第1話 傘

文字数 1,033文字

 男は、雨の音を聞いていた。
 地面を叩くその音を聞いていると、傷の痛みが少し薄れる気がした。
 壁に背をあずけ、男は路地の片隅に座っていた――いや、へたりこんでいた。路地を透かして、路地と垂直に走っている車道の一部が見える。車が通りすぎる度に、ヘッドライトがまるで稲妻(いなずま)のように路地を貫き、男の足から流れる血を照らし出す。このまま出血が続けば、夜明けまで持たないかもしれない。
 
 不意に、視野の隅に赤い色が揺れた。
 見られたと思った瞬間、反射的に右腕が上がっていた。
 路地の奥とはいえ、都会に完全な闇はない。男の握っているのが銃であることは、すぐにわかるはずだった。
 悲鳴を上げて逃げ出すかと思ったのに、相手は赤い傘を僅かに上げただけだった。
 またヘッドライトが(ひらめ)き、人形のように整った女の顔を闇の中に浮かび上がらせた。
 男の目に驚愕の色が浮かんだ。
紫苑(しおん)……」
 絞り出すような声が、震える喉から洩れた。

「あんた、医者か看護師なのか」
 女は男の顔をじっと見つめ、それからゆっくりと首を横に振った。
「そうか、プロの仕事と思ったんだが。とにかく、礼を言う。あんたが止血してくれなければ、オレは意識を失っていた。それにしても、その細腕でよくオレをここまで運んでくれたものだ……」
 アパートの部屋は四階だった。
 女はまた男を見た。黙って相手を見つめるのは、女の癖のようだった。男も、女の顔を見返した。
「さっきあなたは、わたしを〝紫苑〟と呼びました」
 男が一瞬、眉を鋭く顰めた。
 女は、ちょっと首を傾げた。
 その時、男の手は既にテーブルの上の銃をつかんでいた。
「なっ……!」
 男の目が刃物のように光る。女の白い指が硬い男の手を――いや、その手の中の銃をしっかりと押さえていた。
「心配ありません」
 女が静かに(かぶり)を振った直後、部屋のドアが勢いよく開いた。
「ああ、疲れたあ! 今日はしつこいオッサンの客でさ、もう最悪。おまけにこのどしゃぶり! シャワー、シャワー!」
 濃い化粧をした女が、ヒールの高い靴を振り飛ばすように脱いで入ってきた。
 男を見ると、棒を吞んだような顔で固まる。
「アン! なんでこんなの引っ張りこんでるのよ!」
「可哀相な生き物が雨に打たれていたら拾ってきてもいいと、この前伽耶(かや)は言いました」
「それは犬とか猫の場合でしょ! こんな大きな生き物、拾ってきてどうすんのよ! もうっ、もしかしてバグ?」
「バ、バグ……」
 男が茫然とした顔で、ふたりの女の間に視線をさまよわせた。
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