第8話 一軍のマウンド

文字数 2,200文字

 スポーツは概してそう言うものだが、野球では特に小さな変化が結果を大きく左右する。
 相変わらず高いバウンドの内野安打は多かったものの、遠くへ飛ばされることはぐんと減り、連打を許すことも少なくなって、雅美の投球は安定して来た。
 それまで盗塁を許すことも多かったが、牽制は元々不得意ではない、何人か牽制球で刺すと狙われることも減って来た、『松田君なら捕ってくれる、刺してくれる』と思えばパスボールや盗塁で浮足立ったり、ランナーを気にしすぎて投球に影響することもなくなった。
 そして、シーズンも終盤に差し掛かった九月上旬、ついに一軍から声がかかった。
 
 現在のシーガルズの順位は2位、1位のチームとの差は2ゲームだが、3位との差も1ゲーム、4位も更に1ゲーム差で追って来ている、試合ごとに順位が変わる混戦だった。
 シーガルズは先発投手陣にやや弱みを抱えている、ベテラン勢に加えてドラフト1位指名の新人をローテーションに加えてやりくりし、先発の球威が落ちて来たと見れば中継ぎ陣を矢継ぎ早に繰り出してクローザーの林につなげる、そのパターンで首位に食らいついていたのだ、そう言ったやりくりの面では高橋の手腕は光っていた。
 だが、その中継ぎ陣に疲れが見え、思い切って調子の落ちている3人を二軍と入れ替えることにした、そして一軍に上がる3人の中に雅美も滑り込んだのだ。

「よう、お嬢ちゃん、しっかり頼むぜ」
 高橋はそう言って雅美を迎えた、お嬢ちゃん呼ばわりは変わらないが、使えるはずがないと決め込んでいたキャンプの時とは明らかに態度が違う、だが雅美にそれを腹立たしく思う気持ちはない、一軍の試合、日本の野球で最高の舞台に立てるのだから。
「待ってたよ、遅かったじゃないか」
 松田も笑顔で迎えてくれた。
「気を楽にして行けよ」
 小山はまだ少し心配顔だが、そう言ってポンと肩を叩いて迎えてくれた。
「ナックルは必ず通用するから……俺が保証するよ」
 広田もそう言ってくれた。
「ロッカールームをどうするか、それが問題になるな、俺としては別に仕切りなんかなくても構わないけどな」
 林は相変わらず軽い調子、ちょっとエッチだが気持ちがほぐれる。
 思えばこの人たちに支えてもらってここまで来れたんだ……雅美は感謝の気持ちでいっぱいだった。
 だが、一軍に昇格したことがゴールではない、結果を残せなければすぐに二軍に戻されるだろう……。
 だが、試合前のロッカールーム……収納だったスペースを改装しただけだが……にプリンの差し入れを見つけ、それを口にすると不安はどこかへ吹き飛んで行った。

「シーガルズのピッチャー、沢田に代わりまして石川、背番号11」
 1点ビハインドの7回表、スタジアムにアナウンスがこだまするとスタンドがどっと沸いた、雅美が一軍に昇格したことを知り、いつにも増してスタンドは観客で埋め尽くされていたのだ。
「落ち着いて行けよ」
 キャッチャーも松田に代わっている、親しい顔が近くにあると安心するが、雅美にはもうひとつ『魔法の呪文』があった。
「タピオカミルクティよ」
「なんだ? それは?」
「何でもない、大丈夫よ、ストローは充分に太いわ」
「なんの事かさっぱりわからないけど、なんか大丈夫そうだな」
 そう言って松田はキャッチャーボックスに戻って行った。
 相手打線は七番から、監督としては楽な場面でと思ったのだろうが、本当はコツコツ当てに来る下位打線の方を苦手にしていた、しかし、タピオカミルクティの呪文を憶えた雅美はもう半年前の雅美ではなかった。
「ストライク!」
 一球目、バッターが思わず避けたナックルがスルスルとストライクゾーンに吸い込まれて行った、面食らったようなバッターの表情、雅美のペースだ。
 二球目もナックル、今度は外角に外れると見えたボールがクッと曲がってホームベースの角を舐めるように決まった。
 三球目のサインは外角低めに外すストレートだったが、完全に振り遅れのスイングが空を切った。
 三球目にもナックルが来るのではないかと疑心暗鬼に陥ったところに30kmの差があるストレート、外角に外れるとは思っても、それまでナックルの予測できない変化に惑わされていたので思わずバットを出してしまったのだ。
「ストラック! バッターアウト!」
 スタンドが再び沸いた。
 プロ野球史上初めて女性が三振を奪った歴史的瞬間だ、湧かない方がおかしい。
 八番、九番もナックルで翻弄して三者三振。
 そして七回の裏に広田の2ランホームランで逆転したシーガルズはセットアッパーの石井、クローザーの林と繋いで逆転勝利を収めてた。
「勝ち投手は石川、今季1勝目、プロ初勝利でございます……」
 その場内アナウンスにスタンドは大喜び、雅美は最高のデビューを飾った。

 そして、この日『プロ野球史上初』がもうひとつ加わった。
「見事にプロ初勝利を挙げた石川投手の、ヒーローならぬ『ヒロイン・インタビュー』です」
「1イニングだけだったから」と尻込みするのを、ナインに押されるようにして壇上に上がった雅美……。
「沢山の人に支えられ、助けられてここまで来られました、ありがとうございます、これからも頑張ります!」
 最後は満面の笑みと一緒にうっすらと涙まで浮かべていた……。
 

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