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文字数 2,812文字

 クイーンサイズのウォーターベッドが、今日の、わたしの舞台だった。
「フリーランスの子を買うのは、初めて、ですか?」
 組み敷いて早々に首筋に噛みついてきた男に、わたしは(たわむ)れに訊いてみた。微かに喉を鳴らして、肩を震わせて、(ささや)くように言うと、気を良くしたらしい男は、角度を変えてもう一度、わたしの肌を吸いながら、味わうように歯を立てた。無精髭が、ちくちくと刺さる。
「ああ、やっぱり、わかってしまうものなんだね」
 男は苦笑した。左頬にだけ微かにえくぼが浮かぶ、疲れた笑顔だった。
 わたしは、そっと微笑む。
「なんとなくです。でも、おじさまは優しそうだから、怖くない、かな」
「そうか、良かった。酷くはしないから、安心して」
 白々しい三文芝居だった。男は――おとなは、共演者のようでいて、その実、観客にすぎなかった。二人芝居に見せかけた一人芝居だった。わたしは演じる。客のおとなの欲するままに。そしておとなは、わたしを愛でる。わたしの役を、体を、愛でる。
 そうして三文芝居を極上の白昼夢に変えるのが、わたしの演技の見せ所だ。わたしの役目。わたしの需要。
「元々は店を使っていたんだけど、君の(うわさ)を耳にしてね、是非、試してみたいと思ったんだ」
 軽く上体を起こし、男はわたしの髪を指に絡めた。噂? とわたしは瞬きをする。わたしを見下ろす男の瞳に、わたしの顔が映りこむ。きょとんとした無垢な表情を、わたしはちゃんと描けている。
「金糸の髪、大理石の肌、瑠璃(るり)の瞳。まるで等身大のビスクドールだってね。この界隈じゃ、有名だよ、君」
「そうなの? 嬉しいな。でも、実物を前にして、幻滅してないですか?」
「とんでもない。噂の通りで、びっくりしたよ。店には入らないの?」
 君ならフリーランスとは比べものにならないくらい稼げるだろうに、と続く言葉を、男は飲みこんだ。
 知ってるよ、とわたしは胸の内で笑う。あなたの手が届くことのない、とても高い値段がついていたよ。
「夜はダメなんです。門限があって……」
「へぇ……ちゃんとした家の子だったんだ」
 意外そうな口ぶりで男は言った。ちゃんとした、だって? 込み上げてきた笑いを、わたしは喉の奥に押し留めた。ついでにいうと、家じゃなくて寮なのだけれど、めんどうなので訂正はしないでおく。
「じゃあ、本番といこうか」
 わたしに(またが)ったまま、男はサイドテーブルに置いていた小さな箱に手を伸ばした。一見、こども向けの駄菓子の箱のように見えるけれど、中身はキャラメルでもガムでもない。しいて言えばラムネに似ているだろうか。様々な隠語をもつ、ファンシィな絵柄が刻印された、色とりどりの丸いタブレット。
「ほら、君も」
 先に自分の口に放りこんで、かりかりと噛み砕きながら、男はわたしの唇に、それを一粒、押しあてた。
 ためらいがちに見えるように目を伏せて、わたしはゆっくりと、男の指ごと口に含んだ。どうせ効かないから、わたしにとっては、ラムネと変わらない。でも、ラムネと違って、おいしいものじゃない。
「っ……あ」
 効果は、すぐに現れた。時折けたけたと笑いながら、男はわたしの体を(あば)いていく。(ふし)くれだった指でわたしの中を掻き混ぜながら、僅かに膨らみかけたばかりのわたしの胸を、(むさぼ)るように()めて吸って歯を立てて、ひときわ大きな哄笑をあげた。やがて、舌を使うのもそこそこに、男はわたしの中に欲を(うず)めた。わたしが声をあげると、男はわたしの喉に指を突っ込み、髪を(つか)むと、がくがくと激しく揺さぶった。()せるわたしを、男は(たの)しそうに眺めていた。
(これで、いい)
 荒らされるほどに、わたしは微笑む。
 傷つけていいよ。(えぐ)っていいよ。切り裂いていいよ。引き千切っていいよ。
 ぐちゃぐちゃにして、ばらばらにして、がらくたにして、()ててくれればいいよ。
(いっそ、本当に食べてもらえたらいいのに)
 この髪が蜂蜜なら良かった。この肌が白砂糖なら良かった。この両目が飴玉なら良かった。
 この体、全部食べられて、なくなれたら良かった。
(そうだよ、ね、ママ――)
 男の欲の先端が、わたしの内側を(えぐ)るように(うごめ)く。二度、三度、わたしの最奥を穿(うが)ったところで、男の両手が(おもむろ)に、わたしの首へと伸ばされた。甲高い笑い声は止み、代わりに低い(うめ)き声が男の喉の奥から漏れた。
「……あの野郎……」
 わたしの上に馬乗りになって、わたしの首にまわした両手に、男はぐっと力をこめた。ひゅ、とわたしの呼吸が止まる。
「俺を、ばかにしやがって……っ」
 みしみしと、何かが軋む音がする。男の腕だろうか、それとも、わたしの首だろうか。これはちょっとめんどうだなぁと、わたしは他人事みたいに、ぼんやりと思う。この人は、きっと、(いや)なことがあったのだろう。わたしの体は、この人の鬱憤(うっぷん)を、いくらかでも晴らすことができただろうか。この人の手にかかったのがわたしで良かった。他の子じゃなくて、ほんとうに良かった。わたしは男を見上げる。今や焦点の定まっていない男の目には、(あわ)れむような色を(たた)えたわたしの顔が映っている。
(そろそろ、かな)
 頭の片隅で、わたしはカウントダウンを刻む。(あらが)わないで、ただ、男に、体を(ゆだ)ねて。
 (わめ)きながら、男はわたしの首に、さらに力をこめる。バキ、と男の手の中で、わたしの首の奥で、鈍い、(いや)な音が響く。わたしは両目を見ひらいたまま、だらりと体の力を失う。
 やがて、我に返った男が、そろそろと手をほどく。
「おい……?」
 男がわたしを揺さぶる。わたしは動かない。恐るおそる、男はわたしの呼吸を確かめる。男に気道を潰されたわたしの息は止まっている。胸に耳をつけても、わたしの心臓の音は聴こえない。わたしは男に殺されている。首の骨を折られて生きている人間なんて普通いないだろう。
「……あぁ……」
 男の唇が、わなわなと震えた。(おび)えたように後退(あとずさ)り、服を着るのもそこそこに部屋から飛び出していった。
「……前払いで良かった」
 遠ざかる足音が完全に聴こえなくなってから、わたしは、むくりと体を起こした。首が少し、ぐらぐらする。やっぱり折られているみたいだ。
 シャワーを浴びて、体を、元通りにする。首にくっきりと残る手のあとや、肩に刻まれた歯列のかたち、全身に散らされた赤い欲のしるしを、鏡で確認して消していく。折られた首の骨は少し時間が掛かりそうだけど、軽い損傷なら、意識を集中させれば、そこだけ優先してなおすことができる。
 体の修復を終え、乱れたベッドの端に座って、のんびりとブラウスのボタンをとめていると、遠くからサイレンの音が耳に届いた。タイミングの良さに、わたしは小さく苦笑する。
 ロビーに下りて、電話を借りた。回すダイヤルは、わたしの指が最初に憶えた電話番号だ。
「こちら、スピカ。聞いたよ、サイレン。非番だったから、びっくりしちゃった」
『こちら、カノープス。緊急召集だからね。今どこ? 迎えに行くわ』
「ありがとう」

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