日常

文字数 1,617文字

敏彦に揺すられて目が覚めた。外はもうかなり明るくなっていた。

「良かった。死んだかと思った。俺も結構長い間気絶してたんだ。ところでこれ……何があったの」

敏彦の指さす方を見ると、直樹と黒川と思わしき死体が転がっていた。食いちぎられたような汚い切断面が日光に照らされ、口を押えて吐くのを我慢した。

「あれ、敏彦がやったんじゃないよね」

「何言ってんだよ、こんなこと俺にできるわけないでしょ。えっちゃんが無事でよかったけど……これ、どう警察に言えばいいんだろう」

敏彦は困り果てたように呟いた。遠くからサイレンの音が聞こえる。

「えっちゃん氏ー!東大氏ー!」

底抜けに明るいるみの声が聞こえる。

「助けを呼びましたぞ!いやはや大変でしたな。ワシ、もう妖怪ハンターの道はきっぱり諦めて見る専に戻るでござる」

「猿の手さんは何してたのさ、車も回さないで」

敏彦が責めるようにるみを睨むと、るみはこともなげに言い放った。

「車を光村氏のご両親が叩き壊していたのでござるよ。ワシも見つかってしまい、追いかけまわされたのでござる。命からがら逃げまわり、やっとのことで街の警察署に辿りついたのですが……いやはや大冒険、恐怖の一夜でござった」

「ごめん、責めたりして、ありがとう」

敏彦の謝罪を受けて、るみが快活に笑う。

「良き良き、すべては過ぎたこと。えっちゃん氏も無事のようですし。いやあ、早くひとっ風呂浴びたいところでござる。勿論あの家の浴場は勘弁ですがな」

そう言いながらもるみは、死体をちゃっかりカメラに収めていた。またあの不気味なオカルトサイトに載せるつもりなのだろう。

東京に帰ってからも、警察にも、そしてるみにも、あの洞窟であったことを嫌になるくらい何度も聞かれたが、私には直樹に再び捕まったあとの記憶が何もなかった。あまりの恐怖で一時的な記憶喪失に陥ってしまったのかもしれない。何故直樹があんなふうに死んでいたのかも、黒川があそこにいたのかも、何もかも覚えていなかった。幸いなことに、私や敏彦が血まみれだったことと、光村家から大量の儀式に関する資料が出てきたこと、極めつけは洞窟から大量の人骨が発見されたことで、私と敏彦が直樹たちを一方的に虐殺したという嫌疑をかけられることはなかった。
田舎の、家族ぐるみの不気味な儀式や、直樹と黒川の死体の凄惨さから、この事件はワイドショーやネットで大きく取り上げられ、直樹の顔が何度もモニターに映った。
『まさかそんなことをするとは思いませんでした』このセリフが見知った人のことで聞ける日が来るとは思わなかった。大学には連日報道陣が押しかけ、何故か学部長が謝罪することになった。
私はというと、顔の大きな痣も消え、すっかり普段通りの日常生活を送れている。一時期私の実名や住所を特定しようとする連中もいたが、敏彦が何かしたのかもしれない、特にプライベートが侵食されることもなかった。
事件からひと月も経つと、徐々に報道の熱も収まり、三か月後にはほとんど誰も話題に出さなくなった。

春が過ぎて、夏が来て、夏が過ぎたころに、敏彦はいきなり痩せて大学にもしっかり通うようになった。敏彦の母親は大層喜んで、また外に出て私の母や、近所のおばさんたちとコミュニケーションをとるようになった。
そして嬉しいことはもうひとつあって、私の盗聴や盗撮をやめると宣言してきた。私が変わってしまったので、興味がなくなったということだ。

私が変わった、というのは両親にも指摘されたが、特に何が変わったのか自分では分からない。相変わらず貧相な体で、薄い顔だった。
でも、変わったというのなら。
もう異常者に付きまとわれることもないのかもしれない。とても明るい気持ちになって、私は両腕をぐるぐると振り回した。

見慣れた窓からの景色もなんだかいつもと違って見えて、私は自然と微笑んでいた。

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