chapter1-4:彼は何故喪わなければならないのか

文字数 6,422文字

 



 あれから、もう何時間経ったのだろう。
 もはや繁華街の当てを全て回りきった僕は、全身が傷と痣だらけだった。


 ―――あの事務所を後にしてからの数時間、僕は再び方々の金貸しや事務所を転々と回り歩いていた。

 だが服も体もボロボロの子供の、あまりにも無様な金の無心の繰り返し。
 そんなものに取り合うような聖人がこの街にそう何人もいるものではない。

 当然どこにも門前払いにされ、気がつけば東の方角からは雲の切れ間から朝日が登り始めていた。

 ―――あの男性に貸してもらった二億は、貸しロッカーにしまってある。
 だから、あと集めなければならないのは……

「あと、一億……」

 そう、一億円。
 それほどまでに膨大な金額を、昼までに集めなければいけない。
 昼、と言われ明確な期限は区切られていなかったが、ここでは昼と呼ばれる最低ラインの11時がタイムリミットであると仮定する。

 あのヒーロー―――「クラッシュ・ロウ」の期限を損ねないよう、早ければ早いだけいいだろう。

 そして通りかかった公園の時計をふと見ると、長針が指しているのは―――



「……あと、5時間…………!」



 朝の、6時。
 ―――最早時間がない。

「クソ……クソ……!」

 自然と焦りが募り、息も荒くなる。
 確かに時間は残り少ないが、諦めるわけにはいかない。
 黙って二億を貸してくれた彼の暖かな善意に報いる為にも、どうにかあと一億を集めなければ。

 ―――だが、どうする。
 これ以上行く宛などない。
 だがあと6時間で、愛する家族の命運が決してしまうのだ、立ち止まってなんていられない。


(もはや、盗みを働くしかないのでは?)


 そんな声が、ふと脳裏を掠めた気がする。
 ―――だが、駄目だ。
 そんなことをしたら、あのヒーローの横暴なやり方とそう変わらないではない。
 人を害してまで得た結果で家族を救っても、その先僕も家族も平穏に暮らしていけるわけがないのだ。


 だけど、これ以上即座に大金を得ることのできる『まとも』な手段がないのも事実。


「どうしたら……」

 途方に暮れ、誰にともなく漏れた弱音。



 ―――そんなとき。


「―――そこの貴方?」


 どこからか、やけに甘ったるい女の声が響いた。


「……は?」

 その声に僕は怪訝な目を向ける。
 するとその声の元、視線の先には一人の女性がいた。
 公園のベンチにちょこんと座る女性の傍らにはそこそこに大きな水晶。

 ―――恐らくは占い師、だろう。それも場末の。



「貴方、死相が見えますよー?まるで誰かに脅されているような、そんな(かお)


「占いなんて、興味ない……」


 僕はその女性から顔を背け、その場を後にしようとする。

 正直、そんな眉唾に構ってなどいられる暇はないのだ。
 今はただでさえ時間がないのだから、彼女の詐欺めいた妄想話に付き合っていられるような心の余裕もない。



「まぁまぁ、そう言わずちょっと来て下さいな」

「……急いでるんだ」


 それでも食い下がってくる女性を、僕は思わず睨み付けてしまう。
 ―――今の僕は、どんな顔をしてるんだろう。
 これまでの人生を生きていて、これほど人にあからさまに敵意を向けたことなんてなかった。

 喧嘩すらして来なかった人生だ、今までの学友も皆一様に「怒った顔を一度も見たことがない」なんていうほどには。

 今はそれだけ、追い詰められてるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、僕が無視して足を進めようとしたその瞬間、



「三億円を用意するために?」



 衝撃的な質問が、彼女から発された。


「えっ―――!?」

 ―――なんで、その事を知っている!?
 僕の全身が強ばり、思わず目を見開く。


「なんでそれを……まさか、異能力?」

「違う違う!私26だし、異能力(スキル)を持ってない世代ですって!さっきも言ったでしょう、占いだって」

 僕の予想―――読心の力をもった異能力者なのかという問いに、その女は腕を振って否定する。

 最初は可愛い子ぶったような態度を取っていた女。
 それはあまりにもわざとしくて、あざとくて、違和感があって。
 僕はそれをみて、思わずを睨み付けてしまっていた。

「私の名はレイカ。ねぇ―――」

 何気なく挨拶から繰り出された問いへの流れ。

 ……だが途中、その声色が唐突に変わる。


「―――私と取引しましょう?残りの一億円が手に入るか入らないか、それで決まるかもよ?」

 先ほどまで話していた阿呆っぽい間延びした声とは違う、折り目正しい理路整然とした喋り方。

 そしてなによりもその話の内容に、思わず僕は衝撃を受けた。


「一、億……」

 こいつは一体なにを言って……いや、何を知っているのか。
 僕は思わず身構え、再び拳に力を込める。

「ほらほら、さぁ座って?」

「……」

 ―――だが女の促す素振りがあまりにもしつこいものだから、仕方なく僕は彼女―――レイカと名乗った女性の置く水晶の隣へと座った。

 彼女、水晶、僕。

 水晶を挟んで向かい合う位置で座ったのは、彼女がその方が話しやすいだろうと思ったからだ。


「よいしょっと」

 女は僕が座ると同時に水晶をそそくさとしまい、代わりに大きなジェラルミンケースのような箱を取り出す。
 持ち手の近くには大仰な電子錠のようなものが取り付けられており、その中身の貴重さが否応なしに伝わってくる。


「取引の内容は簡単。今から私が渡すあるものを装着して貰いたいのです」

 レイカはそういうと、一枚のカードキーのような物を電子錠にかざす。

 <承認:施錠機構開放(アンロック)

 電子音声と共に開いたケース。
 その中に収められている物を取り出すと、彼女はそれを僕の前に差し出した。


「これよ」



「なんだ、これ……玩具?」


 ―――差し出されたのは、玩具っぽいデザインの腕輪。

 その銀の外装や各部のディテールはおよそ玩具のそれとは程遠い高級感を感じるもの。
 だがそのデザインは、それこそ「特撮作品」なんかに出てくるようななりきりアイテムのようだった。


 ―――なんの冗談だ!


 僕はそう叫びたくなった。
 こんなおふざけに付き合っている暇はない、今は急いでいるということはお見通しだろうに。

 だがそんな抗議の声を発する直前、レイカは真面目な表情で続ける。


「これは「エゴ・トランサー」。『英雄達(ブレイバーズ)』も使用している、ヒーローに変身するのに必要なアイテムの一種なの」


 ―――これが、ヒーローの変身アイテム?

 身近な存在である能力者集団―――『英雄達(ブレイバーズ)』やそこに所属するヒーローの名前が出て、僕は思わず気圧(けお)される。

 思えば確かにクラッシュ・ロウの腕にもこのようなものが取り付けられていた、ような気がする。

 ……だがだとしても、なんでそんな貴重物をこの女が持っていて、なぜ僕に使わせようとしているのか。

「なんで、そんなもの……それに、そこのって」

 僕は問いを投げながら、玩具―――もとい「エゴ・トランサー」の横に置かれている物に目がいく。

 まるで電子回路のような装飾が各部に施された、数㎝ほどの長方形の物体。

 それは鳴瀬ユウのような一般人でも新暦に生きているものなら誰もが知っているものだった。

 ―――この新暦の世では広く使われている記録媒体の一つ、「記憶触媒(メモリ・カタリスト)」。
 旧暦では「USBメモリ」や「SDカード」等というものが普及していたそうだが、この記憶触媒(メモリ・カタリスト)が世に広まってからは瞬く間に対応製品が発売されなくなり今ではこの新しいアイテムだけが生き残っている。

「そう、記憶触媒(メモリ・カタリスト)の一種。これは異能力を凝縮した結晶体で、そのエゴ・トランサーに装填して使うの」



 異能力(スキル)を……凝縮?記憶触媒(メモリ・カタリスト)に?


 僕のなかの疑問は止まない。
 何故一般に普及してるような機器にそんな異常な機能が……?


 だが、よく見ると「エゴ・トランサー」と呼ばれた機械の開いたカバーの内側に記憶触媒(メモリ・カタリスト)を装填できそうなスロットがあることに気付いた。



 理由はとんと分からないが、彼女の話していること自体は本当らしい。
 となれば、余計に疑問が沸き上がる。


「だけどなんで、そんなのをあんたは持って―――」


「いいから、ほら着けてみて?」


 ―――追及しようとした瞬間、レイカは僕の腕を強引に掴む。
 左腕にはエゴ・トランサーを強引に装着され、右手には白い記憶触媒(メモリ・カタリスト)を握らされる。

「よーし、後は待つだけ」

 レイカは装着した僕の姿を見て満足すると、何かを待ちわびるようにただじっと凝視してくる。

 それから数十秒。
 結局付けて待ってはみたものの、一向に何かが起きる気配はない。

「あの、何も……」

 流石にしびれを切らし、僕はレイカにこれを外すように言おうとした、

 ―――その時だった。




「―――ッ!?」



 ―――視界が、ぼやけて周りが黒く染まる。
 全身の毛が逆立つ感覚が走り、強烈な吐き気が僕を襲った。


 そして手足の感覚も不意になくなり、僕は立っていられずに足元の土へと倒れこんだ。

「な……だ、これ……!?」

 頭痛がする。
 視界が歪む。

 ―――精神が、歪む。

「ぐぁ!?……が、ぐ……!」

 なにか口から込み上げてくるものがあって、その何かを無我夢中で吐き捨てる。



 ―――その吐き出した物が大量の血液であることに気付いたのは、意識を失う最後の一瞬だった。



「ふむ、適性はある、けど覚醒前か……」


 声が、聞こえる。
 鳴瀬ユウのこの有り様をまじまじと観察して、興味深げに覗きこむ女の声だ。


「……あ……が……」

「だいじょうぶ、約束通り一億はここに置いておくからね」


 何かのケースを地面に置く音と共に、声も足音も遠くなっていく。



 だがそれと同時に、僕の意識も―――


 ―――




 ―――こうして鳴瀬ユウは、意図せず一時の眠りにつくこととなったのであった。





 ◇◇◇



 眩しい光。

 それを瞼に受け、僕は目を覚ました。

「――――!?」

 意識の覚醒と共に、先ほどまでの事柄がフラッシュバックのように脳裏を駆け巡る。

 そうだ、変な機械を付けさせられ、そして意識を失い―――

「倒れて、たのか……?」

 見ると起き上がった僕の眼前には、一つのトランクが並べられていた。


「エゴ・トランサー」と記憶触媒の姿はない。
 あの女―――レイカが回収していったのだろうか。


 ―――どうでもいい、そんなことは置いておいてトランクの中身を改めなくては。

 そう思った僕はトランクを開いた。

 そのなかにあったのは―――

「一、億……!」

 レイカの言葉は、嘘ではなかった。
 箱の中に並ぶのは既に持っている二億と全く同じように並べられた金達。

 念のため数束取って確かめてみるが、中身はまさしく現金。

 少なくともさっと確認した半分ほどの札束には、ダミーのようなものは一切なかったのだ。

 ―――これなら、家族を助けられる!

 僕の心は躍る。
 一度は諦めかけもした家族の救済。
 それがどうにか、達成できそうだという喜びに胸のうちは熱く震えている。

「あっ、時間……」

 ふと気付いた僕が公園の時計を見ると、今の時間は10:30。

「まだ、間に合う……!」

 まだ土曜の11時前。
 昼と呼ぶには早いし、今届ければ問題なく「間に合った」といって差し支えないだろう。



 ―――画して僕は駅前へと向かい、二億を回収した。

 流石に重かったので、なけなしの小遣いでキャリーカートを買ってそれにケースを3つ積み込んだ。

 およそ30kgのカートを引きずりながら、僕は約束の場所―――あの少女と不良、そしてクラッシュ・ロウと遭遇した路地裏へと向かう。

 たいした距離ではないから、そう時間はかからなかった。


 到着したのはそれから数分後。
 商店街の時計で見たときは10時半頃だったから、今はそれよりどれだけ経っているとしても確実に11時前だろう。



 目的地まで歩きながらふと、考える。


 ……二億の返済はどうしようか。
 返す当てこそないが、あの男気を買って僕に金を託してくれた人を裏切るわけにはいかない。



 ―――だが、きっとどうにかなるか。


 事情を説明できないようなハンデを背負っても、どうにか金を集めることに成功したのだ。

 しっかりと説明をして、話を詰めれば方々からお金を借りることなんてきっと造作もない。


 その計画を固めるためにもとにかく今は、直近の問題を解決しなければ。



 ―――そんなことを考えながら歩いて、ついに到着。

 あの惨殺現場と化していた路地裏に、僕は戻ってきた。

 ―――だがその時、僕はある異変に気付く。

「あれ……?」

 あれほどあった死体が、影も形も残っていない。飛び散った血も弾けた頭も、撃ち抜かれた身体も残っていなかったのだ。

 ……それだけなら、警察が来て清掃を行ったと思えるかもしれない。

 だがそれにしては妙だった。

 ―――だって、警備がいないどころか規制線すら貼られていない。

 昨日今日起きたあの殺人に対して、このような対応があり得るわけが……

「……今は、そんなこと気にしてる場合じゃないか」

 僕はそんな疑問を振り払い、声をあげる。
 今はそれよりも三億の引き渡しが先だ、はやく渡してあの囚われた女の子も家族も救おう。


「さ、三億……用意しました!だから……!」


 路地に木霊する声。


 ―――だが、何分経ってもクラッシュ・ロウの姿はない。


「居ない……?」


 ―――まさか、ゲームに飽きたのか?
 僕の三億など待たず、彼女だけを強引に拐って雲隠れしたのか。

 沢山の可能性が脳裏を巡り、困惑の色だけが僕の表情に浮かぶ。




 だが。




 ―――ついに、思い至ってしまった。

 一つの、可能性に。



「―――まさか」


 思わず、走り出す。

 重いキャリーカートを無理やり引っ張り、僕はある場所へと急いで向かう。



 ―――まさか、まさか、まさか!


 そんなことはあり得ないと思いたい。
 でも、思い付いてしまったからには行かざる得なくて……



 そして。

 ついに到着する。


 ―――焦げた臭い。

 辺りに充満する煙。

 崩れ、散乱した瓦礫の山。




 僕は、気付くのに―――否、脳で理解するのに時間を擁してしまった。

 いや、きっと理解はすぐにしていたのだ。
 ただそれを認めたくなかった。知りたくなかったのだ。



「―――僕の、家?」


 ――その瓦礫の山が、愛すべき家族と共に暮らし続けてきた、大切な我が家であることを。



 そしてその時に聞こえたエコーがかった男の声。


 それが今の自分、鳴瀬ユウの置かれた状況を、嫌というほどに再認識させたのであった。




『おー、君かあ!元気だった!?』

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