第1話

文字数 1,997文字

 スマートフォンが断続的に震えた。花は読んでいた本を下ろすと、ベッドに横たわったまま、視線だけ向けた。カバーで画面は見えない。送り主は菜奈だ。そう思ったが、また小説を読み始めた。
――私は怒ってるんだ。
 頭の中で呟く。短いため息をつき、スマートフォンに手を伸ばした。
『ごめんね。黙ってたこと、怒ってるよね』
『今日引っ越すこと、どうしても言い出せなかったんだ』
 そこまで読み、花は画面を閉じた。続きがあったが、読む気になれなかった。ベッドの上に雑に放ると、小さくはねて元の位置に戻る。頭がズキズキと痛む。きっと感情的になっているせいだ。昨日のことが頭の中で繰り返し浮かぶ。
「突然だが、堀田さんが転校することになった。ご家族の都合だそうだ。この学校で過ごすのも今日が最後になる」
 教師の言葉に教室内がざわついた。促され、教卓の前に立った菜奈が凛とした顔で挨拶をする。あまりにも唐突だった。花は息をするのも忘れて菜奈を見ていた。彼女が形だけの挨拶を終えると、引っ越しは明日だと教師が締めくくった。
 花の視線に気づいているはずなのに、菜奈はこちらを見ようともしない。
――なんで黙ってた? 引っ越すこと。言うタイミング、あったでしょう?
――あんなに仲が良かったのに、私にも黙ってたなんて。
 菜奈とはひと月前まではいつも一緒で、喧嘩をしたこともなかった。気が合っていると思っていた。好きな人のことで相談するたびに嫌な顔ひとつせずに話を聞き、応援してくれた。生涯の親友、そう思っていた。
 視線が交わることのない菜奈の顔を見ながら、ああそうかと花は納得した。
――言えなかったんだ。私がずっと避けていたから……。

 花はメッセージの続きを読み始めた。
『花のことを好きだって言ってごめんね。気持ち悪かったよね。好きになってごめん』
『花に会えて、嬉しかった。これまで本当にありがとう』
 一方的なメッセージを読み終えると、ぼんやりと天井を見つめた。

 きっかけは失恋だった。泣いて落ち込む花を慰めてくれた。肩を抱く菜奈の手が力強く、熱い。泣きながら、花は違和感を覚えていた。その時、頭に何かが触れた。直感でそれが菜奈の唇だと思った。なぜかそう思った。そして、気になったことを聞かずにはおれなかった。
「なんか、今の変じゃない? 変だよね」
 花の一言にハッとした様子で菜奈はすぐに花から離れた。
「今、私の頭にキスした?」
「まさか」
 菜奈の一言に、花はホッとした。
「だよね。違うよね。菜奈にキスされたのかと思って、びっくりしちゃった」
 そう言って笑っていると、菜奈は不意に真面目な顔になった。
「そうだって言ったら?」
「え……?」
「だって、花のことが好きだから」
 菜奈のまっすぐな瞳が向いている。花は思わず後ずさった。
「ずっとそんな風に私のこと見てたの? 一緒にいたの?」
 菜奈は答えない。それが肯定に聞こえた。
「……気持ち悪い」
花は逃げるようにその場から立ち去った。それからひと月が経つ。

 スマートフォンの通知音がした。花はおもむろに画面を開く。時刻は14時。菜奈はもう出発しただろうか。通知音はタイムラインのアップを知らせるものだった。菜奈の部屋の写真とともに『これまでありがとう。バイバイ』と一言添えられていた。
――行ってしまう。
――このままでいいの? 喧嘩したまんまで。
 花は画面を睨みつける。
「私は怒ってるんだ」
――何も言わずに行く菜奈に。
――距離を置いてしまった自分自身に。
 花は立ち上がった。スニーカーに足を突っ込むと、家を飛び出した。全速力で足を動かす。菜奈の家は歩いて10分ほどの距離にある。花は無我夢中で駆けた。文句を言ってやるんだ。
 菜奈の家まであと少しというところで、目の前を引っ越しのトラックが横切った。
「間に合わなかった」
 息が上がり、肩が大きく上下する。花はトラックを追いかけようと駆け出した。
「花⁉」
 呼ばれて振り返る。声がした先に菜奈がいた。
「え、なんでそこにいるの?」
 花が指さすと、菜奈もこっちのセリフだよと言いながら花を指さした。見つめ合ううちに、どちらからともなく笑いがこぼれる。
「引っ越すこと言えなくて、ごめん」
「ううん。こっちこそ、避けててごめん」
「ううん。私、花に嫌われてもしかたないから」
「嫌いなわけないじゃん。嫌いになんかなるわけない。菜奈は気持ち悪くなんかないよ。私にとって、菜奈は菜奈だよ。傷つけてごめん」
 菜奈は目を赤くしながら、首を振った。そして、もう行くねと言って、手を差し出した。
「花のこと、忘れないから」
 花は菜奈の手を握る。思わず力が入る。
「ちゃんと連絡してよね。元気でいてよ。また、会おうね」
 菜奈は力強く頷くと、涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑みを浮かべた。
 走り去って行く菜奈を乗せた車を見送る。それが見えなくなるまで、花は手を振り続けた。
「いつか。また、ね」
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