第15話

文字数 2,470文字

いつになく弱々しく、消え入りそうな、震える声だった。

たかひろの電話で呼び出され、カフェへと向かう道中で、堀木は彼に別れを告げられるのではないかと不安でいっぱいだった。

この15年間で、これほどまでに弱ったたかひろの声を聞くのは初めてだった。

俺が気付いてやれなかっただけで、あいつはずっと悩んでいたのかな・・・。

どうしてあいつの幸せを願ってやれなかったんだろう、ずっと子供を欲しがっていたのに。

あいつを縛り続けていたのは俺の方だったのかもしれない。



ーでも、絶対に離れたくない。

愛する人とずっと一緒にいたい、愛する人を感じていたい、という気持ちが強欲だとは思わない。

俺はお前の全てを愛している。

お前に俺の気持ちが届いているだろうか・・・ 。



「ねえ、堀木さん、この人が好きだっていうのは本当ですか?」

堀木がカフェにたどり着くや否や、たかひろは淋しそうに、すがりつくような表情を浮かべて彼に尋ねた。

嘘であってほしい、嘘であってくれ、と訴えかけてくるように感じられた。

堀木はその場に大野も同席していることに困惑しながらも、少しずつ語り始めた。

「うん・・・。ごめん、たかひろ・・・。
確かに俺、大野くんのこと好きだよ。
俺の知らないこと何でも知ってるし、優しいし、一緒にいて楽しいから・・・。
でも、たかひろと離れたくない。
俺にとってたかひろはかけがえのない存在だから、ずっと一緒にいたかった。
たかひろが海外に行ってしまったから、淋しかったんだと思う・・・」

堀木の言葉を聞き、たかひろの表情がほんの少しだけ和らいだ。

一方、自信たっぷりだった大野の顔からはみるみるうちに笑みが消えていき、明らかに狼狽し始めた。

「えっと・・・堀木さん?たかひろさんがいるからって、気を遣わなくてもいいんだよ?
堀木さんのほんとの気持ちを聞かせてよ。おれの方が好きでしょ?」

「ごめんね、大野くん・・・。俺、やっぱりたかひろのこと愛してるんだ・・・。
きみには本当に悪いことをしたと思っている。本当にごめん」

「そっか・・・。きみはたかひろさんが本当に好きなんだね・・・。
でもさ、考え直してみてよ、この人、一度は君を捨てた人だよ?
それに、年に1、2回しか会えないじゃない、それでもいいの?」

「うん、淋しいけど、たかひろを待つことにするよ、久しぶりに会って、やっぱり俺はこの人じゃないと駄目だって思ったから・・・。淋しくても我慢するよ・・・」

堀木はそう言ってたかひろの手を握った。



大野は悔しくて、悲しくて仕方がなかった。

堀木と出会って、どんどん彼に惹かれていき、いつのまにか彼を愛するようになっていったこと、堀木に自分の作品を見てもらい、自分の才能を認めてもらえるのが嬉しくて、夢に向かって再び努力し始めたこと。

堀木と過ごした思い出や、彼に対する想いが大野の駆け巡り、それと同時に堀木の瞳にはたかひろしか映っていないという現実が大野の胸の奥を突き刺すのだった。

大野の瞳から一筋の涙がこぼれた。

「きみはそれでいいかも知れないけど、俺の気持ちはどうでもいいの?
おれ、きみに見てもらいたくて必死に絵の勉強してたのに・・・。
きみと出会ってから、画家になりたいって夢を思い出したんだ。
おれにまた夢を見せてほしい、おれはきみが必要なんだよ・・・」

ざわつくカフェの中で、三人の空間だけがしん、と静まり返っていた。

堀木とたかひろがずっと手を握り合っているのが癇に障る。

特にたかひろの左手薬指から光を放つ結婚指輪の輝きが、余計に大野を苛立たせた。



「まあ、夢に向かって努力するのは素晴らしいことだと思いますけど、こればっかりは本人の意思を尊重しないといけませんからね・・・。
といっても僕、大野さんがさっき言ったようにあまり堀木さんと会うことができないので、普段は大野さんと一緒にいてもらって、僕が帰国した時だけ2、3日堀木さんをお借りする、ってのはどうですかね?」

たかひろはうっすらと笑みを浮かべながら大野に提案した。

堀木は年一回しか会えなくても構わないと言ったが、淋しがりの彼がそんなこと耐えられる筈もない。

また昨晩のように駄々をこねるか、浮気をするだろうと思ったたかひろは、堀木が淋しい思いをしないように、大野のそばにいてもらえると良いと考えたのだった。

ほんとうは、この男に自分の恋人を指一本触れさせたくない。

だが、自分が家族を選んだ以上、以前のように堀木と四六時中一緒にいられるわけではないし、自分の独占欲と嫉妬深さで彼を孤独の中に閉じ込めたままにするのは心苦しい気持ちだった。

たかひろは、これが誰も傷つかない妥当な案だと考えていた。

「なめたこと言ってんじゃねえぞ・・・堀木さんを何だと思ってんだ。
借りるとか、貸すとか、都合のいい道具じゃねえんだ。
人を小馬鹿にするでもいい加減にしろ。
ねえ堀木さん、こんな奴のどこがいいの?
都合のいい時だけしゃしゃってきて恋人面しやがって。
お前らはもうとっくに終わってんだよ、この男が結婚した時から」

大野は顔に青筋を立てながら声を荒げた。

たかひろはもう、何も言えなかった。

そう、おいらさえ手を引けば、こんな争いをしなくて済むのだ。

たかひろは堀木とはもう二度と恋人として会うことはできなくなるかもしれない、と思うと、15年間共に過ごした日々の思い出が全て消えてなくなってしまうような気がして、胸を締め付けられる思いに駆られた 。

「・・・それでも僕は堀木さんを愛してるんです、」

たかひろは頭を抱えて俯いたまま、ぽつりと小声で呟いた。

15年間一度も堀木にかけてやれなかった言葉が不意に口をついて出てきて、そんな自分に驚いていると、スマートフォンに一本の着信が入った。

「すみません、少し席を外します」

そう言って、たかひろは店外に出て行った。


大野はコーヒーを飲みながら昂った気持ちを鎮めようとしていた。

まったく、彼は随分諦めの悪い人だ。

コーヒーの渋さに顔をしかめ、舌打ちしながら黙って一口ずつ流し込んでいった。

堀木は、険しい表情のまま黙っている大野の顔を不安げに覗き込んでいた。


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