の光沢は、ふわりと、僅かに風をはらんでいた。
 その女性が私へ振り向く。穏やかに私を見ていた。 

どうしたの? そんなに花壇が珍しいかしら?

え、と。花壇が珍しいわけじゃなくて、その……、
 女性はたおやかに微笑んだ。耳に掛かった髪がさらりと流れる。その姿に私の胸は言いようも無く粟立った。 
新入生の方ね。もし……、自然とここに導かれた。そう言うことなら、私と貴女は同類なのかもしれないわね。
 彼女は花壇を前に腕を広げる。 
私も静かなところへ行きたかったの。
 昨日のアレにみんな騒いでいるからかな? ……ちょっと落ち着きたくて。
『アレ』が示すのはモカちゃん、そしていっくんが起こした大激闘の事だろう。おそらく間違いない。身内の話題に思わず頭を抱えた。
 振り上げた視線の先で彼女の眼差しとかち合う。 
……。
 思わず頬が熱くなる。
 誰に何を言われても気にならなかったのに、訳もなく恥ずかしい!
 彼女は微笑みながらその視線を頭上へ伸ばす。低いなだらかな口調で言葉を紡いだ
なんかね。ここの学校には園芸部が無いらしいのよ。それでかな、私がなんとなく此処の世話をするようになったの。
 その声は美しい旋律だった。
 首を倒し、舌をはみ出す姿は清楚な趣とは幾分マッチしていなくて、そのギャップに私の喉が音を立てた。
 彼女の一挙一動に私の心が疼いた。こんなこと今までに無かった。 
どう? お暇なら一緒に花壇のお手入れなんて。手が汚れても、腰が疲れてもいいなら、だけどね。
 いつの間にか体の震えは治まっていた。彼女の笑みに心が軽くなった。落ち着かなかった心が氷解していくようだった。
 彼女の脇で腰を屈める。少しだけ触れた制服が訳も無く恥ずかしい。爽やかで暖かい匂いを風と共に感じていた。 
私、なゆた! 柊なゆたって言います! 先輩のお名前、私に教えて戴けませんか?
 シワになるのも構わずに制服の袖をまくる。肌を撫でるような風が心地良い。 
 ――そんなひと時に騒がしい声が割り込んできた。
 野球、サッカー、バスケット、テニス、剣道、エトセトラ。様々なユニフォームの群れに追われているモカちゃんの姿だった。制服の裾を乱しながら走ってくる。 
なぅ~~! この人達しつこいでしゅよ~~。ボクはなぅと一緒がいいって言っているでしゅのに~~!
 更に後方。乱れ無き制服を颯爽と着こなすいっくんが居る。 
勝負じゃぁぁぁぁ!
 向かってくる柔道着の男性、その首元を難なく掴み投げ飛ばす。いっくんを軸に男性の体が半円を描く。
 休む間も無く背後から剣道武者が迫る。その武者から投げつけられた竹刀をいっくんがおもむろに掴む。 
桜壱貫。入部を賭けていざ尋常に!
 いっくんは竹刀を構え一瞬で足を踏み込む。間合いを詰めブレの無い突きを繰り出す。
 竹刀を喉元に受けた若武者は、遥か後方へ吹き飛んだ。……その四肢が痙攣、動かなくなった。 
この程度では俺が所属するまでも無い。部の顧問、最低でも真っ当な有段者を連れてくるがいい。
 いっくんは失神した青年の面脇に竹刀を添える。 
……主将は六段だった、よなぁ。
 介抱を始めた男子生徒が武者のネームを眺めつつ、ぽつり、呟いていた。



 ――いつの間にか心は晴れていた。普通じゃなくても、自分とはつり合わなくても、 
うん、流石なゆたのいっくんだねっ!
 大事な仲間だもの。モカちゃんといっくんは掛け替えの無い友達だもの。

 校庭へ『あの』声が響いた。 
――モカさ~~ん。真紅の狩人さ~~ん。いらっしゃいましたら~~、
 そして今日も馬鹿みたいな演劇が始まるのだ。一瞬の時を経て訪れる灰色の空間と、そこに飛び交う数多くの声援。賑やかで私の大事な非日常が巻き起こる。子供達が綴る子供達だけの物語が、今日も幕を開けるのだ。



 ――背後へ風を感じた。 
……私はお邪魔みたいね。
 先ほどの女性が灰色の空間でその華奢な腰を上げていた。立ち尽くす私へ背を向ける。その横顔に、どうしてだろう。私は寂しさのようなものを感じた。
 そして、去っていく後姿に怖くなった。ここで別れたら彼女が消えてしまうんじゃないか? もう逢えないんじゃないか? 彼女は自分の弱さが見せた一時の幻想だったんじゃないか? って。
 一時のみの憧れかもしれない。それでも何も知らずに別れてしまうのは堪らなく寂しかった。 
せ、先輩! 私また先輩とお話してもらってもいいですか! それにまだ先輩のお名前教えてもらってないよ!
 静寂が訪れたような錯覚を覚えた。振り返る彼女の笑みが瞳に強く残った。 
……3年B組、玖条雪(くじょう ゆき)よ。また会えるといいわね、柊さん。
 私が出会った『淡雪』は溶けることなく風の先を歩いていった。
 背後にはサトウさんの懺悔と幾多の爆発が在る。一時在った灰色の世界はみんなの歓声の中へと消えていった。 
 現実へと戻っていく世界、そこに降り注ぐ日の光に私は目を細める。雲間から射す春の陽射しはほんのりとした暑さを持っていた。 
……。
 ――私の頬が熱かったのはこの陽射しのせいだろうか?
 高鳴る胸を制服の上からそっと抑える。土で汚れた腕を風が撫でた。それが今の私には何よりも心地よかった。 
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登場人物紹介

『柊なゆた』


158センチ、46キロ。

16歳。女性。


犬耳少女「モカ」を拾った女の子。

趣味は読書。今は「独りの戦士」という作品に夢中。

夢は絵本作家になる事である。


『モカ』


140センチ、37キロ。

16歳。女性。


犬耳カチューシャを付けた女の子。

三種の神器の一つ「紅狗フリーシー」を持つ。

「桜壱貫」とは犬猿の仲。

『桜壱貫』


192センチ、85キロ。

16歳。男性。


文武両道を行く硬派な男の子。

三種の神器の一つ「黒熊ブロウ」を持って戦う。

「なゆた」の幼馴染で、なゆたを心から愛している。


『サトウタカシ』


170センチ、55キロ。

?歳。男性?


DDD団執行部長。謎の人物。



『ブラック・ダド』


190センチ、88キロ。

52歳。男性。


世界を支配した組織「ホーム・ホルダー」のリーダー。


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