09 実咲との別れ

文字数 5,894文字

 旅行に出掛ける朝でもないだろうに、俺は五時前に目が覚めてしまった。窓の明るさでおおよそ天気が分かる。良い天気だ。今日実咲が帰るんだなあ、昨日の寂しさと違い、いよいよと言う感じの寂しさだ。色々な事を考えながら暫く布団の中にいたが、父が起き、母が、兄が起きて騒ついているので、俺も布団から出た。六時半頃だ、実咲も二階から降りて来たので、皆んなで朝食にした。美咲はもう帰る準備は出来ている様だ。昨夜に準備していたに違いない。

 父   「実咲、帰るんだ、寂しいな」
 実咲  「うん、だけど楽しかったよ」

 食べた後で実咲は電話をしている。今から帰るとの事だ。俺の耳に聞こえて来た。そして実咲は二階に行き荷物を持ってきた。皆んな準備をして外に出たが今日も朝からジージージーとアブラゼミがより大きく鳴いている。良い天気なのでけっこう騒がしい朝だ。俺と言ったら何も無い、手ぶらだ。兄の車で帰る事になっている。八時少し前には出発して高速道路のインターに向かう。今日の兄は休み。昨夜の夕食時実咲、兄と俺が話しをして車で剣見市まで送っていく事になっている。勿論、俺も一緒だ、兄はお金があるから高い車だ。型がハードトップとか言っていた。兄は車の準備で先に行っている。父母が庭に出てきて見送りだ。

 父母  「実咲、達者でな、また来いよ」
 実咲  「うん、さようなら」

 兄が駐車場から車を持ってきて家の横道路に止めて待っている。実咲が父母に庭でお別れして一緒に車に向かった。そうなんだよ、また来て欲しいな、俺はそう思いながら運転席の後ろに座った、美咲はその横に座った。久しぶりの兄の車、ふかふかな座り心地だ。昔小学校の時本家の人にドライブに連れて行って貰ったけど、同じ様な感じだ。その時も高速道路をビューンと走り海、高原や滝を見に行った事があった。今日も同じ様な乗り心地だ。だけど何だろう寂しさが急に忍び寄って来た。俺だけかな、実咲はどうなんだろうか。父、母も兄もあっけらかんな態度なんだが、俺は三日間ずっと一緒にいたので、実咲が帰るなんて寂しくてしょうがない。ずっと一緒にいたいが実咲は仕事があるし、俺は部活が始まるし、我がままは出来ないな。車に乗ると実咲は直ぐに俺と手を繋いだ。俺の左手に実咲の右手、指と指をしっかりと交差した。実咲もやっぱり寂しいのだろうか。俺は嬉しさ反面寂しさが更に高まり実咲の手をギュッと握った。一瞬実咲は俺を見たのでつられて実咲を見てしまった。この後で車に乗っている時や歩く時はずっと手を繋ぎ続けた。車は県道から海側の国道に出て東に向かった。国道に出るこの交差点は昨日も海に行った所だ、実咲はどの様に感じたのであろうか。また一緒にこの海に来たいが無理なんだろうか。そんな思いで右側の川から見える海を見ていた。兄が言うには高速道路のインターチェンジに向かうとの事だ。その間に俺と実咲は話をした。

 俺   「今から行くインターは」
     「家から一番近いんだって」
 実咲  「どのくらい掛かるの」
 兄   「三十分くらいかな」
     「高速道路が二時間は掛かる」

 途中何度か川から見える海を眺めていた。海を見ると楽しい事が直ぐに思い出される。走っている間は実咲と俺の昨日迄の内緒の事は話しをしなかった。話しをすれば兄に内緒の事がバレてしまう。俺は走っている場所の事をさりげなく話しを始めていた。五分くらい経った頃町中心部南側に来た。この北側に俺が通っている高校がある。自転車を一生懸命にこいで行く。後、昨日話した黒歴史の中学も隣にある。実咲は笑いを浮かべながらその方向を見ていた。残念だが近くの家が邪魔で高校は見えなかった。それから直ぐに花火大会の場所に来た。実咲、ほらこっち、一昨日話した花火大会の場所、すぐそこが海だ。それから町中心を流れる川を渡り暫くは国道を走る。海のすぐ近くを走るので何度か青い海が見える。その度に俺は海の出来事を思い出したりしていた。隣町に入ると国道は町中心部を通り信号機が多いので進んでは止まるの繰り返し。そうして次の町に入ってから国道から県道に入る。正面に遠く山脈が見えてきた、夏だから雪は無い、冬なら綺麗な雪化粧が見れる。十分くらいでインターチェンジに着いた。俺が住んでいる所はなんて田舎なんだと改めて感じる。
 
 久しぶりの高速道路だ、兄も若いから百キロを軽く越したスピードで走っている。早いって気持ちが良い。兄もスピードの快感に浸っている様だ。俺と実咲はポツリポツリと話をしている。今日でお別れか、となんか今までに無い感じだ、別れってこう言う感じなのかと初めて心に重くのし掛かってきた。言葉少なはその現れかも知れない。暫くすると実咲は眠ってしまった。勿論手は繋いだままなんだが、俺も目を閉じて一眠りした。兄は運転だから眠る訳にはいかない。俺は多少優越感に浸っていた。実咲は昨夜眠れたのだろうか、グッスリと眠っている。女性と手を繋ぐって俺にとっては嬉しい限りである。青春なんだろうな、胸がドキドキしているし、心も同じくドキドキである。一時間くらい経っただろうか。パーキングエリアに立ち寄った。このパーキングエリアは大きく山の中腹にあるので見晴らしは抜群だ。運悪く建物から遠くに止まったが、実咲と俺は車から降りて直ぐに手を繋ぎ歩いていた。なんか色々な方向から視線を感じる。ちょっと体裁わるくも恥ずかしさもあったが優越感が一番だから運は良かったかも知れない。兄も運転で大変だろうとは思うが、トイレ休憩がてら喉が渇いたので、何か飲み物を物色した。

 兄   「何か飲もう」
 俺   「アイスコーヒー、実咲は」
 実咲  「えーと、オレンジジュース」

 俺達は飲み物を購入して、勿論兄のおごりで、窓側の席を探して何とか座ることが出来た。アイスコーヒーをストローで飲むと冷たくて美味しい、少しゆっくり出来た。テーブルについて座っている時に兄が文句を言ってきた。

 兄   「ばかやろう、眠っていて」
 俺   「俺たち運転してない」

 ひと休憩してから、実咲は電話してくると言い離れた、少し経って戻ってきてから、実咲と俺は手を繋ぎ車まで歩く。再び高速道路に入り目的地へ向かって走り始めた。勿論俺と実咲は手を繋いだままでいる。もう繋ぐのが当たり前の様になっていた。車は山の中を走っているので山ばかりの景色だ。実咲はさっきの電話の事を話した。実咲の姉の知里に電話したんだけど、姉が案内するので、少し遊んでいかないかって。近くになったらもう一度電話をすると伝えた様だ。

 俺   「遊んでいきたい、そうしよう」
 兄   「実咲、そうしたら」
     「次のパーキングで電話して」
 実咲  「うん、なっちゃん、良かった」

 また一時間くらい経った頃にもう直ぐ剣見インターチェンジになるので、実咲は姉に電話をするとの事で最寄りのパーキングエリアに入った。実咲の姉が剣見インターチェンジを降り少し行った所の有名菓子店の前で落ち合うとの事だ。車の中で実咲は兄に後どのくらいで着くか聞いていた。兄は地図を見ながらだいたいの時間を実咲に話した。そうしたら実咲は電話しに店に行った。俺はトイレに行き店の中を物色してから先に車に戻った。店には色々な土産物が並んでいて、美味そうな物が多くあった。少し経ってから実咲が車に戻ってきた。知里はその菓子店の近くに住んでいるので時間的に知里が先に行って待っているとの事だった。俺は小さい頃に一度会っただけの実咲の姉が今どんなだろう、実咲と似ているんだろか、色々と考えて、遊んでいける事が嬉しくてワクワクしていた。次の剣見インターチェンジで降りて取付道路を南に下り十分くらい経った頃に電話の有名菓子店が見えて来た。その店の前に実咲の姉の知里が待っていた。実咲があそこで待っていると後ろの席から言った。

 実咲  「あそこ、あのお店、姉がいる」
 兄   「あー、いたいた、わかった」

 俺も兄も小さい頃に一度会ったが最近の知里を見るのは初めてだ。その前の広い場所に車を止め兄が降りて挨拶した後で知里が助手席に乗った。俺も挨拶してから、知里が言うには先にご飯に行こうとの事だ。

 隆史  「こんにちは、分からなかった」
 知里  「こんにちは、小さい頃だよね」
     「なっちゃん、分かる」
 俺   「分からない、ははは」

 知里がいきなり、なっちゃん、と言ってきた。たぶん実咲が電話で俺達の事や様子を話しをしていたに違いない。然し、内緒の事は話して無いよね、恥ずかしいし。もう時間は十一時を回っていたし、お腹が空いていた。剣見港には有名なイタリア料理があり美味しく、知里がご馳走してくれるそうだ。知里もスーパーはやめて今はこの近くで働いていてオフィスビルに毎日通勤しているとの事。俺の町の繁華街なんて比べ物にならないくらい高いビルが立ち並んでいた。それを見るのも目の保養になる。小学校、中学校の修学旅行以来にみる光景だ。
 
 信号機が多い、当たり前だが、知里があの信号を左とか言って、十分くらい走ったら剣見港の駐車場に着いた。駐車場は港にある比較的に広い所だ。降りて先ほどのイタリア料理の店に歩いて行く。港から見る都会はなんか凄いと言うしかない。考えてみれば港って街の玄関だからだよなあと改めて感じる。

 知里  「隆史さんイタリア料理は」
 兄   「会社の関係で食べた事はある」
 俺   「初めて」

 店は港から直ぐ近くの綺麗なビルの二階にあった。エレベーターに乗って二階へ、直ぐに二階だ。中は意外と広いが清楚な雰囲気で客は多い、もしかしたら事前に予約していたのかも知れない。席は入口から右手奥、左には窓があり港が見える。良い景色だ。席は知里がテーブル奥、実咲が横、兄が知里の前、俺が実咲の前だ。俺はイタリア料理なんて初めてだ。知里が何を食べたいか聞いてきたが答えようが無い。メニューを借りて見たが、分からない。仕方なく、あっさり系スープ、パスタ少し、サラダ、パンに肉をお任せした。実咲も兄も希望をだして、知里が量などを考えて纏めて注文して食べたが、何を食べたか分からない。ただ美味しかったのは確かだ。

 知里  「向こうのお家はどうだった」
 兄   「俺は仕事だったから」
     「あまり話しをしていない」
     「夏樹がいつも一緒だったかな」
 俺   「トランプしたり」
     「話しや海に行ったりしてた」
 知里  「海は楽しかったの」
 俺   「楽しかった」
     「手を持ってあげて泳いだ」

 美味しく食べてお腹いっぱいになった。昼食後散歩がてらに港をブラブラと、一部は港の公園になっていて中は綺麗に整備されている。岸壁側はコンクリートだけど離れた所は芝生が一面植えられていて綺麗な公園だった。俺の町の海の公園よりも十何倍も大きく桁が違いすぎる感じだ。端から端まで歩いたが意外と時間がかかる。岸壁まで行けるので停泊している舟を見に行く、手前まで来ると高いし全長が半端ない。田舎の沖に見る舟ってこんな大きんだなって考えてしまう。遠く沖の舟って小さく見えるしね。知里が公園内を案内してくれた。公園横には明治からのレンガの建物が残っていて情緒ある景色だった。知里の案内で先に知里と兄が、その後を俺と実咲が手を繋いで歩いていた。

 俺   「実咲、この港はよく来るの」
 実咲  「来ない、仕事場から少し遠い」
     「前にお父さんと一緒に来た」
 俺   「あっ、話したっけね」

 まだ時間が有るので港から歩いて近くの港が見える高台の公園も行ってみた。ここから港をみると港全貌が見えて、とても眺めが良く遠く半島までもがみえる。ここは丘の様になっていて、上が別荘地、南側斜面が公園で、ここも広いし、見える景色も、さっきの舟やレンガの建物が見える。気分を変えてドライブするこにした。行き先は実咲が働いている方向で近くに眺めの良い所が有るそうだ。剣見港から車で三十分くらい走ると実咲が働いている所に着いた。来る途中の道路は専用道路で片側二車線だ。高速道路並の車の多さにスピードはさほど出ていないが、一般道よりは速い。車の中から実咲が俺に外の建物を指差して話した。そこは一昨日二階で話しをした時の結婚式場だった。

 実咲  「なっちゃん、あそこの建物」
 俺   「へー、綺麗で大きい」

 車は止まれないので、そのまま通過したが、しっかりと目に焼き付けようとした。その後五分ほどで入江の横山の一番上に来た。そこには展望台があり四人で登った。勿論実咲と俺は手を繋いだまま、そこから見える景色は抜群で、左手に小さな入江の砂浜もあり白波が無い浜辺だ。ここに実咲は先輩に連れられ来ているんだなと思った。八月の半ばを過ぎているのに海水浴場は人で多い。うーん、これではゆっくり海水浴は出来ないと思う。俺は実咲が働いているこの町が好きになった。実咲は勿論好きだが、この浜辺、小さいながら入江で波が無いし、見た目が綺麗だ。
 
 夕方も五時を少し回った。帰りが遅くなるので俺達も帰ろうと兄が言った。帰るんだ、寂しいな、俺は心の中で呟いた。専用道路を元のお菓子屋に向かった。帰りって何でこんなに早いんだ。今日知里に会ったお菓子屋のところに来た。いよいよお別れだ、とても寂しいが顔には出さず、笑顔で隣の実咲を見た。知里が兄にお礼を言って車から降りた。実咲も俺との手を離して車から降りた。俺は離れる時に軽く握った。今日実咲は母、知里が住んでいる実家に泊まるのだそうだ。家族水入らずだな。きっと実咲は母に加々見でのあれこれ等を話すに違いない。俺も降りて助手席に移ってから窓を下ろして別れの挨拶をした。本当は抱きしめたい気持ちでいっぱいなんだけど出来なかった。知里もいるし兄もいる。実咲と俺との楽しい関係は誰も知らない、二人の内緒事だ。

 兄   「それじゃ」
 俺   「実咲、元気でね、またね」
 実咲  「なっちゃん、元気でね」
 知里  「ありがとう、さようなら」

 車が走ると知里と実咲はずっと手を振っている。俺は振り向いて手を振り暫く見ていたが道路がカーブになったら二人が見えなくなった。再び寂しさが強くなりいたたまれなくなった。俺は窓の外を見て吹っ切った、つもりだ。直ぐに剣見インターチェンジに着き高速道路に乗った。帰りの車中では兄と剣見市の事を話した。料理が美味かったの港が大きかったの俺達の田舎とは比べようが無い。
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