第58話

文字数 824文字

 トーマスの目からはこらえきれずに涙があふれ出す。

「だ、だから私は、な、なんとしてもこの、この男……アルベルトを、自分の手で! 罰してやりたいのです!」

 悔し涙にくれながらもトーマスは、拳を固めはっきりと言い放った。

「お前はちっともわるくなんかねえ!」

「大丈夫、神様もきっとわかって下さるよ!」

「わるいのは、そこにいるその、腐った野郎だけだ!」
 
 観客席からすすり泣きと大きな拍手が沸き起こる。横で聞いていた司会のピーターも思わず目頭を押さえながら、

「うん、うん、うん、かわいそうになあ。所詮、貧しい者に選択権なんてありゃしねえ。富む者はどこまでも富みのさばり、貧しい者はどこまでも苦しみぬく。人間扱いすらされないんだからよう。うん。わかった。さあこれを持って。切っ先鋭くよおく研いでおいたからね。今日はぞんぶんに、好きなようにね、うん。やってしまえばいい。ね、皆さんも異論ないでしょう」

 照明の光を反射してギラギラと輝く大きなサバイバルナイフを、トーマスに手渡す小男ピーター。

「やっちまえ!」

「裁きを下すんだ」

「そうだそうだ、目にもの見せてやれ!」

 右手にナイフを持ち、歪んだ泣き顔のままゆっくりとアルベルトに近づくトーマス。椅子に縛り付けられ血走った目を大きく見開き、無言でこちらを見上げガタガタと震えている男の、上等なシャツの襟元を左手でつかんでナイフで切り裂き裸の胸をあらわにする。つぎに首の付け根にナイフを突き立てそのまま縦に、ゆっくり、ゆっくりと引き下ろしていく。

「ぐわぁぅぁぁぁぁぁっ!」

 下腹のあたりまで到達すると一旦ナイフを抜き、こんどは左胸を突き刺し右胸に向けじっくりと真横に引く。するとアルベルトの上には、はっきりとした血の十字架が浮かび上がった。

「あぐあぁぁぁあ……!ふぐぅっ……!」

 小屋の中にはアルベルトの断末魔が響き渡りそして……、静寂が訪れた。
 
 真っ赤な緞帳が、舞台上方から音もなくスルスルとおりてくる。

(一旦幕)
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