第八話、風呂場
文字数 2,229文字
二階は、使われたような形跡はあまりなく、物置部屋のようになっていた。エドワードは一通り調べ一階に降りてきた。
浴室の青いタイルにイーサンは這いつくばっていた。
エドワードは少し残念そうな顔をした。血の跡があるということは、ここの住人は無事ではないということだ。
エドワードは顔を引きつらせた。イーサンは三十年ほど前まで吸血鬼だった。当然月に一度ほど食事を取る。
イーサンは肩をすくめた。
「吸血鬼の感覚は鋭い。家の中に人がいるかどうか、音や匂いでわかるし、少し熟練すると、人間の体温を視覚でとらえることもできるようにもなる。だから、ここに一人暮らしの老人がいると、わかってもおかしくはない」
イーサンが調べた限り、窓とドアは施錠されていた。壊されたような跡もない。
二時間ほど床下や庭を調べたが、死体は出てこなかった。二階の窓周辺を調べると、かすかな土汚れがあり、それを丹念にぬぐったような跡もあった。イーサンとエドワードは、ミグラス市警に寄ることにした。
トム・ターナーに風呂場に血痕があったことを伝えると、露骨にいやそうな顔をした。
夜、目が覚めると腐敗臭がした。
床下に死体を埋めてある。吸血鬼の鋭敏な嗅覚はその匂いを感じとっていた。
三ヶ月ほど前、一人暮らしの、寝ている老婆の首を絞め意識を奪い、風呂場に運び頸動脈を切り裂き血を吸った。久方ぶりのまともな食事だった。
血を啜った後、死体を旅行鞄に詰め込み、家に持ち帰った。どこか遠くに捨てに行くような力は無かった。床下に、何とか人が、一人入るぐらいの穴を掘り、そこに埋めた。その匂いが家の中に充満していた。
死体を家に持ち帰ったのはそれが初めてだった。どこかへ死体を移したいと考えていたが、腐った死体に触れたくはなかった。
橋の下に住んでいたホームレスの件も失敗だった。
飢えに耐えかね、近くの橋の下で暮らしているホームレスを狙った。眠っているホームレスに近づき、口を押さえナイフを首筋に突き立てようとした瞬間、横転した。ホームレスの老人に足払いを食らったのだ。ナイフは首筋を外れ老人の背中に刺さった。叫び声を上げる老人の脚を掴み、老人の腰の辺りにナイフを突き立てる。老人は暴れ回り、吸血鬼を蹴飛ばした。転がる。吸血鬼の体は半分ほど水の中に落ちた。老人は這うように逃げようとする。吸血鬼は追う。体は鉛のように重かった。
立ち上がり逃げようとする老人の肩の服を掴んだ。ナイフを突き立てようとすると、老人は振りかえり、左の肘を吸血鬼に放った。あごに当たり、吸血鬼はバランスを崩し、橋脚のコンクリートの柱にぶつかった。「くそ野郎!」老人は叫びながら、逃げる。吸血鬼は、必死に追いかける。老人にぶつかりナイフを突き立てる。何度か突き立てると、老人の体から生命が漏れ出していることに気がついた。吸血鬼は慌てて、背中から漏れ出す血を吸い付くように啜った。血に混じり、老人の垢の匂いと汚れた衣服の味がした。脈動はすぐに途絶えた。
ほんのわずかな血しか吸えなかった。
汚れた血とナイフを川であらい、あらかじめ用意しておいた衣服に着替えた。人が近づく気配はない。ホームレスの老人の死体をどうするか少し悩んだが、どうにかできるような体力は吸血鬼にはなかった。
飢えと惨めさを抱え、吸血鬼は帰宅した。
(ログインが必要です)