襲いかかる恐怖

文字数 1,474文字

『速報です。現在カナダで行われている冬季オリンピック、スケルトン男子に出場していた凩柊斗選手がレース中、ソリから体が投げ出され現地の病院へ緊急搬送されました。この後の競技続行は不可能と判断され、凩選手は日本に帰国する予定です。日本スケルトン界のエース、凩選手を欠いたスケルトン男子ですが、同代表の滑川冬馬選手が大躍進ですーー』
「僕はもうここにいるよ」

僕は病院のベッドの上で放送されている冬季オリンピックの特番を見ていた。

多くの日本人がオリンピックで華々しい活躍を収める中、一番気になったのは僕と同じスケルトン男子日本代表の滑川冬馬。

『滑川冬馬選手がオリンピック、スケルトン男子としては初の表彰台、銅メダルを獲得しました』
僕はテレビの電源を切った。溢れ出すのは名前も知らない感情。悔しさ、怒り、嫉妬。入り乱れる感情にただただ布団に顔を埋めることしか出来なかった。
「凩さん。怪我は大丈夫ですか?」

僕はその声でようやく病室内に1人の男が入っているのに気付いた。

ドアが開いた音やノックされた音すらも聞き逃していた。

「早川か。まあこの通りだよ」
「そんな大怪我じゃなくて安心しましたよ……そういえば滑川さんが表彰台に入ったの知ってますか?」
「ああ……いや初めて聞いた」

「凩さんが転倒した後、レース場の点検と原因究明が行われて、特に異常ないってことになったんですけど、その後レースが続行されてーー」

その後、滑川は日本勢初表彰台となる3位入賞。銅メダルを獲得した訳だった。




事故後初めて凩は長野県にあるスケルトン練習場へ来た。

冬季オリンピックが閉幕してから三ヶ月経った後のことだった。

幸い身体に怪我の影響はなく、リハビリも順調に終了し医師からも競技に支障はないとのことだった。


「凩、行けるか?」
「大丈夫ですよ中村コーチ」

心配そうな眼差しを向けている中村コーチは腕を組み僕の背中を見つめている。

そんな僕はどこか、競技に対して熱が入らなくなっていた。


僕は中腰になり、ソリの右側に右手をかけ助走の体勢に入った。
「行きます」

僕は小さく一言言い残し、スパイクを履いた左足を上げた。

その瞬間だった。心の内から一瞬のうちに沸き上がり、身体を覆い尽くした謎の感情は凩の身体を完全に静止させ、小刻みに身体を震わせた。


ヘルメットの内、競技スーツの内側から原因不明の汗をかいていた。

目線の先にある白銀の塵が舞い上がるレーン。勝利の為に幾度となく滑走してきた白銀のレーンがまるで魔物のように思えた。

「おい、大丈夫か凩?」
「は……い。大丈夫です」
「今日は辞めておこう。まだ時間はある」

中村コーチの言葉に僕はただ頷くことしか出来なかった。

目前に控える白銀のレーンを頭から滑り降りるという恐怖が身体全体を覆い尽くしていた。


僕は中村コーチが去った後もしばらくスタート地点を見つめたまま離れなかった。


それから何度か練習場に中村コーチと共に訪れたが、一度も滑ることは出来なかった。

ソリに手をかける度、フラッシュバックするのはオリンピックという大舞台で失敗し大怪我を負った時の記憶だった。

「凩さんならきっと行けますよ」

「早川……」
「おい……早川行くぞ」

中村コーチは僕に声をかける若手有望株の早川奏二を自分の元へ呼びつけた。

一人休憩室に残されたのは滑れなくなった僕だった。


「滑れない選手に未来はない、早川ももう関わるな」

微かだが確かに聞こえた中村コーチの一言。小声で言った中村コーチの声に僕は聞こえていないフリをし、顔を埋めた。髪を掻きむしった。


僕はもう降りれない。世界の頂きに辿り着く権利すら失ったんだ。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

凩 柊斗 (こがらし しゅうと) (26歳)

スケルトン選手。元オリンピック代表。

ペンギンコガラシの愛称でひたしまれたが、オリンピック最終滑走時操作ミスでソリから投げ出されスケルトン競技から実質上の引退をした。

マルク・エムボマ (21歳)

カメルーン人のスケルトン選手。

元サッカーカメルーン代表だったが怪我が原因で代表から外れる。その後長野の大学に留学、そこでスケルトン競技に出会った。

中村 幸秀 (なかむら ゆきひで) (56歳)

元ボブスレーのオリンピック代表で現在、スケルトン選手の指導をしているスケルトン競技の第一人者。

主に日本代表のコーチ、指導を行っている。

滑川 冬馬 (なめかわ とうま) (26歳)

凩のライバルでスケルトン選手。オリンピック代表。

凩が事故を起こしたオリンピックで、日本人初の表彰台入りを果たし日本に銅メダルを持ち帰り、スケルトンブームを日本に巻き起こした。

早川 優馬 (はやかわ ゆうま) (23歳)

凩と滑川より後輩のスケルトン選手。凩が実質上の引退したことでオリンピック代表候補の有力選手となる。

凩のことを慕っている。

田中 悦子 (たなか えつこ) (57歳)

元オリンピック代表のリュージュ選手。

中村コーチを良く知る旧友。

凩が勤務する田中スキー場の社長を務めている。

越 里美 (こし さとみ)(22歳)

凩が務める田中スキー場の社員で、凩の後輩。

レッド・ウィリアムズ (アメリカ)(43歳)

世界選手権六連覇。オリンピック三連覇を果たした、現在最速のスケルトン選手。

レオンハルト・アシモフ (ロシア)(38歳)

スケルトン選手で、長年世界選手権、オリンピックの表彰台に君臨するロシアのスノーベアー。

アロン・マイスキー (ラトビア)(24歳)

スケルトン選手。オリンピックで銅メダルを獲得し世界選手権での成績も好調のラトビアの英雄。

しかし前回オリンピックで表彰台を滑川に奪われニ大会連続表彰台入りを逃した。

トレバー・ブラウン (ジャマイカ)(32歳)

元短距離走選手。オリンピックの舞台でも数多くの金メダルを獲得し、昨年引退。

しかしスケルトン競技に転向し、再び世界の舞台に立つことを宣言した世界が認めるスター選手。

眉村アナウンサー 

テレビ局のアナウンサーで、様々なスポーツに精通している。競技中では実況をする。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色