ろく

文字数 866文字

 コーヒーをデスクに置いて資料を整理していると、半田さんがこちらに歩み寄ってきた。

「早乙女、ちょっといいか?」

 2、3回手招きをするとすぐに、俺に背を向けて足を進めていった。半田さんがこうやって前のめりの時は、大抵新しい仕事の依頼か何かだ。嫌々ながら半田さんの後ろについて歩く。俺は半田さんの3メートルくらい後ろでわざと顔をしかめてみせた。

「面接終わったばかりなのにごめんな。掛けてくれ」

 パーテーションで仕切られただけの簡易的な空間に、小さなテーブルと椅子が寂しそうに置いてある。俺は椅子をゆっくりと引いて半田さんの前に腰を掛けた。

「実は話があってな。年始に役員からアレの話があったの覚えてるか?」

「アレって、若手の離職率の件ですか?」

「そうだ。その件でプロジェクトを立ち上げることになったんだ。俺がリーダーに任命されたから、一緒にやって欲しいんだ」

「プロジェクト・・・ですか」

「あぁ、この問題を解決するために、採用側と教育側で力を合わさなければならない。とりあえず顔合わせがあるから、日程調整させてもらうよ」

「それって採用側だけで何とかならないんですか?」

「部としてのプロジェクトだから、そうもいかないんだ。とにかく、頼むよ」

「あぁ、はい」

 俺は心底面倒に感じた。こんな果てしないお題を、教育側の人間と共に考えなくてはいけないのか。今から5分前に戻って、いっそのこと会社から消え去ってしまいたい。

「まぁ気持ちは分かるけどな・・・早乙女を選んだのは、仕事に卒がないし無難にやってくれると思ったからだよ。よろしく頼むよ」

 完全に見透かされた感じがした。卒がないなんて言われたが、俺はただウチの会社のシステムに則って仕事をしているだけだ。つまり俺はこの会社に飼い慣らされた犬でしかなく、無色透明な歯車なのだ。何も秀でたものがない俺をこの会社に合格させた面接官は、きっと俺と同じ『減点法』の人間なのだろう。俺は胸ポケットに忍ばせてある退職届に思わず手を当てた。そして「分かりました。よろしくお願いします」とだけ返事をしてその場を去った。
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