第1話

文字数 1,748文字

 平成十九年、暮れ。東京は二子玉川の駅近くに、大きな団地跡らしきゲストハウスがあった。そこの地下室にはギシギシいうパイプの二段ベッドが五組ほどぶち込んであり、コンクリ打ちっぱなし、配管も剥き出しの物置のような相部屋が、一ヶ月たったの九千五百円で寝泊りできた。キッチンがあるから自炊もできて、シャワーも光熱費も込みだった。

「今の東京にもまだまだこんな安宿があるんだなぁ」と感心しながら、四十歳を過ぎている旅人の山岡は、その薄暗いねぐらに転がり込んだ。
 地下室の相部屋には、入れ替わりたち替わり、常に五~六人の、二十代後半くらいの男たちが住んでいた。

 そんな地下の住人の中に、でっぷりと相撲取りのように太った巨躯の男がいた。二十七歳だという菊池である。ホームレスと紙一重のような地下住人にしては珍しく、菊池は毎日スーツ姿でどこかへ出かけて行っていた。

 年が明けて平成二十年、一月一日。
 ほとんどの地下住人たちには、彼らは彼らでちゃんと帰る実家があるとかで、誰もいなくなった地下ラウンジで、山岡は一人、ケーブルテレビのニュースを見ていた。
 そして昨夜は帰ってこなかった菊池が昼前に戻ってきて、どう気が向いたのか、菊池は初めて山岡に話しかけた。

「ぼく、占い師になりたいんです」
 唐突に菊池がそんなことを言うものだから、山岡は面食らって驚いている。
「占い師ですよ、占い師。でもどうやったら占い師になれるのか、方法がわからないんですけど、知りませんか?」

「え? いや、どうだろう。そういうのにも、学校とかってあるんですかね?」
「学校には行きたくないんです」
「んー、じゃあ、わかりませんねぇ」
「アベハルアキさんて知ってますか?」
「さあ、知りませんけど……」
「日本で一番有名な占い師ですよ。知らないんですか?」

 菊池はあからさまに馬鹿にした口調になったが、しかし山岡は普段から占いに興味は無かった。でも知らないと馬鹿にされるほどならば、世間ではかなり流行った人なのだろうか、と山岡は律儀に考えている。

「ハルアキさんの神社って日本各地にあるくらい、すごく有名な人なんですよ?」
 (日本各地に神社があるって? よっぽどデカい新興宗教の教祖かなんかか?)
「それでハルアキさんの一番大きな神社が皇居の中にあるってつきとめたんです」
 (ええ? 皇居の中に新興宗教の神社がある???)
「ぼくは直接ハルアキさんに占いを教えてもらおうと思って何度も皇居に行ったんですけど、守衛の人がどうしても中に入れてくれなくて、まだぜんぜんハルアキさんに会えてないんです」

 (ふ~ん……。日本中に神社ねぇ……。皇居の中にも? 天皇……朝廷、占い師……、超有名……、アベ……ハルアキ……。て! え!?)
「安倍晴明? ”あべのせいめい”のこと言ってんの?」
 たしかに晴明はハルアキと読むという説もある。だが……。

「アベノじゃなくてアベですってば。アベハルアキさんです。ぜんぜん違うじゃないっすか。人の話、ちゃんと聞いてないんすか?」
 山岡は口あんぐりといった体で想像した。(うわー、それって、皇居の守衛さんも困ったろうな~)

 皇居に晴明神社があるというのも、きっと菊池は間違っている。平安時代の京都御所、陰陽師との混同か。
「どうしてもハルアキさんに会って弟子にしてもらえるまで、何度でも皇居に通おうと思ってるんですよね」
 (こ……、困った……ねぇ)
 
 山岡が何気なく「明日(一月二日)、皇居が一般開放されるってニュースで言ってましたよ?」とさっき見たケーブルテレビの話をすると、
「え? マジっすか!」
 菊池は、山岡が「まだ明日だ」と言っているのに、大興奮して地下室を飛び出して行ってしまった。
 
 一月二日は天皇皇后両陛下に新年のご挨拶をするため、一般人も皇居の一部に入場できるというのだが……。
 そして……、菊池は山岡が地下室で寝泊りしていた間、二度と戻って来なかった。

 再び旅に出た山岡が九州の図書館で見た新聞では、菊池は、皇居で警官相手に大暴れして、捕まっていた。
 (取調べで刑事さんにアベハルアキってわめいても、わかってもらえるか微妙だろうな)
 山岡は愉快なのか気の毒なのか、自分でもよくわからない気持ちになって、困ったように、少し笑った。
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