第1話 運命の人

文字数 2,289文字

 ステンドガラスが施された窓からは外が見えない。マスターの趣味で大正ロマンの内装の店内は静かな午後を迎えていた。今日は雨だったので、光もそこまで入ってこない。急に降り出した雨だったからお客さんが何人か駆け込んできた。

「いらっしゃいませ」と夕雨(ゆう)は慌てて水とおしぼりを運ぶ。

「ホット一つ」と言いながら席に座ったお客さんに「かしこまりました」と言って、笑いかけた。

 お客さんの顔を夕雨は確認する。マスターにコーヒーをオーダーすると、「運命の人だったかい?」とふざけて聞いてくる。

「ち が い ま す」と不貞腐れた声で夕雨は返事した。

「繰り返し夢に出てくるんだろう?」と言いながら、マスターはコーヒーの準備を始めた。

「そうですけど…。でも自分でも半信半疑なところがあって」

「このお店がその夢に似てるからって、もしかしたら違う場所かもね?」

 確かにそうかも知れない。

 でも夕雨はこの喫茶店に入って、すぐにここで働きたいと思って、いつもならそんなこと口に出せないのに、どうしても言ってみたくて仕方がなくて、「バイト募集してませんか?」と聞いてみた。

 するとたまたま「来月からアルバイト辞める子がいるから来る?」と言われた。

 服装は自由で、エプロンだけつけるが、もし和装にエプロンだったら、本当に大正ロマン喫茶みたいな店だった。夢で見る店がここかは分からないが、ずっと小さい頃から見る夢がある。ステンドグラスの窓の横席でアイスクリームを食べていて、赤い絨毯のお店。

「夢は夢だよ。早く恋人作りなさい。若いんだから」とマスターに言われて、夕雨はため息をついた。

 
 夕方、少し暇になり、また夕雨の運命の人についての話になった。

 マスターに「どんな顔? ほら芸能人に例えるとしたら、誰?」と聞かれた。

「顔は…」

 夢の中で見る顔はあまりはっきりしていない。でもなぜかその人の手だけは思い出せる。すごく大きな手で骨張っていて、指が長くて綺麗だった。夕雨はテーブルの上の砂糖をチェックしていた時だった、閉店まで後三十分という時に背の高い男の人が入ってきた。

「いらっしゃいませ」と声をかける。

「コーヒー…アイスで」と言った声を聞いて、何だか動けなくなった。

 夢で見た…気がした。

 窓際に座った人におしぼりと水を持っていく。

「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言ってくれた。

 夕雨はマスターのところに急いで「あの人かも」と言うと、マスターは酷くにやにやと笑う。

「そりゃ、男前だもんなぁ」と言って、アイスコーヒーをすぐに用意してくれた。

(確かに格好いい男の人だからそう思ったのかもしれない。都合のいい私の妄想かもしれないな)と夕雨は思ってテーブルに運んだ。

「お待たせしました」

「あ、シロップとミルクはいらない…あ、やっぱりもらおうかな」と言って、夕雨の下げかけた手に触れた。

「ごめん」と謝ってくれて、夕雨は「いえ」と言って、お互い数秒見合った。

 綺麗な鼻筋に彫りの深い目が綺麗だった。

「ちょっと待って」と言われて、胸が縮まる。

 でもただシロップを入れて、残りを夕雨に持って帰ってもらうためだけだった。

「はい、もうこれはいいから」と夕雨のお盆に載せてくれた。

「ありがとうございま…す」と最後は小さな声で言うと、マスターのところに戻った。

「え? 何話してたの?」

「特に…何も。シロップ返してくれました」

「はぁ。気がきくねぇ。閉店前だから助かるね」とマスターは受け取った。

 夕雨はカウンターのテーブルを拭きながら、そっと窓際の彼を見た。そう。ただ格好いいと言うだけで、どきどきしてしまう。夢の中の人と同じかどうかはさっぱり分からない。十分くらいで席を立つと伝票を持って来た。

「昨日、この近くに引っ越してきて…。ここって、回数券ありますか?」と聞く。

「あります。あの…モーニングにも使えますよ。サンドイッチとレーズンバタートーストと…ミニホットドッグがあります」

「普通のトーストはないの?」

「あ、あります。バターかジャム…両方もいけます」

「そう。じゃあ、とりあえず二冊買おうかな」と言って、一万円札を出した。

「ありがとうございます」とマスターが回数券を渡す。

「毎日来るから…預かってくれる?」と言われて、夕雨は内心喜んだ。

 それで名前が分かるのだから。

「お名前は?」

三条未嗣(さんじょうみつぐ)です」

「え?」と聞きなれない名前で、思わず聞き返す。

 少し笑って「貸して」と夕雨が持っているペンを取り上げて、自分で名前を書いた。

 その手の動きを見て、何か懐かしい気持ちになる。

「手が…」と思わず声に出してしまった。

「手が?」

「あ、いえ」

「この子ねぇ、運命の人? って言うのを探してて」とマスターが横入りする。

「運命の人?」

「ソウルメイトです」と言い直したが、どっちも確かに同じような気がした。

「毎回、同じ夢を見て、それがこのお店に似てるって言うんでアルバイト募集してきたんです」

「へぇ。どんな夢?」と興味深そうに未嗣は言った。

「あ…忘れちゃうんですけど」

「何それ、忘れちゃうんだ」と言って、屈託なく笑った。

 なぜか未嗣には話したくなかった。マスターもそれ以上は話さずに会計をして、回数券を壁に掛けたコルクボードに貼り付けた。

「じゃあ、また」と言って出ていくのを見て、マスターは閉店準備を始める。

 夕雨は去っていく未嗣を見て、ため息をついた。きっと彼が素敵だから見つめてしまったのだろう。でもあまりの美形に高嶺の花のように感じた。

「彼がソウルメイト?」とマスターが聞いたので、首を横に振った。

 その日の夢で夕雨が会った彼は未嗣の顔をしていた。
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