第二十一話 虎之助の狼退治(前編)

文字数 2,725文字

 一度、地上まで戻り、眠って朝になるまで待つ。
 虎之助は人間の御隠居の家に行く。
「御隠居。ちょっと相談がありやす。大酒飲みの妖怪を、酒で潰してやりたいんですが、何か名案がありやせんかね?」

 御隠居は澄ました顔で答える。
「ねえ、と言いたいところたが、実はある。裏当帰だよ。裏当帰を酒に混ぜて妖怪に飲ませれば妖怪は、たちどころに酔い潰れる」
「人間が裏当帰の入った酒を飲むと、どうなりやす?」

「どうにもならないよ。悪酔いしなくていいくらいさ」
(よし、勝利の道筋が見えてきたぜ)

「つまり、裏当帰の入った酒を飲ませりゃ妖怪に勝てると」
 御隠居は虎之助の策に、乗り気ではなかった。
「おいおい、妖怪も裏当帰が毒なのくらい知っているよ。飲み比べとわかれば、裏当帰が入った酒なんて、飲まねえだろうな」

「なら、いっそ、裏当帰の煮汁を杯に塗るのは、どうでしょう」
 御隠居が渋い顔で否定する。
「それも感心しないね。飲んだら、わかるよ。裏当帰には味がある。裏当帰は、ちょっとぴりぴりするんだよ」

「ぴりぴりね。なら、山椒味噌に混ぜればどうでしょう?」
 御隠居が穏やかな顔で肯定する。
「山椒味噌に混ぜたらわからないね」

「では、こういうのはどうでしょう。俺が鰻の屋台を出します。そこで、山椒味噌に裏当帰を混ぜておいて鰻に塗る。それで、裏当帰を妖怪の口に入れさせる。その上で、飲み比べをするってのは、行けますかね?」

 御隠居は渋い顔で欠点を指摘する。
「でも、相手が山椒味噌を塗った鰻を喰わないと意味がないだろう。他の妖怪が先に山椒味噌を食べたり、白焼きで寄越せって命じられたりしたら、どうするんでえ」

(これでも駄目だとすると、これならどうだ) 
「よし。なら、こうしやしょう。鰻を蒸しましょう。蒸し器に細工をするんでさあ。裏当帰の煮詰めた汁に寒天の汁を混ぜて、蒸し器の上蓋に塗っておきます。鰻を蒸すと、寒天が融けて裏当帰の薬液が落ちて鰻に染み込むんでさあ」

「鰻を蒸すのかい。あまり聞かない調理法だが、それなら、目当ての鰻に裏当帰を盛れるかもしれないねえ」
「なら、それでいってみます」

 翌日から五日を掛けて、鰻の蒸し器に細工をする方法を考える。
 蒸し器に寒天の汁を塗る方法は、どうにか完成させた。
 酒樽の二つを買って、翌日の決戦に備える。
 尾張徳川家の中屋敷に酒樽の二つと蒲焼の屋台を二度に分けて運ぶ。鰻の白焼きもたくさん買い込んで、戦いの準備をした。

 夜になって、まず、屋台と酒樽を地下に運んで胡蝶を呼ぶ。
呼ぶと胡蝶は、すぐにやってきた。
「すまねえ、胡蝶さん。狼が出る場所まで酒樽と屋台を運ばなきゃならねえ。大八車を貸してくれ」
「いいよ。待ってな」

 少しの間をおいて身長六尺(約百八十㎝)の赤鬼が大八車を牽いてきた。
 赤鬼が大八車に酒積んで牽いてくれたので、手間賃として二百文を払った。

 虎之助は鰻屋の屋台を担いで、胡蝶の後について行く。
 胡蝶は素っ気ない態度で訊く。
「どうでぇ、虎之助。狼退治は、できそうけえ」
「まあ、見ていてくだせぇ。見事に勝ってみせます」

 胡蝶は、さばさばした態度で告げる。
「私はあんたが勝とうが負けようが知った話ではねえ。面白いもんが見られりゃ、それでいいさ」
 堀端に来ると、鬼が酒樽を下ろしたので、虎之助は鰻の屋台の準備をする。
 買って来た白焼きの鰻に再度、火を通して、辺りに匂いを漂わせる。

 また、酒樽の一つを開けて、酒の匂いも辺りに漂わせる。
 鰻の焼ける匂いに誘われて、猫や狢の妖怪が遠巻きに見に来た。
「勝負の観客が出てきたねえ。胡蝶さん、狼を呼べるけえ」

 胡蝶は、あっさりした態度で了承する。
「いいよ、呼んできてやるよ。その代わり、タダで蒲焼を一本もらうよ」
「いいぜ」というと赤鬼も物欲しそうにするので、赤鬼にも約束する。
「狼が出たら、あんたにも一本やるよ」

 鰻の匂いが段々と立ち込めていく。虎之助は蒸し器の準備をする。
 そうしていると、全長が一丈(約三m)、体重が百貫(約三百七十五㎏)の真っ黒な狼が現れた。
虎之助は堂々と勝負を申し込んだ。
「よう来なすった、狼の旦那。俺と飲み比べて、勝負してもらいてえ」

 狼が鋭い目で虎之助を睨む。
「嫌だと断ったら?」
「別に何も悪いことはねえ。俺は狼の旦那に喰われるかもしれねえ。だが、ここで勝負を見ていた妖怪たちが、狼の旦那が飲み比べの勝負から逃げたと噂するだけでえ」

 狼は鼻で笑う。
「なるほど、妖怪の口に戸は立てられないってわけけえ」
「まあ、そんなところでえ。それで、勝負を受けるのか。受けねえのか、どっちでえ?」

 狼の手足が人間の手足のようになる。
「いいだろう。飲み比べ勝負を受けてやろう」
 虎之助は見ている妖怪に声を掛ける。
「よし。なら、観客が証人だ。俺は酒に細工をしていねえ。その証拠に勝負に関心があるやつは、俺と狼の旦那が飲む酒を一緒に飲んでもらって構わねえ。もちろん、酒はタダだ」

「おおおー」と観客の妖怪から感心の声が上がる。
 気の早い小妖怪がやってきて、酒樽から升で一杯を飲む。
「うめえ。この酒に毒は入っていませんぜ」
「俺も毒見だ」と河童が陽気に飛び出してきて酒を一合ぐいっと飲む。

 狼はふっと笑う。
「酒に仕掛けはないようだな、ならば頂こう」
虎之助が一合の杯を出しだすと、狼はぐいと飲み干す。虎之助も一合を飲む。
「狼の旦那。俺は摘みの鰻を造りながら飲むから、そのつもりでいてくれ」

「鰻か。鰻は嫌いではねえが」と狼は用心した。
「何も入っちゃいませんよ」と、さりげなく口にして、赤鬼に蒸していない蒲焼に山椒味噌を塗って差し出す。

 赤鬼は鰻をぺろりと一串を食べる。胡蝶にも同じく仕掛けのない鰻を差し出す。
「うん、皮が固いが、普通の鰻だね」と胡蝶が返す。
「皮が固い? おっと、蒸し時間が足りなかったかな」

 狼が尋ねる。
「鰻を蒸してから焼いているのか?」と聞くので「そのほうが、皮が柔らかくなるんでさあ」と、さりげなく、蒸したほうが美味しいとアピールしておく。
 狼が飲み、虎之助が飲む。タダで酒が飲めると訊いてやってきた妖怪も勝手に飲む。
だが、酒は勝手に飲ませるが、鰻の屋台には妖怪は触らせなかった。

 蒸していない鰻が暖まると、妖怪たち山椒味噌を塗って次々とに振舞う。山椒味噌が無害だと妖怪たちに刷り込んだ。
 互いに三合飲んだ辺りで、勝負の蒸した鰻を火に掛ける。
(さて、ここらへんで仕掛けるか)
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