第二話 左近衛中将・源匡正
文字数 3,313文字
(まったくなぜ俺が、あのじゃじゃ馬のいうことを聞かねばならんのだ?)
馬上の主は眉を寄せ、空を見ては嘆く。
彼の父・
気の利いた歌を送ればいいのだろうが、匡正は馬や弓など躯を動かすことを好み、歌のほうはからっきしである。
親の七光りというわけではないが
そもそも、
帝は鬼を忌み嫌うどころか鬼の話がお好みである。さらに東宮時代からお忍びで御所の外にも出る。特に右大臣家には帝位に就かれた現在もひょっこり現るため、匡正の父・直臣は何度か卒倒しかけている。
降魔の太刀は、鬼や霊などの話が好きな帝のためにどこかの公卿が手に入れて献上したらしい。
よくもまぁそんな曰く付きのものを今日までよく無事に持っていられたものだと感心する一方で「持っていても使う機会がないからそなたにやろう」と言われても困る。相手が帝でなければ断っていたが、今のところ匡正に害はない。害はないが、鬼と遭遇するようになったのは太刀を譲られてからだ。
「またか……」
辻を曲がると、道の真ん中に鬼が通せんぼをしていた。
絵巻に出てくるような
「遊んでいられるほど暇ではないんだがな」
彼の友人には陰陽師がおり、その彼曰くその鬼は雑鬼という種類らしい。いたずら好きの可愛い奴と言ったが、匡正にはどう見ても可愛いようには見えない。
懐を探れば
彼はこれからその友人――安倍晴明を訪ねる途上である。
いつもなら酒でも飲まないかと誘いに向かう匡正だが、今日は違った。
一条通りに
晴明邸の門を潜ると「匡正さま」と声をかけられた。
髪を
晴明邸は
(……まさかあの方が来ているんじゃないだろうな……?)
匡正には、なるべくなら出会いたくない人間が二人いる。一人は
「やぁ、奇遇だね? 匡正」
主殿の中、晴明と向かい合わせに座っていた人物が、ぱらりと扇を開いて言った。
(やはり、この御仁だったか……)
そこにいたのは匂の宮といい、今上帝の異母弟である。
☆☆☆
「お兄さま、晴明さまにお願いしてくださらない?」
匡正が晴明を訪ねる二日前――邸で
匡正に「お願い」と言ってきたのは、七殿五舎・梨壺に尚侍として仕えている、匡正の妹の笙子である。
「おお、笙子どの。また一段と美しくおなりだ」
御所の護衛を勤める左近・右近衛府には中将が二人ずついて、菅原光暁は右近衛府の右近衛中将、匡正は左近衛府の左近衛中将で、匡正と光暁は幼なじみの仲でもある。
「光暁、このじゃじゃ馬のどこが美しいと? この俺を思いっきり棒で叩いたんだぞ」
「夜中こっそりと帰ってくるお兄さまがいけないんじゃなくて? 鬼ならば祓わなくてはなりませんもの。ねぇ? 中将さま」
兄妹の口喧嘩に巻き込まれ、菅原光暁は苦笑いをする。
確かに御所を警備する左近衛中将が、夜中こっそり忍び込むのはどうかと思うが、忍び込んだのは自邸の右大臣家である。
その日、友人の邸に酒に呼ばれて帰りが遅くなってしまったのだ。
「で、お願いとはなんだ? 笙子」
このときの笙子は御所にいるときのような女房装束ではなく、単衣に長袴、袿を五枚重ねた
「九条中納言さまをご存じ? お兄さま」
「お前……、俺を誰だと思っているんだ?」
匡正も御所に出仕する人間である。
すると光暁が
「確か梨壺の更衣さまは元は九条さまの一の姫、でしたな? 笙子どの」
「ええ。その梨壺の更衣さまの妹君がもう一月近くも眠ったままだとか」
「まさか、鬼が絡んでいるっていうんじゃないだろうな? 笙子」
「だから晴明さまにお願いしてと頼んでいるのよ」
笙子には鬼が視えるという
匡正のように突然視えるようになったのでなく、幼い頃からだ。
笙子曰くその姫は、もしかすれば東宮妃になるかも知れないという。
鬼の仕業なのかそれとも誰かの呪詛によるものなのか、笙子は晴明に調べてくれるよう頼んで欲しいという。
「お前が頼め。俺があいつに言っても動かんと思うぞ」
なにせ匡正が鬼が出たといえば「自分でなんとかしろ」という男である。王都に害を及ぼすほどの鬼なら力を貸すが、小者なら匡正でも大丈夫だろうというのだ。
確かになんとかはなったが。
女の頼みなら聞くかも知れないと勧めるも、笙子が思いっきり睨んで来る。
こうして匡正は、晴明を訪ねることになったのである。
だったのだが――。
(なぜこんな時に、この御仁がいるんだ……)
晴明邸を訪ねた匡正は、勧められるまま円座に腰を下ろした。真横には、晴明邸を訪ねていたもう一人の男――匂の宮が座っている。
綺麗に結われた頭髪に烏帽子、萌黄の直衣からは練り香の薫りが漂っている。
恋多き御仁だが、ものをはっきりいう性格で、人が気にしていることを抉ってくるため、苦手な人間にとってはできれば会いたくない人物になるだろう。まさに匡正がそうだった。
「
(いや、尼御前はいかんだろう……)
心のなかでつっこみを入れつつ、匡正は日を改めないといけないかと考えた。
「罰が当たりますよ。匂の宮さま」
晴明の指摘は尤もで、
「ああどうして、私の恋はこうも試練が」
扇で顔を覆って嘆く匂の宮に、匡正は呆れつつ嘆息した。
すると晴明が「お前の用は何だ」と言ったため、匡正は匂の宮の恋物語を聞かずに済んだのだった。
「未来の東宮妃のことだ。晴明」
匡正がそう切り出すと、先ほどまで嘆いていた匂の宮がいつもの彼に戻っていた。
「おや、初耳だねぇ」
匂の宮にとって東宮は甥、気になるのは匡正にもわかるが彼がこの件に絡むとややこしくなりそうで、できるならば帰って欲しいと匡正は思っていた。
「九条家の二の姫か……」
「なんだ、知っていたのか? 晴明」
「東宮妃になるかどうかまでは知らないが、新嘗祭の五節の舞でお見染めになられたとは聞いている」
「その二の姫が一月近くも眠っていることもか?」
「ああ。だからなんとかして欲しいと言われたよ」
「他に頼んで来た人間がいるのか?」
「帝だ」
するとまたも匂の宮が
「父親として子供の恋を叶えてやりたいのであろう。私も叔父として応援しようぞ」
と張りきりだした。匡正は匂の宮が本当に絡んできそうで怖かったが、もはや解決しないことには話は進まず、匡正は言った。
「問題は――姫がなにゆえ眠ってしまったのか、だ。晴明」