-remota- 第6話「泡沫」

文字数 1,506文字

『不治の病』の悪化もあって、ほとんど山に籠りきりになってしまった銀翅に、
或いは『不治の病』とも言える欲深さに嵌まった村人たちは、僅かずつとはいえ、確かに銀翅に不満を抱いてゆきました。

その不満はやがて疑心を招き、さらに、その疑心は十六夜にも向きます。
『銀翅が山から連れ帰った女は怪しい』
『銀翅は、女を得ることと引き換えに、山の神と何か取引をしたのでは?』
十六夜がその『山の神』であることを知らない村人たちは、あらぬ疑いを深めてゆくのでした。

そしてその『疑心』は、まるで柘榴が弾けるように呆気なく――或いは突然、暴走するのでした。

山じゅうの木の葉が赤く染まった時期、今にも夜が明けようかというときのことです。
「…こんな明朝に、忍んで私を訪ねてくるのは…どちら様かな?」

来訪者の気配を感じ取り、静かに目を開けた銀翅に呼びかけられたひとりの村人は、がらりと戸を開きました。
『銀翅さま。こんな時間に訪ねたことを、どうぞ御赦しくだせぇ。どうか内密に、お聞き願いてぇ事があるんで。』

「何、構わないさ。…話とは何だい?」
村人たちが、内密の話があると言って明朝に訪ねてくるのは、特段珍しい話ではありませんでした。
それゆえ銀翅は、疑ってはいなかったでしょう。――何食わぬ顔で入ってきた男が、その手に持つ松明を銀翅に向かって投げるまでは。

松明は銀翅の少し手前で落ちましたが、火は忽ちのうちに燃え広がります。
咄嗟に十六夜が力を用いたことで、炎はすぐに消えましたが、煙を吸い込んだ銀翅は咳き込み、逃げるための力を奪われてしまいました。

火を消されたことに気付いた村人は、内密のうちに周囲に潜ませていた、数十人は居ようかというほど多くの仲間を呼びます。
彼らはそれぞれに、鍬や鎌などの農具――武器を、手にしておりました。

十六夜は抗おうと、彼らを鋭い目で睨みつけました。
そして、互いに今にも襲いかかろうとした時、十六夜の細い腕を――尚も苦しみ、立つことすらままならないはずの銀翅が掴んで、首をさっと横に振りました。

「え?」
「私は…いい、から、――行け…!」
訝しむ彼女の耳に届いたのは、銀翅が今際に振りしぼった、確かな言葉でした。
指先は、外を指しています。夜明けをひかえておりましたが、それでもなお、美しい月が確かに見えました。

『おのれ――村の仇!』
銀翅は、今際に聞いた言葉で全てを悟ったのでした。ずきり、と胸が痛んだように感じましたが、それが病によるものかどうかは、(つい)に解りませんでした。

――其処から咄嗟(とっさ)に逃げ出した十六夜は、ぐしゃり、どしゃ。という(いや)なおとすらも、恐らく耳にしたでしょう。しかし、その後に続いた『やはり狐だ――』『おぞましい――』という声は、遠すぎて、聴こえてはこなかったはずです。
形振(なりふ)り構わず走り去った十六夜は、自身がどんな姿をしているかさえ、判っておりませんでした。


人の善い処を見せようと尽力し、無理を重ねた銀翅の努力は、まさに水泡に帰したのでした。
火を放たれ、武器を翳されても尚、話し合いを――と十六夜を止めた銀翅の腕を、実に呆気なく砕いたのは、銀翅が心を砕いて尽くしてきたはずの、村人たちでした。

こんな仕打ちがあろうかと、十六夜は怒り狂います。
気付けば十六夜は、銀翅と出遭ったあの洞穴に、身を潜めておりました。

「――十六夜、十六夜…」
洞穴の暗がりから、(かす)かな声が聞こえたような気がしました。

「…、あんた…」
「…先程は、驚かせて済まなかったね。怪我が無いようで、何よりだ――」
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登場人物紹介

十六夜

山に棲む狐。

銀翅

陰陽師の男。

銀翅に仕える少年。

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