第8話 初めての公道走行、そして初給油
文字数 5,361文字
彼女は台所で手を洗い、早速、昼食の準備を始めた。出来上がった昼食を食べて後片付けをした後、お茶を飲んで一服しながら、次に何をするか考えていた。
― ウェアの試着をすませて、その後給油に行こう -
三隈は、ダイニングのテーブルから立ち上がり、玄関に置いたままだったウェア類を持って、二階の自分の部屋に戻って着替えることにした。
ウェアを着た三隈は、姿見すがたみに写った自分の姿を見た。
- ちょっとダボッとしているけど、冬にセーターとか着るとピッタリになるのかな、プロテクターやパッドのせいか、少し太って見える -
そして、姿見を見たまま体を左右にひねり、横や後ろ姿に変なところがないか、動かしにくい箇所はないかを確かめた。
- 見た目は問題はなさそう。変な噂が広まる前に、みんなにお披露目した方がいいかな -
少し考えた三隈は、お披露目を兼ねて給油に出かけることにした。
机の上に出していたウェストポーチに財布やスマホ、エンジンキー、グローブを入れて腰に着けた。
そして部屋を出て、階段を降りて玄関に来た。下駄箱から安全靴を取り出してタタキに置き、上り框かまちに腰をかけて履いた。
立ち上がり足元を見た彼女は、二回ほど足踏みをして靴の中に余計な遊びがないかどうか確認した。
ヘルメットを持って玄関を出た三隈は、納屋に向かって歩いて行った。納屋の中には、先ほど仕舞ったばかりの三輪スクーターが置いてある。
彼女は、ヘルメットを手に持ったままスクーターの車体を見ながら、車体の周囲をぐるりと回った。
新車特有の光沢を持った車体は、魅惑するように輝いていた。
- これが、私が初めて持ったバイク -
三隈は、うっとりとした表情でしばらく眺めていた。
そしてヘルメットを被りグローブをはめて、バイクに歩みよった。スクーターのハンドルを握ってからサイドスタンドをたたみ、中庭に押していった。
- 教習車より押した感覚は軽い、これなら取り回しは楽みたい。 -
三隈は、中庭の真ん中あたりでスクーターを押すのをやめ、一回センタースタンドを立ててみた。
教習車より、かなり軽い力でスタンドが立ったので、少しびっくりした。
- 軽いってことはいいことだけど、横風にあおられた時、大丈夫かな。 ー
色々考えながら、三隈はスクーターに跨がり、両足をステップに載せた。
- 思ったよりステップが狭い。膝が前に当たりそう。-
足が上手く収まりそうなポジションを探すため、シートに座る位置をあれこれ変えてみた。
ようやく足が収まるポジションが決まったが、家の窓に写った姿は腰を後ろに引いたへっぴり腰スタイルになってしまった。みっともない格好だが、膝がつかえないようにするには、この姿勢で走るしかない。
- よし、走ろう -
一旦スクーターを降り、ハンドルを握ったまま車体を押し出すようにして、センタースタンドを倒して再びスクーターに跨がった。
足つき性を確認した後、左手側のブレーキレバーを握りこみ、右手の親指でスターターボタンを押した。
パンッ、と軽い音を立てて、エンジンがくぐもったアイドリング音を上げた。
右手をひねってスロットルを開けると、スクーターは、するすると動き始めた。
- 低速でも安定している。 -
スクーターは、門の前で停車した。サイドスタンドを立て、スクーターを降りた三隈は、門扉を開け、スクーターを外に出してから、門を閉めた。
そして、またスクーターに跨がった時、乳母車を押している年寄りがこっちをじっと見ていた。
三隈は、軽く頭を下げて挨拶をして、サイドスタンドを上げ、さっきより少し大きくスロットルを開けた。
スクーターは動き出し、次第に加速していった。
三隈は、思っていたより鋭い加速にちょっとと驚いたが、そのまま加速を続けた。そしてそのまま家並みが途切れて、周囲が田んぼになっている農道に出た。農道同士の交差点を右、左と同じ道を曲がっていって、同じ場所に戻っていた。
- 曲がる時の感覚は、オートバイとほぼ同じ感じで曲がれるみたい、でもブレーキング時の安定性は、普通のスクーターよりずっといい -
三隈は、視界を遮るモノがない場所を選んで、コーナリングの練習をしてたのだ。
何度も同じ道を走ってバイクの操作感覚を身体が覚えた頃、ぐるぐる回っていた道から外れ、国道二十号線に向かって走り出した。国道沿いのガソリンスタンドに向かうつもりだ。
彼女が乗ったスクーターは、農道から横手日野春停車場線に入り釜無川方向に走って行った。左に武川中学校の校舎が見えれば国道二十号線はもうすぐだ。スクーターは横手日野春停車場線と国道二十号線が交差している牧原交差点で、青信号待ちのため停車した。
停車していると、三隈は後ろからの視線を感じた。バックミラーで後ろを見ると、近所に住むおばさんが車の運転席に座っていた。ミラーが小さいので表情までよく分からないが、こちらに興味津々という感じだった。
彼女は、好奇の眼差しに、仕方ないと諦めて再び前を見た。
ほどなく、国道側の信号が黄色から赤に変わり、そして前の信号が青になった。
左ウィンカーを点滅させスロットルを開けると、スクーターは前に進み始めた。牧原の交差点を左折して、国道二十号線を釜無川上流側に向けて加速した。時速五十キロメートルまでの加速はかなり速い。排気量が小さい原付二種タイプよりパワーがあるようだ。
- このバイク、気持ちよく走れるみたい。ハイスクリーンの効果で風圧もそれほど感じない。 -
三隈は、さっきまでの仕方ないと諦めていた気持ちが、風と一緒に吹っ飛んでいき、一気に明るい気持ちになった。
スクーターは、三隈の気持ちを表すかのように、軽快な排気音を立てて国道二十号線を走って行った。旧武川村から白州町に入ってしばらく走ると、左手にガソリンスタンドが見えてくる。今回の目的地た。
彼女は左ウィンカーを点滅させ、スクーターを減速させた。そして、左に曲がってガソリンスタンドの敷地に入って行き、給油機の前で停車してサイドスタンドを立てた。
停車したスクーターに、若い男性店員が小走りで寄ってきた。いらっしゃいませと言った後、客の顔を見て、驚いた顔をしたがすぐ営業スマイルに戻して言った。
「お客様、ガソリン満タンでよろしいでしょうか」
「はい、満タンでお願いします」
三隈はそう答え、エンジンを止めキーを抜いてからスクーターを降り、シートロックを外してシートをはね上げ、給油口を出した。
「じゃあお願いしますね」
といって、三隈は事務所兼待合室がある建物に向かって歩き始めた。何歩か歩いた後、ヘルメットをかぶったままだと気づいたので、脱いで小脇に抱え、待合室に歩き始めた。
彼女が待合室に入った時、平日のお昼過ぎなので他の客はおらず、店長が一人でレジカウンターの内側で事務仕事をしていた。
店長が、客が来た事に気が付いて顔をあげて、ライディングウェアを下から上へと見て行き、三隈だと気づいた途端、
「・・・、い、いらっしゃいませ、おじょ、み、三隈ちゃん、また、ずいぶんと・・・、素敵な格好だね」
と驚いた顔で言った。言葉に詰まったのは、"お嬢様"と呼ばれる事を、三隈が相当嫌がっている事を自動車屋の
店長のあいさつ代わりの言葉に三隈は、店長の方に身体を向けて、
「今日、バイクと一緒にウェアも納品されたので、試着でライディングウェアを着てみました、似合ってますか」
と笑顔で言って、ポーズを取った。
店長は驚いた顔を営業スマイルに変えて、
「よく似合っているよ。でも、ライディングウェアを買ったってことは、バイクを買ったのかい」
と言った。
三隈は、笑顔のまま、
「はい、今度学校から、バイク通学の許可を出してもらえる事になったので、バイクというかスクーターを買いました。そのついでに、ウェアも買ってしまいました」
と言った。
店長は、ちょっと何かを思い出すような顔をしたが、また驚いた顔になり、
「そりゃ、すごい、驚いたよ。よく学校の許可がおりたね。あの騒ぎでバイク通学禁止のままだと思っていたけど解禁されたんだ、よかったね、おめでとう」
と言った。
店長が驚くのも無理はない。あの騒ぎのせいで、二輪免許が取れないとへこんでいる子供を、彼はたくさん知っていた。
そして、知り合いの県会議員に、今年度から高校生のバイク通学解禁となるという噂は聞いていたが、まさか解禁後第一号を自分の目で見るとは思いもしなかったからだ。
しかも、その第一号があの"名主の跡取り娘"だったから、あの子がバイクに乗るなど想像していなかったため、余計にビックリしていた。
三隈は、驚いている店長の内心を予測した。予測が間違っていなければ、状況説明をする相手にちょうど良いと思い、
「学校の勉強を頑張って、たまたまいい成績が取れたことと、家の手伝いをするという約束で、許可が降りるみたいです。おかげて通学以外に買い物に出掛けやすくなりました」
「えっ、家の手伝いって、まさか畑仕事をするのかい」
「そうです、おじいさんが帰ってきた時のために、起耕くらいしておかないと、田畑が荒れて作付ができなくなります。だから耕運機が運転できるように免許を取りました。そうだ、喉が渇いたので、コーヒーいただきますね」
三隈は、店長に免許取得とバイク購入の事情を説明できたことでひとまずほっとした。後は彼が変な噂がたった時、それを否定してくれれればいいと思った。
待合室に置いてあるドリップコーヒーの自販機に百円玉を入れ、ボタンを押してコーヒーが出てくるのを待っていた。
その姿を、店長はぼうっと見ていた。
彼は、三隈が祖父や祖母と車に乗ってガソリンスタンドに来ているのを何度も見かけたが、それほど会話をしなかったので、目鼻立ちが整った背の高い娘という印象しか残っていなかった。
しかし、今日の姿を見て認識が変わった。身体は細く手足が長いモデル体型で、その上に目鼻立ちが整った色白の小さな顔がちょこんと乗っているので、雑誌のモデルがそのまま出てきたような感じだった。ウェアの【制服効果】を割り引いても、充分美人と言える顔だった。そして雑にまとめた髪が近寄りがたい感じをやわらげていた。
彼は、その美しさに見惚れて、仕事をするのを忘れていた。
「すごいっすね、あの美人、店長知っているんっすか」
いつの間にか、三隈のスクーターに給油していた店員が店長の横に来て、小声で質問をしていた。
店長は小声で答えた。
「ああ、知っている、あの名主様の跡取り娘だ、爺さまと一緒にこの店にも来てたよ」
「あ、あの家の娘ですか、じゃあ噂の東京美人っすか」
「何だ、その東京美人って」
「いや、西巨摩郡高に通っているうちの弟が、一年生にすごい美人がいるって言ってたんっす、しかもそれが名主んとこの娘で、東京の中学から入学してきたって噂があるんで、弟たちの間では東京美人と呼んでいるそうっす」
「弟くんが言っている事は正解だ、確かに東京から来ている」
「やっぱ、そうすっか、道理でセンスがいい美人だと思ってたっす」
「美人だからって手を出そうなんて考えるなよ、相手は"ムラの
「うゎ~、怖っ、分かったっす、気をつけるっす」
店長と店員の二人で三隈をチラ見しながら、コソコソ話をしていた。
三隈は、カウンターから離れた席に座り、二人を横目で見ながら、コーヒーを飲み終えた。
彼女は、空になったカップをゴミ箱に捨て、カウンターに歩み寄って、店長に声を掛けた。
「店長さん、ご存じでしたら教えて頂きたいのですが、トマトの苗は隣の農協支所に行けば、売ってもらえますか」
店長はぼうっとした表情を、引き締めてから営業スマイル答えた。答えた。
「ええ、この支所で販売していると思います、ただ、私より農協支所の窓口で聞かれた方が、よいと思います」
「これから農協支所に行ってみます、教えて頂いてありがとうございます」
そう言ってから、三隈はお辞儀をして、待合室を出て行った。カウンター内では、店長と店員の二人が話している声がしている。彼女はそれを気にしないふりをして、スクーターの方に歩いて行った。
スクーターにまたがって、ヘルメットを被り、グローブをはめた。キーを挿してからハンドルを握ってエンジンを掛けた。
くぐもったアイドリング音を聞きながら、三隈は思った。
農協支所の窓口でさっきのように、免許を取ったいきさつとバイクを買った理由を話せば、今回の目的は達成だ。トマトの苗を買うというのは、会話の糸口でしかない。
後は、今日会った人たちが、"正しい"噂を流してくれる事を祈るだけだ。
三隈は、自分の考えをまとめた後、スクーターを発進させ、すぐ近くにある農協支所の建物に向かっった。