Wishing you a Happy New Year.
文字数 3,796文字
冬の北海道なんて、きっとなにもかもを隠してしまうにはぴったりだろうと思ったんだ。
僕が僕らしくあろうとしたのはきっと事故のようなもので、それは若さのせいにしてしまうだけでは痛々しすぎて、抱えてはいられない気持ちにさせられるものだった。
フィッツジェラルドが書いたような大きな挫折も転落も、きっと僕には理解できないけれど、それでもそれになぞらえる程度には傷ついていたし、こうして年末年始を見知らぬ土地で過ごすために飛行機に乗ってやってきたことも、ちょっとくらい自分のことを慰めてやりたいっていう気持ちが働いたからだ。
僕はきっと僕が大好きなんだろう。
それを自覚できるくらいには冷静だけれど、後先を考えないくらいには愚かだ。
白い息も着慣れないダウンジャケットも、僕を非日常へと逃避させてくれる。
地図上では札幌の真反対。
網走を選んだのは女満別空港を使いたかったから。
由来は知らないけれどいい名前だ、女と円満に別れるなんて。
ぜんぜん円満ではなかったけれど、まあまあ僕は元気だよ。
帰りの飛行機は取っていない。
金が尽きるまで居たっていい。
誰も僕を知らないから、ひとりでいることを嘆くことができる。
空港から網走まで歩こうかと思ったけれど、残念ながら自販機ひとつない氷点下9℃を行けるほど僕は強靭じゃない。
バスの中は嫌っていうほどの熱気が渦巻いていて、停留所のたびにそれは霧散した。
スマートフォンの電源は落としている。
来ない連絡を待たずに済むように。
馬鹿だなあ、とぼんやりと思いながら、真っ白な外を眺めた。
ホテルは停車駅から歩いて5分。
雪道での僕の足では20分だったけれど。
飛び込んだ入り口で歯の根が合わなくてうろうろする。
そこにいた男性が「内地の人かい? そんな短いジャンバーじゃ寒いべさ、汽車で来たのかい?」と尋ねてきた。
僕は単語の意味がわからなくて、あいまいな笑顔を浮かべる。
「ミヤタさん、内地の人に汽車って言ってもわからないしょ、電車だよ、電車」
「ああそうか、そうだなあ」
ミヤタさんは豪快に笑った。
どうやら地元の人が使う日帰り入浴専用入り口に来てしまったらしい。
正面玄関の場所を教えてもらい、もう一度外に出る。
ここに来てもうすでに学んだことだが、白はとても寒い色だ。
チェックインしてあてがわれた部屋に入る。
きれいな和室で、畳なんて人生で何度かしか触れたことがない僕にしてみたら異世界。
ベッドじゃなくて敷布団、座卓なんて何年ぶりだろう。
芯まで冷えた体が、温かい部屋に解きほぐされていく。
僕は、ひとり。
むせるような気持ちで、息を吐き出した。
温泉へと向かうと、年末だというのにたくさんの人だった。
いや、年末だからかもしれないな、と僕は思う。
一年の垢や、疲れや、わすれてしまいたいことを流してしまおう。
みんな考えることはきっと一緒だ。
今年はおもちつきしないんだね。
しゃーないこんなご時世だからね。
洗い場に響く会話によると、このホテルでは例年年末には餅つきをしているようだった。
すこしだけ残念な気もするけれど、誰かと交流したいわけじゃないからきっとこれでよかった。
大きい浴槽は熱すぎて入れなくて、浅めの小さい浴槽に入る。
小さい男の子が恐竜の塩ビ人形を持って縁につかまっていて、僕をじっと見つめる。
ずっと見ているから居心地悪くなった僕は、「ティラノサウルス?」と訊いてみた。
「ユタラプトル!!」
振り上げて叫んだ声は朗々と響く。
父親があわてて「すみません!」と小声で言った。
その子には夕飯のバイキングの席でも会った。
というか、僕を見つけて突進してきた。
僕に向かって絵本を開いて、「ティラノサウルス!!」と絵を指し示す。
父親があわてて追いかけてきて、「すみません!」と小声で言った。
こんな年の瀬に北海道のはじっこで、この親子はなにをしているのだろう。
きっとあちらも僕に対して、似たようなことを考えているだろうな。
網走監獄にオホーツク流氷、能取湖で捕獲された白いなまこは三賀日を過ぎるまで見学できない。
オーロラを見ることができたらいいけれど、きっとそんな運は僕にはないだろうから、せめて運休期間中の流氷観光砕氷船おーろらでも眺めに行こうか。
明日以降の予定なんてあるようでないようで、やっぱりないのがこの旅行だから、テレビのローカル番組を眺めて無為な時間が流れる。
やりすごした分だけ過去は過去になるし、旅の目的はそれで果たせるかもね。
僕が縁もゆかりもないこの土地で、望むのはただそれだけ。
見知らぬニュースキャスターが大晦日の訪れを告げる。
窓際はさすがに冷え込んで、室温との差でガラスに霜が降りている。
眠気はさっぱりやって来ないから、年末特番の笑えないお笑いにチャンネルを移したけれど、笑えないなりに気は紛れたからか僕はうつらうつらと夢を見た。
ティラノサウルスが温泉に入っていた。
ユタなんとかはコーラを飲んでいた。
僕は他人事みたいに上機嫌で、流氷を積み上げては崩し採点され、志望校に合格してた。
夢よりは多少マシな一年だったよ。
朝食の席ではニャササウルス。
父親があわてて追いかけてきて、「すみません!」と小声で言った。
僕は優雅に口づけたコーヒーカップをソーサーに置いて、「良いお年を」と言う。
あした会ったらお年玉かな。
今日という一日を、無事に過ごせる保証なんてないけど。
冬の北海道なんて、きっとなにもかもを隠してしまうにはぴったりだろうと思ったんだ。
真っ白で真っ白で、それは成功しているような気もしている。
ありがとうシベリア寒気団、僕は君の寒さに怯えてしまって、今他のことはわりとどうでもいい。
氷点下11℃の世界は、僕に命の危機を感じさせたから。
それでも僕はあえて挑むことにしたのだけれど、それは持て余した時間のせいでもあったし、破れかぶれの中にみつけた好奇心によるものでもあった。
どうしてもそうしなきゃいけないわけではないけれど、僕は昼食をホテル以外のところで摂ろうとして、ホテルの売店で手袋を買う。
店員の方に尋ねてみたら、徒歩圏に有名なおいしいお寿司屋さんがあるのもわかった。
理想の別れ話ってどんなかな。
お互いむなしさを慰めあって、そのまますれ違ってしまえればよかったかもね。
感傷だって余裕がなければ抱けない感情で、それはカイロにすらならなかった。
僕が僕らしくあろうとしたあのことだって、許す許さないの範疇を越えてしまって、僕の中の忠実な愚かさと、それを自覚するひとつぶの賢さは、すべてはナンセンスと結論づけていた。
まあ、寒いってこと。
これでも地元の方々は、愚痴りながらもこの白の中で生活しているんだろう。
今年は非常事態だから、初詣も年内にしていいらしいから、見かける通行人が向かう先は神社かもしれない。
やっと転がり込んだお寿司屋さんでは座敷にあの親子、そして奥さんの姿もあって、僕を見た男の子が無言でユタなんとかの人形を掲げた。
通された席はストーブが近くて、僕は手をかざして暖を取る。
メニュー表を持ったときに玄関から、「いやー、しばれるね!」と交通整理の旗を持った中年女性が入ってきた。
ストーブに寄ってきた女性は、「お兄ちゃん、ランチ、ランチ頼みな、美味しいから! ママ、わたしにランチ! このお兄ちゃん大盛りで!」
はいはい、と店員女性がやってきて、僕と中年女性にお茶とおしぼりを出してきた。
「お兄ちゃん、ごめんねえ。
今日は忙しいから、ランチしか出せないんだわ、それでいいかい?」
僕ははい、と答えてから、普通盛りで、と呟く。
海鮮丼のランチはとんでもなく美味しかったけど、男の子がユタなんとかの人形を掲げていることの方が心に残った。
夜、僕は氷点下の露天風呂につかって空を見上げる。
湯当たりしないぎりぎりのラインの中、男の子のお父さんが入ってきた。
奥さんに預けてきたのか、男の子はいなかった。
星は綺麗だったしそれは空気が張り詰めているからかもしれなくて、僕は一応の顔見知りに頭を下げる。
「すみません」という声はやはり小さくて、僕はこの人はなにに謝るのだろう、と思いながら目をそらした。
しばらくしてから声をかけられた。
なんなら、そのタイミングをはかっていたのかもしれない。
「あの子、あなたに懐いていまして」
そのようだと思ったから僕はゆっくりと頷いた。
ティラノサウルスではないユタなんとかが好きな男の子は、僕を同類かなにかと思ったのかもしれない。
「わたしは、ぜんぜん懐いてもらえないのです」
この人は一体なにを言うのだろう、自分の子供が懐くなつかないなんて話、どう聞いてもおかしなことだと僕は思った。
「再婚なんですよ、うちは」
「すみません」とまた言ってから、ためらうように男性は湯船を出た。
僕にはわからないことがある。
僕が僕らしくあろうとすることはいけないことなのか、どうしてそれは痛みを伴うのか。
男性が謝る理由も、男の子が懐かない理由も。
僕にとってはわすれるための旅行だけれど、きっとこの男の人にはわすれられない旅行なんだろう。
除夜の鐘が聴こえている。
「良いお年を」と僕はつぶやいた。
なにも隠せないまま、一年が終わる。
僕が僕らしくあろうとしたのはきっと事故のようなもので、それは若さのせいにしてしまうだけでは痛々しすぎて、抱えてはいられない気持ちにさせられるものだった。
フィッツジェラルドが書いたような大きな挫折も転落も、きっと僕には理解できないけれど、それでもそれになぞらえる程度には傷ついていたし、こうして年末年始を見知らぬ土地で過ごすために飛行機に乗ってやってきたことも、ちょっとくらい自分のことを慰めてやりたいっていう気持ちが働いたからだ。
僕はきっと僕が大好きなんだろう。
それを自覚できるくらいには冷静だけれど、後先を考えないくらいには愚かだ。
白い息も着慣れないダウンジャケットも、僕を非日常へと逃避させてくれる。
地図上では札幌の真反対。
網走を選んだのは女満別空港を使いたかったから。
由来は知らないけれどいい名前だ、女と円満に別れるなんて。
ぜんぜん円満ではなかったけれど、まあまあ僕は元気だよ。
帰りの飛行機は取っていない。
金が尽きるまで居たっていい。
誰も僕を知らないから、ひとりでいることを嘆くことができる。
空港から網走まで歩こうかと思ったけれど、残念ながら自販機ひとつない氷点下9℃を行けるほど僕は強靭じゃない。
バスの中は嫌っていうほどの熱気が渦巻いていて、停留所のたびにそれは霧散した。
スマートフォンの電源は落としている。
来ない連絡を待たずに済むように。
馬鹿だなあ、とぼんやりと思いながら、真っ白な外を眺めた。
ホテルは停車駅から歩いて5分。
雪道での僕の足では20分だったけれど。
飛び込んだ入り口で歯の根が合わなくてうろうろする。
そこにいた男性が「内地の人かい? そんな短いジャンバーじゃ寒いべさ、汽車で来たのかい?」と尋ねてきた。
僕は単語の意味がわからなくて、あいまいな笑顔を浮かべる。
「ミヤタさん、内地の人に汽車って言ってもわからないしょ、電車だよ、電車」
「ああそうか、そうだなあ」
ミヤタさんは豪快に笑った。
どうやら地元の人が使う日帰り入浴専用入り口に来てしまったらしい。
正面玄関の場所を教えてもらい、もう一度外に出る。
ここに来てもうすでに学んだことだが、白はとても寒い色だ。
チェックインしてあてがわれた部屋に入る。
きれいな和室で、畳なんて人生で何度かしか触れたことがない僕にしてみたら異世界。
ベッドじゃなくて敷布団、座卓なんて何年ぶりだろう。
芯まで冷えた体が、温かい部屋に解きほぐされていく。
僕は、ひとり。
むせるような気持ちで、息を吐き出した。
温泉へと向かうと、年末だというのにたくさんの人だった。
いや、年末だからかもしれないな、と僕は思う。
一年の垢や、疲れや、わすれてしまいたいことを流してしまおう。
みんな考えることはきっと一緒だ。
今年はおもちつきしないんだね。
しゃーないこんなご時世だからね。
洗い場に響く会話によると、このホテルでは例年年末には餅つきをしているようだった。
すこしだけ残念な気もするけれど、誰かと交流したいわけじゃないからきっとこれでよかった。
大きい浴槽は熱すぎて入れなくて、浅めの小さい浴槽に入る。
小さい男の子が恐竜の塩ビ人形を持って縁につかまっていて、僕をじっと見つめる。
ずっと見ているから居心地悪くなった僕は、「ティラノサウルス?」と訊いてみた。
「ユタラプトル!!」
振り上げて叫んだ声は朗々と響く。
父親があわてて「すみません!」と小声で言った。
その子には夕飯のバイキングの席でも会った。
というか、僕を見つけて突進してきた。
僕に向かって絵本を開いて、「ティラノサウルス!!」と絵を指し示す。
父親があわてて追いかけてきて、「すみません!」と小声で言った。
こんな年の瀬に北海道のはじっこで、この親子はなにをしているのだろう。
きっとあちらも僕に対して、似たようなことを考えているだろうな。
網走監獄にオホーツク流氷、能取湖で捕獲された白いなまこは三賀日を過ぎるまで見学できない。
オーロラを見ることができたらいいけれど、きっとそんな運は僕にはないだろうから、せめて運休期間中の流氷観光砕氷船おーろらでも眺めに行こうか。
明日以降の予定なんてあるようでないようで、やっぱりないのがこの旅行だから、テレビのローカル番組を眺めて無為な時間が流れる。
やりすごした分だけ過去は過去になるし、旅の目的はそれで果たせるかもね。
僕が縁もゆかりもないこの土地で、望むのはただそれだけ。
見知らぬニュースキャスターが大晦日の訪れを告げる。
窓際はさすがに冷え込んで、室温との差でガラスに霜が降りている。
眠気はさっぱりやって来ないから、年末特番の笑えないお笑いにチャンネルを移したけれど、笑えないなりに気は紛れたからか僕はうつらうつらと夢を見た。
ティラノサウルスが温泉に入っていた。
ユタなんとかはコーラを飲んでいた。
僕は他人事みたいに上機嫌で、流氷を積み上げては崩し採点され、志望校に合格してた。
夢よりは多少マシな一年だったよ。
朝食の席ではニャササウルス。
父親があわてて追いかけてきて、「すみません!」と小声で言った。
僕は優雅に口づけたコーヒーカップをソーサーに置いて、「良いお年を」と言う。
あした会ったらお年玉かな。
今日という一日を、無事に過ごせる保証なんてないけど。
冬の北海道なんて、きっとなにもかもを隠してしまうにはぴったりだろうと思ったんだ。
真っ白で真っ白で、それは成功しているような気もしている。
ありがとうシベリア寒気団、僕は君の寒さに怯えてしまって、今他のことはわりとどうでもいい。
氷点下11℃の世界は、僕に命の危機を感じさせたから。
それでも僕はあえて挑むことにしたのだけれど、それは持て余した時間のせいでもあったし、破れかぶれの中にみつけた好奇心によるものでもあった。
どうしてもそうしなきゃいけないわけではないけれど、僕は昼食をホテル以外のところで摂ろうとして、ホテルの売店で手袋を買う。
店員の方に尋ねてみたら、徒歩圏に有名なおいしいお寿司屋さんがあるのもわかった。
理想の別れ話ってどんなかな。
お互いむなしさを慰めあって、そのまますれ違ってしまえればよかったかもね。
感傷だって余裕がなければ抱けない感情で、それはカイロにすらならなかった。
僕が僕らしくあろうとしたあのことだって、許す許さないの範疇を越えてしまって、僕の中の忠実な愚かさと、それを自覚するひとつぶの賢さは、すべてはナンセンスと結論づけていた。
まあ、寒いってこと。
これでも地元の方々は、愚痴りながらもこの白の中で生活しているんだろう。
今年は非常事態だから、初詣も年内にしていいらしいから、見かける通行人が向かう先は神社かもしれない。
やっと転がり込んだお寿司屋さんでは座敷にあの親子、そして奥さんの姿もあって、僕を見た男の子が無言でユタなんとかの人形を掲げた。
通された席はストーブが近くて、僕は手をかざして暖を取る。
メニュー表を持ったときに玄関から、「いやー、しばれるね!」と交通整理の旗を持った中年女性が入ってきた。
ストーブに寄ってきた女性は、「お兄ちゃん、ランチ、ランチ頼みな、美味しいから! ママ、わたしにランチ! このお兄ちゃん大盛りで!」
はいはい、と店員女性がやってきて、僕と中年女性にお茶とおしぼりを出してきた。
「お兄ちゃん、ごめんねえ。
今日は忙しいから、ランチしか出せないんだわ、それでいいかい?」
僕ははい、と答えてから、普通盛りで、と呟く。
海鮮丼のランチはとんでもなく美味しかったけど、男の子がユタなんとかの人形を掲げていることの方が心に残った。
夜、僕は氷点下の露天風呂につかって空を見上げる。
湯当たりしないぎりぎりのラインの中、男の子のお父さんが入ってきた。
奥さんに預けてきたのか、男の子はいなかった。
星は綺麗だったしそれは空気が張り詰めているからかもしれなくて、僕は一応の顔見知りに頭を下げる。
「すみません」という声はやはり小さくて、僕はこの人はなにに謝るのだろう、と思いながら目をそらした。
しばらくしてから声をかけられた。
なんなら、そのタイミングをはかっていたのかもしれない。
「あの子、あなたに懐いていまして」
そのようだと思ったから僕はゆっくりと頷いた。
ティラノサウルスではないユタなんとかが好きな男の子は、僕を同類かなにかと思ったのかもしれない。
「わたしは、ぜんぜん懐いてもらえないのです」
この人は一体なにを言うのだろう、自分の子供が懐くなつかないなんて話、どう聞いてもおかしなことだと僕は思った。
「再婚なんですよ、うちは」
「すみません」とまた言ってから、ためらうように男性は湯船を出た。
僕にはわからないことがある。
僕が僕らしくあろうとすることはいけないことなのか、どうしてそれは痛みを伴うのか。
男性が謝る理由も、男の子が懐かない理由も。
僕にとってはわすれるための旅行だけれど、きっとこの男の人にはわすれられない旅行なんだろう。
除夜の鐘が聴こえている。
「良いお年を」と僕はつぶやいた。
なにも隠せないまま、一年が終わる。