第2話 カリスマ政治家・志摩子元総理

文字数 3,222文字

「お食事お持ちしました」
お義母さんとお義父さんは毎食、自室で食事をとる。
二人は私が10年前に再婚した相場勝の両親である。

普段、 トレイに料理を盛り付けて部屋に運ぶと、食後は
「恭子さんのごはんで長生きさせてもらってます。いつもありがとう。」
と義母が感謝を添えて空になった器をキッチンへ運んでくる。
基本的に義両親二人の生活に私の介助が必要なことはほとんどない。
買い物や定期的な通院などは義妹の紀子さんに送迎してもらっているようだし、掃除や洗濯は義母が行っている。
義両親側のトイレと風呂の掃除をすると感謝されたりもする。
血の繋がっていない私達にも謙虚で感謝を忘れない義母に好意を抱くし、私も感謝せずにいられない。

「お義母さん、志摩子総理の特集番組、5チャンネルでやってますよ」
義母は、前総理大臣・小林志摩子の大ファンで、志摩子が出演するテレビ番組は欠かさず見ており、未来党への支援を惜しまない。
「教えてくれてありがとうね、恭子さん。こんな暮らしができるのも志摩子様のおかげだからね」
志摩子様のおかけ、が義母の口癖だ。
志摩子の特集番組はたびたび放送されているが、今日は私もふとついていたテレビをみていた。

まだ70代前半の 志摩子は現在ガンを患っており、本人の希望で手術や抗がん剤治療はしておらず、先が長くないと言われている。
総理就任当時、反発も多い「新・家族法」を強行採決し、政治家としての志摩子は賛否両論だった。
だが
「私に一世一代のコーディネート、させてください」
という公約をもとに、カリスマコーディネーターだった志摩子は10年かからず見事に日本の財政を立て直した。
超高齢化と超少子化が、社会保障費を爆発させて崩壊寸前だった日本財政を
「介護と子育てを家族で助け合って行いましょう」というスローガンで、抵抗勢力に負けずいろいろな改革をやってのけていった。

たとえば
消費税は1%になったし、
相場家のような 二世帯以上の同居家族には固定資産税の減免が許された。

破綻しかけていた年金制度は、老齢年金の廃止という強硬手段をとり、
その代わり現役世代が負担する年金保険料は半減、遺族年金と障害年金はむしろ手厚くなった。

年金財源を補完するためにも現役世代と同居していない高齢者が所有する財産や預貯金は国が管理することを法制化し、彼らの老後の生活は国が社会主義的に管理することとなった。
親と同居していないと財産を相続することもできなくなってしまうため同居する若者世帯が増え、親の介護を担う勤労世代には逆に介護手当が支払われた。

医療費の負担を見直すため、
「健康寿命をまっとうする以外の長寿に意義なし」
「次世代に負担も迷惑もかけない。」
という持論から、一定年齢をこえた高齢者の手術や高額治療を禁止し、志摩子本人も実践していることから幅広い世代に支持されている。

独身の税負担が重いのは常識で、単身アパートなどは建築許可が下りなくなった。
逆に3人以上の子女を養育する夫婦には必要以上に児童手当が支給されたり優遇措置が用意され、だから当たり前に生涯未婚率が激減し、出生率が劇的に増加に転じた。
「独身でいると損。圧倒的に損。」
婚活市場での成婚率は急上昇した。 
同性婚や養子縁組も抵抗感が低くなり、「他人だろうが家族になろう」という感性が醸造され始めた。
都会の人口密集は緩和され、在宅やリモートワークを採用する企業に人気が集中、家族で自営業を始めたり、就農する家族もふえてきた。

これらの変化をスムーズにしたのが志摩子達「コーディネーター」の存在だ。
コーディネーターは、婚活だけでなく、養子縁組やビジネスマッチング、流通、移住、インフラ整備など多岐に渡って活躍し、新しい家族法に見合った社会を徐々に成立させていった。

『私の政治は性悪説に基づく懲罰政治。批判されるのが当然の恐怖政治なのです。』
テレビで病床の志摩子本人のインタビューが流れている。
『税金を余計に取られたくないという心理を悪用しているとか、メリットを感じる者同士の形骸的なつながりのどこが家族だ、とかよく批判されますが、全くその通りなのです』
『新世代には、この形だけといわれる家族から真実を生み出してほしいと、私はそう願っています。』
志摩子は笑顔で目をつむった。
現在、志摩子の息子が内閣総理大臣になっている。
こんな世襲は異例だが、志摩子の政治をよくも悪くも責任を負うという意味で、総裁選は息子の小林秀英が圧勝した。
まだ50前の秀英は地方の中小企業に有利な公共事業を展開し
重鎮政治家や上場企業などから 反発されているようだが、
支持率は母の志摩子を上回っており、未来党の政権は安泰だとテレビは締めくくった。

実際、私も夫も15年まえに新・家族法ができたおかげで今があるのは間違いない。
市役所職員の斉藤郁子さんが、勝さんと私の結婚話を相場家に持ちかけた時、夫57歳、私は36歳。
20歳以上年の離れた恋愛感情の存在しない私たちの結婚は、お互いのメリット・デメリットをうまく擦り合わせ、多少強引にコーディネートしてくれた斉藤さんがいなかったら絶対に成立しなかった奇跡だ。

私にとって結婚の条件はただ一つ、肉体関係を持たないこと。
それ以外のことは我慢しなければならないと覚悟していた。
再婚前は、働いても働いても死んだ父の家のローンが払えず、子供たちにひもじい想いをさせていた。
雨風しのげる場所と満足な食事を子供たちに与えることができるならば、多少の暴力や暴言など、大抵のことは耐えられると思っていた。
それでも、恋愛感情もなく、二人の子供まで養ってもらう結婚に当初は不安しかなかった。
こんなことができたのは、やっぱり志摩子の新・家族法のおかげだと私も思う。

家族法によって土地の価格が全国的に上昇し、代々農業を営む相場家の固定資産税は支払い能力を超えるものになってしまった。
さらに、勝さんと紀子さんが未婚で独身だったため、働けど働けど収入は増えないし先祖代々の土地も財産も貯蓄はゆくゆく国に取られてしまう。
相場家にとっては、義両親と私達夫婦が同居することで、固定資産税が年間200万円以上少なくなり、介護手当や児童手当が支給される。
凛を養子に迎え子供が3人になることも優遇になるし、途絶えかけていた相場家に農業の後継者となる男子ができ、介護経験のある私が同居することはとても喜ばれた。
若いころから婚活していても成婚にいたらなかった勝さんのことを義両親達はあきらめきっていたので、勝さんの友人でもある斉藤さんから紹介された私との再婚の話は最後のチャンスと思ってくれたようだ。

義母はにわかに信じがたい私たちの結婚のために、古くて広い農家の家だった相場家のリフォーム工事費用を全部負担してくれた。
義妹の紀子さんの部屋を離れた位置に増改築し、キッチンと風呂とトイレを各2か所づつリフォーム、優人と陽菜へ個室も用意してくれた。
義母は若いころ、親の言いつけで嫁に来た相場家で姑や小姑に嫌がらせされ、夫は自分を守ってくれず、離婚することもできず、ずっと耐えてきたとのこと。
「このままにしてても国に持っていかれるだけのお金なんだから、どうせだったら志摩子様のコーディネートを信頼してパーッと使っちゃいましょう。恭子さん、私が生きてる間はあんた達をわたしが守るから、私がいなくなったら勝と紀子のこと、よろしく頼むね。」
ほとんど意思能力のない義父の代わりに義母は相場家の意志決定の要なのだ。
義母はつつましく蓄えてきた財産のほとんどをつぎこんでしまうほど、志摩子のコーディネートを信頼し、斉藤さんのことを信用して、私達に人生をかけてくれた。
だから私も相場家に一生を捧げる覚悟だし、全身全霊で勝さんを幸せにしてあげなければならないと思っている。
もし、こんな奇跡を計算して『新・家族法』を強硬採択したのであれば、志摩子はほんとうにカリスマだ、としみじみ思った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

相場 恭子 47歳 主婦

相場 勝 68歳 農業

相場 優人 20歳 会社員

相場 陽菜 18歳 高校生

相場 凛 10歳 小学生

相場 ツネ 勝の母

佐野 琴音 (株)インビジブルハンドの相場家担当コーディネーター見習い

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み