限界です

文字数 1,744文字

Adoの楽曲『うっせぇわ』は是か非か、みたいな話を聴く。

だが私はこの曲の歌詞を聴きながら、一つの時代の変化を確実に感じるようにもなった。

私はいわゆる、超氷河期世代(ロスジェネ)の一人である。
我々の世代は、「頑張っても報われない」ことを痛感し、上司や権威に対してあまり期待しないで置くことをわかっていながらも、日本的な職業観、倫理観の影響を受けている。

たとえば、「上司にお酌する」というのは、我々の世代では、「するのが当たり前」で、そういう気配りが出世と繋がっていた部分があるが、だが実際、我々世代がこれをやったところで、待遇が良くなったかというとそんなことはなく、ちょこっと「印象」がよくなるといった程度で終わる事がほとんどだ。時代が、我々世代のためのポストをあけていなかったからだ。

しかし、我々よりも上の世代はそうではない。

やればやっただけ評価されたし、その中にはごますりも多分に含まれていた。

我々の世代にそれはない。
だから、失われた世代(ロスト・ジェネレーション)と言われている。

実際、優秀な人間であっても、契約社員や派遣社員といった非正規のままでいる人がたくさんいたが、バブル以前に入った「無能な正社員」は数多くいたが、彼らの待遇に追いつくことはついぞなかった。

そして、だが、そういう人が正社員の職を求め、転職の面接に向かえば、「本当に優秀だったら正社員になれたんじゃないの?」などと言われる。これはロスジェネより上の世代の、「頑張ったら必ず評価される」という景気のよい時代の価値観を持ちつづけているバブル世代だから言えることだ。

今の世の中、5年働いても正社員になれない契約社員のままの人間なんてごまんといる。

なんなら「正社員になりたい」と言えば、「うちは正社員になってもそう待遇は変わらないから」と言われるが、実際には正社員は正月休めるが、契約社員は正月に休む場合は「有給休暇」を使わなければならない。

それでも、かつての価値観の影響を受ける我々は、そういった状況に憤りを感じつつも、甘んじて受け入れてきた人も多いと思う。

つまり、頑張っても報われないと知りつつも、頑張るのが仕事で、我慢するのも仕事だった。

「クソ無能正社員」と思いつつも、それを口にするのは、時代のせいではなく、自身の努力不足であると考えてしまう人が大半だったし、上の世代が確実に、そう思わせてきた。

かくいう私も、不景気だから3年間採用をストップした大企業で、10年後にその時の世代が足りないことによる働き盛り世代のマンパワー不足を補うべく、派遣なのに自分より給料の高い若い正社員の教育係をしていたことがあるが、どう考えても、社会が作った不遇だったが、そこに怒りを覚えても、それを甘んじて受け入れてきた。

それがどうだろう。

『うっせぇわ』には、こんな歌詞がある。

「はぁ? うっせぇうっせぇうっせぇわ
 くせぇ口塞げや限界です
 絶対絶対現代の代弁者は私やろがい」

この歌詞には、ただ単に会社の上司に対して不満を述べているだけでなく、我々ロスジェネのように声に出せない不満を募らせているだけでもなく、「どうせ言うこと聞いたってこっちは得しないんだから、聞きたかねーよ、このクソが」というド正直な本音が見える。

我々ロスジェネは、社会に期待できないと知りつつも、どこか社会に期待して頑張り続けてきた。

そして、報われない日々を過ごし、鬱になった人も数多くいる。

それがどうだろう、たとえそれが「直接は言えない本音」を込めた歌とはいえ、それを公衆の面前で歌うことが出来るのは、我々ロスジェネが文字通りなくしたものを、彼ら若い世代が持っているからだという風にも感じてしまう。


彼らは、「上の世代」が「下の世代」に何かをしてくれることなど、はじめから期待していない。年金だってもらえないかもしれないとずっと言われて続けて来た世代だ。

彼らからしたら、「上の世代」の人間では、歳をとってエバリ散らかす人間は、「老害」以外のなにものでもない。実際に何も返してくれないと思っているからだ。

我々ロスジェネ世代は、そこまで上の世代に絶望はしていないが、『うっせぇわ』に夢中になる若い世代を見ていると、そこまで来てしまったんだな、という思いがしてならない。
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