第5話 魔女と悪魔のレース

文字数 5,169文字

 そこは、暗い沼の底の様なドロドロとした濁った黒い世界だった。そこはひたすら廃墟が続いていた。昨日まで味方だった筈のVXが暴動を起こしていた。仲間は次々と消し飛び、レイジは粘土細工のように捻り潰され、串刺しなった。離れたビルの上から、上半身は人ー下半身はクラーケンの様な大きな暗く静かな怪物が仁王立ちで、此方を見下ろしていたのだった。

 カケルは、午前8時半に目が覚めた。ここは、真っ白い病室だった。今日は眩しいくらいの快晴だ。あの、薄暗い不気味で気持ち悪い夢を見たのは久しぶりだった。何故、今更過去の色褪せた胸糞悪い出来事を見てしまうのだろうかー。
 そういえば、あの日比谷ミライが自分達を助けて来たのだが、そこから先は殆ど覚えてない。日比谷がやって来て、病院に搬送されたのは覚えている。自分とキースは干物の様に干からびており、疲れ果てていたのだ。彼女の携帯を操作する手は左手だった。しかもオッドアイで左頬に星の形の様なうっすらとした痣がある。間違いなく日比谷ミライである。彼女は組織側のジェネシスだったが、ここ数年で雲隠れしていたのだった。何故あのタイミングでひょっこり現れたのだろうかー。
 ふと、少年時代の組織にいた頃の思い出が流星の如く脳裏を過ぎった。日比谷ミライは時折幹部の人間達と共に、建物内から自分と仲間の訓練風景を眺めていたのだ。年は10代後半ば位だろうか。アクリル板の外から見る彼女は、マネキンの様に色白で華奢な身体つきをしており、ガラスの様なクリアな色素の薄い瞳をしていた。かつて、レイジが鬼の形相で眉間に皺を寄せ話していたのを覚えている。

『あの娘は魔女のクローンだ。僅かな感情の起伏で建物にヒビを入れてしまう程の破壊力を持っている。戦闘能力が魔物じみているんだ。まだ子供だから自身の力の制御も分からないだろう、いずれ対峙するかもしれんが、交戦してはいけない、すぐ逃げろ。』

カケルからしたら、あの儚いか弱そうな少女が、自分とは鯨と鰯程の差があるという事が、信じられなかったのだがー。レイジのいかにも死に行く戦士のような殺伐とした雰囲気を今でも覚えている。

昔、1度だけ彼女と間近ですれ違った事がある。休憩後の通りすがり、VXが負傷した仲間を不気味な位丁重に抱き抱えていたのが見えた。彼の右隣には日比谷ミライがいたのだ。ふと、彼女から無機質でドライアイスの様な冷えきった視線をカケルは感じた。VXはカケルに気を止めずに仲間を抱き抱え、カチカチ音を立てながらそのまますれ違った。カチカチした音は段々小さくなり、湖の様な深い静寂に飲み込まれたのだった。


  超巨大都市≪メガ-メガロポリス≫の中心部にあるオリンポス競技場は、20万人の観客を収容できる、超巨大ドームである。そこを囲うかのように、毎回違った趣向の壮大なコースが縦横無尽に設置されておりファイナルファンタジーさながらの世界を楽しめるのである。そのコースを走るレーサーは、最高時速600キロに到達すると言われている超高速マシンファルコンに乗り、技とスピードを競うのである。
清々しく澄み切った晴天下、そのオリンポス競技場は、まさに一大イベントが始まろうとしていた。そんな中、日比谷ミライは、コースをウォーミングアップしながら、昨日の青年2人の事をぼんやり考えていた。ー弱いー。仔猫の様に弱いのである。変な所で同胞の気配を感じて気になり、来てみたものの大したことない敵相手に苦悶していたのだ。
 日比谷ミライは、ギャラクシーレースにはさほど興味がなかった。むしろ、こんな危険で投機的なレースには好ましくはないと思っている。しかしこのレースをする度に、魔法にかかったかの様なふわっとした感覚を覚えるのである。これで、記憶が蘇る手掛かりが掴めるかもしれないー。
 ウォーミングアップを終え、ドームの裏口で控える。そこには、20人程の選手が待機している。オリンポス競技場は、幾千に及ぶ地獄の様なレースを駆け抜けてきた、最有力の選手しか出場してこない為、大抵のメンバーは顔見知りである。
「さぁ〜、始まりました!!!第5回ビックウェーブ賞金争奪戦、チャンピョンカップ!!!」 
巨大な電光掲示板には、各選手の名前と掛け金の総額が表示されていた。
「掛金総額2億!!」
「私は1レーンに20万掛けたわ。ハンサムで好みのタイプなのよね〜。」
「僕は5レーンに30万掛ける事にしたよ。最近伸び代が期待できる選手だからな。」
「私は2レーンに50万!だって一番イカしてるし!」
優雅な富裕層は王侯貴族の様に呑気にどの選手に掛けたかを話し合っていた。
 実際にレースに出るジェネシスは、全体の3割に満たない。しかし、彼等が危険なレースに出る理由はそれなりにあるのだ。レースに出て勝ち進むと、スポンサーが付くのだが、賞金でハイスペックなマシンに乗る事ができ仕事がスムーズになるのだが、中にはレースその物を本業とし、脚光を浴び億万長者になりたい人と、カケルやキースの様に何らかの深い事情を抱えている人もいるのである。
「ゼッケンナンバー1、トリスタン・ボロン!ナンバー二、ヒューゴ・ブル!ナンバー3、リゲル・ロード!ナンバー4、シリウス・ベクター!ナンバー5、日比谷未来!ナンバー6ー」
一瞬、日比谷の胸が大きく振動した。何か、重たい鉄のようなものが身体中にずっしりとつっかえたような感じになった。
ーリゲル・ロード・・・、シリウスベクター?ー
日比谷の額から汗が眉間を滴り落ちた。彼女は、心の中で命乞いするかのようにただひたすら復唱していた。すぐ横に悪寒を感じた。
ーシリウス・ベクターと、リゲル・ロードだ・・・。最悪だ。何でこのタイミングで奴らがいるのだろうかー。ー
「では、皆さん構えてー、」
ふと、シリウスと顔があってしまった。彼も何かを企んでいるのだろう。彼の口元が若干緩んだ様な気がした。ミライの心臓が激しくバクバクしている。まるで祭りの太鼓が激しく鳴り響くようである。
「レディー、Go!」
日比谷は、トビウオの如く真っ先に飛び出した。嫌な予感がしたのだ。極力奴らとの距離を取りたいー。早く逃げないと飲み込まれてしまうー。
「おーっと、日比谷選手、凄い勢いで出てきました!」
たちまち、リゲルがミライのすぐ後方についてきた気配を感じた。彼女の全身から冷汗が噴き出てきた。漆黒のおぞましい悪魔の視線を感じたのだった。バックミラーには、一瞬彼の眼がグレーに光ったのが見えた。

日比谷は、チーターから逃げる鹿の様にガンガン飛ばした。時折バックミラーを眺め、後方の様子を伺うー。少し後方から、トリスタンが何やら目に手を当てて激しく首を振ってサインを送っているらしかったが、その意味が分からないでいた。
 会場を出ると、眼下には超巨大都市≪メガ-メガロポリス≫が聳≪そび≫えていた。雄大なマリンブルーの海は、太陽の光に反射して瑞々しく煌めいていた。ミライは傾斜15度の螺旋状のレーンを小鹿の様にひたすら駆け抜ける。
しばらく走るとリゲルが再び磁石の様にピタリとくっついて来た。彼は背中からうねうねした無数の黒い手を伸ばしてきた。ミライのスーツは、冷や汗でぐっしょりだった。汗が川の様に流れてくる。彼女は途中でコースを脱線し、電磁場の強いエリアまで走る事にした。彼は化け(ビースト)だ。流石にそこまではこれまいー。
「おっと、番狂わせ、番狂わせだー!!!無名の選手が2位に躍り出ました!」
何も知らない司会者と観客たちは、お祭り気分でどよめいていた。
 しかし、途中で道が途絶えていた。切れ目から切れ目の距離は10メートル位だろうか。失敗すると、確実に死ぬ。ミライはビリビリと感電したかの様な感覚を覚えた。もう一人の自分がしきりに自分の手を引っ張っている様である。アドレナリンマグマの様に吹き出してくる。ミライはギア前回にし、向こう岸迄ダイブしたー。ファルコンは、翼が生えたかのように軽やかに空を舞い、そして着地した。
「おーっと、日比谷選手、跳びました!!!次世代のニューヒロインが、ここに参上しました!!!

シリウス・ベクターは、猫の様に靭やかに息を潜め後方の方を走っていた。コースの中腹を走った頃、彼の口元は不気味な位、軽く緩んでいた。ふと、軽く溜息をつくと、遥か上空の中継ヘリを軽く睨みつけた。
「邪魔くさいんだよな〜」
シリウスは、ヘリコプターに何かしらの不思議な見えない電波を送った。ヘリコプターは、魔力にに引っ張られるかのように、静かに停止し海に転覆したのだった。その直後、シリウスのすぐ前のガタイの良い選手がにんまりほくそ笑んだ。彼の右腕はたちまち熱を帯びた石になり、金槌の様に勢い良く地面を叩きつけた。するとレーンに大地震の様な地響きの様な爆音が走り、雪崩の様に崩れ落ちた。走っていた選手が次々とミニチュアの玩具の様に小さくなり、海の藻屑となった。

ミライはしばらく走り冷静さを取り戻すと、重苦しい圧を感じた。軽く後ろを振り返ると、リゲルがじっとこちらを見つめていた。すると魔法にかかったかのように右手が泥の様に溶けていった。ミライは、トリスタンのサインを理解した。奴と眼を合わせると危険と言う事かー。長い間リゲルの事を知ってはいたが、彼にはそのような能力は無かった。ミライは泥になった部分を、素早く( スキル)で結界を作り元の腕に再生したのだ。すると、たちまち鉛の塊の様なモノが蝙蝠傘(こうもりがさ)の様に広がり、ミライを覆い被さった。ミライは脱線し転落したが、蝙蝠傘(こうもりがさ)は、落下していく彼女をファルコン毎飲み込んだのだった。

トリスタン・ボロンは、日比谷とリゲルに次いで3位を順調に走っていたのだが、悪い夢を見ているかの様に状況がのみ込めないでいた。異世界に飛ばされたのだろうか。10分程前から、周囲に人が誰も居ないのだ。外界の超巨大都市(メガ・メガロポリス)にも、人の気配は全く感じられない。
  トリスタンはファルコンから降りると、コース全体を見渡した。やはり、他の選手の姿は見当たらないのだ。彼は辺り見渡すと、 高いところからズドンと急降下したかのような目眩を感じた。辺りから死体の腐った感じの異臭も漂っている。
 しばらくすると、遥か後方からノリの良いラップの音が聞こえてきた。音の主のファルコンは、トリスタンのすぐ後ろで急停止した。
「おい、どうしたー!?
ヒューゴ・ブルが、軽くハモりながら彼に近づいた。トリスタンは手すりにもたれながら、病人の様な顔貌で声の主を振り向いた。
「・・・何か、おかしくないか?」
「そうなんだよなぁー。俺の近く、ずっと誰も居ねぇんだ・・・。何か、静か過ぎてな。だから、軽く音鳴らしてたんだけど、どうなってるんだー?」
ヒューゴはメットとヘッドホンを外しファルコンから降りると、梟の様に首を傾げた。
「この非常事態に下品な曲はやめてくれ。虫唾が走るんだ!」
トリスタンの顔色は益々悪くなっていく。
「・・・ああ、悪いな。」
ヒューゴは渋々ヘッドホンの音量を切ると、トリスタンを見て虚をつかれたかの様に驚いた。
「お前、何したんだ!?」
「なぁ、身体が重くないかー?」
トリスタンは巨大な岩に押しつぶされたかのように、ゼェゼェ呼吸をしながらその場で両膝を着いた。
「は?何も感じないぜ?それより、お前ゾンビの様になってるぞ・・・。毒でも食ったのか?」
ヒューゴは軽く戸惑いながらトリスタンの方に近づくと、腕組みをして考え込んだ。
「俺は別にいいんだ。そんなことより、お前は早くそこから逃げた方がいい。」
トリスタンは今にも死にそうな形相である。ヒューゴは、溜息をつくとポケットから携帯を取り出した。すると、トリスタンが彼の脚を強く押した。
「・・・おい、早く、逃げろ!!」
トリスタンは手すりの向こう側をみながら、白蝋の様に青ざめている。
「だから、どうなってるんだよ!?」
ヒューゴは彼の制止を無視し、トリスタンの視線の先を見た。そして大きな目を毛糸のように細め、青ざめた。
「何なんだ・・・。あれはー?」
「馬鹿!不用意に見るな!!!」
トリスタンは、咄嗟にヒューゴを反対側に突き飛ばした。
ソレは、黒く泥々した塊だった。向こう側の建物にある、ブロック塀の隙間から黒いどろどろの塊がでて、人型の塊になった。人型の塊からニョキニョキリゲル・ロードが姿を現したのだった。
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登場人物紹介

キース・バークマン


主人公。アイルランド系のアメリカ人であり、角刈りで長身瘦躯の男。ワイルドな性格をしており酒癖と女癖が悪い。しかし、幼少の頃からジェネシスとしての過酷な訓練を受けており、武器の扱いに長け身体能力がが同胞の中でも遥かに高い。また、最高時速600キロを誇る、世界一危険で過酷なレース『ギャラクシー・レース』のトッププレイヤーでもある。大鳥に対してはレースにおいて自身のファンを取られた事を好ましく思ってない反面、戦いの時はしばしば暴走する彼に突っ込みや助言をするなどしている。昔、自身の親友や恋人が無残な死に方をした経験から、組織に猜疑心を持っており復讐の機会を狙っている。




大鳥 カケル


もう一人の主人公。長身で中世的な顔立ちをしている美青年のジェネシス。子供の頃、エンジニアである大鳥レイジの影響からメカや自動人形《オートマドール》に精通しており、各個体の性質や能力に詳しく戦い方も心得ている。時折、無鉄砲で命知らずな行動に出ることもあるが、それは被害を最小限に抑えるという自身の配慮でもある。普段は他人に柔和で時折笑顔を振りまいているが、それは本来の性格ではない。本来は冷静沈着であり、女嫌いな一面を持つ。人間《ノーマル》である母親とジェネシスである父親のハーフというイレギュラーな存在である。ハーフで実の両親の記憶も無く、子供の頃は時折疎外感を感じていた。組織に仲間や養父を虐殺された経験から、彼もまた復讐の機会を狙っている。

日比谷 ミライ


本作の最重要人物。オッドアイで左利き。右目が淡い緑色をしているが、普段はカラーコンタクトをしている。左頬に星形の痣がある。物静かで穏やかな性格をしており、丁寧口調で話す。とある重大な事件による過度なストレスにより、記憶の殆どを失っているジェネシス。実は大鳥からマークされている最重要人物であり、戦闘能力も桁違いである。

細身だが、身体能力は並みの人間を凌駕しており古めのvxなら一人で楽々倒すスキルを有している。本来の性格は冷徹で同胞や人の命に関心がなく、場合によっては平気で切り捨てるらしい。

大鳥 レイジ


カケルの養父であるジェネシス。身長193センチの長身で右ほほに大きな十字型の傷がある。非常に優秀なエンジニアであり、カケルにロボット工学のノウハウを授けた。かつては組織におけるナンバー2のポジションであった。自動人形《オートマドール》の開発や管理をしていたが仲間の陰謀により失脚し、自身の制作したvxに殺害されてしまった。

青木博士


穏やかで中年太りの大男である発明家。カケルの義手のメンテナンスをしている。マッドサイエンティストであり、研究に爆発や異臭を伴いしばしばご近所トラブルを起こしている。また、カケルが心を許す数少ない友人である。かつては組織に属していたが離反し、現在命を狙われている立場にある。組織内の情報や自動人形《オートマドール》に詳しく、また秘密の経路でしばしばカケルに情報を流している協力者でもある。

リゲル・ロード


大鳥レイジとウリ二つの顔をした、謎の美青年。身体全体を液体の様に自由自在に変形する能力を有している。常に無表情で冷淡な性格をしている。何らかの理由で日比谷の命を狙っている。かつてはジェネシスであったが、とある事件で化け物《ビースト》化してしまった-。

   何故かカケルに執着している。

シリウス・ベクター


組織の幹部。長身の優男。幼少期のカケルとは顔見知りであり、彼の両親を知る唯一の人物。大鳥レイジの死の真相も熟知している。また、リゲルに日比谷を捕らえる様に指示した。何かを企んでおり、日比谷の記憶が戻るのを心待ちにしている。

戦闘能力は未知数。謎のスキルがあるらしく、彼に攻撃しようにも弾きかえされてしまい、倍以上のダメージを喰らってしまう。

カケルや彼の両親についての秘密をにぎっている。

    彼の正体は並行世界の住人で、元は孤独で不器用な好青年だった。しかし、そちら側の日々谷をマシンに殺されてから、歪んだ性格になってしまった。やがて世界を憎み破滅へ導くようになる。

ヒューゴ.ブル


イギリス風の男。女好きで軽快な性格をしている。自身でラッパーを名乗っており、レース時は大音量で鳴らして走っている。大鳥が台頭する迄は、常に3位をキープしていた。ロック派のキースとはウマが合わなく、しばしば喧嘩をしている。

また、ことごとくトラブルに見舞われる体質の持ち主である。真っ先に日比谷やシリウス、リゲル等に遭遇したり、最新のVXに追われれる等している。

トリスタン. ボロン


フランス風の男。クールで毒舌家。タレ目で癖毛が特徴的である。落ち着いた静かな曲を好み、キースやヒューゴを煙たがっている。眠たそうな顔をしており、暇さえあればいつも昼寝をしている。レースでは大鳥が台頭するまでは、キースに次いで常に二位をキープしていた。

    かつては組織に属していたエンジニアであり、情報通でもある。

   組織やマシンに対し、激しい憎悪があり、時にはもて遊ぶ残酷な一面も持ち合わせている。

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