言うは易く行うは難し ―負担の差が性差における溝となる―

文字数 6,585文字

 今日も今日とてビール(ただし第三の)が旨い。仕事が終わって直ぐに休む気にもなれず、盛大に何かをやる時間でもない。そんな時は、焼き鳥片手に冷えたビールでリフレッシュ。ほろ酔い気分で、大人の時間を楽しむのが良い。

 しかし、我ながら寂しい生活だと思う。就職難の中で入れた会社は忙しく、結婚どころか交際すらせず今に至る。男性の多い職場なら、引く手数多と友は言う。だが、残念ながら男性にも好みがある。可愛い女性陣はさっさと結婚し、それを機に人生を再出発する。ただし、可愛い子だけだ。
 男性は良い。幾つになっても子種は蒔けるし、金を稼いでいれば年齢は関係ない。むしろ、高給取りはある程度年を取っているのが普通で、既に妻子持ちばかりである。そして、高給取りで相手が居ないなら、付き合う気がないか、何かしらの難があると言えよう。
 正直、自分を偽ってまで相手は欲しくない。それは後々辛くなるだけだ。離婚率が示す通り、結婚したからと言って添い遂げるかは怪しいし。それでも、疲れた時は寂しさがつのる。
 酔い醒ましに出たベランダから空を見上げて思う。もしも願いが叶うなら、心の支えになるパートナーが欲しい。結婚するとなれば、ギャンブラーだの暴力的だの男尊女卑だのスモーカーだの、願い下げの要素は沢山ある。だけど、これさえあれば……と問われたら、支えあえる間柄が無難だと思うのだ。ともあれ、顔から熱が引いた辺りで祈るのをやめ、色々と片付けて就寝する。

 翌朝、弁当箱にご飯や残り物を詰めて出社する。弁当持参は、節約の為だけではなく、昼に弁当を買いに出られるか危ういからである。
 なにせ忙しい職場である。時間と金に余裕のある役職持ち以外、男女問わずに昼食は社内で済ます。お湯もレンジもあるから、カップ麺も冷凍食品も会社で食べられるのである。
 そして、大切なパソコンにうっかり零したらまずいからと、使われていない会議室で食べるのが暗黙の了解となっている。因みに、会議室のテーブルを使うが故に、昼食後にテーブルを綺麗に拭くのは新人任せ。新人は給料の安さも手伝って、外に食べに行けはしないから誰かしら居る。だから、新人以外はただ食べて解散するのがデフォである。
 若いうちは会話も弾んだものだが、年を取るに連れ「如何に昼休みにちゃんと休むか」が重要になってくる。新人の頃は、それこそ昼休みが休みじゃ無い位に色々とやった。しかし、休まないと後が辛いだけである。昼休みの主目的は昼食だが、食休みも大切である。
 そんなありふれた昼休み、何やら新人の女子達が雑誌を覗き込んで盛り上がっていた。「若者には、もうついていけない」等と考えながら弁当を食べ始めると、横から小声で何やら言われた。

「あんな雑誌を職場で読むなんて、男女逆ならセクハラ扱いじゃないですか?」
 あんな雑誌とはどんな雑誌か。そう聞き返したら、若い子達が読んでいる雑誌を指し示された。
 その雑誌、女性向けにある特集がなされていた。普段であれば、ファッションだのカフェだの扱っている。しかし、たまにやっている特集、それは確かに公共の場で読むには勇気の要る内容である。だからといって、セクハラかどうかは良く分からない。何より、見せつけながら読んでいる訳ではない。事実、私は指摘されるまで気付かなかった訳だし。等と返してみる。
「じゃあ、グラビア写真を男が眺めていても」
「その位、少年漫画にもあるから気にしないよ」
 面倒だから食い気味に返した。大体にして、ふんぞり返ってスポーツ紙を読む上司が居るのに、何を今更言うのかこいつは。
「それに、わざわざ読ませてくる訳でもないし」
 そう言って、雑誌を横目で見る。内容がどうだろうと、表紙さえ意図的に見なければそれまでである。
「なら、男が自分の弁当に、フランクフルト一本とスコッチエッグ二つだけをおかずにしても、見せ付けなければセクハラではないと?」
 あんたは小学生か。と言うか、それを自分で用意して自分で食べて何が一体楽しいと言うのか。呆れて物も言えないでいたら、奴は何やら勘違いした様子で笑った。
「あれ、もしかして恥ずかしがって」
「呆れただけ」
 さっさと立ち去る為、食べるスピードを上げてみる。同僚とのコミュニケーションは大事だが、こんな内容で無駄な時間を過ごしたくはない。

 そんなことがあった翌日、少々厄介なことが起きた。雑誌で盛り上がっていた新人達が、わざわざ雑誌の内容に関して絡んできたのだ。
「先輩、先輩は彼氏に満足してます?」
 流石に声に出しはしないが、雑誌の見出しをちらつかせながら聞いてくる辺り、何に対しての満足かは察しろと言うことか。まあ、なんにせよ彼氏は居ない。そう素直に伝えて離れようとしたが上手くいかなかった。
「えー、隠さなくったって良いんですよ」
 いや、本当に居ないから、そう言い切った時だった。
「んじゃ、立候補しちゃおうかな?」
 小学生レベルの発言をかました奴が来た。その表情からして本気ではない。と言うより、流れ的に新人を笑わせようとしたのだろう。ただ、おかげで彼氏については有耶無耶になったのは素直に感謝しよう。本気でフランクとスコッチエッグ弁当を作ってきたのは会話で触れないでおいた。

 それから数日後、なかなか仕事が終わらず、フロアの電気が次々に消される中で残業をしていた。そんな時の為にデスクの引き出しにはカフェイン飲料だの、栄養ブロックだのを蓄えてある。カップ麺を蓄えていた時期もあったが、出来るまで時間が掛かるし食べるにも時間が掛かるし、幅も取るから何時からか姿を消した。
 正直、腹は満ちない。しかし、食べないよりはマシである。脳を働かせるには先ず糖分。だけどお菓子じゃ様にならない。結果として、栄養ブロックが無難で楽と言う訳である。

 そうして一人パソコンに向かって数時間、視界の隅に何かが動き始めた。フロアの人間は既に帰った筈である、疲れたせいで目がどうかしたのかと目薬に手を伸ばした。
「いや待って、スルーしないで」
 声に気付いて振り向けば、コンビニで買ったばかりらしきフランクフルトを振る奴の姿が。
「お腹減っているだろうと思って」
 そう言ってフランクを差し出してくる。買ったばかりらしく、ビニール袋の内側には蒸気が満遍なく付いていた。
「ありがとう、幾らだった?」
 腕を伸ばして財布を探る。予定外の出費だが、そう高くはないだろう。
「いや、別に気にしないで大した値段じゃないし」
 そうは言っても、こちらは気にする。と、言ってしまったのだけども。
「じゃ、お礼に今度デートしてよ」
 はい?
 パソコンに向かい過ぎて耳がどうかしちゃったかね。いや、どうかしたのは脳か。とにかく、やんわり聞き返してみた。
「この前もちょっと言ったじゃん、付き合うかって」
 いや、言ったには言ったけど、てっきり冗談だと。
「彼氏が居ないってのが嘘なら、それまでだけど。学生の頃と違って出会いもないし、試してみない?」
 確かに、新しい出会いなんてそうそうない。だけど、それはつまり人の入れ替わりがあまり無いってことで、上手くいかなかったら気まずさが半端ない。
「否定しないなら、受け入れたって取るよ? じゃ、今度の日曜に○○駅に10時ね」
 言うだけ言って帰ってしまった。急なだけあって予定を偽って断るのも容易だ。だけと今やるべきは終わっていない仕事。受け取ったものをしっかりと腹におさめ、一気に仕事を片付けた。悔しいが、食後は効率が上がっていた。

 結局、断るタイミングを逃したまま休日を迎えた。可愛らしい服なんて、生まれてこのかた買った試しがない。だが、すっぽかすのも失礼だから、手持ちの中で新しい服を選んで出掛けることにした。
 待ち合わせの場所につけば、相手は居ない。まあ、早めに行動するから基本的にそうである。今や、電波さえあればあれこれやれる時代。待ち時間も分で表せる程度なら気楽なものだ。いや、待たない方が体は楽なのには変わりないが。

 ともあれ、言い出しっぺが数分の遅刻をして現れた。これが仕事なら怒るが、今はスルーしておこう。
「どこ行く?」
 

が考えていなかったのか。しかし、こちらとてデートの経験値が低い身。先ず、何をすべきかすら分からない。第一、公共の場でイチャイチャする勇気は皆無だ。あれは、若いから笑って許され、連れ添って長そうな熟年夫婦なら微笑ましくなる。だが、働き盛りがそれをやると、顰蹙を買う方が多い。なんなら、ネットに上げられる位に嫌悪感を出す。
「ごめん、枯れ過ぎてデートで何するか正直分からない」
「枯れ過ぎて、って。まあ良いや、散歩がてら昼御飯を食べる場所探そう」

 その言葉通り、店の立ち並ぶ通りを歩く。物の見事に会話は途切れた。そう言えば、相手の趣味どころか好き嫌いも知らない。だが、逆に考えればそれが話題になる。
「食べられないものある?」
「あー……なんだろ、ゲテモノは多分、無理」
 それは多くの人が無理そうなやつだ。そして、この界隈では多分やっていない。
「後は、なんだろ、出来れば食べたくないものなら色々ある」
「じゃあ、ゲテモノ以外でメニュー多そうな店にしようか」
 期せずして主導権を握った感は否めない。ともあれ、会話も保たなかったし、昼食を求める列に並んでおく。人気の店は無難だが、人気だけあって待ちが長い。

 とは言え、人気の店は手慣れたもので、待つ客にメニュー一覧を配っている。勿論、数に限りがあるが、配られてからは話題が出来た。
 何を食べるか、着席する前に決める。これが持ち帰り可能なファストフードであれば、並んでいるうちに注文まで済ませる店もあるがそうでない店は別である。
 ともあれ、二人でメニューを覗き込み、なんとなしに値段の近いランチを選ぶ。ランチメニューは無難で良い。値段はお手頃、飲み物やデザートまで付く。そして、それを選ぶ過程で盛り上がれる。
「今日は暑いし、ホットはないよね」
「いや、店内は涼しいかも知れないし」
「いやいや、原発事故以来、節電で冷え過ぎの店も無いでしょ」
「確かに、昔に比べたらやたらに空調を効かせる店は減ったけど」
「じゃあ、デザートから決めよう。選べるのは、アイスの味だけだけど」
「そこは無難にバニラでも」
「ならば、こちらはあえての抹茶を」
 と、まあ店外での待ち時間はそうして過ごし、やっと席が空いて座れることになった。空調は省エネ気味だったので、二人して冷たい飲み物をセットにランチを注文。数分の内に、飲み物だけが運ばれた。
「生き返る」
 冷たい珈琲を飲んで漏らし、こちらを見てくる。
「飲まないの?」
「料理が来てからで」
 ランチメニューは予め準備してあるのか直ぐに運ばれてきた。おかげで会話は中断され、暫し黙ったまま食事をする。

 殆ど食べ終わった時を見計らい、デザートが運ばれた。それとほぼ同時に、奴はスプーンで掬ったアイスをこちらに向けてきた。
「お裾分け」
 そう言われたので、こちらもアイスを掬い、抹茶アイスの凹んだ箇所に乗せてやる。
「そこは、アーンしあうとこでしょ!」
 どこがだ。しかし、奴がスプーンを動かす様子は無いので、溶ける前にバニラアイスの上へ手持ちのスプーンを使って乗せてやった。
 子供連れもちらほら居る中、そんなことやっていられるか。だと言うのに、奴は落ち込んでいる様だ。お預けを食らった犬みたいな顔をしている。
 昼食を終え、混み合う店内から出ると、気温は更に上昇していた。
「暑いから涼めるとこ行こう」
 それに同意し、最寄りのショッピングモールへ。こちらもまた混んではいるが、仕方あるまい。

休日のショッピングモール、それは幸せそうな家族に満ちていた。本当に幸せかは知らない。だが、ろくに連れ出してもらえない子供時代を過ごした身には、連れ出してくれる親元に産まれただけで恵まれていると感じてしまうのだ。
 なんにせよ、ショッピングモールには様々な店がある。どこにでも子供は居るが、その数は店によって変わる。
「やっぱりと言うか、賑わっているね」
「そりゃ、遊園地に行くよりは安くあがるし、日焼け対策もしなくて良いし」
「え、そう言う理由なの?」
「知らないよ、ただの予想。遊園地なんて、何か乗る度にお金掛かるし食べ物は高いし。それに比べたら、キャラものカートは幾ら乗ってもタダ。フードコートを使えば、安いジャンクフードで済ませられるし」
「何それ世知辛い」
「考えてもみなよ、共働きしようにも保育園は空きがない。その立ち位置を知らない政府は数だけを増やして、事故を増やした。子供の安全の為には、高くても真っ当な場所に預けたい。すると、必要でない出費はなるべく削りたい。預けられないと当然世帯収入は減るからより苦しい」
「言われてみれば、そうだね」
「だけど、着ている服からして、そこまで困ってはいないとは思う」
「待って、そこまで推理してんの?」
 何やら引かれた様だ。しかし、それにも理由はある。
「いや、働ける年になるまではボロい服ばかり着ていたから。だからかな、話しながらそれに気付いた」
 哀れむ眼差しを向けられたが、哀れまれても過去は変わらない。
「まあ、今は進学を諦めたなんだがニュースになっているし、バブル後はそんなもんだよ」
「結婚しよ」
 はあ?
「それで、家賃が浮いた分、服を買って良いものを食べて」
 何故そうなった。
「食費だってまとめ買いした方が安いし」
 それはそうだが誰が調理するんだ。いや、その前に。
「待って、なんで色々すっ飛ばして結婚なの?」
 暫しの間があった。
「そりゃ、互いに良い年だから。周りを見てよ、子供が居ながらも俺達より若い人が沢山居る」
 まあ、そうだけれども。
「それに、知り合ってからなら長いじゃん?」
 まあ、それはそうだが。
「それにしたって、簡単に決めるものじゃないでしょ。式をしないにしても、なんだかんだ事務手続きやらなきゃだし」
「つまり、拒否?」
「軽いノリで提案されて、それを受け入れる人が居るなら会ってみたい位だっての」
 流石に黙った。そして、こちらからも話し出さない。

 気まずい空気が流れたまま、その日は解散することとなった。結婚、それは名字が変わるだけでも女の負担が大きい。職種によっては、名刺を刷り直す必要だってある。それでいて、既婚者は妻に感謝を見せやしないのが日本である。
 ダブルインカムでなければ暮らせない収入ながら家事を手伝わない。家事をするのは女。男子厨房に入らず。そんな古い概念のまま思考停止した男が、21世紀にも居るのだ。女は結婚したら家事をする。だから、女に家と書いて嫁。そんなのは、バブルが崩壊して景気が冷え込む前の話だ。

 最も、その稼ぎで妻子を十分に食わせられると言うなら別かも知れない。しかし、そんな稼げる仕事はそうそうないのはニュースを確認すれば分かる。
 つまり、唐突に結婚と言われても、感じるのは不安ばかりなのだ。なんせ女性の少ない職場である。先輩方に結婚しても尚、会社に居る女性は居ない。未婚のまま局化した方ばかりである。だから、将来が見えない。幸せになれるか分からないのだ。

 そんな想いを、その日の内に来た奴からの質問に対して返しておいた。そうしたら、「だったら、自ら例になれば良いじゃん」と返ってきた。人ごとだと思いやがって、だから今までも結婚したくなかった。どうしたって結婚に関する考えには性差がある。結局、奴と結婚することはなかったが、教訓にはなった。その上、思ってもみなかったことが起きた。奴が愚痴った相手、その男が私の意見に同意したのだ。
 そうして、奴がやけっぱちで愚痴った相手を私に紹介。趣味や嫌いなものまで似ているというミラクルまで起きた。
 不思議なもので、人生の転機は突然やってくる。奴に絡まれた頃の私に、結婚して幸せを手に入れられたと伝えても信じはしないだろう。
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