さて、今回のテキストは、姦通の罪を犯した女性が、危うく処刑されそうだったところを、イエス様に救われるという話です。ようするに、「浮気、もしくは売春をしていた女性が、男性ヒーローに救われて生き方を変えるきっかけになる」というセクシズム満載のありがちなストーリー。
だいたいこういう話では、みんなに責められている女性に対して、心優しい賢い男性が、その子を守り、教え諭すようにして導き手となる展開を見せます。ところがこの話、そうストレートには進みません。まず、ヒーローであるはずのイエス様は、かっこいいさっそうとした登場の仕方ではなく、不吉な現れ方をします。
直前に、オリーブ山へ行ってから神殿の境内に入っていく……これ実は、後ほどイエス様が罪人として訴えられ、十字架につけられる前夜に行われた移動と同じです。マタイ、マルコ、ルカによる福音書を読んできた人たちは、ヨハネによる福音書でこのシーンを読んだとき、「あっ、イエス様この後女性と同じやり方で連れてこられて殺される」と勘付くわけです。
少し前から、救世主として騒がれていたイエス様を逮捕する動きが出ていたので、この流れはたいへん不吉……ヒーローが誰かを助けるよりも、ヒーローが罠にはめられることを予感させる登場です。
そして、イエス様の前に引き出されたかわいそうな女性……「浮気か売春をしたなら同情する余地はない」という人もいるかもしれませんが、現行犯逮捕で捕らえられたにもかかわらず、律法学者やファリサイ派たちは、なぜか相方の男は連れてきません。
「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています」「あなたはどうお考えになりますか?」彼らがイエス様に言うとおり、確かに、神様が人々に与えた掟では、夫のいる女性が浮気をした場合、石で打ち殺すように定めてあります。もちろん、妻のいる男性が浮気をした場合も、夫がいる女性に手を出した男性も同様に死刑です。
ところが、ここに引き出されてきたのは女性一人……律法に忠実なら、彼らは男性も連れてこなければなりません。男性は先に打ち殺したんですかね? いえいえ、それはありえません。この時代、ローマ帝国に支配されていたイスラエルでは、総督の許可なしに民衆が勝手に死刑を執行することはできなかったからです。
どうやら、男性を連れてくるのは怖かったのか、女性だけでいいやと思ったのか、律法学者やファリサイ派は同じく罪を犯した相方には触れず、彼女だけを引き出します。それは、「イエスを試して、訴える口実を得るため」だったと書かれています。
そう、イエス様が「女を赦せ」と言えば、神様が与えた律法を無視する不届き者! 「女を殺せ」と言えば、律法には忠実だけどローマに背く反逆者! 加えて、イエス様に従う女性たちに、「実はこの人はけっこう冷徹だ」という印象も与えられます。なかなかうまく考えられてますね。
さあ、ここでイエス様はどう反応するのか?……賢く堂々と答えられるのか? 読者の期待をよそに、イエス様は急にかがみ込んで、指で地面に何かを書き始めます。えっ、現実逃避……? やり込められた感……? 何だかかっこ悪いシーンです。みんなに責められる女性をさっそうと助けるヒーローのあり方じゃありません。
ただ、ある意味連行された女性にとって、一瞬の間ができたのはありがたかったでしょう。「姦通の現場で捕まった罪深い女性」……そういう視線に晒されていた彼女から、地面に屈みこんでモジモジしているイエス様へみんなの視線が移るからです。
ファリサイ派や律法学者は、いらいらしながら、しつこくイエス様に問い続けます。そしてようやく、イエス様は身を起こして言いました。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」……そしてまた、身をかがめてモジモジする。
けれども、イエス様の言葉を聞いた人は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去っていきました。「よっしゃ、俺は罪犯したことないから石投げるわ!」と言えば、「いやいや、あんたこの前罪を犯したじゃん!」と言われる心当たりがみんなあったようです。
最後に、イエス様ひとりと、真ん中にいた女だけが残ります。ずいぶんかっこ悪いやり方でしたが、無事彼女を助けられたようです。けれども、イエス様は彼女に向かって、「もう大丈夫」とも「安心しなさい」とも言いません。最後まで、ヒーローらしい台詞は一言も発さない。
「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか?」というトンチンカンな質問だけをする。いやいや、「自分は罪を犯したことがない」と言えないから、みんな立ち去っていったのは明白です。どこへ行ったかなんて分かりません。たぶん家へ帰ったんでしょう。続けてイエス様はこう言います。
「誰もあなたを罪に定めなかったのか?」女性は一言だけ答えます。「主よ、だれも」……これに対し、イエス様はなんて言うんでしょう? 「そうか、わたしは罪を犯したことがないけれども、あなたに石は投げないよ」と優しく答えるんでしょうか? いえ、ここでもそんな台詞は吐きません。「わたしもあなたを罪に定めない」という言葉だけ。
どうも、この話は単なるセクシズム満載なストーリーというわけではなさそう。ただ、気になるのはイエス様の最後の一言……「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
結局、イエス様はこの女性を、やっぱり罪人と思っていたのか? 仕方ないな、助けてやるよ……という話だったのか? 分かりやすいヒーローにはなってくれないイエス様……彼や彼女をどう評価し、どう捉えるか、よりたくさんの視点から見てみたくなりますね。