第3話 浮浪者たちの晩餐会の前の静けさ

文字数 2,453文字

公園で遊ぶ元気いっぱいの子供たちの声が、テントの外から聞こえてくる。七面鳥のように面長で、分厚いコートを羽織った浮浪者ガッディは、カップラーメンをすすりながら、ラジオでニュースを聞いている。ニュースは、今朝の国会議事堂を襲った未明の出来事で持ち切りだった。私には関係のない遠い世界の出来事だからとガッディは、その出来事に対してさほどの関心を示さなかったが、周りの馬鹿な奴らどもは、朝からこの事ばかり言っていてわずらわしい。我々には、もっとやるべきことが山ほどあるのに何故だか誰しも一つの大きなニュースが持ち上がるとその話に終始するのだった。
ガッディは、仲間内からどんな物事にも道理をわきまえている自分の意見を持った知識人として一目置かれていた。
「おい、ガッディーさん、ガッディーさんよお。今日は、ちょっと話したいことがあるんだ。」
と、テントを開け、一人の老人が入ってきた。隣のテントに暮らすメンディーだ。彼は自分の名前のメンディーと彼の名前であるガッディの区別がついていないらしく、ガッディーというようにだらしなく語尾を伸ばすはた迷惑な変わった癖がある。
「最近、ここら辺でも物騒な事件が多くて困るねえ。昨日も近くに住む年寄りのホームレスが、若い奴らに殺されたってさあ。そんなヤクザなことされたら俺だったら黙っちゃいないよ。特に仲間だったら、なおさらよ。」
メンディーは、いつもわずらわしくて困る。この辺りの喧騒は、どうにもならないものであろうか。
「ああ、うるさい、うるさい。今わたしはラジオを聞いてるんじゃ。そんなニュースよりも日本を揺るがす大きなニュースがやっているんだから。」
「大きなニュース?わしはそんなことは知らんよ。」
「メンディー。あんたは同業者のことしか興味がないのか。もっと広く目を開いて、世界のことに興味を持っていくべきじゃないのか。それだから、わたしらは......」
ガッディは、メンディーの世の中に対する無頓着さに呆れて、ため息混じりに悪態をついた。
「わしは、ラジオもテレビも何も持っていないんじゃ。新聞を買うお金もないんじゃ。こないだだって、傘が壊れたばかりなのに。」
「お前は、そんなんじゃ、世の中に取り残されるぞ。世の中には、わたしらを驚かすような一大事よりもずっと重要なことがあるんだから。」
日差しは西へ傾き、テントの中を陰が覆い始める。夜が更けて来たようだった。
ガッディは、メンディーのようなそこら辺の浮浪者たちとは違って、努めてラジオを聞くようにしたし、ただでさえ情報の少ないこの環境を日常にしないように心がけていた。
ガッディのテントは、孤独を愛する彼の意図に反して仲間たちの集会の場となっており、頻繁に浮浪者が入ってくるのだった。今日も朝から来客が多く、訪問客がやってきてせわしなく会話をしては、長く居座って彼の慎ましい穏やかな生活を妨害していた。ガッディは、自らも浮浪者の一人ではあるが、身だしなみにはできるだけ気を遣うようにしていたし、仲間たちの知らない知識も積極的に取り入れるように毎日の努力を欠かさなかったので、他の浮浪者と自分は別の人種であると考えていた。ガッディは、自分はただ家を持っていない時期が一時的にあるだけで、浮浪者として生涯を費やすつもりはないのだと本気で考えていた。ガッディのそのような普通の浮浪者たちとはちょっと違う思考方法は、時間を十分持て余しているにもかかわらず、自己研鑽に励まない彼の周囲の者たちには、到底理解されることはなく、ただの爺さんの戯言のように思われていた。しかし、彼の周りの者たちは、そのようなガッディの知的な雰囲気を肌身で感じたいのか、それともただ整理整頓された綺麗なテントの中で、落ち着いて語り合いたいのか、ガッディにはどちらか理解しかねたが、日々多くの浮浪者たちが彼のテントへと集まって来ては、1日の多くの時間を費やして、満足感を持って帰って行くのだった。
ガッディは、この公園で暮らしているうちに、だんだんと理屈をこねるような話し方を避けるようになり、知的な話でも、自分の中にある経験と照らし合わせて、それらを料理を調理するときのように、自在に膨らませたり、時には深めたりして、面白おかしく、時にはディテールを脚色して、仲間たちに聞かせる術を自然と身につけた。そのようなガッディの話ぶりは、仲間内での評判が非常に良かったらしく、若干は、誤解をされてしまい顰蹙を買うような場面もあったものの、概ね浮浪者たちの感興を得て、彼らの知的好奇心を刺激した。ガッディには、そのようなコミュニケーションの技術がもともと備わっていて、浮浪者になったことで、その技能がさらに洗練されていき、ガッディの天才的な知的技術は、革命的に向上していった。
ガッディの噂は、他の地域で暮らしている浮浪者の間でも広まって、大勢の浮浪者たちの前で、まるで政治家の大演説大会のように、自説を述べる機会も増えるようになっていった。その噂がこの地域を飛び越えるのは、ガッディが当初意図していたよりも、はるかに早いスピードで、浮浪者たちの熱狂の渦がガッディのファンを幾何級数的に生んで、浮浪者たちの小さなコミュニティが出来上がっていった。
ガッディの話す諸々の事象は、日常の中で起こるさまざまな浮浪者たちの間で起こる出来事の解説から始まり、博学な彼らしく、少しずつ哲学めいた話へとつながっていって、最終的には世の中に潜む普遍的な道理を解き明かす、聴衆を唸らせる見事なものだった。ガッディの魂のこもった演説は、カエサルやナポレオンなどの英雄の物語を間近で体験しているような緊張感と清々しさがあった。ガッディの演説を機に浮浪者たちの瞳が輝いていく様子は、まさに驚くべきという表現がふさわしいほどであった。
この日も、ガッディは、ぽつらぽつらと大衆を前に語り出し、ガッディの浮浪者による浮浪者のための夜会が始まるのだった。
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