第5話 正語

文字数 956文字

 九我正語(くがしょうご)が、車で東京・八雲の自宅に着いたのは夜10時を過ぎていた

 以前この家の前は道路を隔ててコンクリートの高い壁が続いていた。
 壁の向こうには都立大学とその付属高校が建っていたが、現在高校は閉校、大学は移転。跡地は多目的施設や図書館が建つ広大な公園になった。

 電動シャッターをくぐり、車を降りた正語は7月の月を見上げて大きく伸びをした。

 満月だった。
 夏の夜風も心地よい。
 
 26歳。元警察庁長官の孫ということもあり、現在庁内のエリートコースを順調に進み、警視になったばかり。
 『この世をば』といった心境か。





 上着を肩に担ぎ、鼻歌交じりに玄関の扉を開けると、従兄弟の秀一(しゅういち)がパジャマ姿で立っていた。
 正語の機嫌が更に良くなる。

「おかえり」

 と秀一は手を差し出して、正語から上着を受け取った。
 指がすんなりと長い、華奢な手だった。

「オレ、週末にみずほに行ってくる」

 みずほとは、秀一の生まれ故郷。
 S県の外れにある小さな町のことだ。

 夏休みの帰省かと、正語は軽くうなずいた。
 
 完璧なアーモンドの形をした青灰色の目が、真っ直ぐに正語を見上げている。どこを見ているのかわからないガラス玉のような瞳だった。

「兄さんのスマホが出てきたんだ」

「そうか、よかったな」

 ()くしものが出てきたのかと、正語は単純にそう思った。

 秀一は小さく首を傾げて、何か考え込むような顔をした。

 白い首筋を見ているうちに全身の血がざわつき出した。
 正語は目を()らし、大股で家の中に入った。

「今、データの復元、してもらってる」

 秀一は正語の上着を抱えながら後ろをついてきた。

「正語も、みずほに一緒に行かない?」

「行かない」

 正語は前を向いたまま、ぶっきらぼうに答えた。
 答えて、さすがに冷たかったかと、振り返った。

 階段を上がっていく細い後ろ姿に、何か声をかけようかと思ったが、止めた。
 ただ見送った。

 母親を亡くした小学生の秀一がこの家にやってきたのは、正語が高校生の時だった。
 それ以来正語は自分の感情を持て余してきた。
 自分はペドなのかとゾッとした時期もあった。

 何にしても。

 (こんなこところで(つまず)いてたまるか!)

 自分が夫差(ふさ)なら、西施(せいし)を献上されても退けて首をはねるだろう。

 夢中になるのがわかっている相手など、関わらない方が賢明だ。

 
 
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登場人物紹介

鷲宮秀一、主人公の高校生

九我正語(くがしょうご)、秀一の従兄弟、警察官

九我正思(くがしょうじ)正語の父親。人の恋愛感情を瞬時に見抜く特殊能力を持つ。

九我光子、正語の母親。秀一の伯母。

雅、介護士。雅は熟女スナックにいた時の源氏名。本名は不明

夏穂、秀一の幼馴染。秀一に片思い。

涼音(すずね)、秀一の幼馴染

武尊(たける)、秀一の幼馴染

賢人、秀一の甥っ子

真理子、みずほ中学の教師

コータ、真理子の弟、秀一の幼馴染

野々花、パンケーキ店の女主人

岩田、秀一のテニスの師匠

鷲宮一輝(故人)秀一の兄

鷲宮輝子(故人)秀一の母親。正語の母親、九我光子の妹

水谷凛、夏穂の従姉妹

鷲宮智和、秀一と一輝の父親

鷲宮高太郎、智和の兄

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