第16話 武器商蔵人(クロード)

文字数 3,406文字

 華人街は旧市街地の北側にある。かつてこの地を支配した正十字教国は異教と外国人を徹底的に排斥したが、奥尔罕の高祖・軍徒(ムラト)はそれとは全く逆の方針をとった。

 異教徒と外国人を手厚く保護したのは、彼が心のよりどころとした萬和(マナ)教に従ったから――というばかりではない。異国の商人たちとの交易がもたらす莫大な富と、彼らから徴収する税金が目当てでもあった。

 帝の庇護のもと華羅人街は発展し、その中心となったのが喇嘛教寺院の《大日光明金剛来礼(らいらい尊)だ。誰もが略して《大尊(ダイソン)》と呼ぶこの寺の参道は表と東と西。三つある門前町のそれぞれが、特色のある賑わいを見せていた。

 特に表参道は通りの左右に参拝客目当ての店が雑多にひしめき合っている。
 華羅絹を扱う店からいかがわしい盗品を売る店まで幅広く、意匠を凝らした店構えが軒をつらねていた。そり曲がった破風には魔除けの龍や(つがい)の虎が鎮座し、行き交うものたちを見下ろしている。木看板には華名文字がうねる筆遣いで記され、茶房からは黒茶を蒸す匂いがただよい、酒家のひさしに火の消えた紅提灯が列をなしていた。

 どこかから漂ってくる花椒(ホウジャオ)と獣脂の焼ける香ばしい匂い。黒茶を蒸す釜からあがる湯気。物売りや客たちの喧噪、芝居の呼び込みと油餅(ロクム)を買い求める子どもたちの笑い声。それらに藍那は故郷を思い出し、郷愁をそそられる。
 故郷()州は百年ほど前まで華羅の辺境であり、その名残は街のそこかしこにあった。広大な華人街に喇摩(ラマ)教寺院。風に流れて漂ってくる線香の匂いに、色鮮やかな袈裟をまとった托鉢の僧侶たち。

 藍那が住んでいた家も華風の建物で、むかし高位の役人が住んでいた屋敷であったらしい。日常の飲む茶も薄荷茶ではなく黒茶で、食事をするときは手や匙ではなく箸を使った。
 ここに来るたび故郷を思い出し、懐かしい気持ちになる。そのせいでついついあちこちを散策しては長居をしてしまうのだ。

「見てみて、紫園さん。あそこに見えているのが《大尊(ダイソン)》の大門ですよ。すごく大きいでしょ」

 一緒に連れてきた由真が目を輝かせながら紫園に説明する。説明された方の紫園もにこにこ笑って頷いていた。
 由真は華人街に来るのは初めてではないが、異国情緒の珍しさに何度来ても飽きないらしい。紫園の方はまるでお上りさんで、はぐれないよう由真に手を引かれながら嬉しそうに藍那の後をついてくる。その姿が主人を慕う犬みたいで、なんとなくいじらしかった。

 華羅人街へ来たときはいつも《大尊》に詣でて母のために線香を上げる。
 母も藍那も信徒ではないが、昔親子で世話になった人が喇摩教の僧正であった。母子で宮栄(クヴァ)にある寺の方丈に住んでいたときは、まだ暗いうちに僧たちが上げる読経で目が覚める日々を過ごした。
 彼は今、はるか西の聖地、荒羅塔(アララト)の結界寺院にこもっている。

 紫園は初めて見る喇嘛教寺院に珍しく興奮していた。特に正門の左右にたつ牛頭(ごず)馬頭(めず)の神像に目を奪われたらしい。ここで写生したいと身振りで示すので、正門に紫園を残し由真と二人で大日光明金剛(らい)が鎮座する大来(ダライ)堂へ足を向ける。

 見上げるほどの巨大な()像は二面十六()
 両性具有の大来(ダライ)は男女の顔にふくよかな乳房を蓄えている。姿勢は結跏趺坐(けっかふざ)。四対の手は印相を結び、それ以外は五鈷杵(ごこしょ)、蓮華、如意宝珠に剣槍といった持物を有している。像の前には風呂桶ほどの香炉が置かれ、参拝者たちがあげた線香の束がもうもうと煙を上げていた。

 藍那と由真も買い求めた線香に火をつけ、香炉にあげてから手を合わせる。
 母の魂の安息を祈ってから目を開けると、隣の由真はまだ熱心に願い事をしていた。ようやく目を開け、少し照れくさそうに笑う。

「ずいぶん熱心にお祈りしていたね。なにをお願いしたの?」
「えへへ、内緒です」

 そんな会話をしながら大門へ戻る。写生の終わった紫園と合流して、そのまま西門から出て西大参道をすすんだ。
 なんでもありの表参道、酒家や茶館が軒を連ねる東大参道とうってかわり、西大参道は香道具や墨、数珠を扱う店が多く落ち着いた雰囲気である。他には茶道具、鍋や釜といった鋳物の店、紙問屋が並び、(おと)なう客も年齢層が高い。

 目当ての店はその西大参道の端にある。武器屋という門前町には一風変った店であるが、質のいいものを揃えており、遠方からわざわざ訪れる客も多い。武器商を営むかたわら研ぎもやり、藍那も幾度となく世話になった。

 西大参道も端までくると参拝客は姿を消し、人通りもぐっと少なくなる。突き当たりは小さな広場になっており、泉の傍には大きな笠松が葉を広げ濃い陰をつくっていた。
 木陰では涼を求めやってきた暇な老人たちが、座卓を囲んで馬弔(マーチャオ)に興じている。ジャラジャラと牌の打ち合う音が藍那の耳にまで届いてきた。

「ここだよ、紫園。私がいつも世話になっている蔵人(クロード)さんの武器屋」

 典型的な華風の店先に吊された木看板には《狼々(ロウロウ)軒》の文字が、裏には交差した短剣に一匹の狼の図が描かれている。木の扉を開け狭い入り口をくぐると、縦長の店内は武具で溢れかえっていた。
 壁に飾られた刀剣、盾、斧、鉾に長槍に短槍。さらには木弓に石弩、双節棍に三節棍、珍しいところでは旋棍(トンファー)まで。
 扉にかけられた鈴が鳴ると同時に、奥の勘定台にいた店主の蔵人が顔を上げた。

「藍那、これはこれはお久しゅう」

 日に焼けた顔をゆるませて挨拶する。
 笑うと左目の下から頬にかかった刀傷が引きつれて目立ち、これが荒くれ相手の商いに一役買っているとは本人の言だ。だがその傷跡がけっしてこけおどしではないのは明らかで、穏やかなようで隙のない目つきや身のこなしから、彼自身もかなりの遣い手であることは間違いない。
 手にしていた水煙管の吸い口を煙草盆へと置き、藍那から背後に控えた紫園と由真へ素早く視線をはしらせた。

「最近顔を見せないと思ったら、聞けばお弟子さんをとったとか。お忙しいようでなによりですな。しかし花蓮(カレン)はいささか寂しがっておりますよ。なんでも貸したい本がたくさんあるそうで」
「ご無沙汰してました。最近は研ぎに出すような荒っぽいこともありませんで、いたって平和です。花蓮さまからお借りした本は、今じゃこの弟子のお気に入りでしてね。今日はそれをお返しに来ました。ふた月も借りっぱなしになって申し訳ありません」
「ほう、ではそちらのお弟子さんは字が読めるので」
「ええ語学は私より堪能です。紫園、こちらが蔵人さん。いつも研ぎでお世話になっている。これからなにかと顔を合わせることもあるでしょう。蔵人、こちらは弟子の紫園です。どうぞお見知りおきを」

 蔵人に見つめられ、紫園は恥ずかしそうに身を縮めて頭を下げた。

「それと彼は言葉が話せないのです。失礼があるかもしれませんが、どうかご容赦を」
「いえ、そのことについてはもう耳にしておりましてね。ですが困りましたな。実は花蓮は今出かけて家におらんのですよ」
「お留守?」
「ええ、いつもの野駆けですよ。朝急に思い立って、熏琉(フズル)と出ていってしまいました。今頃はどこへ行っているのやら」

 熏琉とは花蓮の愛馬である。

「そうでしたか。それは残念です。由真、花蓮さまはお留守なんだって」

 振り向くと由真が落胆した顔で肩を落としていた。
 蔵人もその妻花蓮も華羅出身である。この夫婦には子どもがおらず、そのせいか花蓮は由真を可愛がり、訪れるたびに菓子でもてなして華羅の昔話をしてくれる。だから由真にとっても、花蓮を訪ねることはとても楽しみなのだった。
 今日は少しおめかしして、こないだの休みに藍那が買ってあげた一張羅を着てきたのだが。

 藍那にとっても困ったことになった。蔵人と例の件について話しているあいだ、花蓮に由真と紫園を見てもらうつもりだったのが、あてが外れてしまった。
 仕方なく抱えていた本の包みをほどく。

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登場人物紹介

紫園ㅤ

記憶を失くした青年。奥尔罕オルハンの帝都阿耶アヤから東にある港街、泉李イズミルの大火で生き残っていたところを助けられ、金亀楼コンキろうに下男として引き取られる。読み書きができ、剣も使える謎多き人物。赤みがかった栗色の髪に、珍しい紫色の瞳の持ち主。

璃凛リリン藍那アイナ
母から伝えられた双極剣の遣い手であり、女ながら用心棒で生計を立てている。現在は帝都随一の色街、紅籠ヴェロ街の娼館、金亀楼で働くが、訳あって母の名前である藍那アイナを名乗っている。十八歳。

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