第10話:中東紛争の調停とイラクの不穏な動き
文字数 2,046文字
その後、クウェートに限れば、イラクが890億ドルの損害を被った。それだけでなくイラクの領土にあるルマイラ油田から石油を盗掘していると訴えた。そして盗掘が1980年代から続いておりイラクは24億ドルも損をしていると述べた。さらにクウェートが、国境付近のイラク領内に軍事基地を建設していると非難した。
クウェートはルマイラ油田から大量採掘を行ったが、この油田は、イラクも領有を主張、過去幾度か帰属を巡って対立してきた歴史がある。地下でイラク・クウェートの油田が繋がっていると考えられた。イラクの批判にクウェートのジャービル首長は、単なる金目当ての脅しと判断しイラクの主張を否定すると共に軍を動員した。
また、クウェート国内では石油利益配分を巡って対立が起こり政府がイラクに無償援助した約百億ドルを返済させる運動が起こった。そのため、クウェートはイラクに返済を働きかけたが、当然ながらイラクには返せる財産はなく反対に更なる援助を要求され両国は外交的衝突に至った。この事態に周辺アラブ諸国が仲介に乗り出した。
7月20日、サウジアラビアのファイサル外相が同国のファハド国王の親書を携えてイラクを訪問。同日、アラブ連盟のチェディル・クライビー事務総長がクウェートを訪れてジャービルを説得した。そしてクウェート政府は、イラクとの間で盗掘問題を交渉することに合意したと発表し、クウェート軍の動員も解除した。
これらの外交交渉は、内心イラクの軍事的脅威を恐れるクウェート側がサウジアラビアやアラブ連盟に19日の段階で働きかけていたものだった。7月21日には、エジプトのホスニー・ムバラク大統領がフセイン大統領と電話で会談し慎重な対応をするように説いた。22日にはエジプトをアズィーズ外相が訪れた。
しかし、同日、イラク国営通信は、「クウェートは湾岸への外国勢力侵入に手を貸してる」というイラク政府報道官の談話を発表した。国営紙「ジュムフーリーヤ」も「クウェートは、まだイラクの油田盗掘を止めていない」とイラクによる激しいクウェートによる非難は収まらなかった。
事態を重く見たムバラク大統領は、問題解決のためにイラク・クウェート両国を訪問する意思があると表明しアラブ外相会議の開催を求めた。一方で、当事者であるイラクとクウェートに対しては非難合戦を止めるよう求めた。しかし、そんなアラブ各国の動きを横目にイラクは7月24日、クウェート国境に3万人の兵力を集結した。
同日、ムバラク大統領はイラクを訪問しフセイン大統領に対してクウェートへ軍事行動を起こさぬよう釘をさし、イラク、クウェート、サウジアラビア、エジプトから成る4カ国会議を提案した。これに対してフセイン大統領は、クウェート側への要求として石油盗掘分の24億ドルの支払いと国境画定に向けた直接交渉を求めた。
もし、受け入れられなければイラクは、軍事行動を取ると述べた。ムバラク大統領の提案した4カ国会議は、クウェートに有利なものであったため、イラクが孤立することを恐れたフセイン大統領は、7月25日に4カ国会議を拒否し、あくまでもクウェートとの直接交渉を求めた。
同日、フセイン大統領と会談を行ったアメリカのエイプリル・グラスピー駐イラク特命全権大使が、この問題に対しての不介入を表明した。それもあり、ついにイラク軍が動いた。7月27日にはクウェート北部国境に共和国防衛隊集結をアメリカ軍の偵察衛星も確認した。集結した戦車隊は砲門を南側へ向け、威嚇していた。
アメリカはこれを周辺アラブ諸国に通知した。しかし、湾岸諸国は、あくまでクウェートに対する脅しと考えた。そして、まるで相手にしなかった。OPECはフセイン大統領を懐柔する為に原油価格をそれまでの18ドルから21ドルに引き上げた。しかし、フセイン大統領はすでに交渉による解決に関心を示さなかった。
一方、クウェートは、充分な防衛体制を敷かなかった。7月31日のジッダで開かれた両国会談では、イラク側代表のイッザト・イブラーヒーム革命指導評議会副議長がこれまでの要求だけでは、なかった。以前の要求に加えてイラクが長年領有権を主張していたワルバ島とブビヤン島をイラクに割譲せよと要求をエスカレートさせた。
これに対してクウェート側代表のサアド首相はイラクの要求を拒否すると共に話し合いの継続を希望するとだけ答えた。イラクは、次回協議をバグダードで開くことをほのめかし、会議は、全く成果なく終了した。8月1日に両国を仲介していたムバラク大統領とパレスチナ解放機構のアラファト議長は、イラクのクウェート侵攻は無いとクウェートに明言。
そして自国のテレビで断言した。イラクとクウェートの武力衝突は避けられると思われた。ところが、1990年8月2日2時「現地時間」、戦車350両を中心とする共和国防衛隊機甲師団10万人はクウェート侵攻を開始し、ムバラク大統領とアラファト議長を完全に出し抜いた格好だった。
クウェートはルマイラ油田から大量採掘を行ったが、この油田は、イラクも領有を主張、過去幾度か帰属を巡って対立してきた歴史がある。地下でイラク・クウェートの油田が繋がっていると考えられた。イラクの批判にクウェートのジャービル首長は、単なる金目当ての脅しと判断しイラクの主張を否定すると共に軍を動員した。
また、クウェート国内では石油利益配分を巡って対立が起こり政府がイラクに無償援助した約百億ドルを返済させる運動が起こった。そのため、クウェートはイラクに返済を働きかけたが、当然ながらイラクには返せる財産はなく反対に更なる援助を要求され両国は外交的衝突に至った。この事態に周辺アラブ諸国が仲介に乗り出した。
7月20日、サウジアラビアのファイサル外相が同国のファハド国王の親書を携えてイラクを訪問。同日、アラブ連盟のチェディル・クライビー事務総長がクウェートを訪れてジャービルを説得した。そしてクウェート政府は、イラクとの間で盗掘問題を交渉することに合意したと発表し、クウェート軍の動員も解除した。
これらの外交交渉は、内心イラクの軍事的脅威を恐れるクウェート側がサウジアラビアやアラブ連盟に19日の段階で働きかけていたものだった。7月21日には、エジプトのホスニー・ムバラク大統領がフセイン大統領と電話で会談し慎重な対応をするように説いた。22日にはエジプトをアズィーズ外相が訪れた。
しかし、同日、イラク国営通信は、「クウェートは湾岸への外国勢力侵入に手を貸してる」というイラク政府報道官の談話を発表した。国営紙「ジュムフーリーヤ」も「クウェートは、まだイラクの油田盗掘を止めていない」とイラクによる激しいクウェートによる非難は収まらなかった。
事態を重く見たムバラク大統領は、問題解決のためにイラク・クウェート両国を訪問する意思があると表明しアラブ外相会議の開催を求めた。一方で、当事者であるイラクとクウェートに対しては非難合戦を止めるよう求めた。しかし、そんなアラブ各国の動きを横目にイラクは7月24日、クウェート国境に3万人の兵力を集結した。
同日、ムバラク大統領はイラクを訪問しフセイン大統領に対してクウェートへ軍事行動を起こさぬよう釘をさし、イラク、クウェート、サウジアラビア、エジプトから成る4カ国会議を提案した。これに対してフセイン大統領は、クウェート側への要求として石油盗掘分の24億ドルの支払いと国境画定に向けた直接交渉を求めた。
もし、受け入れられなければイラクは、軍事行動を取ると述べた。ムバラク大統領の提案した4カ国会議は、クウェートに有利なものであったため、イラクが孤立することを恐れたフセイン大統領は、7月25日に4カ国会議を拒否し、あくまでもクウェートとの直接交渉を求めた。
同日、フセイン大統領と会談を行ったアメリカのエイプリル・グラスピー駐イラク特命全権大使が、この問題に対しての不介入を表明した。それもあり、ついにイラク軍が動いた。7月27日にはクウェート北部国境に共和国防衛隊集結をアメリカ軍の偵察衛星も確認した。集結した戦車隊は砲門を南側へ向け、威嚇していた。
アメリカはこれを周辺アラブ諸国に通知した。しかし、湾岸諸国は、あくまでクウェートに対する脅しと考えた。そして、まるで相手にしなかった。OPECはフセイン大統領を懐柔する為に原油価格をそれまでの18ドルから21ドルに引き上げた。しかし、フセイン大統領はすでに交渉による解決に関心を示さなかった。
一方、クウェートは、充分な防衛体制を敷かなかった。7月31日のジッダで開かれた両国会談では、イラク側代表のイッザト・イブラーヒーム革命指導評議会副議長がこれまでの要求だけでは、なかった。以前の要求に加えてイラクが長年領有権を主張していたワルバ島とブビヤン島をイラクに割譲せよと要求をエスカレートさせた。
これに対してクウェート側代表のサアド首相はイラクの要求を拒否すると共に話し合いの継続を希望するとだけ答えた。イラクは、次回協議をバグダードで開くことをほのめかし、会議は、全く成果なく終了した。8月1日に両国を仲介していたムバラク大統領とパレスチナ解放機構のアラファト議長は、イラクのクウェート侵攻は無いとクウェートに明言。
そして自国のテレビで断言した。イラクとクウェートの武力衝突は避けられると思われた。ところが、1990年8月2日2時「現地時間」、戦車350両を中心とする共和国防衛隊機甲師団10万人はクウェート侵攻を開始し、ムバラク大統領とアラファト議長を完全に出し抜いた格好だった。