第6話  あの頃 Ⅰ

文字数 1,159文字

道を歩く人の話し声が聞こえた。

女の子とお母さんの会話。
まるで耳元で話をしているような感じ。
私は眠っているはずなのに。

「今日教室でさ、先生が転んだんだよ。」
「えっ。どうして?」
私は暫くその会話を聞いていた。まるでその先生、私みたいだなって思ったのは覚えている。聞いている時にはリアルだったのに、もう一度目を覚ました時にはその内容はすっかり忘れていた。
「夢だったのかな。」
まだはっきりしない頭でそう考えた。
母娘の話だったと思うけど。

「お母さん。今日学校でね・・・。」
何度も言おうとして言えなかったセリフ。
義母(かのじょ)にとって私は何だったんだろう・・。
幼い私は何で嫌われているのか分からなかった。でも、お義母さんは私の事を好きじゃないという現実だけは理解できた。多分、本当の子供じゃないからかなって、幼いながら思っていた。

小さい内から諦めることを覚えて、言葉を飲み込むことを覚えた。そうやって外に出ることのなかった言葉は私の中に降り積もり、子供らしい感情を引力みたいに引っ張って、そこに抱え込んでしまった。

大人になって思い返すと、微妙な子供時代だって思う。私がもっと明るくて開けっ広げな性格をしていたら、また違っていたかも知れない。でもね。まあ仕方ないよ。そういう子じゃなかったし。
・・・もっと酷い子供時代を送った人もいるから。たいした事ではないと自分に言い聞かす。

 枕元の時計を見るともう午後1時過ぎだった。
昨日、結局終電を逃して始発が出るまでファミレスにいたのだ。3人とも飲み過ぎと、徹夜のふらふらする頭を抱えて話した。気が付くと誰かがテーブルに突っ伏して寝ている。それを無理やり揺り起こして、また話す。軽い拷問かな。これ。


二日酔いで頭が痛い。起きて水を飲み、そのまま頭痛薬も飲む。
 私は布団を被り直してもう一度眠ることにした。
頭の中では昨日の会話が甦る。


彼女らは文字通り、根掘り葉掘り聞いてきた。
「大学の公開講座で知り合ったのよ。」
 T大学の公開講座。心理学で有名な教授がいるその大学の公開講座で知り合ったのだ。
もう随分前の話だ。
たまたま雑誌の広告で知った。仏教系の大学の臨床心理学。
―自分を分析するー
「今まで知らなかった自分を知ることで、生きる意味を再構築する。」
そんなフレーズだった。
いつものならそんなの「ふん。」と鼻で笑ってお終いだったのに。
「生きる意味」という文に引っ掛かった。
何故ならそれがあの頃私の探していた課題だったから。

陸のいなくなったこの世界で生きる意味なんてあるのだろうか。
私の目に映る世界は色彩を失い、音は常に遠くから聞こえ、私とは関係ないところで毎日が動いていた。

私は取り残されていた。
生きる意味・・・そんなの見つかりっこないっていうのは分かっていたけど、なんとなく出掛ける気になったのだ。
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