第八話、風呂場

文字数 2,229文字

「なにもねぇな」

 二階は、使われたような形跡はあまりなく、物置部屋のようになっていた。エドワードは一通り調べ一階に降りてきた。


「エドワード、こっちに来てくれ」


 浴室の青いタイルにイーサンは這いつくばっていた。


「何か見つかったのか」


「ああ、タイルの目地に血の跡があった。丹念に掃除をしたようだが、少し残っている」


「そうか」


 エドワードは少し残念そうな顔をした。血の跡があるということは、ここの住人は無事ではないということだ。


「ここで血を吸ったということか」


「そうとも限らん。死体をここで解体したのかもしれない」


「ばらした死体はどこに行ったんだ」


「もしここで、解体していたら、どこか遠くで処分したんだろう。解体していなければ、近くに埋めているか。そのまま、どこかへ運んだかもしれない」


「弱った吸血鬼の犯行だとしたら、解体したり運んだりするのは難しいんじゃないか」


「いくら弱っていても、時間をかければ、解体することは可能だろう。一人暮らしだと知っていたら、昼間は、この家に泊まり、夜間に作業をすることもできる。遺体の運搬は、馬車か、自転車を使えばなんとでもなるだろう」

「俺が昔捕まえたギャングは、飢えた野良犬に食わせていたな。山で死体を捨てていたら勝手に集まっていたらしい。調子に乗って死体を捨ててると、犬が集まって困ると苦情が出て発覚した」


「犬か。私はワニの餌にしていた」


「そんなことをしていたのか」


 エドワードは顔を引きつらせた。イーサンは三十年ほど前まで吸血鬼だった。当然月に一度ほど食事を取る。


「昔のことさ、温泉があってね。冬でもワニが元気に泳いでいた。今はワニのいる観光地になっているはずだよ」


「まじか。子供の頃にワニのいる温泉地に行ったことがあるぞ」


「だいぶ昔の話だ」


 イーサンは肩をすくめた。


「それはいいとして、結局これは吸血鬼の犯行なのか」


「わからんが、そうであってもおかしくはない。物を盗られていないし、八十一の老人に怨恨も考えにくい」


「なんで吸血鬼は、この家に、老人が一人で暮らしているとわかったんだ」


「吸血鬼の感覚は鋭い。家の中に人がいるかどうか、音や匂いでわかるし、少し熟練すると、人間の体温を視覚でとらえることもできるようにもなる。だから、ここに一人暮らしの老人がいると、わかってもおかしくはない」


「便利なもんだな」


「どうやって家の中に入ったんだろうか」


 イーサンが調べた限り、窓とドアは施錠されていた。壊されたような跡もない。


「ああ、それなら二階の窓の鍵が開いていたぜ。ぱっと見、入ったような跡はなかったが、雨樋のパイプか、家の庭木から飛び移ることもできるんじゃないか」


「そうか、後で調べてみよう」


「死体をここに埋めているってことはないのか」


「その可能性はあるな。敷地内を調べてみよう」


 二時間ほど床下や庭を調べたが、死体は出てこなかった。二階の窓周辺を調べると、かすかな土汚れがあり、それを丹念にぬぐったような跡もあった。イーサンとエドワードは、ミグラス市警に寄ることにした。

 トム・ターナーに風呂場に血痕があったことを伝えると、露骨にいやそうな顔をした。


「におうな」

 夜、目が覚めると腐敗臭がした。

 床下に死体を埋めてある。吸血鬼の鋭敏な嗅覚はその匂いを感じとっていた。

 三ヶ月ほど前、一人暮らしの、寝ている老婆の首を絞め意識を奪い、風呂場に運び頸動脈を切り裂き血を吸った。久方ぶりのまともな食事だった。

 血を啜った後、死体を旅行鞄に詰め込み、家に持ち帰った。どこか遠くに捨てに行くような力は無かった。床下に、何とか人が、一人入るぐらいの穴を掘り、そこに埋めた。その匂いが家の中に充満していた。

 死体を家に持ち帰ったのはそれが初めてだった。どこかへ死体を移したいと考えていたが、腐った死体に触れたくはなかった。

 橋の下に住んでいたホームレスの件も失敗だった。

 飢えに耐えかね、近くの橋の下で暮らしているホームレスを狙った。眠っているホームレスに近づき、口を押さえナイフを首筋に突き立てようとした瞬間、横転した。ホームレスの老人に足払いを食らったのだ。ナイフは首筋を外れ老人の背中に刺さった。叫び声を上げる老人の脚を掴み、老人の腰の辺りにナイフを突き立てる。老人は暴れ回り、吸血鬼を蹴飛ばした。転がる。吸血鬼の体は半分ほど水の中に落ちた。老人は這うように逃げようとする。吸血鬼は追う。体は鉛のように重かった。

 立ち上がり逃げようとする老人の肩の服を掴んだ。ナイフを突き立てようとすると、老人は振りかえり、左の肘を吸血鬼に放った。あごに当たり、吸血鬼はバランスを崩し、橋脚のコンクリートの柱にぶつかった。「くそ野郎!」老人は叫びながら、逃げる。吸血鬼は、必死に追いかける。老人にぶつかりナイフを突き立てる。何度か突き立てると、老人の体から生命が漏れ出していることに気がついた。吸血鬼は慌てて、背中から漏れ出す血を吸い付くように啜った。血に混じり、老人の垢の匂いと汚れた衣服の味がした。脈動はすぐに途絶えた。

 ほんのわずかな血しか吸えなかった。

 汚れた血とナイフを川であらい、あらかじめ用意しておいた衣服に着替えた。人が近づく気配はない。ホームレスの老人の死体をどうするか少し悩んだが、どうにかできるような体力は吸血鬼にはなかった。

 飢えと惨めさを抱え、吸血鬼は帰宅した。


「せっかく吸血鬼になったというのに」
 へまばかりしていると思った。
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登場人物紹介

イーサン・クロムウェル

九百年間、吸血鬼だった男

エドワード・ノールズ

イーサンの相棒

モーリス

イーサンの元相棒

ブライアン・フロスト

吸血鬼対策課第九分室課長

シャロン・ザヤット

分析係

トム・ターナー

ミグラス市警殺人課の刑事

ビル・カークランド

吸血鬼対策課戦術部隊

パメラ・モートン

調達部

ヒーゲル

戦術班

ジェフリー・グレン

レイヴァン・アスカル

ラリー・ジョイス

オーガス・タルンド

ギャングの下っ端

ジム・ハモンド

ポーラ・リドゲード

ポーラ、子供時代

ブレア・モリンズ

ポーラ・リドゲードを警察に通報した夫人

村の老人

デニー・ウィルソン

強盗

強盗

カーシー・キャラバン

テレーズ市強盗殺人課の刑事

店主

コルム市警総務課、課長

デニー・ウィルソン

子供時代

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