1 祭り

文字数 1,122文字


  
 時は、平安時代。
 平安京の南、大原野神社でのこと。
  
 帝の(きさき)が、神社の祭りを御覧になりたいと、牛車を繰り出されることとなった。
 この后は、二条の后とも呼ばれ、その御名は高子(たかいこ)といい、藤原氏の出であった。
 大原野神社は、藤原の氏神の列なりであったのである。
  
 二条の后の御車は、薄紫の地に、金の帯。白玉の模様で彩られていた。
 警護にあたるのは、近衛府の官吏たち。
 
 在原業平(ありわらのなりひら)は、警備の男たちを従え、后の牛車に近侍していた。
 彼の位は、近衛中将であったが、もとはと言えば、平安京を開いた桓武天皇の血筋。
 藤原氏の台頭がなければ、もっと上位に補されていて然るべきであった。
 
 業平は、后の車につかず離れず、直々に警護にあたり、周囲に眼を光らせていた。
  
 むかし、若い時分、普通の身分であった時の高子とは、互いに交情があった。
 しかし、今の彼女は、皇后の身。直接目にすることはない。
 
 祭りを見物する前に、后は神社に参詣する。
 この牛車に付き随い、参詣した供の者たちに、褒美が配られた。
  
 それが配り終わろうとする時、牛車から声が聞こえた。
「ありわらの」
 聞き違いではない。
 憶えのある、はっきりした声。
 業平は、馬上のまま、牛車のすぐ右に並ぶ。
「ここに」そう告げて、自分のあることを示す。
 
 車内からは、彼の姿が見えているであろう。
 車の側面の物見が、小さく開かれた。
 白い手指があらわれた。
 その指は、何かをお渡しになり、すと引き込まれた。
 
 業平が受け取ったもの。
 それは、薄手の折り紙。
 折った中に、紅のもみじ葉が一葉挿してあった。
 細葉のそれは、女の手を想わせた。
 
 業平は、それを静かに胸元に収める。
 何であろうと、后が手ずから下されたもの。
 無言ですます無礼は、許されない。
 
 業平は、即に、后に和歌を奉った。
 
  大原の 古くからの山も 
  あなたがいらした 今日こそは
  すばらしかった はるか昔のことを 
  思い出しているでしょうか
 
 二人のことは、過ぎたこと。
 業平に歌を求めたのは、后の戯れか。
 その求めに応じた彼も、歌を詠んで、心に哀しく思ったか、どんなふうに思ったか、それはわからない。
 
 そして、牛車は、何事もなく動き出した。
 業平は先に進み出、車列を護る。
 后の一行は、祭りの人々の群れにまぎれ、見えなくなっていった。
 
 そののち、業平は、都を離れた。
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