5「ぼくらが消えた日」ー8

文字数 2,772文字

「認めるのね?良かった。これで、私も安心して付いて行ける」
「え?」
優斗は不可解な顔をした。
「入学して最初の模試でダントツ1位の男子の顔を教室まで見に行ったわ。シュッとして恰好良いけど、三白眼で冷たそうな人だと思った。でも、廊下でペンケースぶちまけて困ってたら、拾ってくれた。照れ臭そうな笑顔にギャップ萌えしちゃったの。
覚えてないでしょ?気付いて欲しくて勉強頑張って、やっと同じクラスでクラス委員にもなったのに、ちっとも見てくれない。ああ、この人、晶を好きなんだって直ぐ分かった。
それでも、私、晶を好きな優斗をずーっと好きだったんだから。
彼女になってから不安で堪らなかったけど、これでスタートに戻れる。
私は優斗にマジで惚れられるまで諦めないから。
ね、私も東京行っていいでしょ?」
玲奈は信じられない程、すっきりした顔をしていた。
「君が東京へ行くのは僕と関係ない。親に相談すればいい」
優柔不断な態度で玲奈を傷付けてしまったのだ。これ以上、無責任なことは出来ない。
優斗は精一杯突っ撥ねたが、玲奈は「うん。そうする」と、嬉しそうに笑った。

「私ね、あの『ホ○の砂』サイト、優斗より早く見つけてた。
今年の夏以降に3つ、立て続けにアップされたの。
3人のことをよく知ってる人が書いたんだね。
3人の深い絆を痛感しちゃった。
でもね、優斗を一番よく知ってるのは、あの2人でも、優斗を一番、知りたいと思ってるのは私だからね。
面白くなくて屈折してて淋しがり屋のとこも全部好きだよ……じゃ、帰るね」
玲奈の言葉は優斗を不思議な気持ちにさせた。
つい、呼び止めたくなったが、グッと堪えた。


*****

あれは小学校入学式のことだった。
優斗は極度の緊張のため、朝から腹具合が悪く、式が始まり、益々腹が張って来た。シャイで人に注目されるが嫌いだった。恥をかくのは、もっと嫌だった。
トイレにも行けず、百面相をして必死に我慢していた。
ところが、遂におならが大音量で勢いよく尻から漏れてしまった。と同時にテープによるオーケストラの伴奏が始まり、かき消されたおならの音に安堵の涙を流しながら、声高らかに君が代を歌ったのだった。
その時の感動が忘れられず、今でも凄く嬉しい時に無意識に君が代を歌ってしまうのだった。
プライドの高い優斗にとって、翔太や晶にも言えない秘密だった。
これを話すことのできる人間がいたとしたら、きっと一生の付き合いになるだろう。
優斗はなぜか、それを玲奈に話してしまいそうになった自分に驚いていた。



二日後、玲奈が二人を連れて優斗の部屋に来た。
「優斗、もう怒ってねぇか?」
晶が入り口で立ち止まる。
「入れよ。僕が悪かった。反省している」
優斗がドアを開けた。
「いや。坂巻と喧嘩してんのに、俺らも無神経だったよな」
翔太も太い眉を下げる。
「それより、優斗、変更届け間に合うのか?」
晶が心配そうに聞く。
「多分……あ、坂巻もらしい」
優斗は一人、椅子に座る。
「聞いたぞ。凄げぇな二人」
翔太と晶はドカドカとテーブルに着く。
「私、頑張る。絶対合格してみせる」
玲奈がウインクしてクッションに座る。
「でもよ、坂巻の母さん、よく許してくれたよな」
翔太が驚いて見せる。
「うん。お姉ちゃんが東京の大学にいるから、説得し易かったの」
「そっかぁ。二人とも東京の高校かぁ。ボクら高校卒業したら、東京行くから、そん時はまた、会おうな」
晶が屈託なく笑う。
「あ、場所はこっちで用意すらぁ。二人の愛の巣に押し掛けたりしねぇからな」
翔太が愛の巣を強調する。
「いや、別に坂巻とは……」
優斗が否定しようとした。
「うん。二人で仲良く待ってるね」
玲奈が言葉を取り、にっこり笑う。
「……」
優斗は眉をしかめた。
翔太はともかく、玲奈は何を言っているのだ?


「そうだ。あれから、あの小説どうなったんだ?」
翔太が聞く。
「え?ああ……あの日、サイトから削除されたよ」
「そうか、あの日、ボクらが消えたのか。良かったな。あっさり解決して」
まるで他人事のように晶が笑う。
「結局、二人とも読まなかったの?自分達が主人公なのにどうして?」
玲奈が不思議そうに聞く。
「えー、なんで読まなきゃなんねぇんだ?」
晶が頬を膨らませる。
「興味ないの?」
「興味?」
晶と翔太が顔を見合わせる。

「無い……」「だな」
翔太と晶は声を揃え、玲奈も呆れたように一緒に笑う。
その笑顔に勝ち誇ったような余裕を見て優斗は違和感を覚える。

あれから、優斗は密かに作者の自宅を訪問した。
玲奈から「晶は聞かれると何でも話す」と聞いて、ピンときたのだ。
晶は母子家庭で母親とは姉妹のように仲が良く、今でも毎日、一緒に長風呂に入っているそうだ。
晶の母親は栗田鈴美で、くりべる(KB)と言う渾名だったらしい。
去年、サイトを見つけてコントを投稿し始めたが、晶の恋話を聞いているうちに、どうしても書きたくなったのだと言う。実の娘を題材にする神経の図太さは流石、晶の母親だと感心した。
実際、晶は自分の内面を晒されようが我関せずで、犯人を知ろうともしなかった。
KBCOCOAは「ごめんなさい。もう、書かない」とお詫びに3色ボールペンをくれた。
「ホ○の砂」と書かれたペンを見て不意に頭の中に浮かんできたものがあった。
「アイハブアペ~ン」 
優斗はペンを右手に掲げ、ひとり笑った



え?それじゃあ、今、この文章を書いてるのは誰かって?
勿論、僕、堀之内優斗だ。KBCOCOAには、この小説から手を引いてもらった。
僕のことをこれ以上、好き勝手に書かれてはかなわない。
これは僕が自分のために書いているだけ。もうすぐ、削除するつもりだ。
さっきから気になっていたが、玲奈の態度が気になる。
玲奈が東京に行くことは反対しなかったが、暗に別れようと伝えたつもりだった。
それなのに、まるで変わらぬ彼女気取りだ。それに、プレーヤー。取り返した筈なのに、どうして、当たり前のような顔をして持っているんだ。
僕があの時、グッと堪えたのは、玲奈に無駄な希望を抱かせないためだった。
ところが、今の表情は失恋の痛手を感じるどころか、僕に対する絶対的な自信に溢れているような……まさか?いや、そんな筈はない。
僕が玲奈に『君が代』の秘密を打ち明けて、思い切り抱き締め、名実ともに彼女にしてしまった別の世界にワープしたなんてことはある筈が……

そうだ。きっと、気のせいに違いない。



テーブルでおしゃべりをしていた玲奈がクルッと振り向き、頬を赤らめて言った。
「ねえ、優斗。午後、東京のマンションで使うペアのコーヒーカップ買いに行く約束だったよね?」
窓からのスポットライトを浴びた玲奈が小さく小首を傾げた。耳の上で束ねた髪が黄色いリボンと一緒に揺れている。
その笑顔は幸せそうに輝き、天使のように可愛らしく見えて……


「……うん」
ぼくは一瞬で恋に落ちた。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み