第2話:せめて良い夢を。

文字数 5,440文字

 ミザリイの裸体は、とても美しい。
 四肢は少し細すぎる様に見えるが、胸や腰回りは女性らしく優美だった。
 肌は白く、陶磁器の様につるりとしていた。
 表情が崩れて無い今は、等身大のフィギュアの様にも見えてしまう。
 身体の線は二十代の女性の様だが、肌の質感的には十代の少女の様でもある。
 そのギャップの妙と言うか、絶妙なアンバランス感が実に芸術的で、暫くおれは美術品を鑑賞するかの様に彼女の裸体を見詰めていた。
 しかし、目が慣れてくると今度は卑猥な思いが湧き出てきてしまう。
 顔も体も、その精神性も魅力的なのだから、如何に芸術性が高いとは言え目の前で裸体を晒されて興奮しない筈もない。
 おれはあからさまに視線を彼女から外した。身体に反応が出る程に興奮すると、暫くズボンが脱げなくなってしまうと思い。

「――ふ、服を脱いで、それからどうすればいいのかな?」おれはそう言い、彼女に対し半身となってズボンに手を掛けた。
 相手は百五十歳。おれよりも百十五も年上。
 多分、おれの曾祖母よりも上だろう。もう亡くなっているけれど。
 ミザリイの目には、恐らくおれはションベン臭いガキの様に映っているのだと思う。
 だからこそ彼女は恥ずかしそうな素振りを一切見せない。只々悠然と構えて、おれの脱衣を待ってくれている。
「あ、あの、ミザリイ?」取り敢えずズボンだけ脱ぎ、パンツと靴下だけの格好となり、彼女に声を掛けた。
「うむ、どうした?その下着も脱いで欲しいのだが?」
「いや、うん、それは分かってる。あのさ?なんて言うか、おれのいた世界では、家族では無い異性に、裸を晒すのは、恥ずかしいって感じる文化があるって言うか……。特別な関係性が無い限り、そう言う行為をしない、と言うか。この世界の一般的な庶民も、恥ずかし気も無く、人前で全裸になる事が出来るのだろうか?」
 どれ程真面目ぶったところでパンツに靴下では締まるものも締まらない。安っぽいコントの様になってしまう。

「ああ、すまん。少し配慮に欠けたか。確かに、庶民……特に若い娘は人前で他人に肌を晒すのは躊躇うだろうな」
 彼女は口では「すまん」と言いつつも、目を閉じることも、顔を背けることもない。
 いつも通り淡々とした口調で喋っている。少しぐらい照れてくれれば可愛げがあるのだけれど、百五十歳の魔女にそれを期待するのは間違いということなのだろう。
 そして、彼女はおれの羞恥心に構うことなく話を進めた。
「――しかし、魔女は肌でマナを感じなければならんので、他者に肌を晒す事に余り羞恥は感じんのだ。それを考慮すると、魔女と庶民ではその手の感覚に大きな隔たりがあると言えよう。それ故に、時として魔女は好奇の目に晒される事もある。この世界に置いて圧倒的多数派は庶民で、私たち魔女は圧倒的少数派だからな。その上道徳観や感性が違ってくるとなると、特異な存在として扱われるの至極当然だ。で、要するに、貴様は私の前で全裸になるのが恥ずかしい、と言いたいのだな?」
 おれはその問い掛けに対し、一度頷き返答とした。
 この件に関し余り多くを語るのは、情けなく感じてしまう。

「そうか。では、私は施術の準備に移る。貴様はベッドの部屋で全裸となり、うつ伏せで寝ておれ。それとも、今すぐに魔法で昏睡状態にしてやろうか?」
「いや、そこまでは……。魔紋を刻むのって、やはり、相当な痛みを伴うのか?」
「それは当然伴う。身体に傷をつけるのだから、痛まない方が不自然であろう?魔獣に刻む際も大抵昏睡状態にする。それを魔力でするか薬物でするかの差は魔女ごとに異なるがな。貴様の場合は、薬物より魔力の方が良いだろう。毒に対する耐性が強くなるのは魔紋を刻んでから、だからな」
「あのさ?ミザリイの身体にも、魔紋が刻んであるんだろう?」
 相対して見た感じは、それを確認する事が出来なかった。彼女も背中や肩甲骨辺りに刻んでいるのかと思ったが……。
 彼女は「私の魔紋は、ここだ」と言って、身体を反転させお尻をこちらへと向けた。
 小さく、可愛らしい素敵なお尻……は置いといて、尻の左側に拳大の魔紋があった。
 濃い青色の円の中に水色の龍が描かれている。キラキラと淡く光り輝いている様に見えた。

「――水色の龍、か?」とおれは言う。
「うむ、私の得意が水属性だからな。師匠から刻んで貰う際に、それらしい意匠にして貰ったのだ。これはリヴァイアサンと言ってな、水属性の幻獣だ」
 それを見て、どちらの世界も入れ墨のデザインはあまり変わりが無いんだな、と思った。
 それに水属性の幻獣の名がリヴァイアサンだなんて、これが偶然では無いとしたら、元居た世界の王道ファンタジーは、こちら側の世界の者が異世界転移して創作したのでは無いだろうか?と思えて来る。
 もしくは、こちら側に異世界転移した者が元居た世界へと転移し直した、とか。その可能性はゼロでは無いと思う。
「おれの世界でもリヴァイアサンは水に関連のある人知を超えた存在として描かれる事が多い。勿論それに関しても、魔法と同じ様に実際にあるのでは無くて創作物上の存在だ」
 それを聞き、ミザリイは右の眉をぴくりと反応させる。
 そして「それは偶然にしては出来過ぎだな」と呟く。
 彼女もおれと同じ様な考えを有してくれるかもしれない。
 現状、元の世界への帰還を渇望してる訳では無いが、その選択肢が有ると無いとでは当然前者の方が好ましいのは言うまでも無い。
 渇望して無いのは、余りにも望みが薄いためで、望みがあると分かればそれは渇望へと変わるのかもしれないし。

「その内……」彼女はそう言い、一度喉を鳴らした。
 そして続ける。「こちらの世界と、貴様の世界の共通項を探してみよう。リヴァイアサンだけでは無く、他にも偶然にしては出来過ぎなものが見つかるかもしれん。その共通項を探し見つけたとて、貴様が元の世界へと回帰する直接的な答えとはならんが、答えを導き出す何かしらになる可能性は否定できん。しかし、どの道、追々の話だ。あと、最後にもう一度確認しておくが、本当に魔紋を刻んで良いのだな?」
 彼女は強い口調で、そう言って来た。その意思の強い瞳に見据えられると、内心たじろいでしまう。
 おれはそれに対し一度頷き「それに関してはもう腹を括った」と答えた。
 「では、昏睡状態にするぞ?痛みで、動かれたら手間取ってしまい余計に時間が掛かってしまうからな」
「ああ、そうか。確かにそれはそうだ。そのリヴァイアサンと同じ図柄の魔紋を刻むとなると、緻密な作業になるだろうからな。描き間違ったら、手直しは出来ないんだろう?」
「そうだ。手直しは出来ん。私的には僅かなズレも容認したくはない。私と貴様の魔紋で相関性が取れねば、魔力流入が上手くいかんからな。同じであればあるほど、貴様には良い事しか無い」
「なるほど。その話は施術前に聞いておいて良かった。じゃあ、昏睡で宜しく」
「うむ。恐らく、貴様が目覚めるのは明日の昼頃になるであろう。中途半端な眠りでは、施術中に覚醒してしまう可能性がある故、かなり強度の高い眠りの魔法を使う。明日目覚めた時、私が家に不在だったとしても、貴様はまだ外に出るなよ?食事も控えておけ。魔紋を刻んだから、いきなり耐性が跳ね上がる訳では無いからな?それは承知しておいてくれ……」

 それからおれは、ベッドの部屋へと移り全裸となった。
 ミザリイは隣りの部屋でごそごそと準備をしてくれている。
 彼女が魔法を使う様子を見てみたいと思っていたのだが、先ほどの話を聞く限り昏睡状態にあった方が良いのは明白だった。
 ベッドにうつ伏せとなる。もぞもぞと動き、ごわごわの掛布団を押し退けた。
 ふと、何だか安い風俗店に行った時を思い出した。
 片言の日本語で接待してくれる外国人の風俗嬢とミザリイを比べる事は出来ない。
 が、しかし知り合ったばかりでお互い裸になって会話をするのは、おれのいた世界では風俗でしかあり得ない事だから、今引き合いとして頭に浮かんでしまうのは、そこまで愚かな事では無いと思う。

 うつ伏せのまま静かに時を過ごした。
 昨晩は十分睡眠を取った筈なのに、このまま魔法を掛けられずとも眠りに落ちてしまいそうな感じもある。
 今頃になり、昨日の得意先での仕事が中途半端で止まっている事を思い出した。
 現状どうしようも出来ない事は流石に承知しているので慌てる事は無いが、色々な人たちに迷惑は掛けただろうと思うと、少し胸が痛くなる。
 突然いなくなったという事で、何か事件に巻き込まれた可能性があると、ニュースで報道されている可能性もある。
 明らかに不自然過ぎる失踪の仕方だ。
 これがもし若い女性や金持ちが当該者であれば、様々な憶測も飛ぶと思うが、残念ながらおれはそのどちらでも無く、特に借金も無く、仕事に不平不満があった訳でも無く、何かの犯罪に手を染めていた訳でも無い。
 我ながら失踪する理由がひとつも無いのだ。
 しいて言えば、唯一のストレスらしいストレスは顔を合わす度に親から「早く結婚しろ」と口煩く言われる事くらいか。
 しかし、それくらいで――。

 ふと、気が付くと、同じベッドの上にミザリイの存在があった。
 おれが指定した左の肩甲骨辺りに、指先で何かしらの液体を塗ってくれている。
 いつの間に施術に入ったのか気が付かなかった。まだ昏睡の魔法は使って無いと思うが、直前まで考えていたことが、すっぽりと頭の中から抜け落ちているような、妙な感覚があった。
「――あの、ミザリイ?」
 声を掛けると、彼女は「どうした?」と穏やかな声を返してくれた。
「いや、あのさ?おれって、要するにミザリイの支配下に入るって事だろう?」
「ああ、そうだな。私の魔紋を貴様に刻む以上、形式上はそうなる」
「それって、魔女の手先となって、色々命令される。ってことかい?」
「それに関しては、まだ余り考えておらん。現状、貴様が何の役に立つか分からんからな」
「じゃあ、例えば誰かを殺して来いとか、拉致して来いとか、危険な薬を運んで来いとか、そう言った命令をされる訳では無いって事?」
 頭がぼうっとしていた。浮遊感があり、心地良い。
 異世界に来て、魔女の手先となって悪行三昧重ねることになるかもしれない……そう思うと、普通の状態なら憂鬱な気分になってしまうところだが、今はネガティブな思考が全く湧いてこない。むしろ、それならそれでいいや、とすら思えてしまう。
 昏睡以外の、別の魔法はすでに行使されているのかもしれない。

「はあ?なんだ、貴様のその魔女に対する悪い印象は?私たち魔女はその様な血生臭い存在では無いぞ?いや、確かに、血生臭い魔女もおることにはおるが、私はその類では無い。しかし、例外はある。国家間の大きな戦となり、私の支配域やその周辺の関わりのある集落が襲われた時は、魔法で人間を殺めなければならない。魔女同盟間での争いが生じたら、使役してる魔獣、幻獣、人間、亜人種たちを戦わせる事もあるけどな。ああ、あと、血生臭い道を外れた魔女を討伐する際も魔女同盟から呼集を掛けられるか。あとそれと、マグナラタンの冒険者ギルドからの厄介な依頼を受ける事もあるから……」
 彼女の言葉を聞く限り、おれが戦闘要員として役に立つのであれば、恐らく血生臭い仕事も回って来ると言う事なのだろう。
 しかし現状、おれは余りにも未知数過ぎる為、今は具体的な話をする事が出来ないのだと思う。
「取り敢えず、おれはこの世界で生きてゆく為に、様々な事を勉強して、時には戦い方とか素養があるなら魔法も学んだ方が良いって事なんだろう?そして出来れば、ミザリイの役に立つ存在になれば……」
「まあ、様々な事は学んだ方が良いのは、どこの世界でも同じであろう?何を学ぶかは、当面は貴様に委ねるよ。無論、基本的な事は一通り教えてはやる。それに私は、魔紋を刻んだからと言って、すぐに貴様を扱き使ってやろうとは考えておらんからな。しかし、色々と役に立ち尚且つ貴様も私からの仕事を積極的に受けたいと言うのであれば、仕事はそれこそ山の様にある。扱き使おうと思えば幾らでも使える。さて、そろそろ、昏睡の魔法を行使する。せめて良い夢を見れる事を、祈っておいてやろう――」
 そこで、おれの意識は落ちた。
 昔、手術で全身麻酔を掛けられた時と同じ様な、抗う事の出来ない強烈な眠り。
 彼女の祈りが通じたのか、正月に親戚一同揃って和気藹々と酒を飲んでいる夢を見た。
 おれは普段、訳の分からない夢を見ることが多いから、今回は良い夢だったと言えるだろう。



 ――そして、目覚める。
 それが一日後なのか何日後なのか分からないが、窓の外を見る限り、昼頃なのは間違いなさそうだった。
 おれは、上半身を起こし右手を肩へと回し、指先で魔紋を刻まれたであろう箇所に触れてみる。
 何か傷跡の様な触感は無かったが、一定の箇所だけ、他の肌よりひんやりと冷たい。
「水属性の魔紋、だからかな?ここだけひんやりしてるよな。ああ、喉渇いた。腹も減ったし……」
 そう言って、おれはよろよろと立ち上がり、大きな甕までのろのろと歩いて行った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み