第20話 ユウミには父親がいない
文字数 2,381文字
「別に怒っておらん。話をしておるだけじゃ」
「けど、おじいちゃん怖い」
怖い、の一語にユウジロウが言葉を詰まらせた。
数秒の沈黙。
部屋の外の会話や喧噪、空調の音さえもユウミには聞こえてくるように思えた。警察署の中だからというわけではないが、この部屋だけが静かだと言うことに違和感を覚える。どこかで電話の呼び出し音が響き、また別のところからは誰かのわめき声がした。署内に流れる業務連絡らしきアナウンス。また違う場所からはひそひそと話をする女たちの声。
ユウミはユウジロウを見つめた。
真剣な眼差しが返ってくる。一瞬、目をそらしたい衝動にかられるが彼女は堪えた。
ユウジロウがふんと鼻を鳴らす。
「もういい。ユウミ、帰るぞ」
★★★
もちろんすぐに帰れる訳ではなく、手続きをした後にユウミはユウジロウと警察署を出ることとなった。どういうつもりかキムが最後まで付き合ってくれたのだが、ユウミにはその理由がわからない。
初めこそ難色を示していたユウジロウも途中から何も言わなくなっていた。
ユウミはもう一人保護者が増えたような奇妙なくすぐったさがあったものの、キムが一緒にいてくれることに安心を感じていた。
淡い暖かな気持ち。
これは何なのだろう。
ユウジロウやハルキにもない、柔らかく穏やかな感情。それでいて胸のどこかが痛くなるような感覚。
今まで出会ったどの男に対しても感じることのない何か。
ぼんやりと想像してみたけれど、それがそうなのかユウミには自信がなかった。
今までずっと「エンカウントモンスターズ」に夢中でいたせいもあるのだが、心のどこかにこうした感情への引け目のようなものがあった。
年相応でない自分の身体。
子供じみていると自覚していてもやめられない「エンカウントモンスターズ」への情熱。
もしかしたら自分は母親に捨てられてしまったのではないかという心の傷。
それらがコンプレックスとしてユウミに見えない鉄球をくくりつけていた。
自分には「エンカウントモンスターズ」しかない。
ユウミはこれまでに何度となくつぶやいてきた言葉を心の中で繰り返した。
警察署にタクシーで来ていたユウジロウにキムが申し出る。
「私の車で送らせてもらえませんか」
「いや、結構」
「しかし今からタクシーを呼ぶよりは早いと思いますが」
「雲成委員長」
『委員長』を強調してユウジロウが言った。
「ワシらにあまり関わらんでくれ」
「おじいちゃん!」
ユウミは黙っていられなかった。
「そんな言い方酷いよ」
「いや、こやつはワシらとは住む世界が違う人間じゃ。一時の気の迷いで関わってこられてはかなわん」
「そんな……」
冷たい物言いにユウミは胸がきゅっとなる。身体の奥が熱くなった。
「おじいちゃん、酷い」
「いえ、私が無理に誘っただけですから」
ユウジロウのいる前だからだろう、キムの口調は少し変わっていた。
「ユウミさん、お気遣いありがとう」
「だいたいお前は他にやることがあるじゃろう。こんなところで油を売っていていいのか?」
「……いえ」
キムが首を振った。
「こうしていることも私にとっては大事なことです」
「まるで娘を心配する父親のようじゃな」
「そう見えますか?」
ユウジロウはこの質問に答えなかった。
「おじいちゃん、いい加減にして」
ユウジロウのキムへの態度は明らかに普通ではなかった。
口の悪さはいつものことだ。デフォルトといってもいい。
だが、キムへの言葉には敵意にも似たものがあった。それこそ過去に何かがあったのではないかと疑いたくなるほどだ。
「どうしてそんなにこの人を邪険にするの? この人と何があったの?」
「ユウミ」
悲しさが膨らんでいた。目からこぼれるものを抑えることができなかった。
「こんなのおかしいよ。あたし、こんなおじいちゃん嫌だよ」
何が嫌なのか。
どうして嫌なのか。
涙が出るほど感情が高ぶっているのにユウミの中にはぼやけたものがあった。
もしかしたら父親と間違われても不思議ではない年齢の男に自分は……。
「この子の父親はおらん」
ユウジロウが口を開いた。
「交通事故で亡くなったのじゃ。そして、お前は父親ではない」
「……ええ、確かに私は彼女の父親にはなれません」
「わきまえておるのならそれでいい」
ユウミは咎めようとユウジロウをにらんだが、ユウジロウに無視された。
またも沈黙。。
重苦しい空気のせいで押し潰されてしまいそうだ。
ちらとキムを見ると彼は何か考えているふうにも思えた。
つい、その顔に見とれてしまう。
相手は年上だ。
ユウミは自分に言い聞かせる。
それに立場もある。
あたしが想ってもいい人ではないのだ……。
★★★
結局、キムが引き下がり、ユウミとユウジロウはタクシーを利用した。
車に乗り込んでもユウジロウが行き先を伝えたのみでっあとは一言も口をきかなかった。
ユウミはユウジロウとは目を合わさず外を流れていく町野明かりをただ眺める。
言いたいこと、聞きたいことは山ほどあったが、それらを全て飲み込んだ。
特にいくつかの話は他人に聞かせたくない類であり、タクシーの中ではすべきでないと判じられた。
ユウジロウがもぞもぞと動きだす。
ユウミはちらとそれを見た。
和服の内から取り出したであろうスマホを手早くタップしている。誰かに連絡をとっているふうにも見えた。相手はわからない。あるいは単にメモを打ち込んでいるだけなのかもしれない。
再び外に目を戻しているとユウジロウのスマホが揺れた。
ユウジロウがつぶやく。
「ならワシがはっきりさせよう」
またタップする音が聞こえた。
「けど、おじいちゃん怖い」
怖い、の一語にユウジロウが言葉を詰まらせた。
数秒の沈黙。
部屋の外の会話や喧噪、空調の音さえもユウミには聞こえてくるように思えた。警察署の中だからというわけではないが、この部屋だけが静かだと言うことに違和感を覚える。どこかで電話の呼び出し音が響き、また別のところからは誰かのわめき声がした。署内に流れる業務連絡らしきアナウンス。また違う場所からはひそひそと話をする女たちの声。
ユウミはユウジロウを見つめた。
真剣な眼差しが返ってくる。一瞬、目をそらしたい衝動にかられるが彼女は堪えた。
ユウジロウがふんと鼻を鳴らす。
「もういい。ユウミ、帰るぞ」
★★★
もちろんすぐに帰れる訳ではなく、手続きをした後にユウミはユウジロウと警察署を出ることとなった。どういうつもりかキムが最後まで付き合ってくれたのだが、ユウミにはその理由がわからない。
初めこそ難色を示していたユウジロウも途中から何も言わなくなっていた。
ユウミはもう一人保護者が増えたような奇妙なくすぐったさがあったものの、キムが一緒にいてくれることに安心を感じていた。
淡い暖かな気持ち。
これは何なのだろう。
ユウジロウやハルキにもない、柔らかく穏やかな感情。それでいて胸のどこかが痛くなるような感覚。
今まで出会ったどの男に対しても感じることのない何か。
ぼんやりと想像してみたけれど、それがそうなのかユウミには自信がなかった。
今までずっと「エンカウントモンスターズ」に夢中でいたせいもあるのだが、心のどこかにこうした感情への引け目のようなものがあった。
年相応でない自分の身体。
子供じみていると自覚していてもやめられない「エンカウントモンスターズ」への情熱。
もしかしたら自分は母親に捨てられてしまったのではないかという心の傷。
それらがコンプレックスとしてユウミに見えない鉄球をくくりつけていた。
自分には「エンカウントモンスターズ」しかない。
ユウミはこれまでに何度となくつぶやいてきた言葉を心の中で繰り返した。
警察署にタクシーで来ていたユウジロウにキムが申し出る。
「私の車で送らせてもらえませんか」
「いや、結構」
「しかし今からタクシーを呼ぶよりは早いと思いますが」
「雲成委員長」
『委員長』を強調してユウジロウが言った。
「ワシらにあまり関わらんでくれ」
「おじいちゃん!」
ユウミは黙っていられなかった。
「そんな言い方酷いよ」
「いや、こやつはワシらとは住む世界が違う人間じゃ。一時の気の迷いで関わってこられてはかなわん」
「そんな……」
冷たい物言いにユウミは胸がきゅっとなる。身体の奥が熱くなった。
「おじいちゃん、酷い」
「いえ、私が無理に誘っただけですから」
ユウジロウのいる前だからだろう、キムの口調は少し変わっていた。
「ユウミさん、お気遣いありがとう」
「だいたいお前は他にやることがあるじゃろう。こんなところで油を売っていていいのか?」
「……いえ」
キムが首を振った。
「こうしていることも私にとっては大事なことです」
「まるで娘を心配する父親のようじゃな」
「そう見えますか?」
ユウジロウはこの質問に答えなかった。
「おじいちゃん、いい加減にして」
ユウジロウのキムへの態度は明らかに普通ではなかった。
口の悪さはいつものことだ。デフォルトといってもいい。
だが、キムへの言葉には敵意にも似たものがあった。それこそ過去に何かがあったのではないかと疑いたくなるほどだ。
「どうしてそんなにこの人を邪険にするの? この人と何があったの?」
「ユウミ」
悲しさが膨らんでいた。目からこぼれるものを抑えることができなかった。
「こんなのおかしいよ。あたし、こんなおじいちゃん嫌だよ」
何が嫌なのか。
どうして嫌なのか。
涙が出るほど感情が高ぶっているのにユウミの中にはぼやけたものがあった。
もしかしたら父親と間違われても不思議ではない年齢の男に自分は……。
「この子の父親はおらん」
ユウジロウが口を開いた。
「交通事故で亡くなったのじゃ。そして、お前は父親ではない」
「……ええ、確かに私は彼女の父親にはなれません」
「わきまえておるのならそれでいい」
ユウミは咎めようとユウジロウをにらんだが、ユウジロウに無視された。
またも沈黙。。
重苦しい空気のせいで押し潰されてしまいそうだ。
ちらとキムを見ると彼は何か考えているふうにも思えた。
つい、その顔に見とれてしまう。
相手は年上だ。
ユウミは自分に言い聞かせる。
それに立場もある。
あたしが想ってもいい人ではないのだ……。
★★★
結局、キムが引き下がり、ユウミとユウジロウはタクシーを利用した。
車に乗り込んでもユウジロウが行き先を伝えたのみでっあとは一言も口をきかなかった。
ユウミはユウジロウとは目を合わさず外を流れていく町野明かりをただ眺める。
言いたいこと、聞きたいことは山ほどあったが、それらを全て飲み込んだ。
特にいくつかの話は他人に聞かせたくない類であり、タクシーの中ではすべきでないと判じられた。
ユウジロウがもぞもぞと動きだす。
ユウミはちらとそれを見た。
和服の内から取り出したであろうスマホを手早くタップしている。誰かに連絡をとっているふうにも見えた。相手はわからない。あるいは単にメモを打ち込んでいるだけなのかもしれない。
再び外に目を戻しているとユウジロウのスマホが揺れた。
ユウジロウがつぶやく。
「ならワシがはっきりさせよう」
またタップする音が聞こえた。