第1話 テレビ番組 オーソドックス 初回、第二回より抜粋

文字数 30,053文字

本編 『朽ち果つ廃墟の片隅で 四巻』と同一。
    二週に渡る放送の要略

司会  望月義一

出演者 神谷有恒
    中山武史

内容  『今後の日本国家はどうあるべきか』という大局的な議論。
    ・自由貿易、グローバリズムについて。
    ・自由についての略論、グローバリズムの”不自由性”
    ・新自由主義を用いた政権が長続きする理由
    ・言葉の仕分けによる弊害
    ・政治の中枢にも顔が利く経済学者という肩書きを持った
     者達の害悪について
    ・オルテガの『大衆の反逆』の視点から見る戦後日本
    ・「年寄りらしい年寄りがいなくなった」
    ・グローバリズムと民主主義の関係性
    ・チェスタートンの『女性論』
    ・憲法は国民の根本規範、過去から受け継がれてきた常識を
     書き留めたものに過ぎない
    ・Modern『近代』について
    ・戦後日本人が何故ここまで考えるのを怠ける様になったのか
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義一「…さて、えぇっと…ふふ、なにぶん不慣れなもので、開口一番に何を話せば良いのか、ちょっと困るんですが…」

二人「あはは」

義一「いやぁ…この番組というのは、台本というものが殆ど無きに等しくてですね、『好きに話してくれれば、後で編集しときますので』と言われたんですが、こういうのが一番困ってしまうんですよねぇ…」

二人「苦笑」

義一「…って、そんないきなり愚痴から始まるのもアレなので、早速初回のゲストとして来て頂いたお二方を紹介したいと思います。えぇ…っと、私が学生…って、それは高校生からという意味ですが、お世話になっていて、今までに色々とご指導をつけて下さりました、評論家の神谷有恒先生です」

神谷「…ふふ、中々に力が入った紹介具合に照れてしまうね。まぁ…ふふ、よろしく」

義一「あ、すみません(笑)…で、ですね。紹介も一通り終わりましたし、一応一時間も放送枠があるというので、それは有難いのですが、それでもあまり時間を浪費するわけにもいきませんので、早速議論に入っていきたいと思います」




義一「えぇ…っと、早速今日の議題ですが、恐らくというか、これも一応形ばかりの打ち合わせの中で教えて頂いた情報によれば、この番組を初回から観ようという視聴者の方々というのは、私が何だか反対陣営の急先鋒って事になっている…」

武史「よっ、急先鋒!」

神谷「ふふ」

義一「…ふふ、まぁ、その…例の自由貿易協定に関して観たい聞きたいと思われてる…との事でしたが、まぁ…ふふ、それについてでも良いかなとは思ったんですけれど、しかし私個人としては、それではあまりにも芸が無いというか…ふふ、視聴者の方に、『アイツは自由貿易協定に対して、批判する事くらいしか能が無い』と思われるも、その…シャクなので」

二人「あはは」

義一「あはは。あ、というわけで、大所高所と言いますか、第一回目のゲストとして相応しい、折角先生にも来て頂いた事ですし、そんな自由貿易協定が云々カンヌンってクダラナイ話は今は無しにしてですね、もっと全体的な話、議論をしてみたいと思いますので、お二方、どうぞよろしくお願いします」

二人「宜しくお願いします」




義一「では、早速なんですが…ふふ、先生、何か発言を頂けたらと思うんですけれど…」

神谷「え?あはは、随分といきなりな話の振り方だねぇ。何かって言われてもなぁ…、もう何度も言ってきた様に、私はもう既に引退した身であるというのに、またこうして表舞台に引っ張り出されてしまったという、この今の状態について…ふふ、編集長じゃないけれど、開口一番に愚痴を言いたくなるのだけれど」

武史「あはは」

義一「あ、すみません…でも、先生はこうして出演を依頼させて頂くと、心から了承してくださったものですから、私としては調子を乗って…って、あ、すみません」

神谷「ふふ。…まぁ、そうだねぇ…。まぁ何か話すとすれば、今年に入った直後あたりで、義一くん…って、ここでは別に普段呼びで構わないんだったね?…あはは、じゃあお言葉に甘えて。義一くんが初めに例の、今回のFTAに関する批判本を書いて、そしてそれに続く様に武史くんも書いた訳だけれど…一応、元々見る方では無かったけれど、最近の引退した私の耳にすら入ってくる情報で言えば、義一くん達が急先鋒として声を上げて頑張ってくれてるお陰で、なんとかブスブスと小さく反対の狼煙が上っている…様な気がしないでも無いんだが…それなりに大騒ぎしてる風な割りには、政府は言うに及ばず、メディアから何から、義一くん達の記事以外では何の情報も開示されないし、それをまた国民もどこまで本気で騒いでいるのか…議論がなされている気配も、また言ってしまうが、義一くん達の周辺以外では聞こえてこないという、これは異常だと素直に思うのだけれど…何でこんな、ホイジンガでは無いが、小児病というか、あまりにも幼稚すぎる社会の流れが出来てしまうのか…って話からでどうでしょう?」

義一「あはは、ありがとうございます。では…って、まぁそうですね。先生が軌道修正をしてくださったので、やはり聞かれてる方でも、そうは言ってもFTAに絡めた方が分かりやすいですからね」

武史「あはは」

神谷「ふふ。で、早速だけれど…義一くん、それに武史くん。あなた方二人は今年に入ってから、このFTA騒ぎのせいでお疲れの極みでしょうが…」

義一「ふふ」

武史「あはは、いやぁ…本当にくたびれましたね。あ、ふとですね、恐らく関係してると思うので話すんですが、今回のFTAは一旦置いてですね、数年前にあった大震災についてふと思い出したんです。あれは千年に一度の大きなモノだったと、まぁ言われてた訳ですね。と同時にこんなことも言われてたんですよ。『日本人というのは、危機になったら立ち上がる』だとかですね、『墜ちるところまで堕ちたら目が覚める』だとかですね、よくそんな事を聞いた訳ですよ。でも、千年に一度の震災が起きた訳ですが、この国ったら、いきなり財源の議論を始めた訳です。勿論その間、それから十ヶ月の間というのは、被災地は放置されてた訳ですよ。当時もですね、『震災が起きたんだ、危機が起きたんだから一致団結』、『絆が云々カンヌン』って、何だか美辞麗句が世間に蔓延ってた訳ですが、口で言うだけで何もせず、政府が財源の議論を始めた時だって、そんな綺麗事を言っていた国民は、その政府に対して怒りの声を上げなかった訳なんですね。これはですね…勿論大震災なので大変は大変だったんですが、しつこい様ですが、いきなり財源の議論を始めた件だとかですね、それによって復興が一向に進まないというのは、これはもう日本国というそのものが駄目になっている…その証拠が、繰り返しますが、あの震災に関する国全体の流れを見ていて思った…とまぁ、取り止めのない話になってしまいましたが、そんな感想ですね」

義一「いやぁ、その通りですね。まぁこれも、よく私どもの雑誌の中で議論を、それこそ震災直後の座談会でも話していた内容なのですが、それに少しなぞって話させて頂ければ、確かにこれだけ聞くと、日本人はかくも愚かしい民族なのか…って感想を覚えてしまうのですが、ですが冷静に改めて一考してみると、何も取り分けて他の国の民族と比べて、日本人が愚かだって証拠も上げられないんですよね」

神谷「そうですね。なので、何というか…先ほど私が言った事ですが、ボタンのかけ違いというのか、それがどこのボタンのことなのか、それさえ見つけられれば何とかなる…って、ふふ、まぁ武史くんがズバッと言ってくれたものだから、一応本心からじゃないにしても、こうして楽観的な事を言ってみたんだけれど」

義一、武史「あはは」

神谷「あはは。っと、そうだ、私たちだけではなく、義一くん、君の意見も聞かせて頂きたいね」
義一「あ、そうですねぇ…。まぁ今の話の流れで話させて頂くと…今というかここ数年ずっとですが、よく『国家のビジョンが必要だ』という言葉が、まぁ主流ではないにしても聞かれてですね、今の首相もその様なことを言ったりしてるんですが、しかし出てくるビジョンというのは、基本的には『自由化しよう』っていう事なんですよね」

二人「あー…」

義一「今世紀に入ってすぐあたりで、国民の支持率が80%という高支持率の元で生まれた総理によって、構造改革、自由化が断行された訳ですが、暫くして国民が声を上げてというか、約十五年ぶりに野党が政権を奪取した訳ですね。ですが、与党になって何をしたかと思えば…ふふ、今僕たちが反対の声を上げているFTAの交渉参加を表明したりしてる訳ですよ。過去の構造改革や、いき過ぎた自由化についての反省をするかと思いきや、より一層押し進めちゃう様な政策を進めていってしまった訳です。先ほど震災の話が出たので、それも絡めますと、本来震災復興というのは政府が主体となってしなくてはいけないのですが、あの当時に良く取り上げられていたのは、官僚と電力会社の癒着が悪いだの何だのと、そんな細かい話に終始してました。当時は…これまた聞いた時は呆れ返ってしまったんですが、復興法案というのが出たのですが、その中で『復興特区というものを作ります』って書いてあったんですね。要は、被災した自治体に、『お金をあげるから自由にして下さい』という話でして、それを受けて地方自治体は何したかというと、被災したばかりで吟味する余裕もなく、取り敢えずいっぱいいっぱいの中、更地になった土地に太陽光パネルを誘致したりだとかですね、そんな事に使ってる訳なんですよ。これは…ふふ、これはまた別のゲストが来られた時に議論したいと予定していますが、それでも触りだけでもチラッと言うと、太陽光パネルというか、このビジネスなんぞは、まず上手くいく訳が無いんです。…っと、それはさておき、要は被災して一旦チャラになったのを良い事に、被災地を自由化の実験場としてアレコレと弄ろうとしてたんですね。…繰り返しますが、これのどこが国家ビジョンなのかと、まぁそう言いたい訳です」

神谷「いやぁ…本当にそうですね。あ、では、今一連の流れで『自由』というキーワードが出たと思うから、自由について話してみましょうか。…勿論、自由について深い議論は、いくら一時間番組、しかも二週連続の枠があるとはいえ、それでも尚深層までは議論しきれないのを前提にですが、私はよく引用するし、両人共によくご存知だから、これは視聴者に向けて話すんですが、福沢諭吉が明治維新後の十数年後だったと思うけれど、確か『文明論の概略』の中でこう書いてるんですね。『自由とは、不自由の際で生ずる』と。際というのは、この場合で言うと『限界』って意味ですね。要は抑圧がまずあって初めて、それに対する反抗としてでしか自由というのは生まれないと、これくらいの事は、明治以前に生まれた、少なくとも知識人階級は分かっていた話なんですね。んー…ふふ、少し喫緊な話で恐縮ですがね、私は子供の頃から親が嫌いで、学校の先生も大嫌いだと、確かにそんな事を幼心に思ってたものでしたが、ある時に考え直しましたよ。自分を自由に野放しにするなんて、大丈夫かと。自分自身がとんでもない人間かも知れない、そうではない証拠なぞどこにも無いんですからね。まぁ私個人で言えば、十六、七でそう反省したものですけれども」

武史「それは先生…ふふ、先生があまりにも成熟してただけじゃないですか?」

義一「あはは」

神谷「いやぁ…あはは。あ、そうだ。そうやって私をからかってくれたのだから、敢えて…ふふ、私の後で武史くんに発言を求めようかな?武史くん、何でこんなに『自由』って言葉が、金科玉条の如く扱われているんだろう?」

武史「あはは、いやぁ参ったなぁ…。まぁそうですねぇ…。何ていうかなぁ…全部の枠組みとか、土台とか無くなって初めて、人間は一番いきいきと活動出来るという、単純な…うん、単純すぎる想定がある様に思えてならないですね。あ、次いでなんで、こないだ全国紙にですね、世間的にも認知度の高い女流経済評論家の方が記事を出してたんですが、基本的に彼女は今回のFTAには賛成なんですね。でですね、何故賛成かというと、各国の間で、パソコンで言うところの共通のOSが設定されるんだと。そんな共通のシステムが各国の間であれば、経済活動にしろ人々の活動にしろ一番上手くいくから、だから今回のFTAはあった方が良いし、入った方が勿論良いと言い張ってるんですね。でもこれは…これまたあまりにも単純だと思うんですね。人々がいきいきと暮らしていくのには、普段生活している中では中々普通の人々は実感が無いでしょうが、それでもやはり文化などを始めとする社会的土台が必要だと思うのですが…まぁこれも、あまり、それこそ単純に一言で済ますのは嫌なんですが、新自由主義的な影響が、こんなところでも色濃く出ていると思うんですね」

義一「いや、本当にそうで。私もその経済評論家の記事を読みましたが、要は共通のOSを持つという事は、ルールを画一化してしまおうって事なわけで、ルールが違えば市場が分断されたままになるというので、それで画一化がさも良い事だという風に話してるんですね。例えば自動車の排ガス規制なんかは、各国ごとに違う訳ですが、それを画一化してしまえば、どの国でもそんな自動車でも走れる様になる、それによって市場もデカくなるし良いじゃないかって事なんです。これについての反論というか、言いたい事は山の様にあるんですが、まぁ今は自由についての話だというので、それに絡めて話しますと、自由が大事だとおっしゃる方々というのは、『選択の自由が大事』だとか、『言論の自由が大事』だとかも言ってて、それは勿論、私たちだって、それに関しては共感出来る部分が大きい訳です」

神谷「あはは、そうでなかったら、私たちなんかとっくにパージされてるだろうからね」

武史「あはは」

義一「ふふ、まぁこれらを言い換えると、『多様性が大事』と言ってる事にもなるわけで、こう言葉を変えても、恐らく自由が大事と何かにつけて口にする人々だって、同意をしてくれるものと思うのですが、ところがですね、同じOS、ルールを一緒にしてしまって、そのルールに則ってでしか行動が出来ない…ふふ、これがグローバリズムの大きな側面の一つなんですが、これは大変…抑圧的ですよね?」

武史「そうだなぁ」

義一「ルールの多様性だとかを束縛するんですよね」

神谷「いや、本当そうだねぇ。その多様性でいえば、例えば法律的に言って…うん、例えば、今流行っているらしい事で言えば『女性差別反対』ってのがあるけれど、差別をしてはいけないというルール…ふふ、勿論私だって、それは賛成だし、法律という枠組みにおいては画一的にやって良い。…だが、ところがね、『女性差別とは何だ?』というのを具体的に述べよという事になれば、こうなったら、今武史くんが話してくれた様に、各国の文化とか習慣とか、もっと言えばその時の状況にも依る訳ですよね。
あくまでも『女性差別反対』で言えば、具体的に何がそうなのかという話になったら、各国各様に違ってくる…のが当たり前なんですが、そうだというのにですよ?そんな各国の具体的な事情なり文化なりを引き摺った上でのルールなどを画一化しようとした時には、何が起こるかというと…その各国間でのパワーゲームが始まり、その中での勝者がルールを決める采配権を行使し始めるわけです。
で勿論、今まさに衰退しつつあるとは言っても、まだ世界で一番の軍事力を誇るアメリカが当然パワーゲームでは勝者になるわけで…って、ふふ、こんな事は、正直小学生にだって分かりそうな話だというのに、何でこんな公の場で、私たちが訳知り顔で恥を忍んで議論をしなくてはならないんでしょうかねぇ…」

二人「あははは」

義一「まさに今までの話の帰結として、EUが指し示してくれてると思うんです。あれは域内グローバリズムと言いますか、ルールを画一化してみたんですよね。そしたら当たり前ですが、今までの話からも分かるようにですね、各国によって、文化という大きな話をしなくても、それぞれの国の民族によってライフスタイルも違うわけで、結局は今の様に、EU内の国々で啀み合ってる訳なんですよ。アレを見て分かるのは、ルールを一緒に、画一化してしまうとアチコチで争いが起こる、少なくともその火種が生じるというのは…ふふ、それこそ火を見るよりも明らかなんですよね」

二人「(笑)」

義一「ふふ。…って、こんな事はしかし、先ほども先生が言われてましたけれど、私たち…そう、先生を筆頭とした私たちの間では、EUが始まる前から、私たちの雑誌内で警鐘を鳴らしてきた訳ですが…ふふ、まぁ無視をされ続けてきましたが、それでもまぁ…ふふ、何というか、良かったですね」

武史「あははは」

神谷「…ふふ、まぁ…良かったとは、んー…言い方が難しいけれど…まぁ、そうですね」

義一「ふふ」

神谷「あはは。あ、そういえば…ふふ、今の首相ね、彼はまぁ…私たちとも付き合いがある方ではあるけれど、彼の元に集っている、経済諮問会議という会議に民間議員として参加している、んー…何故か岸辺さん(一応確認のために補足すると、総理の事)がとても懇意にしている経済学者の方がいらっしゃるけれど、何でそんなに親しくしていて、それでいてしかも、経済政策に関して彼の話ばかり耳を傾けるのか、試しに彼の書いた本を一冊読んで見たんだけれど」

二人「あー…」

神谷「彼が書いた本を今少し思い出しながら話すと…例えばね、自由貿易というのはアダム・スミス以来、世界経済における共有された価値観だなんて書いてる訳です。これに逆らうなんてとんでもないと言ってるんですが、これは相当程度ウソなんですよね」

二人「そうですね」

神谷「こういった場では、先ほどの自由論と同じく詳しくは議論がこれまた出来ないけれど、簡単に言ってしまえば、アダム・スミスが考えていたのは”common wealth”、イギリス人ですからイギリスの国益になるために、どうすれば良いのか、イギリスの国益に叶うという前提の元に自由貿易を語ってたんですね」

二人「その通りです」

神谷「それに反対というか、アダム・スミスに反対する形で、これは…ふふ、私も大昔に経済学なるクダラナイ学問に身を窶していたというのにも関わらず、そこまで当時も手が回らなかったのだけれど、今度義一くん、君が出した本、『国力・経済論』の中でも詳しく書いてあったお陰で、この歳で勉強になったけれど、リスト、ドイツの経済学者であるフリードリッヒ・リストが『国民経済』と言い出して、自由が行き過ぎた場合には、国家が保護なり管理をしなくてはいけないんだっていう、私たちからすれば、極々当たり前の事を話してくれていたと。…って、この話は、私が話すよりも義一くん、君が話してくれた方がよほど良いんじゃないかね?」

義一「あはは、あー、いえいえ、今先生がおっしゃった通りなので、私から付け加える事は無いですよ」





神谷「あ、そうそう、これも視聴者向けに話すんですが、先ほど言ったように、私は三十五歳の頃に、あまりに下品な学問だというのにうんざりして、経済学から身を引いたんですが」

二人「あはは」

神谷「それでも覚えてますよ。つまり自由貿易が、貿易当事者に、利益を与えるという条件というのは、いくらも条件はあるんだけれども、生産要素、資本とか労働とかが国際的に簡単に移動しないというのが大前提なんですね。でも今や、最近では国内に戻ってきてるのもあるという話ですが、それでも今でも資本は現地生産とかで海外に移っていますし、労働者だって、海外に資本が行く分、現地採用といって日本人は採用されない訳ですよね。今はもう…ふふ、日本も大分来るところまで来てるのもあって、以前は中国だとかが労働力が安いとか何とか言ってた訳ですが、今では中国はあの通りですからね。後はタイだとかベトナムとかに出て行ったりしてるらしいですけれど、まぁそれはともかく、話が纏まらなくて恐縮ですが、繰り返すと、アダム・スミスが微塵も言ってなかった事について、わざわざ引用したフリをして、嘘を白昼堂々とつくんですからねぇ」

武史「今先生がおっしゃった事を引き継ぎたいなと思ったんですが、自由貿易というのはその通りで、自由貿易が成立する条件というのは、資本移動がなく、労働者の移動も無いというのが前提条件なんですが、あともう一つありまして、それは両国間で失業者がいないという事なんですね。こんな事は、それこそアダム・スミスも指摘してる事なんですが、今現在で自由貿易が大事なんだと言ってる連中というのは、ただのイメージで言ってるだけでして、もっと言うとですね…ふふ、これは義一と地上波…って、その局は他局なので、この場で話すのはアレなのかも知れませんが…」

二人「笑」

武史「あの番組内で、放送はされませんでしたが、FTA賛成派の全員に二人して言われましたよ。『自由貿易に反対するなんて、じゃあ鎖国する気なのか!?』と」

二人「あー…」

武史「鎖国と自由貿易の間には、随分な差があるんですが、結局そんな極論しか言えない連中というのが、自由貿易論者なんですね。まぁその程度だと」

義一「本当にその程度なんですよね。あとそれに付け加えるとですね、自由貿易を政府が推進したいって気持ちは、こういった面もあると思うんです。というのは、あまりにも今の日本の政治力というのが地に堕ちきってしまっていて、誰も何かしらについて責任を持ちたく無いと。自由貿易を推進すればですね、政府はノータッチで民間が後は頑張れって事…少なくとも日本政府はそんな態度ですから、もしそれで上手くいけば儲け物、失敗しても政府は責任を負わなくても済む…って、私個人はそんな政策をうった政府にも責任があると思うし、責任追及する事が可能だと思いますが、それはともかく、政府にしても、国民にしても、そこは意見を同じにしてる様に思えるんですね」

二人「あー、そうですね」

義一「責任負わなくて良いんですから、そのお陰か、新自由主義の政策をとった政権というのは長続きをするんですよね。『これは皆さんの自己責任なんですから、政府は何もタッチをしません』っていう逃げが可能なんですね」

武史「そうそう。サッチャーにしても、レーガンにしても、日本でも今世紀に入った直後の構造改革を言い続けた例の首相にしても、新自由主義的な政府というのは敵を想定してぶっ叩くので、サッチャーなら労働組合とかですね、敵が多いと政権は長続きしないと一般に思われている節があるんですが、今義一が言った通り、新自由主義的な政権というのは全てが長続きしてるんですね。仮に…って、我々は自由化を進めたら悪いことの方が多いって立場ですが、何か悪い事が実際に起きたとして、国民が政府を攻めようとしても、『いやいや、自己責任って言いましたよね?我々政府には、何も責任とる理由もありませんよ』って言われてしまって、その政権の責任を問えなくなるんです。まぁ…これもさっき義一が言った通り、そして今私が言った様にですね、自由貿易を安易に進めるのに懐疑的な我々だからこそでしょうが、それでも、それだからこそ時の政権に対して責任を問う資格は持てるんですがね」

二人「あはは」




神谷「いやー、二人の話を楽しく聞かせて頂いたんですが、ふとここで、義一くん、内容からして今年だと思うけれど、我々が集っている”とあるバー”で話してくれた事を、今この場で、改めてというか、視聴者のためにというか話してくれないかね?」

義一「え?」

神谷「出版社だったか、新聞社だったか忘れたけれど、名前を上げない限りにおいてで良いから」

義一「…あ、あー、ふふ、アレをですか?えぇーっとですね…今回のFTA関連でですね、様々な雑誌なり新聞なりに、短いながらもインタビューなり、自分で書いたのを載せてもらったりした事があったんですが、『共同体』って言葉がありますでしょ?私は共同体っていうのは、地域社会を支える様な人間関係を表すために、少し固っ苦しい言葉と一般的には捉えられてしまうかも知れませんが、でもやはり、地域が発展していく上で必要じゃないか…っという意味合いで使ったんですね。そしたら…『共同体って言葉はやめてくれませんか?』って、私の文章を推敲した編集の方に言われてしまったんですね。『じゃあどうしましょう?』って聞いたら…ふふ、『communityに変えてください』って答えが返ってきたんです」

武史「あはは」

義一「communityっていうのは、まぁ言うまでもなく『共同体』の英訳なんですが…あ、後一つ思い出したのはですね、保護主義って言葉を別のある記事で使ったんですね。この場合の保護主義というのは、鎖国しろって事じゃなくて、貿易を管理する国家の主体性を大事にしましょうってくらいの事だったんですが、『保護主義という言葉はちょっとあんまり…』って、これまた編集の方に渋い顔で言われてしまったので、『じゃあどうしましょう?』ってまた同じ様に聞いたらですね、この時は中々答えが返ってこなかったので、こちらからも幾らか単語を出してみまして、それならって採用されたのが、『保護』じゃなくて『管理』だったんです」

神谷「あはは、話してくれてありがとう。これを聞いた瞬間、私もあまりにも馬鹿げた内容に笑ってしまったんですが、もう何と言いますか…小学生以下なんですよね。…て、こう言うと小学生の子達に失礼に当たるので、そこは慌てて訂正しますけれど」

二人「笑顔」

神谷「保護が悪くて、管理なら良い…。今義一くんが話してくれたのが、殊更具体的に現れている様に思われるのですが、先ほどから出ている話ですね。何も一度たりともマトモに、その言葉がどんな意味を持っているのか、一切考えないままに、その時の気分で何となく済ませちゃうんですね。それも…言葉を扱うはずである、出版社の連中ですらそうだというのは、これで視聴者の皆さんも分かって頂けたかと思います。何と言いますか、言葉の仕分けが行われてるんですね。私からするとですね…保護貿易よりも、『管理貿易』の方がキツイと感じるんですがね」

武史「あはは、本当にそうですね」

義一「あはは、生活保護も、生活管理って名前になったら、大分キツイイメージになりますしね」

武史「あはは、環境保護じゃなくて、環境管理だとかね」

三人「あははは」






神谷「少し話を戻させて頂いても良いですかね?先ほど話に出ていた『自由』に関してです。前世紀最大の自由主義論者として有名な人で、さっき名前が出たサッチャーが師匠と仰いだ、フリードリッヒ・フォン・ハイエクという社会哲学者がいました。当時はソ連、共産主義があったので、それに対抗するべく致し方ないって一面はあったんですが、自由が大事だと言い続けて死んだんですが、でも彼は、その自由にも条件があると言ったんですね。私は英語で読んだので、それで思い出すんですが、『spontaneous order』って言葉を言ってまして、spontaneousというのは共同体と関係があるんですけれど、人々が自生的に、自ずと生まれる、人々の間で長い月日をかけて作られてきた、歴史的な秩序のことなんですね。歴史的な秩序がある限りにおいて、余計な事を政府が口出しをするなと、秩序に基づいて人々同士が自由闊達に取引したりすれば、まぁ進歩が起こるだろうというのが、まぁハイエク先生の御託宣な訳です。それは一応、私は正しいと思うんですね」

二人「私も賛成です」

神谷「それが今までの議論からも分かってきてる様に、今溢れている自由論というのは、そもそもその歴史的秩序そのものが、邪魔だと壊す方向で延々と推し進められてきて、長い月日が経ってる訳ですね。なのに、壊しに壊した後で自由を求めようったって、そうは問屋がおりませんでしょう」

武史「さっき話した、FTAに賛成だっていう女経済評論家は、自由になれば元気になるだなんて嘯いていたらしいですが、この間、今先生が言われた様に、二十年間徹底的に自由化を推し進めてきた訳ですが、むしろ段々と元気を無くしてきてますよね?」

二人「笑顔」

武史「それはそうですよねぇ。人間はどうしたって社会的な動物で、ホッブスだとかを持ち出すまでもなく、一人では生きていけないのは、子供にだって分かる常識な訳で、先日亡くなられた、私たちが懇意にしていた落語家の師匠もよく高座でおっしゃられていましたが、人は何か帰属出来るもの、寄り掛かれるものがないとマトモに立つ事も出来ないわけです。それをですね、繰り返しますが、過去二十年間かけて壊し続けてきて今日なわけです。当たり前ですが、自分を支える土台が無くなった状態でですね、不安に感じない方がおかしいのであって、元気が出ないのも当然だと思うんですね」

義一「本当にそうで。…あ、最近、これは雑誌の記事だったか何だったか忘れましたが、然もありなんだと思ったのがありまして、新入社員にですね、『入社した会社に勤め続けたいですか?』というのを、毎年直に聞くという調査をしている、とある大学の先生がいらっしゃる様なんですが、その結果というのがですね、今世紀初めは20%くらいだったらしいんですよ。それが数年経った後で出た数値というのが、50%を超えてたらしいんです」

二人「へぇー」

義一「この調査で分かるのはですね、いかに今の若者がですね、政府なり世の中の風潮的には、自由に好き勝手に職場を転々としても良い、それが新しいライフスタイルだというものだと思うんですが、実際にその中で生きている若者たちというのは、そんな妙な無駄な要らない冒険心よりもですね、正社員として安定的な生活が欲しいと、それを求めているというのが、如実に現れていると思うんですね」

神谷「なるほど…いや、なかなか、またしても興味深い話を聞かせて貰いました。…あっ、安定という言葉を聞いてですね…ふふ、あれだけ普段からこき下ろしてますし、今さっきも暴言を吐いたばかりなのですが、昔の杵柄とでもいうか、ふと今経済学にこんなのがあったなって思い出したので、少しだけ話させて頂きます。昔私が経済学をやってた時にですね、『需要曲線、供給曲線、需給の差において価格が自由に変動します』って、やってたんですけれど…これは冗談を交えて話すんですが、これは逆じゃないかと当時に思ったんです。長期価格が、まぁまぁ安定しているだろうって見込みを基に、需要とか供給とかが安定的に計算されるんですよね。将来どんな価格になるか分からないなんて、そんな場所で安定なんか見込めるわけがないんです」

武史「そうなんですよ。そうなんですがねぇ…ところがですよ、今度義一と二人で共著を出す事となってるんですが、その中でそんな話になったんですが、安定が大事だと、安定的な見通しが立たないとイノベーションも起きないんだというのが、我々共通の認識でして、それがマトモな普通の考え方だと思うんですが、そう言うとですね…、昔の経済においては安定していた時代を謳歌した、自由を謳歌したらしい今の年寄りたちがですね、『君キミ違うよ。そんな安定志向じゃダメだ。内向きになってはダメだ。カオスの中からイノベーションは生まれるんだぁー』」

二人「あははは」

武史「…みたいなですね、よく返してくるんですが、だったらですね、今だったらそうですね…まぁともかく、今世界中で政情不安定でカオス状態の国家なんぞ沢山ある訳ですよ。『じゃあ、そう言うんなら、日本から飛び出して紛争地域にでも行って、イノベーションでも起こしてきたらどうなんだ』と、そう返したくなりますね」

二人「笑顔」

武史「結局ですね…さっき言った年寄り連中というのは、カオスなんか実際には一切知らないくせにですね、ただイキがってるだけなんですね」

義一「あははは」





神谷「今またフッとですね、先ほど名前を出した、経済諮問会議のメンバーであり、今の総理のブレーンの一角であるT氏ですね。以前にですね、ちょっと書評を書いてと頼まれまして一冊読んだ事があるんですよ。その中でですね、『私の改革思想は…』といった感じだったと思いますが、こう続くんです。『私の改革思想は…ワクワク感です』」

義一「あはは…ワクワク感…」

武史「はぁーーーー」

神谷「こんなワンフレーズ学問って聞いたことありますか?仮にもどこかで教授という肩書で経済学を教えている先生の書いた本の中身が、『ワクワク感』ですよ?それが例えば幼児向き、幼稚園生だとか、小学校低学年向けの本ならまだしもですね、一応一般の大人向きに書かれているはずの、しかも自分の改革思想と銘打った後に出てくる言葉がワクワク感なんですからねぇ…しかも、その人が、私たちもそれなりに付き合いのあった総理の政策ブレーンだっていうんですから、…あはは、笑えませんよね」

義一「いやぁ…ふふ、その先生は確か、今の総理の第一次の時もブレーンだったはずですけれど、まぁ構造改革の旗振り役というか、実行者の一人だった訳ですが、そいつのワクワク感のせいで、沢山の人が路頭に迷ったり、自殺に追い込まれてきたと思うと…ふふ、本当に許しがたいですよね?
今ふと思ったのは、改革騒ぎが延々と続いてきた事と関連するんですが、なんか社会に閉塞感があって、それを皆が一応共有してると。まぁそれは勿論私も共有するところではあるので、それに限って言えば賛成しても良いんですが、それで出てくる言葉が、『閉塞感の打破』って言葉なんですね。それに伴って過激な言葉なり政策が出てくるので、それについて反対すると、『じゃあ今のままで良いのか?』って反論が来るんです。『やってみなくちゃ分からない』『取り敢えずやってみよう』と、何故か知りませんが、妙に前のめりに改革を何も考えないままに断行してきて、二十年くらいになる訳です。それでいつも思い出すのが、スペインの哲学者にして、保守思想家であるホセ・オルテガですね。彼が著書『大衆の反逆』の中で書いてますが、彼も大衆批判をした時に、当時も時代の閉塞感が充満していたというので、ガラガラポン、全てを一旦リセット、ぶっ壊してしまえって風潮が出て来た時に、その大衆たちを指して『甘やかされたガキども』と称しました」

二人「あー」

義一「どういう意味か視聴者向けに話すと、親が一生懸命働いて残した遺産を子供が相続受けるんですが、結局親の遺産を食い潰すだけなんですね。自分で働いて稼いだ事がない、言い換えれば、過去の遺産というものは、一回失われたら取り返しがつかないんだっていうですね、真剣味に欠けた連中が、繰り返しになりますが、『甘やかされたガキども』なんですよ。先ほどにも話が出ていた、共同体なりで言えば、作り上げるには長い長い時間がかかるんですが、壊そうと思えばすぐに壊せる、そんな脆いものであるんですね。一度壊して、仮にしでかした事について悔いて再生させようとしても、そんなすぐには出来ない、とてつもなく難しい…いや、再生出来れば奇跡なんですが、それを自覚してれば、大抵の人間というのは、先生を始めとする私たちの雑誌に集う皆で言うところの”保守的”になるはずなんですね。
ですが…甘やかされたガキどもというのは、真面目さに欠けてるので、『ぶっ壊せ』とかですね、経済学者のシュンペーターの言った『創造的破壊』的なノリで言いたがるんですね。で、見てるとですね、これはつくづく実感するんですが…今お陰さまでと言いますか、FTAの批判本を出してしまったせいで、全国で呼ばれるがままに飛び回ってるんですが、そのお陰と申しましょうか、様々なジャンルに帰属している老若男女問わず会ってお話ししてきて肌感覚で気づいた事があるんです。これは様々な組織で起きてる様なんですが、どうもですね、八十年代、九十年代前半に、十代から三十代を過ごしてきた人とかですね、それよりも上の世代、六十年代の高度成長期を成年壮年として過ごしてきた方々ですね、彼らは経済が成長してる中で生きていたので、何か新しいアイディアを出して失敗しても、取り返しがつく時代を長く過ごしてきた人達なんですね。この人達というのは、九十年代後半以降の非常に厳しい時代の時にですね、事業に失敗して取り返しがつかなくて、それに加えて、どっかの大学教授が言われた”ワクワク感”を基に作られた構造改革が行われた九十八年以降ですね、自殺者が一万人増えて三万人を超えるというのが、それから十年以上続いてきた訳です」

二人「…」

義一「だから、取り返しがつかない事になったらマズイって真剣味があればですね、ロクに議論がなされた形跡の無いままに、そう簡単に閉塞感の打破なんて言わないはずなんですが、なんせ構造改革に賛成してきた、先ほど述べた上の世代の人間たちというのは、若い頃がそんなぬるま湯の中で過ごしてきたためにですね、今の非常に厳しい状況を理解しないままに、訳知り顔で嘯くんですね」

二人「うんうん」

義一「しかもですね、その年寄りや、それより少し下の世代の人間たちというのは、経済が上向いていた時に貯めていた小金があって、余裕があるものですから、今みたいにデフレ状態で、物価が下がっていく一方だと、お金を持っていて物価が下がっていくので、その年寄り達からしたら、デフレでも危機感がそれほど無い訳です。
しかしですよ、今の若い人達、これから就職しよういう若者達というのは、今のデフレ状態の中では、これからお金を稼がなくてはいけないというのに、就職しても賃金は下がる一方だというので、とても厳しい状況な訳です。しかしですよ…ふふ、これがまた困った事にと言いますか、少子高齢化のせいでですね、今まで批判的に述べてきた年寄り達の絶対数が多い訳で、この人達が九十年代から今までずっと、ありとあらゆる組織の中で重要なポジションに全員いる訳ですよ。これは本当に困ったもので…」

武史「本当だなぁ」

神谷「今ね、義一くんが話してくれた、オルテガの『甘やかされた坊ちゃん』、私は例によって英語で読んでしまったものだから、英語で言うと『spoiled children』となるんですが、こういう連中を指して、オルテガは『mass』と呼んでいました。massは要は『大衆』って意味です。えぇーっと…正確な引用では無いですが、続けてこうも言ってるんですね。『massは、massでない者を徹底的に憎むのである』と」

二人「あー」

神谷「『それ故に、指導しようとする者を事あるごとに引き摺り下ろすのである。そして、誰も指導者がいなくなった時に、彼らmassは嘆いてみせる。…人材がいなくなった、と』」

二人「…」

神谷「自分たちで稀有にして有能な人材となりうる人間達を、私なりに卑近に言い換えれば、嫉妬のあまりに次々と足を引っ張って虐殺…うん、私は虐殺と敢えて言いたけれど、それを義一くんのさっきの話じゃないが、spoiled childrenは、それが如何に取り返しのつかない事をしてしまったのか、それには一切思いがいかずに繰り返してしまうんですからねぇ…。ふふ、childrenって言ったって、もう五十、六十過ぎたchildrenですからね。まさにこれが、今の日本の状態そのものじゃないですかね」

二人「まったくそう思います」

武史「いや本当に、今の日本人だって、今までしでかしてきた、賛成してきてしまった事を振り返り見れば、反省する事が多いって気づくはずだと思うんですがねぇ…。構造改革に皆で万歳してみたけど、地方は衰弱衰退してしまったし、仕事は不安定になるわで、『あれ?おかしいなぁ…』って一瞬思う、思ってると…まぁ、ふふ、実際にしてるのかどうか、これは私にあるまじき、根拠のない希望的観測に過ぎないのでしょうが」

二人「あはは」

武史「反省を仮にしていたとしても、今度はFTAの様な話が持ち上がると、それいけって飛びつくと…あっ、それでというか、今一つ思い出したんですが、今回のFTA関連で、とある地方都市に講演する様に呼ばれまして、聴講人は年寄りが多かったんですけれど、そこでまぁ私は、地域が活性化するためには、失われた共同体のようなものを再評価する必要があるんじゃないかと、まぁそのような講演をさせて頂いたんですね。とは言っても、私は今三十代も後半という年齢ですが、既に地域共同体が壊れ始めた中で青春時代を過ごしてきたので、実体験が無い分、フワッとした話になってしまったんですね。それは自分でも反省するところなんですが、そしたらですね、講演が終わって質疑応答の時間になった時にですね、一番前に座っていた男性のお年寄りが、凄い形相でこちらを睨んでいたんです。何か怒られるのかと思っていたんですが、その男性がバッと手を上げて質問というか、発言をされたんですね。それはこんな内容だったんです。『先生、あなたはまったく現実を見ていない』。まぁ、七十歳くらいの男性に言われたので、共同体とか言ったって、君ら若いもんはその厳しさを知らんだろう…って言われるのかと思ってたんですが、続けてこう言われました。『先生…今はITの時代なんだよ。そんな共同体なんて古臭い時代じゃないんだよ。ITで世界は繋がって、新しい時代が来てるんだよ』」

神谷「んー…ふふ」

義一「あはは…」

武史「あはは、言われた当初は一瞬固まってしまったんですがね、んー…ふふ、まさか七十代の年寄りに『お前はITを知らない』って言われるとは思っても見なかったんですが…」

義一「あはは。いやぁー、僕も…って、いや、私は、えぇっと…」

神谷「ふふ、もうどっちでも良いんじゃないかね?呼び方なり何なりは。…って、別に私が判断することでも無いのだろうけれど」

武史「あはは」

義一「あ、そうです…か?ふふ、じゃあ…”僕”も武史と同じで、色々な場所に呼ばれて講演なりさせて頂いてきたんですが、まったく同じ経験をしてきました。その経験を踏まえてというかですね、妙なねじれ現象が起きてるというか…変な事が起きてることに、これまた肌感覚で知ったんですね。普通はですね、五十、六十、七十になったら、良きにつけ悪しきにつけ、保守的で落ち着くんですね。世間知があって、『新しい事に飛びつくのは嫌なんだよ。もう歳を取ったんだから』とか、『今は若い時は良いけれど、それでも少しは落ち着きなさい』って嗜めるのが、年寄り…いや、もっと言えば良き古き老人のあるべき姿だったはずなんですが、今は違うんですね。今は何と、年配の人の方がですね、若作りして、先ほども申し上げましたが、『最近の若者は元気が無い。外に打って出ろ」とかですね、僕も一応、武史よりも三歳ばかり年下ですが、この中では一番の若者として言わせていただくと…『…は?一体何を言ってるんですか?』と、そう言う年寄り達に返したいんですね」

武史「あはは、うんうん」

神谷「(笑顔)」

義一「そんなに外に打って出るのが良いと思ってるのなら、あなた達から出て行ってくれと。ただでさえあなた達の年代は人数が多すぎるんだからって、乱暴を言いたくなるんですね。…あ、ふふ、まぁ今ちょっとある喩えが頭に浮かんだんですが…ふふ、それが良いかどうかは置いといて話すと…女性がですね、丁度若い時の化粧方法を歳とっても続けているようなものというか」

二人「あー…あはは」

義一「男で言ったら、なんていうか…新入社員になった時のスーツだとかを、歳とってもずっと着続けてるみたいな、それが今の年寄り達にはあるように思えて仕方ないんですね」

武史「うんうん、あるある」

義一「だから…うん、八十年代がある意味キーポイントだと思ってまして、あの頃って国際化って世の中でよく言われてましたよね?」

神谷「あー、言ってたねぇ」

義一「アメリカとの貿易摩擦で、アメリカから圧力をかけられたりして、この圧力をどの程度の国民が感じたのかまでは…ふふ、その頃の私はまだ物心がつくかつかないかくらいの時期だったので、知らないですが、どうもこの”国際化”をしないと日本はダメになるっていう強迫観念を、この頃に過ごした年寄り達は今だに持ち続けているんじゃないかとも思うんですよ」

神谷「そうそう、第三の開国とか言っちゃってねぇ…って、今回のFTAでも第四ではなく第三の開国な訳だけれど」

義一「ふふ、そうなんですよね。何故か数字が増えないという」

武史「あはは」





義一「いやぁ…司会にあるまじきほどに話し過ぎてますが…」

二人「どうぞどうぞ」

義一「ふふ、あ、すみません。ではまた少し発言させて下さい。一応今回のFTAに関しても少し話させて頂くと、現時点、最新の世論調査では、勿論各社によって違いますが、このFTAについて賛成が多いことになってるんですね。
この後と言いますが、別の機会に番組内で、本格的に今回のFTAの特集番組をするというので、詳しくはそちらに譲りますが、今までの我々の議論を聞いて頂いただけでもですね、『条約というのは国内法よりも優先されます』『グローバル化してルールを画一化するという事は、つまりは国民の意志が政治に反映され辛く…というか、進んでいけば無理になります』とお分かりになると思うんです。本当はもっと論拠を沢山挙げられるんですが、今は時間の制約上この辺りで置いときますが、これだけ聞いてもですね、要は視聴者の皆さんが大好きな民主主義がですね、機能しなくなるのが、グローバリズムなんですよ」

二人「うんうん」

義一「しかしですよ、話を戻すと、要はですね、先ほどの世論調査の結果を言いましたが、そこから分かるのは、民主主義が民主主義を否定しているという、これまた何とも不思議な、もっと言えば病的な現象が起きてるんです。
これについて考えた時に、ふとある事を思い出したんですよ。突然ですが…『ストックホルム症候群』ってご存知ですか?
ストックホルム症候群というのは、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件で、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明し、また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったって事件なんですね。
もちろん一般的には、これはただ単に人質は、特殊な状況に陥ったときの合理的な判断に由来する状態であると、犯人に共感を示して、犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは病気ではなく、生き残るための当然の戦略であるという意見があるのを知ってるというのを披露した上で、それを前提に敢えて別の、私の解釈を入れつつ話を続けさせて頂きますが、
何故こんな人質達が、犯人を庇う証言をしたのかというと、人質の間に受けた暴行なりの屈辱を認めたくが無いために、自分を守るために、自分を説得するように自己暗示をかける…という面も、否定出来ないところがあると思うんですね」
二人「あー…」

義一「日本は過去にですね、この人質のような態度を何度もとってきた歴史があります。第三の開国って言葉が先ほど出たので、それを利用させて頂くと、第一の開国はペリーが武力でやって来たことな訳ですが、『お陰で近代化出来たじゃないか』と。第二の開国は敗戦で、占領されて屈辱的…ふふ、これが先ほどの人質と同じなわけですが、『でも結果的には平和になったじゃないか。だから第三の開国にも賛成だ』と、『外圧だからといって、別に結果的に良くなるならいいじゃないか』と。…まぁ普通はですね、外圧がきたら抵抗しようとなるんですが、ストックホルム症候群ですから『いやいや、むしろ俺たちは外圧を利用してるのさー』って嘯いてるのが現状なんだと思います」






神谷「話が変わるんですけれどね、私が好きな人で、ミステリー小説家として著名なだけではなく、偉大な保守思想家でもあったチェスタートンって人が、まぁこれも視聴者向けに話してるんですが、いるんですがね、その視聴者の中には女性もいるんだろうし、その女性達に媚び売る訳では無いんだけれど、『世の女性は偉い』と彼は言うんですね。『女性は炊事洗濯育児などなど、毎日同じ事を繰り返している』と。『それを男達が馬鹿にしてるけれど、そんな男達には、活力が有り余るあまりに毎日同じ事を繰り返せる、家庭に入った女性達と同じ事は出来ないだろう』って言ってるんですね。
勿論これは、社会進出と称して、そんなひ弱な男の物真似をしてるだけのキャリアウーマンの事を指してる訳ではないんですが、そんな”女”…っと、止むに止まれない事情の方は別にして、好き好んで男の真似事をしている、そんな活力の無くなったのを”女性”と呼ばずに”女”と呼ばせて頂きますが、それはともかく、そんな女どもや男どもというのは活力がないものだから、新しいもの…それも、何が価値あるものなのか、その価値基準、善悪の基準を喪失しているのにも関わらず、それすら自覚がないものだから、ただ単純に新奇なだけだというのに容易に飛びついたり、『こうなったら外圧で僕たちをどうにかして下さい』…んー…テレビではアレだけれど、『私たちを犯して下さい』ってな調子の言説が、恥じなく容易に巷間で広まるんですねぇ」

二人「えぇ…そうですねぇ」

神谷「魚の目鷹の目で、自分で一切考えようと、現状を打破するという心意気は良いけれど、それには自分たちがどうすれば良いのか、一切、微塵も考えようとはせずに、それで出て来た結論というのが、『どっかから外圧が来て、僕たちの閉塞感を打破してくれないかなぁ?』ってな調子の、真剣味が全くない…んですよねぇ。何も毎日同じ事を繰り返せと、そんな極論を言う気はさらさら無いんですが、大事な事は毎日続けた方が良いに決まってる訳で、そう飽くなく繰り返して来たお陰で、ある新しい状況が来た時にも、今まで繰り返して来た大事な事を応用するというか、最低限でも乗り越えられると思うんですがねぇ」

義一「いやぁ、先生の今の話は大事な事だと思うんですが、何故かというと、またFTAの話を持ち出すとですね、今回のFTAで当然農業が打撃を受ける訳ですが、何だかこれを良い機会に農業改革だなんて間違った意見が平気で出てくるんですね」

武史「本当に馬鹿げてますよ」

義一「私はしつこいようですが、あのような本を出してしまったお陰で、今まで接点の無かった農業のプロの方だとか、その道の専門家の方々から直接話を聞く機会が多くなってるんですが、彼らの話を聞くと、それはもう…何か改革しよう…いや、改善しようったって大変な訳ですよ。なんせ相手は自然の中のナマモノ相手ですからね、しかも、もし仮にきちんと私たちが今まで議論をして来た様に、緻密に改善するにはどうすれば良いのか真摯に議論を交わして解決策を模索したってですね、ほんの少ししか儲けで言えば出ない訳ですよ。なんせ日本という国土は、土地は狭い上に平地も少ない訳で、農地に適した場所もアメリカやオーストラリアとは比べものにならないくらいに狭く、害虫も多く出るし云々カンヌンというので、非常に難しいんですね。これもよく一般的にも知られてる事でしょうが、農家それ自体も少子高齢化や、これも政府の失策のせいですが若者が都心部に出て来てしまうなどなどのせいで、地方に残った高齢者の方々が必死になって日本の第一次産業を支えてくれているという現状がある訳ですね。
それをですね…こうした難しい現実、難しい議論に耐えられない『甘やかされたガキども』がですね、『そんな小難しい議論をするなんて面倒だから、もういっそのことぶっ壊せば良いじゃないか』と宣う訳です。
それについて私が反論すると、『じゃあ、このままで良いのか!?』って言い返してくるんですが、このままで良くは無いんだけれど、その先に長ーい議論が必要なんですが、繰り返しますが、それに耐えられないんですね。それで結局何やるかというと、改革は改革でも”改善”ではなく”改悪”していくだけだと。なんせ、ただひたすら壊していくだけなんですからね。確かに本人は、壊す事で変化は起きるので、何かした気になるんでしょう。ですが…先ほど、シュンペーターの名前が出ましたが、彼が言うところの”創造的”破壊ならまだしも、過去二十年、構造改革をひたすら続けて来て二十年間の間に、何か一つでも…少なくとも”善い”ものなんぞ、何一つとして生まれてきてないのは、明明白白、結局はただの破壊を繰り返してきただけだという、少なくとも私は思います」

武史「そうですねぇ、いや、全く私も同感で。んー…”近代”って言うと大袈裟かも知れませんが、日本に限らず近代社会っていうのは、なるべく古い物から新しいものへと行くのが、一種の社会の進歩であり、かつ活力だといった風に思われてきたんですが、しかし今までの議論でも分かった様に、ただ新しいものを追うばかりでは、活力なんてものは出てこないんですね。ですが、今義一が話してくれた様に、農家が典型的で、農業含むその他の所謂第一次産業というのがprimitive、根本のものだというのは、誰もが知るところだと思うんですが、そこから工業へ移行して、そして今はIT産業へと移行してきたと。で、その移行こそが歴史の進歩で、私たちの様に、もっと第一次産業を大事にしなくてはいけないと言うと、何だか後ろ向きに聞かれてしまうというか、まぁそんな風に考えられてると。なんていうんですかねぇ…さっきも義一が言った通り、近代社会というのは、破壊によって活力が増えて、それで創造の芽吹きが起こるだなんて思い込んでる節があると思います」

義一「近代はそうですねぇ…。今ふとですね、戦後日本社会についても少しだけ触れたいと思ったんですが、戦後日本人というのは、自分たちで社会の構想や秩序を考える事への、んー…私からしたら知的怠慢に過ぎないと断罪したいんですが、まぁ情状酌量して言えば、恐れがあったと思うんですね」

神谷「うん」

義一「例えば憲法が典型的ですが、まぁ憲法論議をしてしまうと、これこそ時間が足りなくなってきてしまうので、軽くだけに留めておきますが、戦後何十年にも渡って、他国は何度も憲法を改正してきてるにも関わらず、一度たりとも真剣な議論を日本国民はしてこなかった…これはとても異常な事なのですが、それを異常とも思えない程に、何と言いますか…ふふ、酷い言い方だったら幾らでも表現可能なんですけれど、まぁ…そんな状態が今まで続いてきてるんですね」

神谷「そうですねぇ…ふふ、今司会の義一くんが言われた通り、今は憲法についてロクな議論が出来ないんですが、それでも私からも軽くだけ、イントロだけ触れさせて頂くと、憲法というのは…要は国民の根本規範であると、まずこの一文に集約されると思うんですね。
国民が守るべき秩序を明文化したのが憲法だと。そんなのをですね、恐らく今の日本でしたら、東大の法学部の先生か何かに書いてもらいましょうだとかですね、法務大臣に書いてもらいましょうとかですね、そんな流れになるんでしょうが、本来なら、国民の根本規範なら、Common Sense、常識で良いはずなんですね。
一つ分かり易い例を出すと、イギリスは憲法というものを書かない、written constitution、成文憲法を書かなかったのは、『自分たちは常識を守ってるんだ』と、常識を守った、常識ある議会で政策を決定すれば、国民皆が共有する、納得する常識に基づいて居れば根本規範は守られると。
だから、利口なのかどうなのか、たかだか大学で教授をしてる程度の今生きてるだけの人間達だけで、書かれた程度の、そんな程度の憲法なんか書くぐらいなら、イギリス以上に歴史や伝統が、まぁ…ふふ、私たちの認識では、そんなものは残りカスが何とか残ってるのみで、大分溶けて消え失せてしまっている情けない現状が日本な訳ですが」

二人「あはは…」

神谷「イギリスに出来て、何でイギリス以上に歴史のある我らが日本国が、unwritten、不文憲法が出来ないのかと思う訳です。まぁ…これも、ある意味、先程来出ていた外圧でしか変わらないってことにも関わってくる話で、この場合は内部のことですが、日本人というのは、憲法を何故か天から授かったものかの様に、”戴いちゃう”んですね」

二人「あー」

神谷「でなんか、『私は憲法に従って生きてます』…だなんて、それ自体が問題な訳ですよ。…って、現実に生きていて、そんな人に出会った事は一度も無いのですが」

二人「あはは」

神谷「まぁそれでも、先ほども私が言いましたが、今の体たらくの日本を見る限り、不文で済ますのは不安で仕方ないと、そういう意味での不安は私も分からないでもないので、成文したければすれば良いんですが、大事なのは、普段日々まともに生きてる姿が成文憲法に反映されていれば良いんですが、これがまた精神の捻れというか、憲法についての認識そのものがオカシイもので…だから、話が飛ぶ様ですが、グローバル化の影響も含めて、産業空洞化などは大分以前から言われてきたセリフですが、そんな産業空洞化どころではなく、オツム、思想なんて高邁な事を言わなくても、常識までが無くなってしまった頭の空洞化こそが、大問題なんです」

二人「あはは」

義一「ふふふ、あ、いや、今先生が言われた話もとても大事なことで、近代、明治以降に使われてきた憲法なる言葉は、例によってこれも外来語の翻訳語な訳で、英語では憲法はconstitutionと言いますが、これの元の意味はと言いますと、constituteが元でありまして、共に組み立てるというのが原義なんですね。そこから構成、組織、構造なんて意味が出てきたんですが、調べてみると、次に出てくる意味は、体質や性質、気質という意味もあるんです。
この体質や気質というのは、今先生が話されてきた事と同じでして、国民の常識というのが、その国家の体質や気質、性質と言えなくもない訳です」

武史「いやぁー、今までのお二方の話を聞いててですね、先ほどの改革話に戻る様なんですが、よく『この国を変えるんだ』、『この国を変えてみせる』と息巻く政治家がたまに現れたりする訳ですが、先ほどの『外圧でないと日本は変わらない』という意見に一方では賛成しておきながら、もう片方では、安易にそんな軽はずみな発言をする人間に対して、支持が熱狂的に集まるんですね」

二人「あー」

武史「まぁ『国を変えたいんです!』って、大学生の若い子が言うのはまだ良いんですが、それが良い歳こいた年寄りまで、そんな事を言う奴に対して支持するんですよ」

義一「あはは」

神谷「ふふ、武史くん?」

武史「あはは、すみません。あ、で、ですが…ねぇ、私だったらですね、恐れ多くてですね、そんな軽はずみにこの国を変えるんだと言えないですし、そんな事を何も考えないまま口先でだけ言うやつを、思いっきり軽蔑するんですが、まぁ…ふふ、勿論、義一に唆されてと言いますか…あはは、こうして遅ればせにFTA反対の言論活動をしてるんで、それは勿論この国の現状を何とかマトモな、マシな方向に戻せないかと、それくらいの気持ちは持っていますが、そんな公の場で、繰り返しますが、軽率にこの国を良くしたいだなんて言えません」

義一「うんうん」

神谷「いやぁ、本当に、そう国を変えたいって言ってる人が、どんな人生を今まで歩んできたのか、これまでどんな勉強を、これはいわゆる学術的な事だけではなく、それこそ常識を身に付けて、それに沿った知識や知恵を得てきたんだと、それを示しもしないで偉そうに宣う訳ですが、これがまた厄介なのが、今武史くんが話してきてくれた通りで、そんな軽薄な人を選挙民が選んじゃうというのが大問題なんですよねぇ」

義一「本当に大事な事を、それこそ常識が国民の中ですら”薄れて”と敢えて、”消え失せた”という言葉を使わない希望的観測で言わせて頂きますが、分かっていればですね、今は変えることよりも、一旦足を止めてと言いますか、何が大事なもので、何が変えてはいけないものなのか、それをまずしっかりと見極める事が大事だと思うんですね」

二人「そうですねぇ」

義一「ふと今ですね、先ほど名前の出たチェスタートンの言葉を思い出したんですが、正確な引用ではないですが彼はこんな言葉を言ってました。『我々は少なくとも頑なに真っ直ぐにしっかり立とう。なーに 、いくら人間がしっかり真っ直ぐ立とうとしたって、自然が良い具合に腰を曲げてくれる。要はですね、近代というのは、誰がどうしたって、良しにつけ悪しきにつけ、変わってっちゃうんですよ」

武史「そうそう」

義一「で、その変わる事でアチコチで歪みが生まれて、危機が起きる訳ですよね?そんな事は、ある程度年齢がいった人なら、それについて危機感を覚えて、そこから、これから先混乱する世の中をどう乗り切るのか、それを議論しなくてはいけないはずですよ。で、その知恵というのは、国家の歴史に蓄積されていると見て、具体的には当然歴史を見ても明確には出てこないんですが、そこからエッセンスの様なものを今生きる時代の私たちが取り出して、それを危機に応用すると、それが本来の保守思想…というよりも、これが常識人の態度だと思いますね」






神谷「ここで一つですね、『近代』についてですね、その…ふふ、お二人には散々話してきた事なので、耳にタコが出来て、これ以上話を聞くのはうんざりしてるでしょうが…」

二人「あはは、いえいえ」

神谷「視聴者向けに、ほんの軽くなんで少しだけ話させて頂きます。そもそもこの『近代』という言葉も明治の時の翻訳語でして、勿論英語の”modern”の訳なんです。私はですね、この事実を知った当時不思議に思ったんですよ。そもそもですね、近代っていうのは、鯔のつまり『最近の時代』という意味ですよね?だったら、別にmodernじゃなくて、”recent age”でも良いわけです。これは直訳すればそのまま『最近の時代』つまり『近代』という意味になるんですから。でもですね、今に限らず明治以降にもカタカナ言葉が不用意に流行りまして、西洋のファッションに熱中した若者の事を、モダンガールとモダンボーイを略して”モガ”とか”モボ”など言われてたわけですが、私が今言ったrecent ageは、流行るどころかまず見られなかったんです。この事実をまた知って、余計に不思議に思ったんですが、ここでですね、modernの言葉それ自体を調べたら、面白い事が分かったのと同時に、腑に落ちた事があったんです。
modernというのは、”mode”から来てるんですが、この場合のmodeというのは、尺度の意味なんです。そこから原義では『尺度とする時の』っていった風な意味になってるんですが、同じ様にmodeから派生した言葉で、”model”というのもあります。…そう、皆さんがご存知のモデルです。原義は『小さな尺度』と、やはり尺度というのがキーワードなんですが、モデルを辞書なりで調べますと、所謂皆さんが想像してるであろう、ファッションモデルのモデルという意味は、実は一等一番地には来なくてですね、実は『模型、原型、見本』とかですね、『模範、手本』というのが、そうなんです。…さて、何も私は英単語の解説をしたくてこの話をしてきたのではなくてですね、ここから分かるのは、いわゆる近代、modernの意味も、ただ単純に『最近の時代』という意味では必ずしも無いのではないのか…という事に気付いて欲しかったのです。
さて、長い発言を終えたいと思います。要はですね、近代、modernがどんな時代かと言いたいのかというとですね、model的な思考、つまり決まりきった尺度通りに、その時代を生きる人々が思考をしていって、mode、これはモード雑誌というのがあるくらいですから、流行という意味も孕んでるわけですが、そんな風に自分の尺度を持てない人々はどう時代を生きる事になるかというと、たまさかのいっ時限りの、これといった根拠がないのに広まる『尺度』としての流行に、善悪の基準を持たないばかりに疑問に思わず一斉に流れて行くという、そんな軽薄にして無機質な時代というのが、まぁ…ふふ、お二人を巻き込む様で悪いけれども、私たちの考える近代という訳です」

義一「あはは、先生、お話しして下さって有り難うございました」

武史「あはは。…って、あ、今先生が近代の説明をする中で、尺度を誰かが作って、それが人々の間に広まるという近代の説明は、そのままグローバリズムにも上手く共通してくるというので、その関連でふとまた改革という馬鹿騒ぎが全盛だった今世紀初頭を思い出したんですが、あの当時に流行った言葉で『痛みを伴う改革』というのがあった訳ですが、これもあまりにも軽々しく言い過ぎてるなぁ…って、当時憤ってたんです」

義一「僕もそうですねぇ」

武史「この場合の『痛み』というのは、職を失って路頭に迷ったり、後は…さっき話がチラッと出た様に、そういった経済的貧窮による自殺、要は”死”ですよね?
家族の離散などもそうですよね?んー…いや、勿論政治は、その十字架…そう、ずばり一部とはいえ国民を犠牲にしてでもしなくてはならない、その十字架を背負ってでもしなくてはならないって事はありますよ?これまた例のFTA問題が分かり易いので、それと関連してと言いますか、ふとまた思い出したので話すと、1970年代、沖縄返還交渉の時は、総理が佐藤栄作で、確か…通産大臣が田中角栄だったはずですが、その交渉の中で、アメリカは沖縄を返すけれども、当時日本の繊維産業がどんどんアメリカに進出していたので、それに頭を悩ませていたアメリカが、それをどうにかしろと、輸出規制をしろというイヤらしい事を突きつけてきたんですね。当時の政府は悩みに悩んだんですが、沖縄が返還されない事には戦後が終わらないというんで、仕方なく要求通りに繊維産業の輸出規制をしました。それによって当たり前ですが、繊維産業は大不況に陥った訳で、それこそ路頭に迷う人なりが出てくる事態になった訳ですよ。しかしですね、これが良い事だとは当然微塵も言う気は無いのですが、万やむを得ず、沖縄を取り返すという大きな大義のために泣いてくれと、それこそ『痛みに耐えてくれ』と、そういう判断をしたんですね。なので、発言の前に申した通り、政治にはそういった十字架を後で背負う事になろうとも、国全体の大義のためには、一部の国民を犠牲にしてしまうという判断はあり得る…んですが、さて、別にこれに限った話ではなく、今までの改革騒ぎ全てがそうだったんですが、喫緊の話題であるFTAについて考えると、農業などの第一次産業が酷い事になるだろうって事になってるんですけれども、彼らを犠牲にしてでも必要な大義が何かというと…はぁ?『アジアの成長を取り込む』とかですね、開国というメッセージ効果とかですね、もう…ふざけるんじゃないという」

二人「うんうん」

武史「で、結局、そんな犠牲になる人々へ大義が何か説明が出来なくなったと、当人たちも気づいたらしく変えてきたんですが…それが、今さっき話題に出ました、『農業改革のテコにするんだ』って、これまたふざけた思いつきをホザいているんですね」

二人「…」






神谷「…ふふ、せっかく若者二人が深い良い議論をしてくれてるというのに、ここで私みたいな年寄りがクダラナイ話題を出してしまうかも知れませんが、ふとですね、昔…そう、もう何十年も前にですね、今もやってるらしいですが、深夜の討論番組で準レギュラーをしていた事が、まぁ…恥ずかしいながらありまして、その時よくですね、しょっちゅう司会者の方によく言われましたよ。…『あなたの話は分かりづらい!』」

二人「ふふ」

神谷「ふふ、今でも彼は言ってる事でしょうね。でもですよ、これは言われるたびに、何を言われているのか分からなかったし、それは今もなんです。そもそも色んなことが複雑に絡み合っている事を解き解そうとしたつもりだったんですが…普通はですね、分かりづらいから人間は考える訳ですよね?『今話されたのは、一体どういった意味ですか?』と聞きもしますし、情報も確かめたりもしますでしょ?
…あ、いや…ふふ、もう私は年寄りですし、今更インターネットがどうとか接する気も無いのですが、それでもふと義一くんや武史くんに聞いた限りでは、確かに情報は以前とは比べものにならないくらいに発達しはしまして、それによって一般庶民が色んな情報を調べる事ができ、勿論量が増えるだけ玉石混交具合も増して、見る側の判断力の重要性がこれまた以前よりも増してるのは事実でも、それでもまぁ絶対数的には情報を収集しようという人々が増えてるのは確かな様ですが、それでも…ふふ、若者二人は言いづらいだろうから、これまでも好き勝手言わせて頂いてきたので今更ですが、それでも年寄りの特権と開き直って代わりに言えばですね…それでもやはりというか、結局は自分の頭で考えたりする人の数は、本当に微々たるものしか増えてないという事なんですね。結局は、『世の中のことでも、己の人生についてすら真剣に考えたくない』という傾向は全く弱まっていないというんです」

二人「あはは、えぇー、そうですねぇ」

義一「いやぁ…ふふ、別に私たち若者が大声で言ってもよかったんですが、難しい議論をしたくない…って、先ほどの話に戻るんですが、それもあるんですけれど、もう一つはですね…分かりにくいからイヤだというよりもですね、『多数派につきたい』、少数派になりたくないので、その少数派の意見を分かりにくいとレッテル貼ってるだけの可能性があるんですよ」

二人「あー」

義一「私は私なりにですねぇ…ふふ、確かにもっと分かりやすく話せないかと反省する事多いんですが、それでもですねぇ…自分勝手な物言いかも知れませんが…そもそも僕らみたいな少数派の意見を人々が聞いてくれないんですよ。
で、聞かないで、聞く前から結論を先に決めておいて、『いやぁー、君はもうちょっと言い方を直した方が良いよ』とかですねぇ、んー…言われるたびに、『そこが論点じゃないでしょ…うるせぇなぁ』って思うんですが」

二人「あははは」

武史「『すぐに処方箋を出せ』とかも、しょっちゅう言われるよなぁ」

義一「ほんとほんと」

神谷「あはは」

武史「これも、いつも言われるたびに思いますが…処方箋って、病気が一体何なのか、何が原因なのか分からないで出したら危ないですよね?」

義一「あはは、間違いないね」

武史「要するに、処方箋よりも本当に大事なのは、繰り返しになりますが、今罹ってる病気の原因を探る事ですよね?それについて議論をしなくてはいけない訳で。特に今の日本というのは、それこそ色んな多くの病の原因が重なり合っていて、先ほど先生が言われた通り、一つ一つ解きほぐしていかなければいけない筈なんですよ。一個一個仕分けして原因を探らないと、処方箋なんて出せる訳ないですよね?」

神谷「いやぁー、良い事を言ってくれた。お二人はこれもよくよくご存知だけれど、処方箋のこと英語で”prescription”って言うでしょう?これこそが、ヨーロッパが原産である保守思想の中心概念なんですね。これも視聴者向けに、また偉そうに話すんですが、”pre”というのは『予め』って意味で、”scription”は『基底』って意味です。何かの診断でも処方でも良いんですが、予めの前提が無いと、分析も方針も出ない訳ですよ」

義一「あはは、そうですね」

神谷「prescriptionがどこから来るか?予めの基底ですからね…それはすぐに分かる様に、予めに存在していたものから来るに決まってる訳で、それは要は過去からやって来ると。人々の受け継がれてきた常識がprescriptionとなって、計画とか青写真が出てくるものなんですね」

義一「それがですねぇ…ふふ、思わず笑ってしまうんですが、構造改革論者というのはですね、先ほど武史が話してくれた様に、処方箋を出せと言ってくるんですが、本人はprescription、予めの基底をぶっ壊せと言ってきた張本人で、実際にぶっ壊してきた訳です。
prescription、処方箋をぶっ壊しておきながら、『prescriptionを出せ!』って言ってくる訳で『出せって…お前がぶっ壊したんじゃないか!』ってコチラからは…ふふ、ツッコミを入れざるを得ない訳です」

二人「あははは」


抜粋終わり
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